謎町紀行

第27章 暴かれる野獣の牙城、魔物の大捕り物

written by Moonstone

 翌日。ヒョウシ市が騒然となった。その日の朝、ヒョウシ理工科大学で火災が発生したからだ。カワチ地区に向けて急ぐ消防車と救急車。それらが集落を通り過ぎていく方向は1つ。ヒョウシ市の負の遺産、ヒョウシ理工科大学であることは地域住民なら容易に察しが付く。
 すぐさま地域住民や市外から訪れていた人−主になめろうとヒョウシ電鉄が目当てらしい−が車で消防車と救急車の後を追い、臨時の即席報道陣が出来上がった。この報道陣はプロの技術はないかもしれないけど、SNSがある今、即応性はずば抜けている。
 SNSを介してヒョウシ理工科大学の火災は瞬く間に全国に広がる。大学での火災は事件になりやすいけど、火元が悪名高きヒョウシ理工科大学とくれば、SNSでの注目度合いは自ずと高くなる。マスコミ各社がSNSで投稿主に直接の情報提供を求めて却下される図式も相変わらずだ。
 人里離れたところに佇むヒョウシ理工科大学前の道路と近隣は、消防車と救急車、更に押しかけた地域住民や旅行者などが危険地帯に進入しないよう規制しに来た警察でごった返した。火災元は研究棟。1階の窓から煙が噴き出していた。
 消防隊員が続々とキャンパスに入り、研究棟に突入しようとしたところで、大学職員と学生が立ち塞がる。大学の自治の侵害を掲げるが、それらを「国に逆らう」「反日思想」とか批判・否定する右翼思想バリバリの大学の職員が、ギャングまがいの学生と結託して大学の自治を掲げて消火活動を制止しようとするなんて、笑止千万だ。
 消火活動の妨害は、警察の協力もあってあえなく除去され、消防隊員は研究棟へ突入していった。火災は比較的早く鎮火した。火元は研究棟1階の非常時行動工学研究室の学生居室。原因は煙草の火の不始末。幸い死傷者はなく、学生居室が全焼しただけで済んだ。
 此処までなら「大学生のうっかり」で暫く批判を浴びて収束していっただろう。だけど、今回は火災という性質上、事態が収束したら関係者は直ぐ撤収、とはならない。消防と警察による現場検証というものがある。場合によっては、消火活動よりこちらの方が時間がかかる。
 大学職員と学生は、これまた大学の自治の侵害を盾に退去させようとしたが、現場検証は火災の原因を特定する重要な業務。消火してハイ終わりと出来ない。消防隊員の突入時より強硬に退去を主張する職員と学生に業を煮やした警察は、強制的に排除して消防と共同で現場検証に着手した。
 火災の現場検証で、火元に程近いところにある扉の位置と構造に消防が疑問を抱いた。外から見てその扉がある位置だけ窓がない。柱の位置に窓がないのはごく自然だけど、扉があるのに窓がない。倉庫などの可能性はあるけど、そんな表示などもない。勿論構造からして防火扉でもない。
 消防と、消防から連絡を受けた警察は、大学当局に扉の役割の説明を求めた。大学当局は調査すると回答を保留したけど、火災による煤がその扉も超える形で拡散していたから、回答があるまで待機なんて呑気なことは出来ない。そこから火災の再発の恐れもあるから、全域の検証と鎮火の確認が必要だし、他の部屋はそうしていた。
 警察と消防は大学当局に扉を開けるよう要請したが、大学当局は拒否した。ここでも大学職員と学生が割って入って大学の自治の侵害を掲げて退去を叫んだが、火災の鎮火を確認しないといけない警察と消防が、はいそうですかと踵を返すわけがない。そもそも消火活動が完了していない現場に許可なく立ち入るのは問題だ。
