Saint Guardians

Scene 9 Act 1-1 結実-Flution- 危機を越えて迎える安堵と幸福

written by Moonstone

 闇から意識が浮上してくる。輪郭が明瞭になるにつれて、彼方此方から鈍く重い痛覚を伴ってくる。やがて視界が広がり始める。小さな鳥を模(かたど)った
透かし彫り1)
が施された、年季の入った木目の天井と室内を照らすシャンデリアが次第にはっきり見えてくるが、鈍く重い痛みが顔をしかめさせるため、
観賞するには至らない。

「俺・・・生きてる・・・のか・・・。」

 復活した意識と痛覚の主アレンは、全身から感じる痛みで断続的になりながら自身の生存を確認する呟きを発する。続いて、記憶の引き出しを弄る。

 ルイが拘束されている倉庫が火柱を上げて燃え出し、無我夢中で結界を飛び出した。扉を剣で斬って蹴破り、倉庫に突入した。燃え盛る炎の中でルイの
名を何度か叫んだ。何度目かの叫びに、ルイが自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた。ルイが懸命に知らせた場所に向かって倉庫全体を激しく焼き焦がす炎の
中をひた走り、倉庫の1階の一番奥の柱に縛られていたルイを発見した。自分を待ち望んでいたような顔を見せたルイの拘束を解き、手を取って脱出しようと
した時、倉庫が崩れ始めた。
 崩壊するまでにルイを伴って脱出するのはまず無理。しかし、まさかルイを見捨てるわけにはいかない。いよいよ崩壊し始めたところで、アレンはとっさに
ルイに覆い被さった。頭や背中や足を何度も強打されたが、自分が屈したら下に居るルイまで潰されてしまう、との一心で懸命に耐えた。新たに衝撃が
加わらなくなったところで、押し潰そうと迫ってくる背後の重圧を必死に振り払うと、再び炎がない外気に触れることが出来た。
 闇の中に不気味に浮かぶ白い仮面。その方向から光線が突進してきた。光線が自分の身体を掠める度にダメージが蓄積されていった。堪らず膝を突いて
ふと傍を見ると、無傷のルイが横たわっていた。相手の標的はルイだ。何としてもルイを護らなければ。その一心がアーシルの存在を思い出させ、召還した。
 思いどおり光線を増幅・反射して反撃出来たと思いきや、今度はアーシルで反撃出来ない、しかもそれまでより強力な光線が飛んでくるようになった。
このままでは何れ頭か心臓を貫かれるのは時間の問題だ。このままではルイを護れない。思いついた策は自身の生命を危うくする危険性が高いものだった。
しかし、これ以外に打開策はない。ルイを護るため、ラマン教の秘宝が封じられていた洞窟の攻防で偶然入手したオーディンを召還した。その瞬間、全身から
一挙にあらゆる種類の力を引き抜かれるような感覚が襲い、腹から混み上がって来るままに血を吐き出した。

 アレンはそこまでしか回想出来ない。回想するための記憶が吐血以降ぷっつり途絶えている。オーディンが効いたのか。否、それよりルイは無事なのか。
全身が重く痛み続ける中でアレンがルイの安否を確認しようとした時、絶えない痛覚の中に微かに温もりと弾力を感じる。それは左手から伝わってくる。
 アレンは頭を懸命に起こす。痛みで頻繁に歪む視界に、自分の左手を包み込むように握ってサイドテーブルに突っ伏しているルイの寝顔が映る。
オーディション本選の舞台に出場した時のドレスのような衣装から一般的な、しかし清楚な印象を与える服に着替えたルイは、規則的で安らかな寝息を
立てている。流れ落ちた銀色の髪が、レースのカーテン越しに差し込む日差しを受けて美しい煌きを放っている。

