Saint Guardians

Scene 10 Act 1-2 旅路-Journey- 重厚な動き、複雑な動き、温かな動き

written by Moonstone

 アレン達一行がラムザの町で観劇や買出しをしている頃、首都フィルでは幾つかの動きが水面下で進行していた。
まずは王家の城。王国議会一等貴族議員団控え室の1室4)で2名の中年男性と1名の中年女性がソファに腰を下ろしている。時期柄火が消えて久しい暖炉に
向かって右側に座する男性は、王国議会議長でもあるアルテル家当主カティス、その向かいに座る男性はマープルフォード家当主ウェッジ、その右隣に座る
女性はアルフ家当主リリム・タイロン・アルフである。
 ウェッジとリリムがカティスに要請されて設けられた非公式の会議の議題は、同じく一等貴族で後継問題が深刻且つ危機的なリルバン家への対応である。
3名は既にそれぞれの執事を介してルイが今日の早朝にヘブル村へ向けて出発したとの情報を得ている。フォンの実弟にして後継候補第1位だったホークと
その妻ナイキが子どもを儲けずして死んだことで、他に親族が居ないフォンの唯1人の実子であるルイが時期後継者と事実上確定したにもかかわらず、
警備を伴わせずにルイをリルバン家から出したフォンの無防備さに強い懸念を抱いている。

「娘を刺激したくないというフォン様の気持ちは分かりますが、一等貴族当主としての立場を最優先すべきです。」
「今後正室も側室も設けないと陛下に確約した一方で、陛下に無断で娘を無防備に外出させたことが知れれば、ただ事では済みますまい。」

 ウェッジとリリムは順に批判や懸念を口にする。
ルイのヘブル村への一時帰還の際には人目につき難い早朝という時間帯を選ぶようフォンとロムノ、そしてドルフィンが進言した。ルイはそれを受け
入れたが、警備の同行を断る姿勢は頑として崩さなかった。ウェッジの指摘どおりフォンはルイを刺激しないためにルイの要求を呑んだが、リリムの言うとおり
国王に今後正室も側室も設けない、つまりルイを後継者とすることを確約したのにそのルイを無防備にすることは国王に対する虚言との批判を招く恐れも
さることながら、ルイの安全保障がなされない状況を作り出すことは一等貴族の継承を考えれば到底選択出来ない行為である筈だ。
 フォンはロムノを介して非公式の警備として私設部隊を展開し、増強も指示しているが、それは今のところウェッジやリリムを含む外部の知るところではない。
私設部隊展開はあくまでも非公式だからその活動を秘匿するのが普通だが、私設部隊を展開させてルイを護衛させていることが知られていない現状では、
外部から見ればルイの外出は無防備にしか見えない。同じ一等貴族としてフォンの選択に批判や懸念を示すのはごく当然だ。

「先の臨時建議会ではフォン様に対する二等三等貴族提出の弾劾決議は否決されましたたが、次回開催の議会で二等三等貴族がフォン様の行動を槍玉に
挙げて審議を妨害する可能性が高い。審議事項が多数ある状況で審議が十分進まなければ、東部の避難民を中心に国家に対する不満が増大する
でしょう。東部の状況が悪化の一途を辿っている今、それらが首都を含む中西部にも波及するのは時間の問題。」
「王国議会議長であられるカティス様には、フォン様に議長勧告を含む姿勢で臨まれることをお願いしたい。」

