Saint Guardians

Scene 2 Act 4-1 誘拐-kidnapping- 勇者達の帰還、牙を向く武神

written by Moonstone

「よいしょ、よいしょ。」

 フィーグ邸の井戸の底から規則的な掛け声が聞こえて来る。煉瓦で作られた井戸の縁に、白く華奢な右手がかかり、続いて左手がかかる。
細い指にぐっと力が篭り、赤い艶のある髪の毛から雫を滴らせたアレンが顔を出す。

「よっと。」

 アレンは両腕を立たせて上体を井戸から出して、転げ落ちるように井戸から出る。

「アレーン。大丈夫―ぅ?」

 井戸の中からフィリアの声がする。

「大丈夫。上がってきてよ。」

 アレンは井戸の中に顔を突っ込んで答える。暗闇の中から釣瓶を少しずつよじ登って来るフィリアの姿が見えて来る。
腕力があるとは言えないフィリアは、サムソン・パワー30)で腕力を増強してどうにか登って来れるらしく、歯を食いしばった必死の表情だ。
 アレンは井戸の中に手を伸ばす。フィリアは少しずつ釣瓶をよじ登り、右腕を精一杯上に伸ばす。アレンは井戸の中に身を乗り出して、フィリアの手を
しっかりと掴み、力任せに引っ張り上げる。フィリアの体は釣瓶を離れて井戸の中から釣り出された魚のように飛び出して、アレンの上に乗りかかる
格好になる。

「ありがと、アレン。」
「痛ててて…。取り敢えずどいてくれない?」
「うーん。そんな冷たいこと言わないでぇ。」

 フィリアはアレンの上に乗りかかったことを幸いとばかりに、怪しい目つきでアレンに迫ろうとしている。

「ちょっと!何やってんのよ!早く手貸しなさいよ!」

 井戸の中から苛立ちが多分に篭ったリーナの声が響いて来る。

「さ、ほら、あの娘を引き上げないと…。」

 アレンは体よくフィリアをどかして、井戸の中に身を乗り出して手を差し出す。リーナの表情もやはり必死だったが、その目にはフィリアの時とは違い、
怒りに転じようとしている苛立ちに溢れている。その威圧感のある視線に思わず視線を逸らしながらも、アレンはリーナの右腕を掴む。

「引っ張るから、しっかり捕まっててよ。」

 リーナは黙ってアレンの腕を掴む。アレンは一気にリーナを井戸から引っ張り上げる。その勢いでリーナもフィリアと同じ様にアレンの上に乗りかかる。

「もうちょっと丁寧に扱いなさいよ!」
「ご、ごめん…。」

 アレンの頬に水分を含んだリーナの髪が触れる。リーナは上体を起こして髪を後ろにかき上げる。アレンは両肘で上体を起こす。
横で見ていたフィリアは、アレンとリーナの体勢を見て、頬を真っ赤に染めてリーナを突き飛ばす。リーナは勢い良く頭から地面に突っ込む。

「な、何すんのよ!いきなり!」

 リーナは服の水分を吸って泥になろうとしている土を払いながら怒鳴る。フィリアはそれに答えず、目前で何が起ったがよく飲み込めていないアレンの
胸座を掴み上げて引き起こす。

「アレン!自分が何してるか分かってんの?!」
「え?!」
「え?!じゃないわよ!女なら誰でも良いの?!よく考えなさい!」

 アレンは、何故フィリアが顔を真っ赤にしながら怒るのか理解できずに、フィリアに身体を前後に揺さぶられるだけだ。リーナは激昂するフィリアを見て、
顔や服に付いた土を払いながら大方の事情を飲み込んで、口元に笑みを含ませる。

「ふーん…。あんた、やきもち焼いてんだ。」

 フィリアはアレンを揺さぶっていた腕を止めてリーナを見る。

「あんた、あたしがそいつの上に馬乗りになったんで、変なこと考えたのね。くっくっくっ…。」
「な、何がおかしいのよ!ええ?!」

 含み笑うリーナに、フィリアは怒りと恥ずかしさで顔を真っ赤に染めて言い返す。

「後で思う存分、そいつに馬乗りになれば良いじゃない。逆でも良いけど。くくくくく…。」

 率直なことを平気で言うリーナに、アレンとフィリアは唖然としたままリーナを見る。リーナはくすくす笑いながら立ち上がる。

「あんた達、そういう関係だったんだ。どうりであんなにむきになる訳だ。こりゃあ、悪いことしたわねぇ。」
「い、良いでしょ!自分の彼氏なんだから!」
「ちょっと待てよ。何時の間にフィリアの彼氏に…むがっ?!」