『一緒に・・・居てくれたんだ・・・。』

 アレンはルイの無事とルイの同伴を確認したことで安堵し、深い溜息を吐いて頭を枕に落とす。
頭を起こすことすらやっとだったことからするに自分は相当重傷のようだが、ルイが無事なら自分の身体にどれだけ傷がつこうが、身体の一部が欠けようが
もげようが構わない。燃える倉庫に突入したのも、全魔力喪失に加えて生命の危機に陥るのが確実なオーディン召還を決意したのも、全てはルイを護るため
だったのだから。
 アレンがベッドに横たわり、アレンの手を取ったルイが寝入る部屋のドアがゆっくり開く。やはり一般的な服を着たシーナが一抱えはありそうな鞄を
ぶら下げて入室してくる。シーナは、アレンが目を開けて自分の方を向いているのを見て、安堵の笑みを浮かべる。

「アレン君。意識が戻ったのね。」
「どのくらい・・・眠ってました?」
「丸々1週間よ。今のアレン君の身体には喋るのも負担になるから、私が事情などを説明するわね。」

 シーナはベッドの脇にあった椅子に腰掛け、別のサイドテーブルの上で鞄を開ける。そこには包帯やガーゼ、メスや鋏など様々な医療器具と、深く暗い色が
主体の調合薬品を詰めた小瓶が詰まっている。シーナは頭部からアレンの傷の具合を観察して、ガーゼや包帯の交換をしながらアレンにこれまでの説明を
する。

 此処がリルバン家の本館邸宅の一室であること。
 ホークの顧問なる人物の正体はザギの衛士(センチネル)だったこと。
 オーディンの使用でアレンが戦闘不能になったことでルイを抹殺しようとしたが、ルイが本来使用出来ない筈の防御系魔法プロテクションで防御して防いだ
こと。
 ザギの衛士(センチネル)がルイのプロテクションを破ろうと躍起になったことで自分達の足止めが緩み、その隙を突いて自分−シーナが強力な魔法で
足止め していた敵を全滅させ、ドルフィンが顧問を倒したこと。
 ザギの衛士(センチネル)は半月ほど前に来たザギの命令を受けて、引き続きこの国での任務を遂行していて、ザギの行方は知らないとドルフィンが
吐かせたこと。
 ドルフィンが顧問を抹殺した直後、逃走しようとしたホークをダークナイトが斬殺したこと。
 自分を含むパーティーの面々はリルバン家邸宅本館に部屋をあてがわれ、アレンはその一室に搬送されてシーナの手術を受けたこと。
 手術の最中からルイは非詠唱でヒールを使ってアレンの傷の回復を促進し、手術終了後もずっとアレンに付き添い続けて非詠唱でのヒールを徹夜で使用
していたこと。

「この前診に来たのは3ジムほど前だけど、その時はまだ彼女、ルイちゃんは起きててヒールを非詠唱で使い続けてたわ。非詠唱とは言えヒールを夜通し、
しかも1週間ずっと連続で使ってたんだから、魔力が尽きて寝ちゃっても不思議じゃない。むしろ、よく1週間も使用し続けられたと思うわ。」
「ルイさん・・・。」

 頭も満足に起こせないため−絶対安静をシーナから言われている−掛け布団の端越しにしか見えないが、アレンは自分の左手の感触から手を取ったまま
寝入っていることが分かるルイの存在がより愛しく思う。
 冷静に考えれば、炎上中の建物に何らの対策もなしに突入するのが非常に危険を伴うことくらい分かる。だが、あの時はルイを助けなければ、という強い
意志しか頭になかった。倉庫の崩落から身を挺して護ったのも、声明の危機に陥るのを承知でオーディンを召還したのも、全てはルイを護るためだった。
 護った存在に護られて、今こうして生きて手を取り合っている。包帯で覆われていない場所が圧倒的少数になるほど傷を負い、シーナに飲まされた
鎮痛剤でようやく緩和された痛みを抱えても、傷は何れは治るし痛みも消える。だが、命は一度失われたら絶対に取り戻せない。ホテルで過ごした最後の
夜に交わした約束、1人の男性として1人の女性の話を聞く約束を守るには、自分も相手も生きていることが絶対不可欠だ。
 無事を喜び合うのは後でも良い。今は自分の傷の回復を促すため1週間不眠不休でヒールを使ったルイに十分休んで欲しい。アレンは改めて、そして強く
そう思う。