 シルバーカーニバル真っ盛りのランディブルド王国は、東側から徐々に、しかし着実に蝕まれている。シェンデラルド王国から侵入する悪魔崇拝者の
勢いは留まるところを知らない。各町村駐留の国軍も太刀打ち出来ずに撤退を余儀なくされ、人々は殺されるか避難するしかない。悪魔崇拝者によって
家々には火が放たれ、畑や井戸には毒が撒かれ、生物が住めない環境が広がっていくばかりだ。王国の食料ことも言える大規模な穀倉地帯にも悪魔
崇拝者の侵食が始まっている。このままでは王国全体が兵糧攻めされるのは確実だ。
 そのためには、渦中の人物であるフォンが再度提出するという悪魔崇拝者対抗策は勿論、富裕層の食料買占めを防止する法案など当面の対策を議会で
可決・承認して速やかに実施することが肝要だし、中長期的には被害拡大の速度に対して遅れている避難民の救済や、荒れ果てた畑や井戸の浄化を促進
する策を通常の職務より優先させるよう教会関係者に働きかける必要がある。
 思想の相違はあっても国家運営を左右する責任感は共通している一等貴族当主や、キャミール教の精神を徹底することにより自律機能が作用している
教会関係者はまだしも、富の拡大に血道をあげる二等三等貴族は自分の富の短期的な変動には敏感だが、国家運営を広い視野や長期間の観測で見る
者は少ない。後の高値での売りつけで多大な利益拡大が望める買占め防止など自分の富を吐き出させる議題に、強硬派を中心に強い反対が出るのは
容易に予想出来る。
 そこで穏健派論客の1人でもあるフォンがもはや隠しようがないお家事情で足元が揺らいでいては、フォンの弾劾決議再提出など揺さぶりをかけられて
審議が停滞してしまう。足元を見られるような事態を出来るだけ回避するには、フォンが父親より一等貴族当主の立場を優先するよう促すことが必要だ。
しかし、後継候補が外部の意向で左右される事態を防ぐための長年の慣例で、同じ一等貴族といえど内部事情への干渉は許されない。国王に事態が
知れれば更なる混乱を招く恐れがある。となれば、議会を取り仕切る議長であるアルテル家当主のカティスが議長勧告でフォンに内部事情の正常化を求める
のが最善の手段だ。

「・・・お二方の指摘は十分承知している。」

 口髭を湛えたカティスは言う。低く深い声もあって、王国議会議長の威厳に満ち溢れている。

「フォン殿には一等貴族当主としての自身の立場を優先してもらわねばならない。とりわけ国家的危機が近づいてきている今は、個人の心情に翻弄される
ことは厳に慎むべきことだ。」
「では・・・。」
「議会の進展状況によっては、議長勧告を出すことも当然選択肢としなければならない。」