 アレンの口をフィリアの手が塞ぐ。

「いちゃつくなら、これからどれだけでも出来るわよ。」

 リーナは笑うのを辞めずに、二人の横を通り過ぎて通用口のドアを数回叩く。少しして、廊下を走って近付いて来る足音が聞こえてきた。

「どちら様でしょうか?」
「あたしよ。」
「お嬢様?!一体どちらへ…?」
「良いから開けなさい!」
「た、只今。」

 カチャッと言う音が2回して、ドアガ半分ほど開く。中から、アレンとフィリアが初めて来た時とは別の若い女性が顔を出す。

「お嬢様。こんな時間に一体…?それにずぶ濡れ…。」
「あんたには関係のないことよ。」

 リーナはすたすたと中に入ると、ドアから顔を出してアレンとフィリアに言う。

「何ぼけっとしてんの?!早く入らないと閉め出すわよ!」

 アレンとフィリアは慌てて立ち上がり、建物の中に駆け込む。ドアが閉まり、女性が再び鍵をかける。

「只今タオルをお持ちしますので。」
「早くしてよね。」

 リーナは冷淡に言う。女性が走り去ると、リーナはアレンに向き直る。

「そう言えばあんた、お父さんを助け出すんだってね。ドルフィンから聞いたわ。」
「あ、ああ。そうだけど…。」
「平和なもんねぇ。ドルフィン巻き込んだ挙げ句、彼女まで連れちゃって。そんなお気楽な旅なわけ?」
「ち、違うよ!フィリアは…。」

 アレンが言いかけた時、その口をフィリアの手がまた塞ぐ。

「あたしはアレンといつも一緒なの。言い換えれば一心同体。あんたも何だかんだ言ったって、本当は羨ましいんでしょ?」
「別に。」
「やせ我慢しない方が良いわよ。」

 ちくちくと攻めるフィリアだが、リーナは取り乱すこともなくアレンに言う。

「あんたも悲惨よねえ。こんな狂暴でがさつで胸のない女に付きまとわれて。これだけは同情してあげるわ。」

 フィリアは気にしていることをずばりと言われて、怒りで顔を歪めて言い返す。

「何よ!あんたみたいな、冷酷で背の低いウエストのない女よりはましよ!」

 リーナの表情が少しずつ怒りのそれに変わっていく。こちらも気にしていることを言われて、相当感情を害したようだ。

「…言ったわね。胸なし女。」
「お互い様よ。ウエストのない女。」

 アレンの口を塞いでいたフィリアの手の指にじわじわと力が篭り、アレンの頬に食い込み始める。もはや衝突は避けられないとアレンが覚悟した時、
タオルを持った先程の女性と共に、ドルフィンが現れた。

「相変わらずだな。ちょっとは良くなるかと思ったんだが…。」
「ドルフィン!」
「待ってたぞ。三人とも、本当に良くやった。」

 リーナの表情がまさに一瞬でにこやかなものに変わる。

「彼女がタオルを抱えて『お嬢様達がずぶ濡れで通用口に現れた』って知らせてくれてな。」
「まだ水浴びには早いけどね。ドルフィンとの約束だからね。」

 リーナはタオルを受け取って髪を拭いながら答える。その口調からはつい先程までの刺々しさはすっかり消え失せている。

「取水口が近道になることを前に話したことが、こんな形で役に立つとはな。」
「ドルフィンがこの町に来て取水口を初めて見た時、それに興味を持って調べたんだもんね。」
「あの時は下らん好奇心だったんだが…。意外な時に役に立つことが在るもんだ。」

 ドルフィンはアレンとフィリアに向き直って尋ねる。

「どうだ?リーナの道案内は役に立ったか?」
「そうですね。道案内は良かったんですけど…。勝手にどんどん先行かれちゃうのは、ちょっと…。」
「リーナ…お前…。」
「だ、だって…。夜中にこいつらの道案内するために水浴びするの厭だったんだもん…。」