「アレン君には自己再生能力(セルフ・リカバリー)がある、ってドルフィンから聞いてるけど、手術して正解だったわ。傷がかなり深くて内臓や骨が一部損失
してたから。自己再生能力(セルフ・リカバリー)は身体の重要部分から回復・修復していく性質があるし、臓器や骨の修復には結構時間がかかるからね。
動けるようになるまであと1週間ほどはかかると思うわ。だから少なくともそれまでは絶対安静よ?」
「はい。」
「アレン君の意識が回復したから、ルイちゃんも安心して食事を摂ったり出来るでしょうね。」

 重傷を負った上に無理な召還魔術の使用で全魔力と生命力の大幅な喪失を招いたため、生命維持そのものが危うい状況だったアレンが1週間で意識を
回復出来たのは、その間水くらいしか口にしなかったルイの不眠不休でのヒール継続使用が大きい。ヒールに限らず治癒魔法は継続使用することで重傷でも
負傷の治癒が可能なため、称号が低くても聖職者が居れば救命の可能性が大幅に高まる。ルイはそのことを十分知っていたから、8ジムにも及んだ長時間の
手術が無事に終わるよう最初から付き添い、手術が無事終了してからもヒールを継続使用し続けたのだ。
 アレンが我が身を挺して護ってくれた命を、今度はアレンを護るために使うとの固い信念が、司教補では本来不可能な昼夜を分かたぬヒールの継続使用を
1週間も可能にするだけの魔力を生み出したのだ。人を助け、護ろうという心が魔力の基となる衛魔術の真価を、シーナは初めて見た気がする。

「アレン君の完全回復まで面会謝絶にしてあるから、ルイちゃんが目を覚ました後も安心して良いわよ。」
「安心って何を・・・。」
「ルイちゃんのことでしょ?アレン君が一目惚れした女の子って。」

 シーナの冷やかしに、アレンは包帯の隙間から見える頬を紅く染めて動揺する。
今ではアレンも一目惚れと認識しているが、最初にアレンのルイに対する気持ちを一目惚れと表したのはシーナだ。アレンは知る由もないが、シーナが
情報を意図的に歪曲して伝えたため、宿でシーナと同部屋だったドルフィンも、シーナと通信して諜報活動をしていたイアソンも、ルイはアレンが一目惚れ
した彼女候補だと信じ込んでいる。勿論その後シーナは何ら否定していない。
 ルイが居る現状で面会謝絶としたのはルイのヒール使用を阻害しないためでもあり−魔法使用には集中が必要だ−、アレンの冷やかしを兼ねてのことでも
ある。

「私は定期的に診に来るけど、意識回復を確認したから間隔をもっと空けるから安心よ。私もちょっと長く寝たいし。」
「シーナさん・・・。」
「はいはい、絶対安静。それじゃ、お大事に〜。」