 望んでいた回答が出されたことで、ウェッジとリリムは安堵の笑みを浮かべる。
ウェッジとリリムがカティスに直談判したのは、2人がフォンと同じく穏健派に属するためだ。フォンは2人と比較すると年齢は若いし当主暦は短いが、強硬派で
鳴らした先代と同様の幅広い視野や深い思慮から生まれる主張や論調は穏健派の代表格となるに相応しく、ウェッジとリリムもその力量を認めている。
 マープルフォード家とアルフ家は伝統的に商人との接触が多いため、経済や流通に精通している。国家運営に関与する一等貴族と接触する商人が接触に
何らの見返りも求めない筈がない。日本に存在する数々の利権や汚職は、企業献金という労せずして得られる政治資金や天下り先若しくは引退後の
就職先として用意される顧問や取締役などのポストを提供・維持する代わりに企業や経済団体が便宜を求め、それに政治家や高級官僚−日本の国会に
提出される法案の多数は行政立法すなわち高級官僚が君臨する省庁が提出する−が応えることで発生・維持・温存される。
 マープルフォード家とアルフ家も発覚した場合−汚職は完璧に隠蔽したつもりでも呆気なく発覚するものだ−のことを考えて賄賂と明らかな金品の受領は
拒否しているが、表面化しない流通事情と引き換えにその商人の要望を議案に盛り込んだりしている。利害関係に絡む接触の結果それに不利益に働く
動向に対して消極的になったり、他の事情を後回しにするなどの弊害は当然生じる。日本の例で言えば道路利権温存のため暫定税率の撤廃や道路特定
財源の一般化に難色を示す一方、他の先進諸国と比較して低過ぎる教育・医療分野の予算削減−医師不足の要因の1つは低過ぎる診療報酬でありそこに
出資される国家予算の医療費削減−がある。マープルフォード家とアルフ家は流通や経済事情に精通する代償として、他の方面における行動に消極的に
なったり対策が後手後手に廻ったりしている。
 それらは直ぐに解消出来るものではない。所謂「付き合い」が長く続いてきたのもあるし、表面化しない経済や流通の事情を先行して入手出来るために
出来る関連法規の立案などを、関係を樹立してきた商人や団体の協力なしに直ぐには出来ないからだ。国家の危機、特に食糧事情に関係する事態での
危機がひたひたと深刻化しつつある元でも、商人や団体との関係を絶って彼らの不利益にもなる法案や対策に乗り出すことはなかなか出来ない。
 そこで、穏健派の代表格であるフォンに期待が向けられる。強硬派の筆頭格でありながらもこれまでの議会外部との繋がりを全て断絶し、執事や私設部隊に
よる独自の情報網を構築して政策立案や論戦展開を行っていた先代の政治基盤を引き継いだことで、フォンには利害関係によるしがらみが殆どない。
先代がこれまでの外部関係を悉く断絶したのは、先々代である自分の父を死に至らしめた母や叔父、更には自分の兄弟に纏わる全てを憎悪の対象として
排除したためであるが、フォンが若くして穏健派の代表格となり、王国議会における勢力図を穏健派有利に出来るほどの手腕を発揮しているのはそういった
しがらみのない事情があるためだ。
 論戦を引き続き穏健派有利で進め、富に執着する二等三等貴族を抑えこんで東部から侵食する国家的危機に素早く対処出来ると思っていたところに、
フォンの厄介な内部事情が露呈してしまった。少数民族で敵視や蔑視の対象とされるバライ族を母とすること、メイドとの子ども、私生児、とフォンを
攻め倦(あぐ)んでいた強硬派が泣いて喜ぶようなポイント目白押しという形で。
 二等三等貴族が提出したフォン辞任を求める弾劾決議は二等三等貴族が出席出来ない臨時建議会では否決され、国王も一連の事件はホークとナイキの
責任でありフォンの責任は一切不問とすると宣言してはいるが、王国議会で出される弾劾決議という名の妨害までは止められない。かと言ってフォンに後継
問題を片付けるよう迫ることは許されないから、王国議会議長として議会を取り仕切るカティスの権限に頼るしかない。

「フォン殿は政治手腕もさることながらまだ若い。陛下も引き続き第一線での活躍を期待しておられる。事実上の後継であるルイ嬢は全国屈指の優秀な若手
聖職者。王国議会議員として数年の研鑽を行った後にリルバン家を継承していただきたいというのは、教会議員の一致するところだ。」

 カティスが語るリルバン家の人物の事情は、先の臨時建議会でも口々に出された。
フォンは一等貴族当主の中では最年少の35歳と十分若いが、先代のしがらみのなさをそのまま受け継いでの卓越した行政手腕は引き続きの行使が望まれる
ところだし、ルイの称号上昇速度と年齢は、資質を伸ばせる環境であれば更なる飛躍が望めると期待するには十分だ。ルイのヘブル村での役職が司教補と
しては若干勇み足気味なのは、毎回押し寄せる異動要請をルイが全て断ることに不満を募らせる他町村の教会から上がる冷遇や役不足などの批判を回避
するための策でもある。
 ルイは村の評議委員にも就任して行政経験も着実に蓄積している。舞台を辺境の村から首都でもある大都市のフィルに移し、評議委員に加え王国議会
議員の経験を得ることで行政の視野角の拡大が望める。フォンには少なくともあと20年ほどは第一線で活躍を続けてもらい、その間ルイが聖職者として
大舞台での経験を重ね、それからリルバン家を継承してもらいたいと教会関係者は考えている。
 10代の正規の聖職者は町全体で聖職者の養成に取り組んでいるフィルでも希少だ。王国議会議員候補も兼ねてルイをフィルに異動させられれば、
フィルの若手聖職者養成に関与させることでルイとフィル駐在の若手聖職者の相互研鑽も期待出来る。親子揃って今後の期待が膨らむのに早々とフォンが
辞任することは、国家運営にも聖職者養成にも損でしかない。