 リーナは上目遣いにドルフィンを見て小さい声で言い訳する。

「しょうがないな、全く・・・。」
「御免なさい…。」
「気が進まなかったのは分かるが、引き受けた以上はちゃんとやらなきゃいかんぞ。」

 しゅんとしたリーナを、ドルフィンは優しく諭す。リーナはこくんと頷く。
ドルフィンの前では驚くほどしおらしくなるリーナの豹変ぶりには、フィリアも半ば呆れてしまう。これまでの「悪行」を全てこの場でばらしてやろうかという
衝動すら覚えてしまう。

「でも、彼女がいてくれて助かったよ。」

 ようやくフィリアの手の蓋から解放されたアレンは言う。

「ほう。そうか。」
「うん。往復の道案内はちゃんとしてくれたし、それに、あんなに強いしょ…。」

 言いかけたアレンの左の頬に、いきなりリーナの強烈な平手打ちが炸裂する。アレンは大きく首が横を向く。

「い、痛い…。」
「あーっ!!何すんのよ、あんたぁ!!」

 頬を抑えて少し涙ぐんだアレンと対照的に、フィリアは烈火の如く怒り狂う。

「あたしを殴ったのはまだしも、アレンを殴ったのは絶対許さない!!」

 リーナは何故か当惑しているような表情で自分の右手とアレンを交互に見ていたが、フィリアにはそんな事など目に入る筈はない。
猛然とリーナに突進し、握り締めた右拳をリーナの頬に叩き込む。リーナはもんどりうって床に倒れ込む。フィリアは間髪入れずにリーナに馬乗りになり、
怒りの篭った拳でリーナをめった打ちにし始める。

「お、お嬢様!」
「フィリア、止めろ!」
「止めないか!」

 アレンとドルフィンと女性は、慌ててフィリアとリーナを引き離す。アレンがフィリアを羽交い締めにして、ドルフィンがフィリアとリーナの距離を
引き離し、女性がリーナを抱き起こす。

「放して、放してー!こいつ、絶対殺す!!絶対許さない!!」

 物凄い力で暴れ狂うフィリアを、アレンは羽交い締めにするのが精一杯だ。

「お嬢様! 大丈夫ですか?!」

 リーナは相当強く殴られたらしく、顔を赤く腫らし、鼻と口から赤い筋が滴り落ちている。

「放してったらぁ!!」
「な、何て力だ…。」

 アレンは今にも羽交い締めを外されそうな程暴れるフィリアを、必死に引き止める。ここで振り解かれたら、本当にリーナを殺しかねない程の勢いだ。

「お嬢様。鼻血が…!」

 女性はハンカチをポケットから取り出し、リーナの赤い筋を拭う。しかし、鼻からの赤い筋は、その勢いを止める気配はない。

「いかん。早く手当てしてやってくれ。」
「は、はい!」

 女性はリーナの鼻をハンカチで抑えながら、抱きかかえて何処かへ連れていく。フィリアはまだ手足を激しくばたつかせている。

「許さない!!絶対許さない!!」
「止めろってば!フィリア!」
「止めないでーっ!」

 ドルフィンは鬼のような形相で暴れるフィリアの額に右手の指を軽く当てる。突然、激しくばたついていたフィリアの手足が急速に勢いが弱まり、
やがて目を閉じてぐったりする。

「やれやれ。魔術師より剣士か武術家になった方が良かったんじゃないか?」

 ドルフィンもフィリアの暴れようには驚いたらしい。

「何をしたの?」
「『気』を送り込んで脳を沈静化させたついでに、眠ってもらった。これ以上暴れられたらお前がもたんだろう。」
「た、確かに…。」
「すまんが部屋に運んでやってくれ。リーナには俺から言っておく。」

 アレンは頷いてフィリアを背負う。リーナに打たれた左頬が気になるのか視線が無意識の内に時々その方を向いている。

「痛かったか?」
「かなり…。平手打ち食らったのって、これが初めてなんだよね…。まだヒリヒリする…。」
「とんだ初体験だな。しかし、お前達は本当によくやった。一応付けておいた護衛も発動しなかったようだし。」
「護衛?」