 格好の冷やかしの「逆襲」を見つけて楽しんでいるようにさえ見えるシーナは、そそくさと退室していく。これまで散々ドルフィンとシーナを冷やかしてきた
だけに、「逆襲」を想像してアレンは全身が熱くなるのを感じつつ目を閉じて溜息を吐く。
 暫くして全身の一時的な発熱が収まり、アレンは再び掛け布団越しにルイを見る。魔力を使い切ったから目覚めるにはまだかかりそうだ。それまでは
包み込まれている手を通して、ルイの温もりを感じ、温もりの源泉でもある心を感じよう、とアレンは思う・・・。
 再びアレンが目を覚ます。今度は睡眠からのものだ。手術後の意識回復も睡眠からと言えるが、今度は夜が深まるにつれて訪れる自然な生体リズムによる
ものだ。健康無傷な時より体力が低下しているから、夜になれば尚更眠くなる。眠りによって生命力の一部である体力は自然回復する。ホテルに居る間
昼間は主に料理作り、夜はイアソンとの情報交換をして夜更かし気味だったアレンは、夜の深まりと共に強まる眠気に素直に意識を預けた。
 眠りから目覚めたアレンは、寝る前より痛みが和らいだような気がする。まだ身体は動かせないが、仰向けになった状態で掛け布団の向こう側を少しの間
覗き見られるくらい首を上げられる。
 首を上げて見た先には、寝る前と同じ場所でルイがやはり突っ伏して眠っている。一晩寝ただけか数日寝たのか分からないが、ルイがそれだけ魔力を
消耗したこと、不自然な姿勢でもずっと寝入るほど魔力を消耗するだけ自分の治癒にヒールを使い続けたことは分かる。包み込まれている左手からはルイの
手の温もりと感触と弾力を感じる。自己再生能力(セルフ・リカバリー)の発動具合は傷口がガーゼと包帯で覆われているから見えないし、鎮痛剤を飲んで
いないが、ルイと手を取り合っているだけで痛みが和らぎ、傷が癒えていくような安心感に包まれる。

「ん・・・。」

 くぐもった声を上げて、ルイがゆっくり目を開ける。何度か瞬きをして焦点を合わせ、顔を上げる。

「ルイさん。」
「!アレンさん!」

 珍しく少し寝ぼけた様子だったルイは、アレンの呼びかけで意識の霞が吹き飛び、身を乗り出す。アレンが目を開けてその瞳に自分を映しているのを確認
して、ルイは茶色の大きな瞳から大粒の涙を零す。

「良かった・・・。アレンさんが無事で・・・。」

 ルイはアレンに覆い被さるように抱きつく。アレンが重傷なのを踏まえてか体重を預けないでいるが、ルイの髪と何より頬が間近に迫ったことで、アレンの
心臓は高鳴る。髪はかつて抱き合った時と違って少々汗臭いが、自分の治癒を促すため不眠不休でヒールを使い続け、その後寝入っていたのだから、
アレンは芳(かぐわ)しいとすら思う。

「アレンさんが・・・手術が必要なほど重傷だと・・・診断されて・・・、手術中からずっと・・・アレンさんに・・・ヒールを使い続けて・・・。」
「シーナさんから聞いてるよ・・・。ルイさんが手術中からずっと寝ないで、水しか口にしないでヒールを使い続けてた、って・・・。」
「必死だったんです・・・。アレンさんに・・・助かって欲しくて・・・。」

 ルイはアレンの隣で嗚咽を繰り返す。涙の源泉は今まで流した時のように悲しみや苦しみではなく、安堵と歓喜、それから派生する幸福だ。こんな涙なら
どれだけでも流したいし、誰かに見られても良い。アレンも文字どおり泣いて喜ぶ様が嬉しく、そうしているルイが愛しく思う。
 信仰に生きる者の模範とし、深く慕ってもいた母の葬儀の後で居室で声を上げて丸1日泣いたと聞いているが、自分とは比較にならない辛く厳しい過去を
乗り越える過程で、人前で見せずともどれだけ涙を流したか知れない。噛んだ唇から血が溢れ出るほど耐えて生き抜いたのだから、もう泣くことを躊躇わ
なくて良い。感情を抑え込む必要はない。今は抱き締めることは出来ないが、ルイに自分が生きていることを体感してもらえれば良い。
アレンはルイの嗚咽を聞きながら目を閉じて思う。
 どれほどの時間が経ったか、ルイは鼻をすすりながら顔を起こす。頬には涙の跡が残っている。

「ルイさん。俺は大丈夫だから、一度きちんと食事をした方が良いよ。あと、風呂にも入ってさ。」
「でも、アレンさんは半月ほどは絶対安静だとシーナさんから聞かされていますし・・・。」