「フォン殿に期待するばかりでなく、お二方にも奮起を期待している。」

 カティスはフォン頼みのウェッジとリリムに釘を刺す。
代々王国議会議長に就任するアルテル家当主であるカティスは、その重責もあって一等貴族のご意見番としての存在感を確立している。王国議会全体を
見回す立場からやはりフォンの力量に一目置くと共に、年齢も当主暦も中堅クラスのウェッジとリリムが若手のフォンに依存していることも見通しているし、
それを歯痒く思っている。
ウェッジとリリムは、カティスの権限に頼ってフォンの足元を整えさせる必要がある自分達の状況を批判され、小さくなる。

「ルイ嬢はどうしておる?」
「本日早朝、リルバン家を出発されたとの連絡を受けております。ルイ嬢の生まれ故郷であるヘブル村へ帰還するものと思われます。」
「確かルイ嬢はヘブル村の中央教会祭祀部長であったな。」
「はい。恐らく中央教会総長など村の教会幹部と、自身を含めた教会人事について話し合いの席を持たれるものと。」

 ウェッジは所持する情報を元にカティスとやり取りする。
ランディブルド王国における聖職者の人事異動は、各町村の中央教会主導で決定される。ルイも幹部職の一員として今後の教会の人事を審議する場に
加わる資格を持つ。休職届を出しているとは言え、身の振り方が決まっていないことには違いない。その間にも中央教会祭祀部長の職務は存在するし、
それらは今のところ祭祀部次長を中心に代行されているが、正規の聖職者は絶対数が少ないから長期に及ぶと教会の職務全体に支障をきたす恐れがある。
 正規の聖職者は直ぐに養成出来るものではない。ましてや幹部職クラスの職務をこなすだけの能力を備えるには年単位の時間を要する。だが、教会の
職務は聖職者養成を待ってはくれない。一時的にでも職務復帰するなり後任人事を決めるなり対策を講じる必要がある。

「ルイ嬢は単身ヘブル村に向かったのか?」
「いえ。ヘブル村から護衛として同行したキャリエール中佐の令嬢と、滞在先のホテルで知り合ったという外国人男性が同行しております。」
「キャリエール中佐・・・。一兵卒から佐官に昇格したあの著名な国軍士官か。」
「外国人男性は、ルイ嬢の陛下並びに総長様との謁見にも同行した人物です。」
「あの女顔の少年か・・・。」

 リリムとのやり取りで、カティスはクリスとアレンを直ぐに連想する。
クリスの父ヴィクトスは叩き上げの士官として一等貴族の間では名高い存在だ。その生粋の軍人の娘なら戦闘経験がないとは考え難いし、シルバーローズ・
オーディション本選出場という名目でフィルを訪れたルイに護衛として同行したのだから、尚更戦闘が出来ない可能性は低くなる。外国人男性と称される
アレンは、ルイの国王と国の中央教会総長との謁見に同行したことで存在を知られている。

「あの少年の護衛能力でルイ嬢を護衛出来るのか?」
「ホークとその顧問の策動でオーディション本選会場が大混乱に陥った際、ホークとその顧問の手のものを相手に立ち回った1人がその少年です。」
「ルイ嬢はその少年に非常に厚い信頼を寄せており、フォン殿との和解折衝にルイ嬢が応じたのは少年の働きかけによるものとの情報もあります。」

 カティスの疑問にウェッジとリリムが順に自身の情報を開示する。それぞれが執事をリルバン家の情報収集に走らせていることが此処からも分かる。
一等貴族はその伝統と存在感ゆえ内部に様々な事情や問題を抱えているが、雇用されている執事や使用人、メイドには緘(かん)口令が敷かれていて外部に
漏れることは少ない。それでも反発を抱く者から漏れ聞こえてくる。ルイとフォンの事情に関してはオーディション本選中止という前代未聞の事態を伴ったため
早々に外部の知るところとなったが、その後はリルバン家の人間がルイが後継者となることとルイとフォンの関係改善を望むことから自発的な緘口令が
敷かれている。
 信望を寄せる人物を悪く言う者はまず居ない。そのためリルバン家に対する情報収集はこれまでより困難を極め、リルバン家の人間が語りたくなるような
ルイやフォンにとって好ましい方面の情報しか集められない。