 警察が大学職員と学生を強制排除して、消防が扉の鍵を破壊して開けた。姿を現したのは、掃除道具や行き場をなくしたものではなく、地下へと続く階段。階段は火災など非常時には脱出経路になるから、扉で塞いじゃいけない。防火扉も通常は開いていて階段を塞がないようになっている。
 個人の住宅ならいざ知らず、大学は国公立私立問わず建物の建築や改修は届け出と認可が必要だ。建築や改修では図面の提出も必要になる。そうしないと補助金が認可されない。ヒョウシ理工科大学は市からの助成金が完全にストップしているから、尚更補助金の申請が必要だ。
 それに、建造物には建築基準法というものが適用される。○○基準法や○○基本法と銘打たれた法律は、数多の法律でかなり重要な位置を占める。それらの法律の補足や拡張で他の細かい法律があるようなものだ。建築基準法もその例に漏れない。特に大学など公的性質を持つ建造物で無許可の建築や改修は、この法律に抵触する恐れがある。大学が建築時の図面と異なる建築をしていたら、十分建築基準法違反となる。
 消防からの連絡で、警察が建築基準法違反の疑いありとして消防と共に階段を下りた。異様に深い階段を下りた先で目にしたのは、巨大な水槽と幾つもの不可解なタンクが並ぶ巨大な地下空間。タンクに記載された放射性物質を示す例のマーク。警察と消防は驚愕して直ちに脱出し、原子力規制委員会に通報した。
 大学や研究機関には放射性物質や放射線を扱う施設を持つところもあるけど、それらは全て原子力規制委員会が掌握している。定期的な検査もあるし、万一の事故の場合は直ちに報告することが義務付けられている。通報を受けた原子力規制委員会は驚愕し、直ちに担当者をヒョウシ市に派遣すると共に、緊急の記者会見を開いて、ヒョウシ理工科大学の地下に放射性物質が存在するらしいこと、それらは原子力規制委員会への届け出などがなく、違法施設の疑いが極めて強いことなどを発表した。
 これがSNSでも拡散され、あっという間に大騒ぎになった。それはそうだろう。悪名高きヒョウシ理工科大学が秘密裏に巨大な地下空間を設けて放射性物質を保管していたんだから。原子力規制委員会と警察による強制捜査が実施され、大学の理事長や学長など役員が事情聴取のため警察に呼ばれた。
 ヒョウシ理工科大学は完全に立ち入り禁止となり、原子力規制委員会と警察の捜査が続いている。ヒョウシ市は市長が緊急の記者会見を開き、ヒョウシ理工科大学が放射性物質を扱う施設などを建設するという届け出は一切ないこと、事実であれば重大な違法行為であり、大学法人とグループ企業を展開する元財務相に厳しく抗議し、法人負担による施設の完全撤去を求めることを強い口調で述べた。
 これらがほぼ12時間で起こった出来事。めまぐるしい展開だけど、核燃料貯蔵庫があることで、地元警察以外に原子力規制委員会という国の機関を巻き込んでヒョウシ理工科大学を包囲することは出来た。そして、黒幕と言える元財務相の動きも封じることが出来た。
 元財務相は、ヒョウシ理工科大学を経営する大学法人も含むグループ企業の会長という立場。ヒョウシ理工科大学誘致の時は社長だった。財務相引責辞任の際に社長も辞任したけど、しっかり代表権を持つ代表取締役会長。色々な意味で言い逃れは出来ない。
 実際、マスコミだけでなく、ヒョウシ市の市長と市議会、そして国会の野党がこぞって元財務相の記者会見や事情説明や証人喚問を求めている。元財務相は「ノーコメント」とだけ言って私邸に立て籠もっているけど、ヒョウシ市全体が激しい怒りに包まれている。疑惑が贈収賄や口利きじゃなくて、日本人の多くが反射的に拒否反応を示す放射性物質−実際は更に危険な核燃料だけどそこまではまだ分かっていない−だから、元財務相への風当たりは非常に強い。