 食事や入浴を躊躇ったルイの腹がぐぅ、と鳴る。空腹を率直に知らせる腹の虫の鳴き声に、ルイは恥ずかしさで頬を赤らめる。

「1週間も飲まず食わずだったんだから、空腹になって当然だよ。ルイさんだって人間なんだから。」
「・・・そう、ですね。」

 アレンのフォローを受けて、ルイは気を取り直す。恋愛感情を向ける相手の間近で恥ずかしいところを見せてしまったと思ったが、人間だから当然という
アレンのフォローは長年民族差別による敵視や侮蔑に晒されてきたルイには、アレンが自分を民族の相違を度外視して見ていることを改めて認識させる
好材料となる。
 「ラファラ族だから」「バライ族だから」なる、この国で暮らす限り纏わりつく枕詞から解放されることが、ルイの心を癒すために必要な潤いだ。
無論アレンは民族差別を意識して言ったわけではないし、ルイの生い立ちを踏まえて言ったわけでもない。思ったままを言っただけに過ぎないのだが、
アレンの飾らない心のままの言葉はルイの心に深く染み透り、温かい共鳴を生む。

「じゃあ・・・、お言葉に甘えて、食事と入浴を済ませてきます。」
「ゆっくりして来て良いからね。」
「はい。」

 ルイは温かい微笑を浮かべる。レースのカーテン越しに差し込む日差しに照らされる微笑みは、天使か女神を髣髴とさせる。ルイが静かに退室した後も、
アレンはルイの微笑みの虜になったまま頬をほんのり紅くしてぼうっとする。
 無意識にアレンに駄目押ししたルイは、静かな廊下に出てドアを背にしたところで左右を見回す。踏み心地の良い真紅の絨毯が遠くまで伸び、幾つもの
ドアが並ぶ光景は勿論初めて目にするものだ。食事や入浴をするにしてもその部屋が何処にあるのか、どうやって行けば良いのか皆目見当がつかない。
アレンの治癒に全神経を注ぐあまり、移動の際にリルバン家邸宅本館の概要を知る機会がなかったから止むを得ない。
 突っ立ったままではどうにもならない。ルイは階段が比較的近いところに見える左側に向かう。邸宅の大きさを感じさせる長い廊下を歩いて階段を下りると、
数名の男性使用人と出くわす。

「すみません、お仕事中・・・」
おはようございます2)。何用でございましょうか?お嬢様。」

 書類やら食器やらを運んでいた使用人は、ルイの姿を見るやルイの向かいで背筋を正し、かしこまった口調で尋ねてくる。

「あの・・・。お嬢様って・・・私のことですか?」
「勿論でございます。何なりとご用命くださいませ。」

 ルイがアレンの治癒に没頭していた間に、ルイが現当主フォンとかつてのリルバン家使用人ローズとの間に生まれた唯一の実子であることがリルバン家
全体に知れ渡っている。ホークとナイキが揃って口封じのため斬殺されたことで、名実共にフォンの後継として次期リルバン家当主に就任出来る権利を唯一
有するルイは、リルバン家で働く使用人やメイドにとってフォンと同格で接すべき相手だ。ルイが持つ私生児という出生経歴など、職務には怠惰で権限の
誇示には殊更熱心だったホークが次期当主に就任することが確定することと比較すれば実に他愛もない。
それに、ルイはこの国でそこいらの役人より社会的地位が高く人望が厚い正規の聖職者、しかも各町村の教会を統括する中央教会の祭司部長という要職に
ある。使用人やメイドには、ホークなど比較対象にするのが憚られるくらいだ。
 しかし、「様」づけで呼ばれることにはそこそこ慣れていても「お嬢様」と呼ばれるのは、ルイにとって初めてだ。謙虚なルイは初対面の相手に一斉に
低姿勢になられたことでかえって戸惑ってしまう。

「あの・・・、入浴がしたいので、浴室の場所をご教示していただければと・・・。」
「承知いたしました。では、至急担当の者を呼びますので、暫しお待ちくださいませ。」

 恐る恐る依頼したルイに、使用人の一部が早速浴室関係担当の使用人を呼びに走る。
ルイはフォンの唯一の実子だから必要な着替えやタオルなどを用意したりする使用人が直接案内するのがごく当然のことだが、ルイは恐縮するばかりだ。
間もなく女性の使用人が数人やって来る。女性使用人もルイを前に丁重に頭を下げる。ルイは恐縮のあまり反射的に頭を下げ返す。