「フォン殿に正室も側室も設ける意向がなく、それを陛下に確約された以上、我が国の歴史と伝統の1つである一等貴族後継者の安全保障を行わなければ
ならない。」

 カティスは並の人間なら萎縮する風貌と口調で言う。

「幸いキャリエール中佐の令嬢がルイ嬢に同行している。まず国軍を通じてキャリエール中佐並びにその令嬢と接触を図り、ルイ嬢の安全保障を確立する。」
「隠密行動ですね?」
「無論だ。」

 リリムの確認にカティスは短く答える。
ルイの安全保障が必要なのは間違いない。しかし、ルイのヘブル村への帰還はあくまでも非公式のものだ。リルバン家当主フォンの唯1人の後継者がまともな
警備もなくフィルの外に出ていると公になれば、様々な思惑を持った人々がルイの行く先々に終結するのは間違いないし、余計に護衛がし難くなる。集団に
紛れて暗殺や拉致を狙う不届きな輩も出て来るだろう。公にして無用な混乱や危険を招くより秘密裏に進めた方が良いこともある。
 ウェッジとリリムは国軍幹部との接見を手配させるべく控え室を出て行く。1人残ったカティスはソファの背もたれに深く身体を預け、難しい表情で溜息を
吐く。議長として、議案の審議や採決以外での議場の混乱は避けたいのが本音だが、自分の利害を剥き出しにする二等三等貴族の強硬派議員は発覚した
フォンの内部事情をこぞって問題視し、審議や採決を妨害する動きに出るのはほぼ間違いない。
 バライ族に対する敵対感情の増大やそれによるバライ族の一斉蜂起などやはり余計な混乱を未然に回避するために、議長権限で東部から進んでいる悪魔
崇拝者の動きは非公開としている。悪魔崇拝者に国土を荒らされれば富の更なる蓄積どころか兵糧攻めで餓死に瀕する危機に直面することになるが、二等
三等貴族の強硬派議員に真に国益を踏まえて行動することを期待するのは無駄でしかない。弾劾決議など表面上正式な手続きを経て繰り出される二等
三等貴族の劣情は、議長であるカティスの頭痛の種をまた1つ増やすことになりそうだ・・・。
 場所をリルバン家本館邸宅に移す。
その執務室では邸宅の主フォンと同じく一等貴族の1家系であるポイゴーン家当主ラミルが、ソファに向かい合って腰を下ろしている。やはり穏健派に属する
ラミルは、銀商業品品質基準法改正案の可決成立に向けて次回王国議会での論戦の準備と打ち合わせのためにリルバン家を訪れた。
 ラミルはフォンの父である先代リルバン家当主と同年代で、一等貴族の中でも年長者であり当主暦はかなり長く、論戦にも長けている。先代リルバン家
当主は強硬派筆頭格だったために幾度となく議会で対立したが、フォンが当主に就任してからは同じ穏健派の若き論客として重視していて、ポイゴーン家と
代々関わりが深い銀鉱山の管理者−鉱山の管理は基本的に民間−や銀製品の製造に携わる職人の利益を守る銀商業品品質基準法改正案など国産工業
製品に関係する重要法案の審議でフォンに度々協力を依頼している。フォンは工業品と同様農作物も重要な戦略物資と位置づけていることを強調しつつ、
ラミルの依頼に応じている。
 次回王国議会に向けた準備や打ち合わせは終わり、フォンとラミルはメイドが淹れたティンルーを啜って一息吐く。