 アレンが聞き返すと、ドルフィンは指を鳴らす。アレンの前に赤い小さな炎が現れた。炎の中心に八本足の馬に跨った、身長の倍はあろう巨大な槍を
持った鎧姿の騎士の姿が浮かび上がる。

「何これ?」
オーディン31)だ。お前達に生命の危険が及ぶようなら即座に援護するようにしておいた。」
「そうだったの?何時の間に…。」
「お前達が部屋を出る直前に、こそっと召喚して後を追わせたんだが・・・。敢えて言わなかった。お前達が折角自分達の力で何とかするって言ったから、
それをむざむざ邪魔したくはなかった。かと言ってアレン、お前にもしものことがあったらお前の親父さんに顔向けできん。」

 ドルフィンがもう一度指を鳴らすと、赤い炎はゆっくりと小さくなってやがて消える。

「俺はそんなに冷たい人間じゃないつもりだ。」
「…分かってるよ。」

 アレンとドルフィンは顔を見合わせて笑みを浮かべる。

「今日はゆっくり休んでくれ。フィリアは当分目が覚めないようにしておいたからな。」
「どのくらい?」
「半日ほどだな。残りの魔水晶と腕に絡み付いているアーシルは褒美と言っちゃ何だが、お前にやるよ。」

 ドルフィンはアレンの肩をポンと叩く。肩に感じる温もりに、アレンは囚われの父の面影をドルフィンに重ねる。

「本当によくやってくれた。後は俺に任せておいてくれ。」

「わぁーっ!!」
「た、助けてくれーぇ!」

 東の険しい谷から日が昇ろうとしていた頃、国家特別警察の詰所は一気に戦場と化した。ドルフィンが単身殴り込みを仕掛けたのである。
市街の夜間警備が非常事態を知らせる鐘で鉱山へ向ってから何の連絡もなく、不安に思っていたところにドルフィンの襲撃である。ドルフィンの驚異的な
力を耳にしたことのある兵士達は、応戦こそするものの、完全に腰は引けていた。
 勇気を振り絞って切りかかった一人の兵士が拳一発で壁に叩き付けられ、動かなくなったことで兵士達は殆ど戦闘意欲を喪失する。剣を捨て、両手を
挙げる者が相次ぐ。

「腰抜けどもが。それが国家とやらに忠誠を誓う奴の態度か?!」

 ドルフィンが一喝すると、その迫力だけで支えを失ったかのようにその場に座り込む兵士もいる。

「アベル・デーモン。」

 ドルフィンの左脇に、真紅の法衣を纏った、陽炎のような黒い妖気を漂わせる犬の頭の悪魔が現れる。

「ここで見張ってろ。この建物から逃げようとした奴は遠慮なく殺せ。」
「承知。」

 アベル・デーモンが答えると、ドルフィンは愛用の長剣を抜き、兵士達がこぞって道を開けた廊下を進み、階段を上って行く。
すぐに三階に辿り着き、豪華な彫刻が施されたドアの一つを蹴破る。雷のような音と共にドアが吹き飛び、勢いで向かいの壁に叩き付けられて粉々になる。

「な、何事だ?!ド、ドルフィン!!」

 豪華というよりは悪趣味ともいうべき、派手な調度品で埋め尽くされた部屋の隅のベッドで鼾をかいて寝ていた、ブクブク太った男がドルフィンを見て
顔面を蝋人形のように蒼白にする。男はミルマはおろか、王国の経済を牛耳るといっても過言ではないミルマ経済連の会長、その人である。
たまたま視察−とは言っても見学程度の意味しか持たないが−で詰所を訪れ、散々飲み食いした挙げ句、幹部専用の控え室で休んでいたのである。

「お目覚めか。ブタ。後で貴様の家に邪魔しようかと思ったんだが、此処に居るとはなかなか気が利くじゃねえか。」
「な、な、何の用だ!それに、兵士達は、兵士達は何をしておる?!」
「大半は降参したぜ。それに今逃げ出そうとしたら、悪魔の餌食になるしなぁ。」