「ロムノ様からもお話は伺っております。では、浴室へご案内いたします。」
「よ、よろしくお願いいたします。」
「そんな、お礼なんてとんでもございません。ささっ、こちらへ。」

 女性使用人の案内で、ルイは1階−アレンが運ばれた部屋は3階だった−の専用浴室3)に入る。女性使用人によって大小様々なタオルと下着、着替えの
服がてきぱきと用意される。自分は入浴前に何もしなくても良いことは、村の教会生活で風呂の準備や掃除を当番で担っていた経験からして手持ち
無沙汰であるし、そこまでしてもらわなくても良いのにとしか思えない。

「どうぞごゆっくりご利用くださいませ。」
「あの・・・、後でお掃除をしておきますので、掃除用具の場所を・・・。」
「とんでもございません。掃除は私共使用人がなすべき仕事でございますので、どうぞお気遣いくださいませぬよう。」

 掃除の申し出を「まさかそんなことを」といった様子で丁重に辞退され、使用人が退室した後ルイは本当に良いのかと首を傾げながら服を脱ぎ、髪を束ねて
タオルで括ってから浴室に入る。部屋とは言えない広大な空間には大理石が敷き詰められ、湯船も農地の溜め池のような広さで、1人で使うには持て余して
しまう。アレンを長時間放っては置けないと思ったルイは、身体と髪を洗い、湯船に浸かる。程好い湯加減が若干残っていた疲労感や緊張感を解す。
1週間ぶりの入浴は身体に感じたべたつきを爽快感へと一転させるには十分だ。
 ルイは風呂から上がり、タオルで丁寧に全身と髪の水分を拭い、用意された下着と服を着用する。どれも自分のものではないがサイズは丁度良いから
違和感は覚えない。これは、やはりルイがアレンの治癒に没頭している間にクリスからルイの服のサイズを知らされた女性使用人が衣料品店に買いに走った
結果だ。脱いだ服と下着は脱衣籠に入れておけば良いと説明されているので、洗濯も日課の1つとしてこなしていたルイは本当に良いのかと改めて思い
ながら浴室から出る。
 1階は使用人やメイドが多い。浴室を出て次は食事をと思っていたところに、使用人やメイドがルイの姿を見て駆け寄ってきて、すぐさま丁重に挨拶と
一礼をする。ルイはやはり恐縮して挨拶と礼を返す。食事を摂りたいことと今のおおよその時刻を知りたいとのルイの依頼に使用人が快く応じ、丁度昼前で
あることを伝えてから専用食堂4)に案内する。レストランを丸ごと運んできたような豪華絢爛な佇まいの一角にルイは案内され、望む食事を尋ねられる。
まさか食事のリクエストまで出来ると思わなかったルイは当惑しつつ、空腹を適度に満たせる程度の量でメニューを見繕うよう依頼し、これまた快諾される。
食事は自分で作るのが当たり前だったルイは、何から何まで他人任せで済んでしまう生活に多大な違和感を感じつつも、大人しく食事を待つ。