「これでクロヌシに核燃料が餌として供給される道は封じたと言えるね。」
「はい。クロヌシは異常事態を察知したのか、水中に潜伏したままです。ヒヒイロカネですから私以外は存在を認識できませんが、何れ行動に出ることになるでしょう。」
「水槽の役割を、ヒョウシ理工科大学がどう説明するかが気になるね。」
「核燃料の貯蔵庫とでも言い訳するでしょう。地中深くか水中が放射性物質保管の基本ですから。もっとも、今回の施設程度の深さでは、認識が甘いとしか言いようがありませんが、二世三世の坊っちゃん議員の猿知恵ではその程度と認識する方が無難でしょうね。」

 なかなか手厳しいことを言うけど、実際そうだ。土や水はかなり優秀な放射線吸収材でもある。原子炉で核分裂反応を制御するのに、減速材として水−重水素を含む重水に対して軽水という−を使うのがその1つ。十分な水を使えないと核分裂反応の制御が効かなくなって、暴走、メルトダウンへと至る。
 核シェルターが地下深く作られるのは、核兵器の熱や衝撃から防護するのもあるし、それらより長期間持続する脅威である強烈な放射線を軽減・遮蔽するためでもある。原子力発電所で使用できなくなった、所謂劣化ウランなどを永遠に保管する核廃棄物最終処分場が地下深くに造られるのも同じ理屈だ。
 ヒョウシ理工科大学に秘密裏に建造された核燃料貯蔵庫は、地下50m程度。秘密裏に建設した割には深く掘ったと言えるかもしれないけど、その程度じゃ万一の事故の際の放射線遮蔽効果は不十分だ。しかも貯蔵している量はとても「うっかり間違えた」と言えるものじゃない。違法に違法を重ねた建造は、万一の事故のことを全く考えていないと言う他ない。

「クロヌシが核燃料を餌に出来なくなったら、強引に食べようとするんじゃないかな?」
「後で説明しますが、その確率は低いです。どちらにせよ、クロヌシを巣から追い出します。同時に、核燃料貯蔵庫諸共ヒョウシ理工科大学を閉鎖に追い込みます。」
「クロヌシの巣になったのがヒョウシ理工科大学の運の尽きだったね。SMSAに支援要請は出すよね?」
「はい。それは情勢を見て私が行います。」

 クロヌシの形態もあって、何だか捕鯨みたいなイメージが沸く。あの巨体を戦闘不能にして無力化するには、シャル1人では厳しい。前回のようにSMSAの支援で周辺住民の安全確保や隔離をした上で、シャルが無力化に専念できるようにする必要がある。
 これから僕が出来ることはあるだろうか?シャル本体の水素タンクを極力満タンにしておくのは勿論だけど、クロヌシを巣から追い出してエネルギーを欠乏させて無力化・回収するのはシャルだ。僕はその間、シャルの行動を見ているだけしか出来ないんだろうか?

「ヒロキさんのあの機転がなかったら、クロヌシとクロヌシに巣と餌を与えていたヒョウシ理工科大学、ひいては大学誘致の裏側で核兵器開発に手を出そうとしていた元財務相をこれだけ短期間に、しかも同時に追い込むことは出来なかったでしょう。」
「あれは偶々だよ。」
「いえ。あの映像で不審な点に気付いて、即座に私に機動部隊の移動を指示したのは、間違いなくヒロキさんです。あとは私がすることですから、私に任せてください。」
「うん…。」
「ヒロキさんは、私をかけがえのないパートナーと言ってくれました。私もそう思っていますし、そうありたいと思っています。ヒヒイロカネの無力化と回収は私の担当ですから、ヒロキさんが無力とか思うのは事実の誤認ですし、気に病む必要は全くありません。」
「…。」
「自信を持ってください。もう、ヒロキさんは過去を全て捨てて、私とヒヒイロカネ捜索の旅をする唯一の存在になったんですよ。」