 ドルフィンは冷たい笑みを浮かべながら、会長に近付いて行く。会長は慌てて枕元の剣を手にとって鞘から抜くが、ドルフィンは意に介さない。

「何の猿真似だ?」
「く、来るな!来るなぁ!」

 会長は喚きながら剣を目茶苦茶に振り回す。
ドルフィンの右腕が一瞬消える。再び右腕が現れた瞬間、会長の剣が柄の根元からぽろりと落ちる。会長は恐怖の余り、柄を手放してその場に座り込んで
しまう。ドルフィンはずかずかと会長に歩み寄る様は、恐怖に竦んだ蛙に迫る大蛇そのものだ。

「こ、こ、殺さないでくれ!た、頼む!命だけは!金なら幾らでも払う!」

 泣きながら両手を擦り合わせて懇願する会長の首を、ドルフィンの左腕が鷲掴みにして無理矢理立たせる。

「お前ら、国王の犬共とつるんでやがったな。」
「な、何のことだ?」
「とぼけるな。」

 ドルフィンの手が、会長の喉を締め上げる。

「ぐえぇぇぇぇ…。そ、そのとおりだぁ…。」
「今回の一件に関する書類は長官の部屋にあるな?」
「な、何故それを…。」
「何時だったか此処に誰かが忍び込んだろ?あれは俺だ。あの時は俺が動いてることを知られるわけにゃいかなかったんで、失礼させてもらったが、
今日は話は別だ。それを貰いに来た。」
「そ、それは、それだけは勘弁してくれ!あれが他所に洩れたら、わ、私は国王陛下に反逆罪で…。」
「何か言ったか?」

 ドルフィンの左手に力がじわじわと篭る。会長の喉の骨がみしみしと音を立てる。

「ぐ、ぐげげげげげげ…。」
「死ぬか?」

 会長は血の気が抜け始めた顔を激しく横に振る。

「じゃあ、貰ってって良いな?」

 会長の顔の動きは戸惑っているかのように動かない。ドルフィンの左手に更に力が篭り、蒼白になった会長の口元から涎が洩れ始める。

「良いな?」

 ドルフィンが念を押すと、会長は何度も首を縦に振る。

「ありがとよ。」

 ドルフィンが手を放すと、会長は床に落ちて何度も咳き込む。

「会長!何事ですか…ド、ドルフィン!!」

 騒ぎを聞いて別の兵士達やミルマ経済連の関係者が部屋に駆けつけて来ると同時に、ドルフィンを見て悲鳴に近い叫び声を上げる。

「何の用だ?」

 ドルフィンが彼らの方を向いてニヤリと口元を歪めると、彼らはそれだけで身を固くする。

「こ、こやつを…どうにかしてくれ…。」
「ブタは黙ってろ!」

 ドルフィンが一喝すると、会長はがたがた震えて黙りこくる。その腫れぼったい目には涙すら浮かんでいる。

「どけ。今回の件に関する書類一切を頂いてくぜ。貴様らに関する情報収集の為にな。」

「な、何を馬鹿なことを!!」
「会長は良いって言ったぜ。な?」

 ドルフィンが会長の方を向くと、会長は慌てて何度も首を縦に振る。ここで首を横に振れば、剣の一撃で真っ二つにされるか、剣以上に凶器ともいえる
ドルフィンの拳や蹴りが飛んで来ると察知したのだろう。

「か、会長!!」
「てなわけで頂いてくぜ。」

 ドルフィンは出口へ向って歩き始める。迫り来る人間兵器に、彼らは思わず道を開ける。

「利口だ。」

 ドルフィンは堂々と彼らの間を通り抜け、3日前に入り損ねた、主を失った長官室へと向かう。背後ががら空きになったドルフィンに、一人の兵士が
狙いを絞る。直接対決は極力避けるようにと厳命されているが、ここでドルフィンを討ち取れば、国王から最大級の褒美が得られることは疑いない。
 兵士は剣を静かに鞘から抜き、頭上に振り上げてドルフィンに突進する。兵士の間合いにドルフィンが入ろうとした瞬間、兵士の体が一瞬にして真っ二つに
寸断される。兵士は何が起ったか分からないという表情のまま、左右に分かれてゆっくりと床に崩れ落ちる。