「・・・フォン殿。」

 ラミルがカップを置いて話を切り出す。

「嬢との関係はいかがなさるのですか?」
「今は・・・静観するしかないと。」

 ラミルが使った「嬢」なる代名詞は無論愛人やお気に入りの娼婦ではない。王族や貴族など上流階級の令嬢全般を指す敬称で、此処ではルイを指す。
ラミルは表面化する前からルイの存在を知っていた。時を遡ること数ヶ月前、フォンがシルバーローズ・オーディション中央実行委員長として開催準備に着手
し始めた頃に法案への協力依頼に訪れたラミルが今後のリルバン家をどうするか尋ねた席上、ふとフォンが娘の所在を漏らしたことがきっかけだ。
 ルイとその母ローズをどのようにリルバン家に迎えるか、それ以前にどのように2人に会えば良いのか思索を巡らせていたところにローズの本当の死を知り、
フォンは失意のどん底にあった。そこに自身の当主就任以降共同の法案提案などで一等貴族の中でも比較的近い距離に居たラミルがリルバン家の継承
問題を尋ねたことで、より強まっていた残された唯1人の娘であるルイを何としてもリルバン家に迎え入れたいという気持ちが抱えきれなくなったのだろう。
フォンは口外しないことを条件に、娘の所在を掴んでいることやその娘がヘブル村で正規の聖職者として暮らしていることを明かした。
 フォンに非嫡出子が居るとは思わなかったラミルは驚いたものの、無能な上に怠惰と到底一等貴族当主後継には相応しくないホークがリルバン家を継承
するよりはずっと良いから、フォンの秘密を口外しないで来た。
 その後更にルイに会いたいという気持ちを募らせたフォンは、自身が中央実行委員長を務めるシルバーローズ・オーディションにルイを出場させることで
合法的にフィルの町に呼び寄せることを発案し、ロムノの快諾を得て実行に着手した。ラミルはある意味、フォンにルイをフィルの町に呼び寄せるよう促したと
言えよう。

「やはり、そう簡単にはいかないようですな・・・。15年・・・でしたか?」
「ええ・・・。」
「それだけの期間、嬢には父親が居らず、その分母の存在が大きく嬢の拠り所となっていた・・・。母を亡くした悲しみが何倍にも増大してしまったの
でしょうな・・・。」

 ラミルの所感がフォンの心に重く響く。
父として夫として何も出来ないままローズを見殺しにし、ルイに巨大な鉛の十字架を背負わせてしまったことをフォンは悔やんでも悔やみきれない。
ルイが大人でも多数は1年もたない正規の聖職者への道を選んだのは、リルバン家に居た頃から信心深かったローズの影響を受けてのものだと推測出来る。
母としてキャミール教徒の先輩として母を慕い、尊敬していたであろうルイが、母を亡くしたことは心に大きな穴を開けさせ、そこに悲しみの涙を湛えて広大な
湖が出来てしまったことも推測出来る。
 ルイの悲しみを癒すのが父である自分ではなく、ルイをヘブル村から護衛してきた親友のクリスであり、偶然知り合って重大な危機から護り護られたことで
カップル関係になったアレンであることが、フォンには口惜しく自己嫌悪を増幅させるものでしかない。

「嬢をリルバン家に迎える際には、私も最大限の協力を約束します。」
「ご配慮に感謝します。」

 若手ながら穏健派の論客として王国議会内外で活躍を続けるフォンに今辞任されては困るというのは、一等貴族当主や教会関係者の共通認識だ。
ルイをリルバン家に迎えるにあたっては様々な困難が予想されるが、ルイとの関係修復を除く最大の困難は戸籍だ。ルイは父親の居ない子ども、すなわち
非嫡出子として戸籍に登録されている。母が存命ならまだしも−側室との間に生まれた子どもが後継者になることは珍しくない−ルイの母は既に死んで
いる。現行法では、非嫡出子の戸籍を変更するには同じ戸籍に登録されている親も併せる必要がある。つまり、故人をリルバン家の戸籍に迎えるという
ことだ。
 フォンの失脚を望む二等三等貴族の強硬派や、王国議会議員ではないが強硬派に属する富裕層が伝統や格式を持ち出してフォンを攻撃するのは目に
見える。だが、ルイにローズとの愛が本物であることを示し続けるためにも、フォンは今後正室も側室も迎えないと国王にも確約している。となれば、
一等貴族リルバン家の家系存続のためには困難や妨害を乗り越えてでもルイとローズをリルバン家に迎え入れなければならない。フォンはその覚悟が
出来ているつもりだし、親交が深いラミルをはじめとする一等貴族当主や教会関係者はフォンへの協力を惜しむつもりはない。