 僕は…過去を捨てたんだ。常に都合良く使われて、責任だ何だと分担や軽減を認められなかった環境や人間関係を全て。今、シャルと2人で旅をしている。パートナーであるシャルは僕を認めてくれている。役割分担はあって然るべきと明言してくれる。だったら、僕はシャルを頼って良いんじゃないか?
 過去を捨てた筈なのに、過去は何かにつけて僕の思考の足を引っ張る。過去という足枷を完全に振り払うには、僕は…どうすれば良いんだろう?今出来ることは、シャルにクロヌシとの戦闘と無力化・回収を任せて、僕はそのサポートに徹すること、か。これを無力と思うのも過去のある意味洗脳のせいなんだろうな…。
 将来の核兵器開発拠点と目論まれていたヒョウシ理工科大学を巡る情勢は、刻一刻と悪化している。日本だけでなく海外でも「日本の核武装準備計画が発覚」などと大きく報じられ、中国韓国などを中心に強い懸念や憤りが噴出し、一気に国際問題へと発展して来た。
 恐らく元財務相は、「日本のことは自分が決めることだ」とでも思ってたんだろうけど、日本は曲がりなりにも非核三原則というものがある。「(核兵器を)作らず、持たず、持ち込ませず」というあれだけど、それは「持ち込ませず」を除いて原子力基本法や核拡散防止条約、そして国際原子力機関があることで法的にも禁止された項目になっている。つまり、今回の事態は国際的な約束事を踏み破る重大問題だということだ。
 「二世三世の坊っちゃん議員に、そんな認識を期待するだけ無駄です。」とはシャルの弁だけど、自分こそ国家の指導者=自分が好き勝手して良いという傲慢さは、国際問題に発展した今は到底通用しない。同じく二世三世議員の首相は「現在調査中」を繰り返すだけであてにならないけど、外圧は着実に強まっている。
 特に、国際原子力機関が緊急査察の実施を表明した。原子力規制委員会や警察は、内圧で抑え込んだり曖昧にしてフェードアウトを図ることも出来るけど、日本も批准している国際機関の査察は内圧ではどうしようもない。これも首相は「事実関係を調査中」としか答弁しないんだから困ったもんだ。
 大学をはじめ日本の教育機関を統括する文部科学省は、場合が場合だけに曖昧な態度をとるわけにはいかないようで、ヒョウシ理工科大学に早急に事実関係の説明を指示した。これで嘘や誤魔化しをして一時的に逃れられても、事実が発覚したら補助金の停止や法人認可の取り消しもあり得る。
 ヒョウシ市はまさに怒髪天状態。市長は「ヒョウシ理工科大学に全面的な情報開示と、全面自己負担による施設の即時完全撤去を要求する」と改めて発表し、受け入れられないなら刑事告発するとまで宣言した。市議会も臨時議会で、ヒョウシ理工科大学と大学法人に対する非難と施設の即時完全撤去を求める決議を全会一致で可決した。流石の反市長派議員も、この決議に反対したら市議の失職どころか、ヒョウシ市で生活できなくなるかもしれない。
 当の元財務相は「事実無根の偏向報道」を連呼して、私邸に立て籠もっている。その私邸はヒョウシ市民とマスコミと市民団体に完全包囲されている。警備にあたっている警察には、核兵器開発に手を染める議員を税金で守るのかなど罵声が絶え間なく浴びせられている。その警察はヒョウシ理工科大学地下の核燃料貯蔵庫を原子力規制委員会と合同で捜査しているんだけど、なかなか公式発表が出ないのがヒョウシ市民や市民団体の苛立ちを募らせている。

「核燃料であることは疑いようがないですし、ごく早期に原子力規制委員会を巻き込みましたから、近々事実が公表されるでしょう。首相は恒例の尻尾切りで元財務相に離党勧告くらいは出すでしょうけど、目くらましが出来る国内問題とは違いますから、元財務相は袋の鼠ですね。」
「どんどんヒヒイロカネに関わる人物の悪行が大規模化してるね…。」
「町長から市長、そして元財務相の現職国会議員と、権限委譲の範囲が大きく広がりましたから、その分悪行に手を染めると大規模化するのは必然です。」
「それはそうだね。クロヌシの動向は?」
「水槽に潜伏したままです。唯一の出入り口は私の機動艦隊が包囲しています。クロヌシもヒヒイロカネですから、同じヒヒイロカネである機動艦隊の存在を知能相応に察知できる筈です。」