「あ、ルイやんか!」

 厨房から微かに聞こえる料理音以外の音がなかった、これまたルイ1人では勿体無く思う専用食堂に、聞き馴染んだ声が響く。クリスとフィリア、
そしてリーナとイアソンが連れ立って入ってくる。こちらは既に場所を知っているので使用人やメイドは随行していない。
クリスはフォンもその側近中の側近ロムノもその名を知っているヴィクトス・キャリエール中佐の娘であり、ルイをフィルの町まで護衛してきた功績から上客扱い
だし、ルイの安全保障関連で知り合い共に戦った仲間とクリスが紹介したことで、アレンが居るパーティーもやはり上客扱いだから、専用浴室や専用食堂を
自由に使用出来る。専用食堂への自由な出入りは、大食らいのクリスにとっては実にありがたいシステムだ。
 昼時ということで食事を摂りにきたのだが、一行がルイの顔を見るのは1週間ぶりだ。クリスは表情を更に明るくするが、フィリアは見る者の殆どが恐怖する
ような怖い顔でルイを睨みつけている。理由は無論、ルイが面会謝絶とシーナが設定したアレンの部屋に1週間ずっと居たためだ。
アレンの治癒に貢献するルイのヒール継続使用を阻害する恐れがあることや、尊敬して止まないシーナの決定だから黙っていたが、当人がアレンの部屋から
出て来たとあれば、アレンから即刻手を引くよう圧力をかけないわけにはいかない。リーナからは「パーティーの金を食い潰してまで自分の護衛になった」
ことを理由にした強力な束縛をようやく解除されているから、その辺の心配は無用だ。
 ルイの殺気立った視線を感じたルイはしかし、アレンから撤退する気は毛頭ない。フィリアが仮に戦闘を仕掛けてきたら全力で対抗する気構えは出来て
いる。衛魔術では物理ダメージを与える魔法は皆無に等しいが、その分治癒や防御、補助や支援は強力だし、有効属性が限定されるが浄化系魔術の
効力は非常に強い。魔力が尽きるまで延々と防御し続けることになるだろうが、その気構えも勿論ルイには出来ている。
 フィリアとルイの間で無言の激しい戦いが勃発する中、一団がルイと同じテーブルに着く。すぐさまやって来た使用人に、それぞれメニューから食べたい
食事を選んで注文する。勘が鋭いリーナとイアソンはフィリアとルイの水面下での激しい交戦を察するが、リーナは自分と無関係だから無関心で、イアソンは
何時本当の戦いが起こるか気が気でならない。

「アレン君、意識回復したんやてな5)。」
「ええ。まだ動けるようになるまで1週間はかかるだろう、ってシーナさんが言ってたけど。」
「アレンには自己再生能力(セルフ・リカバリー)があるから、意識が回復するところまで来たなら大丈夫じゃない?」
「ええ。・・・アレンさんにはじっくり傷を癒してもらいたいです。」
「アレンもルイ嬢も無事で何よりですな。」
「ありがとうございます。」

 ルイはアレンがリルバン家邸宅に搬送される際にイアソン、ドルフィン、シーナと簡潔な自己紹介を済ませている。イアソンはルイのリルバン家における
重要な立場を考慮して「ルイ嬢」と呼び、シーナは前述のとおり「ルイちゃん」、ドルフィンはフォンやロムノなどリルバン家の重鎮の前ではイアソンと同じく
「ルイ嬢」で、それ以外では「アレンの彼女候補」と呼んでいる。
 フィリアがルイに対して嫉妬と敵意を強めているのは、ドルフィンが使うルイの呼称を耳にしたのもある。
ドルフィンはアレンが命を賭してルイの救助に乗り出してギリギリまで護ったこと、目を見張る頑強さを感じたプロテクションで防御しつつ、顧問を足で
圧殺した自分と目が合った際にアレンを更に強く抱きかかえたこと、献身的そのものの看護を見て、ルイがアレンの彼女候補だと信じて疑う余地はないと
思っているが、ルイが自分を差し置いてアレンの彼女候補になるなどフィリアが容認出来るはずがない。しかし、魔術師の戒律に厳格なフィリアは
ドルフィンにルイの呼称を改めるよう言うことも出来ず、ルイへの嫉妬と敵意の炎の燃料にしている。
 暫くして続々と運ばれてきた食事をめいめい口にしながら、ルイが現況を尋ねて主にイアソンが答える。イアソンは卓越した情報戦力をロムノに高く
評価され、ロムノから直接様々な情報を得られるようになっている。
 オーディション本選は中止が決まったが、シルバーカーニバルはオーディション本選の翌日から通常どおりの賑わいを取り戻している。
 オーディション中央実行委員長でもあるフォンには、王国議会の二等三等貴族出身の強硬派議員から国王と王国議会議長のアルテル家当主に、
オーディション本選の中止が前代未聞の不祥事であることにルイが私生児であることを加えてフォンの当主辞任を求める弾劾決議が提出された。
 しかし本選中止を引き起こした張本人はホークと顧問であり、そのホークは妻ナイキ共々斬殺されたためリルバン家当主継承候補者がルイしか居なく
なったこととルイが全国屈指の若手聖職者であることから、やはり王国議会に議員を輩出しているこの町の6つの地区教会と国の中央教会が弾劾決議に
猛反対し、思想の違いはあってもフォンの一等貴族当主としての職務能力を高く評価している一等貴族当主全員も弾劾決議に反対したため、臨時建議会
では対象者のフォンを除く全会一致でフォンの弾劾決議を却下した。
 国王もこの件に関しては全てホークとナイキと顧問の責任でありフォンの責任は一切不問とすると宣言した。