「ひ、ひぃーっ!!」

 一部始終を見ていた彼らは悲鳴を上げる。

「馬鹿が。気付いてないとでも思ったか。」

 ドルフィンは振り返りもせずに呟く。
長官室へ向かうまでにも兵士達がいくらか出ては来たものの、ドルフィンが一睨みしただけで溢れ出る威圧感に恐怖して、その場に立ち尽くしてしまう。
 ドルフィンは長官室のドアを蹴破る。中に踏み込むと同時に小さな球体が突進してきたが、もはや避ける理由もないだけにドルフィンは完全に無視する。
体の表面で幾つも小さな爆発が起こったものの、ドルフィンは風のように受け流すと目的の書類などを探し始める。戸棚や家具をひっくり返して、手当たり
次第に引っ掻き回す。
 泥棒でも入ったかのように部屋が乱雑になった頃、ドルフィンは「重要書類」と書かれたファイルを見つけ出した。中を見ると、国王とミルマ経済連との
間に交わされた、献金と王国発注の工事を全面的に受注できる権利と引き替えに鉱山を一時閉鎖することに同意するという契約書や、中央への兵力や
軍事物資の要請書と報告書など、国王とミルマ経済連の癒着を示す様々な書類が詰め込まれていた。
ドルフィンはその他にも手がかりになりそうな書類を掻き集め、持ってきた大きめの革袋に詰め込んでいく。たちまち革袋ははちきれんばかりに膨れ上がる。

「後でゆっくり整理するか。」

 ドルフィンは革袋を肩に担いで、意気揚々と部屋から出ようとしたところで足を止める。

「・・・まだやる気か?」

 ドアの前には、兵士達が武器を構えて長官の部屋をぐるりと取り囲むように陣取っていた。兵士達の背後からミルマ経済連の会長が怒りに顔を歪めて
怒鳴る。

「思い上がるなドルフィン!貴様の好き勝手を指を咥えて見ているわけにはいかんのだ!」
「ほう、とち狂った国王の飼い犬の分際で、生意気な口叩くじゃねえか。」
「国王陛下を侮辱するな!」
「畜生でもそれだけ口が利けるとは驚きだ。最後に一回忠告してやる。退け。」

 ドルフィンの瞳が鋭さを増す。その眼光に兵士達は一瞬たじろいたが、ここで逃げたら命令違反で重罰と脅されているため逃げるに逃げられない。
ドルフィンの瞳が左から右へ、そして右から左へと動く。

「良い度胸だ。」

 ドルフィンはそう言うや否や、右手に持っていた剣を鞘から引っ張り出して大きく振り払う。兵士達の武器が根元から切り取られてぼろぼろと床に落ちる。
兵士達は呆然として、柄だけになった武器を床に落とす。
実力があまりにも違い過ぎる。そう思い知らされた兵士達は、完全に戦闘意欲を喪失してしまったのである。

「な、何をしておる!ドルフィンを抑えろ!」
「命令が聞こえないのか!」

 背後から国家特別警察やミルマ経済連の幹部達の叱咤する声が響くが、兵士達は黙って両手を挙げる。

「ほう。下っ端の方が利口だな。ならもう一度言う。退け。」

 ドルフィンが言うと、兵士達はさっと廊下の脇に退く。

「き、貴様ら!命令違反は重罪だと言った筈だぞ!」
「どうなるか分かっておるのか!」

 口々に喚き散らす幹部連中に、兵士の一人が向き直って冷たく言い放つ。

「五月蝿いんだよ、あんたら。何もしないくせに。」
「な、何を言うか!」
「もううんざりだ。あんた達の犠牲になるのは。」

 別の兵士がやはり冷たい視線を向けて言う。それを皮切りに、兵士達は口々に幹部連中を突き放し始める。

「重罪にできるもんならやってみろよ。この男が本気になったら、あんた達も俺達を重罪にする暇なんてないだろうし。」
「鉱山の警備隊や調査隊からも何の連絡もない。視察に行ったきりの長官も戻って来やしない。大方やられちまったんだろう。」
「この町に残ってる兵士なんてほんの少し。摘発を逃れた『赤い狼』が突っ込んだらひとたまりもないぜ。」
「あんた達の金儲けや出世欲の犠牲になるのは、もう御免なんだよ。」