 核燃料の存在が公表されてから実際に施設を含めた全面撤去が始まるまで、それなりに時間がかかるだろう。国際原子力機関が緊急査察をするから、それまで証拠として残しておく必要がある。元財務相の逃げ場はなくなった。その始末は検察や国会、そしてヒョウシ市民がするだろう。僕とシャルの目的はあくまでヒヒイロカネ、今回で言えばクロヌシの無力化と回収だ。世直しはある意味副作用であって本筋じゃない。
 ヒヒイロカネは、空気からもエネルギーを得ることは出来るが、元々必要なエネルギーに対して不十分な状態が長く続くと、自己修復機能や学習機能の低下・停止に至る。そうなるとやがてヒヒイロカネはゆっくりと全機能を停止して崩壊に至るそうだ。生物が餓死するようなイメージだ。だけど、それは何万年単位の事象だという。僕は到底待っていられない。
 厄介なことに、人間で言うところの胃袋の拡張のイメージで、一度膨大なエネルギーを格納できるようになったヒヒイロカネは、そのエネルギーを以降格納できるようになるそうだ。エネルギー量では、核燃料は極端に高い。だから原子力発電や核兵器に適用できるんだけど、クロヌシがある意味核燃料の味を覚えたことで、エネルギーが尽きるのを待つだけでも数十万年とかかかる計算だ。
 クロヌシをある意味飼えるように水槽を増設したらしいから、クロヌシが核燃料を食べたことがないとは考えられない。だから、クロヌシは唯一の出入り口を固めるシャルの機動部隊が撤退するのを待っていると考えた方が良い。数十万年単位の睨み合いは僕には不可能だし、他のヒヒイロカネの回収も出来ない。どうやってクロヌシを水槽から外に引きずり出すか、だ。

「シャル。クロヌシの無力化に必要なエネルギーは、本体の水素タンクで足りる?」
「タカオ市での経験とデータから計算すると、総容量の70%の消費が見込まれます。これは転送ロスが最小の、タカオ市と同じく本体と直接接続した条件です。」
「そうなると、ヒョウシ理工科大学のキャンパス内、ヨットハーバーで無力化した方が良いね。この辺の海岸は車が乗り入れるコースがないし、ヨットハーバー近くで無力化してこの辺まで引っ張って来るのはエネルギーのロスだし、引っ張って来る間に再起動する危険もあるから。」
「確かにそのとおりですね。」
「核燃料貯蔵庫だという事実が複数から公表されて、ヒョウシ理工科大学から完全に人を隔離できる状況になってから動くとして、どうやってクロヌシを行動不能にするかだね…。」

 シャルの機動艦隊による一斉攻撃はダメージを与えられたようだけど、あの巨体を支える膨大なエネルギーを欠乏させるには至っていない。シャル本体に搭載されている水素タンクのエネルギー量も相当な量だけど、流石に核燃料ベースには及ばない。シャル本体に水素を補給しながら攻撃を続ける選択肢もあるけど、クロヌシが居る場所を考えるとリスクが大きい。
 核燃料はガソリンみたいなイメージの引火や爆発はないけど、それよりはるかに危険で長期化する放射能漏れの危険がある。流石にヒョウシ理工科大学もその危険は分かっていたようで、保管自体はきちんと行われていた。クロヌシは今その近くにある水槽に潜んでいる。そこに乗り込んで攻撃を加えて、万一核燃料のタンクに被害が出たら、放射能漏れに至る危険性は高い。
 クロヌシの無力化と回収が目的ではあるけど、そのためにヒョウシ市を人が住めない町にする理由はない。それだと核兵器開発を目論んで秘密裏に核燃料貯蔵庫を建設した元財務相と同じレベルになる。核燃料と貯蔵庫の廃棄や撤去は別問題として、それらに被害が出ることはあってはならない。だからクロヌシをどうしても水槽から引っ張り出す必要がある。