「−こんなところです。」
「そうですか・・・。」
「財産目当てに自分の兄と姪っ子を抹殺しようとした根性の腐った人間もどきのことなんて、気にするだけ損よ。」

 リーナはホークを冷たく断じるが、ルイは数少ない自分の親族、自分の叔父と叔母が自分の命を狙っていたことが残念でならない。思想や民族の違いが
血で血を洗う惨劇を生んだ事実は、民族差別を受けてきた側であるルイには重く、痛い。だが、自分を囮にする形でアレンに重傷を負わせたことを思うと、
死んで当然とは思わないものの何れ必然的に下される天罰だったのかもしれないと思う。
 クリスが早々と次の注文をした頃、1週間ぶりの食事で空腹を十分解消出来たルイは、食事と同時に出されたナプキンで口を拭って席を立つ。

「ちょっと待ちなさい、ルイ。」

 ルイが歩き始めたところで、フィリアが食事を中断してルイを呼び止める。その瞳と顔に嫉妬と敵意が溢れ出ているのは言うまでもなかろう。

「シーナさんの決定だから破れないけど、アレンと2人きりになったことでアレンの彼女になった、なんて間違っても思うんじゃないわよ?」
「・・・アレンさんの傷が完全に癒えるまでは看護に専念します。ですが、私の気持ちは既に決まっています。」

 フィリアを少し見やりながら、ルイは静かだがはっきりした口調で言い切る。ルイからの明確な告白宣言に、高を括っていたフィリアは驚きで声が出ない。
クリスはルイの芯の強さに内心改めて感服するが、リーナは相変わらず他人事といった様子で食事を進め、イアソンは殺気立った雰囲気に居たたまれない。

「・・・では、お先に失礼します。」

 ルイはフィリア達に一礼してから、食堂から足早に立ち去る。それはフィリアの追撃を振り切るためでもあり、アレンの元に急ぐためでもある・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

1)小さな鳥を模った透かし彫り:此処で「小さな鳥」とは雀を指す。ランディブルド王国では、キャミール教の創世神話で夜明けを告げる光景に登場する雀が
神聖視されている。雀を模った彫刻を天井に施す(広大な分当然高価)ことが、ランディブルド王国における上流階級のシンボルの1つ。


2)おはようございます:時刻は正午前だが、ランディブルド王国ではその日初めて会った際には、完全に夜の時以外は「おはよう(ございます)」と挨拶するのが
習慣である。


3)専用浴室:ランディブルド王国の上流階級では、家の人間と使用人やメイドの浴室が分離されている。使用人やメイドの浴室は1つで男女が総入れ替わりで
入るが、家の人間は男女別に用意されている。


4)専用食堂:これもランディブルド王国の上流階級で見られる部屋区分の1つ。使用人やメイドは別の食堂で一斉に食すが、家の人間や交流会などで邸宅に
招かれた客の食事の場所として使用される。


5)したんやてな:「したんだってね(したんですってね)」と同じ。方言の1つ。

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