「オーディション本選の舞台に登場した嬢は・・・実に見事でした。嬢を見るフォン殿が万感の表情であられたことも、憶えています。」
「・・・。」
「今まで神が与えられた数々の試練を乗り越えてこられた嬢は、リルバン家に迎え入れられて改めて幸福の道を歩みだすべきです。」

 ラミルの言葉に、フォンは頷くだけだ。ルイは間違いなく実子だ。しかし、リルバン家に迎え入れることがルイにとって幸せなのか、今のフォンには
分からない。
 一等貴族リルバン家当主として、ようやく見つけ出した実子を次期後継として迎え入れることが父親としての責任だと思っていた。しかし、その娘は
父親の存在がないまま15年も暮らし、1人で生きるだけの職に加えて今後の飛躍が期待出来る地位や名声も手にした。そしてフィルの町で出逢った外国人
男性と相思相愛になり、カップル関係が成立して間もない。今は相手と一緒に居られる時間が楽しくて嬉しくて仕方ないと、同じ経験をしたフォンは予想
出来る。
 これまで信仰を生業として生きて来た娘は、恋愛という新たな幸せを見出した。一等貴族当主の一人娘という立場や、聖職者としての地位や名声に執着は
なくとも、初めて見つけた大きな幸せに対する執着は生じて当然だ。フォンは究極の二者択一で身を引き裂かれる思いで1つの愛と1人の大切な人を
手放したから、娘に同じ苦痛を味わわせたくないという思いがある。そのためにはリルバン家の束縛から完全に解放することも視野に入れる必要がある。
リルバン家とランディブルド王国から乖離する方向に強く惹かれている娘にどう接すべきか、今のフォンには分からない・・・。
 渦中の人物であるルイは、アレンと2人でラムザの町を回っていた。
宿から程近いところで上演されていた「カルンの活劇」なる舞台を観劇した後、音楽や多くの人出で賑わう商店街に赴いた。商店街は大まかに食料品、
日用品、服飾品、家具や寝具などインテリア商品、宝飾品と扱う品物別に固まっており、初めて来た者でもそれほど迷うことなく回れるようになっている。
 アレンとルイが赴いたのは宝飾品の店舗群。着飾ることとは縁遠い2人だが、ホテル滞在中に見て回った店の中で宝飾店が最も強く印象に残っていた
ためだ。大小華美質素様々な看板が迎える中、2人は雑貨屋風の店舗に入る。宝石をちりばめた高級品の比率は低く、銀単体でデザインされた比較的
安価な品物が微かに木の香りが漂う雑貨屋風の店内に並べられている。店内には他に数名の客が居るが、貴族や富裕層ではなく一般市民と分かる服装で、
全員カップルだ。アレンとルイがその中に居ても何ら違和感はない。

「アレンさん、これ見てください。」

 ルイがショーウィンドウの一角を指差す。隣に居たアレンはルイが指し示す先に視線を移す。店内の雰囲気に合わせた木目模様の中に、表面の1/3ほどを
燻(いぶ)し加工したシンプルなデザインの指輪が置かれている。ホテル内にあった宝飾店で見かけて揃って好感を抱いたものと同じ品物のようだ。

「これって、前にも見たよね。」
「人気のある商品は彼方此方の工房にデザインが出回って製作されるんです。この指輪もその1つのようですね。」

 この世界では一部で工場で大量生産という概念があるが、圧倒的多数は職人が直接携わる原始的な工法だ。10代前半が普通の若い時期から著名な
職人に弟子入りし、職人の手さばきを盗むことで技術を習得していく養成手法が採られる中、独立出来る技術を取得したり師匠の職人との間に確執が
生じたりすることで弟子は師匠の職人の下を巣立っていく。
 自ら手を動かして技術を取得・研鑽する関係もあって、修行の過程で製作する品物のデザインや品質に触れる機会が非常に多い。売れ筋の作品は頻繁に
目にするからその分携わる機会も多いし、取得・研鑽する機会も増えるし、「この品物は売れる」という経営感覚を刺激する。独立した弟子が1人の職人と
して生計を立てていく時、いきなり全てオリジナルというのは厳しい。独立初期は職人本人の知名度が低いし、何処の誰とも分からない者が手がけた
オリジナル商品に好んで手を出す人は少ない。師事していた職人の伝(つて)や自身で新たに形成した販売網を構築していく過程で、ある意味餌となる
商品は人を引き付ける大きな役割を果たす。アレンとルイが見る指輪も、職人のそういった背景で多く製造される定番商品となったものの1つだ。