 兵士の一人が護身用の短剣を一人の幹部の首に突きつける。それを皮切りに、兵士達が続々と幹部連中に短剣を突きつけていく。

「ば、馬鹿な…。」
「何故だ!何故我々を、国家を裏切るのだ!」

 予想外の展開に狼狽する幹部連中にドルフィンは皮肉の笑みを浮かべる。

「当然のことさ。抑え付けていたものがなくなれば、これまでの不満が一気に爆発する。お前達のような、命令することと威張り散らすことだけ上手な
奴等への不満がな。」

 ドルフィンは剣を鞘に納めて、兵士達に取り囲まれて身動きが取れない幹部連中の脇を通って階段へ向かう。
1階まで降りて来ると、外が騒然とした雰囲気に包まれていた。手薄になった警備の隙を突いて、『赤い狼』が一斉に街に展開を開始したのだ。
『赤い狼』は巡回していた兵士達を取り押さえ、ミルマ経済連の会員の住居に突入して住人を拘束し、「敵」の最後の砦であるこの建物に向っていた。
ドルフィンは入口を守っていたアベル・デーモンの額に手を翳して消す。詰所の周囲は、武装した『赤い狼』の一団が完全に包囲して突入の機会を
窺っていた。

「ド、ドルフィン殿!」

 ドルフィンの姿を見つけたミルマ支部代表が思わず叫ぶ。ミルマ支部代表も、ミルマ商工連の代表であるフィーグの護衛役として、度々ミルマ経済連と
対峙したドルフィンの顔をよく知っている。ドルフィンは表情を変えずにミルマ支部代表に歩み寄る。

「後はお前達がやれ。寝返った奴等もいる。」
「わ、分かりました。また後程。」

 ミルマ支部代表は合図して、他のメンバーと共に詰所に突入を開始する。
ドルフィンはそのままフィーグの家へと向かう。詰所から近いフィーグの家では、学生や従業員が物陰から様子を伺っていたが、中からドルフィンが現れると
同時に、歓声が沸き起こる。

「やったぁ!ドルフィンさんがこの街を救ってくれたんだ!」
「さすがドルフィンさん!この町の英雄だ!」

 ドルフィンは驚いた様子でフィーグの家の表玄関−薬屋の出入り口である−にやって来た。たちまち中から出て来た学生や従業員にもみくちゃにされる。

「おいおい。凱旋じゃあるまいし、随分な歓迎だな。」
「何言ってるんですか!実際そうなのに!」
「そうですよ!さすがはドルフィンさん!あんな大勢の軍隊を簡単に蹴散らしちゃうなんて!」

 どうやら彼らはドルフィンが全てを解決したものと思い込んでいるらしい。

「まあ、とにかく中に入れてくれ。」

 ドルフィンが辛うじて言っても、歓喜に沸き返る彼らは全く聞いていない。ドルフィンは仕方なしに人波を掻き分けるようにして店中に入る。

「ドルフィン君。お帰り。」
「小父さん…。」

 フィーグが微笑みと共にドルフィンを出迎える。

「本当によくやってくれた。これで一つ大きな肩の荷が下りたよ。」
「いえ。奴等の勢力に大きなダメージを与えたのは私じゃありません。後始末をしただけです。」
「何にせよ、君が色々手を回してくれたんだろう?謙遜することはない。」

 フィーグはドルフィンの手を取る。

「君がここに来てから、私は助けられてばかりだな。交渉のときといい、リーナのことといい…。」
「何を水臭いことを…。私がこうして生きているのも、小父さんが救ってくれたからじゃないですか。」
「こんなめでたいことはない!今日は臨時休業だ!皆、祝賀パーティーの準備に取り掛かってくれ!」

 学生や従業員は歓声と共に拳を振り上げる。ドルフィンは小さくため息を吐いて、微笑みと共にフィーグの手をぐっと握りかえす…。

用語解説 −Explanation of terms−

30)サムソン・パワー:力魔術の古代魔術系に属する。触媒として乾燥させた薔薇の花弁が必要。一時的に腕力を2倍に引き上げることができる。
一般に力が弱いと言われる魔術師が武器を持ったり、重いものを運んだりする時に利用する。


31)オーディン:ケルト神話の主神として有名。8本脚の馬スレイプニールに跨り、絶対に的を外すことのない槍グングニルを持つ。この世界では神ではなく
無属性の魔物であるが、俊敏で且つグングニルの一撃は非常に強力である。


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