「値段は・・・20ペニーか。かなり安いな。」
「無料でお名前やメッセージを刻印いたしますよ。」

 指輪に見入っていたアレンとルイに、ショーウィンドウ越しに店員が補足する。暗に購入を勧めていることは鈍いことでは定評のあるアレンでも分かる。
だが、アレンは持ち銭を出すことに躊躇する。
 手持ちの資金からすれば2つ合わせて40ペニーという価格は微々たる物だ。しかし、その資金は全額フォンから渡されたものだ。フォンに対してルイと
似通った角度のわだかまりを持つアレンは、いくら使途は一切不問だし借りと考える必要はないと言われていても持たされた金を旅に必要なこと以外に
使う気になれない。だが、晴れてルイとカップル関係が成立した今、ルイに贈る初めてのプレゼントに2人揃って気に入った指輪を選びたいという気持ちは
明らかに存在する。
 ひとしきり考え込んだアレンの脳裏にある案が浮かぶ。

「・・・ルイさん。教会で一時的に働くことって、出来る?」
「はい。教会は慢性的に人手不足ですから、働き手が増えることは歓迎されます。」
「俺みたいな外国人でも?」
「正規の職には就けませんが、臨時でしたら正規の聖職者の推薦を得られれば可能です。」
「そう・・・。」

 ルイと問答した後、アレンは店員の方を向く。

「あの・・・、商品の取り置きって出来ますか?」
「代金を前金でいただけるのでしたら、お取り置きいたします。お名前などの刻印もいたしておきますよ。」
「分かりました。」

 もしやという気持ちが急速に現実味を帯びるのを感じるルイの隣で、アレンはルイと分割して所持している資金が入った皮袋から40ペニーの金貨を
取り出す。

「この指輪を・・・2つください。」
「ありがとうございます。お名前などの刻印はいかがなさいますか?」
「えっと・・・。書くものありますか?」
「はい。こちらでございます。」

 白い頬を赤く染めながら一言一言噛み締めるように言うアレンに、店員は微笑ましく思いながらメモ用紙と羽根ペンを差し出す。耳たぶまで紅潮させ
ながらも、アレンは羽根ペンを手にとってメモ用紙に刻印を希望する文節を書いていく。1つは『アレンからルイへ』。もう1つは『ルイからアレンへ』。
併せて2人のカップル関係が成立した日付の記載を筆談で求める。店員は気を利かせて文節を口頭で確認せずに笑顔で頷くことで代える。
 ぎこちないアレンの行動を間近で見るルイの頬も赤らんでくる。アレンが教会での臨時労働の可否を尋ねた理由、そして店員に商品の取り置きの可否を
尋ねた理由は最早語られるまでもない。労せずして齎された金に頼らず、自らの労働の対価として得た金で指輪を購入するというアレンの意志が、ルイに
感激を呼び起こさない筈がない。

「アレンさん・・・。」
「プレゼントの意味がないかもしれないけど・・・、今の俺にはこれしか思いつかないんだ・・・。」
「十分です。」

 顔全体を紅潮させて俯き加減のアレンと、涙が溢れそうになるのを堪えて微笑むルイのあまりの初々しさに、応対した店員や他の客は心が温かくなるのを
感じる・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

4)王国議会一等貴族議員団控え室の1室:王国議会議員に就任する一等貴族当主、フィル駐在の聖職者、二等三等貴族当主はそれぞれ議員団を構成して
控え室を供与され、議会中の休憩、議案や審議内容の精査や打ち合わせを行う。二等三等貴族は広大な1室のみだが、一等貴族当主とフィル駐在の
聖職者は2〜3名に1室の割合で控え室を供与される。


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