「核燃料貯蔵庫が完全撤去されるのを待つ手もあるけど、何時になるか分からないし…。」
「原子力規制委員会や国会がどれだけ仕事が出来るかですが、年単位はかかると見込んだ方が良いですね。」
「核関連の施設は建設時より維持や撤去の方が難しいっていうけど、流石に年単位は待ってられないね。兵糧攻めも実質無理だし…。」
 ヒヒイロカネの所在候補地は他にもたくさんある。日本だけでもあと数ヶ所。費用の面は心配無用だけど、僕には寿命ってものがある。それを考えたら1か所に何年もかけられない。それに、核燃料貯蔵庫の存在が発覚したヒョウシ市への風評被害も懸念される。ヒヒイロカネの負の副産物として、早急な廃棄に繋げておきたい。

「出来ることは餌をちらつかせておびき出すか、水槽から追い出すかのどちらかか…。」
「推定されるクロヌシの知能レベルで、一度核燃料の味、つまりはエネルギー量を覚えたら、別のエネルギー源を囮に使うのは難しいですね。」
「やっぱり、何らかの手段で水槽から追い出すのが良いか…。」

 エネルギー量は潤沢なクロヌシを水槽から追い出すには、水槽に居られない状況を作るのが良い。核燃料貯蔵庫を爆破するわけにはいかないし、他に方法は…!

「シャル。こういうことって出来る?」

 シャルに思いついた作戦を言う。SMSAによる支援は前提だけど、これまでにない巨大なヒヒイロカネがあることが分かっているから、その点は問題ないだろう。

「それは可能です。SMSAに支援を要請します。」
「頼むよ。」

 これまでにないサイズのヒヒイロカネ回収は、シャルのエネルギーを相当量使用する。シャルにとってかなりの危険を伴う作業の前に、可能な限り最適な環境を作る。かつ、核燃料貯蔵庫に損傷が出ないようにする。そのために知恵を出すくらいは出来る。
 核燃料貯蔵庫なんてものが出て来たのは予想外だけど、ヒヒイロカネに絡まなかったらこのまま時を待ち続けただろう。元財務相の本性は明らかになっているけど、それは僕とシャルの度には直接関係ない。350年も前から存在したらしい海鳴りの人食い怪物の伝説に終止符を打つ時が来た…。
 翌日。僕とシャルは旅館を出て一路ヒョウシ理工科大学へ向かう。勿論警察による立ち入り禁止は続いているけど、構うことはない。

「SMSAによる周辺整備が完了したと連絡がありました。」
「早いね。誘導場所への入り方を教えて。」
「ナビとHUDに表示します。」

 ナビに最寄りまでの経路が表示される。基本1本道だけど、今回はキャンパス内にシャル本体が入る。何せキャンパスマップすら外部公開していないから−それでよく今まで大学としてやってこられたもんだと思う−、キャンパス内部の移動経路はHUDの案内が必須だ。
 ヒョウシ理工科大学が見えて来た。警察に替わって別の制服姿の人達が陣取っている。今回はかなりの規模で支援に来たようだ。HUD表示では道に沿って進んでいけば良いらしい。念のためスピードを落として進む。間違ってもSMSA職員を撥ねたりしたら洒落にならない。

「SMSA職員が道を開けた?」
「SMSAには私の本体の形状に加えて、ヒロキさんの容貌など識別情報も通達してあります。前回のような間違いはありません。」
「此処までの準備は万端だね。」

 SMSA職員の敬礼を受けて、僕とシャルはヒョウシ理工科大学のキャンパスに入る。建物だけじゃなく、通路も予想以上に整備されている。核燃料貯蔵庫の発覚の契機になった学生居室の火災後は生々しく残っている。相当火の勢いが強かったのか、煙や炎の痕跡を壁に焼きつけたような形だ。
 緩くカーブする通路を走って行くと、広大なヨットハーバーに到着。武装したSMSA職員が多数待機している。今回は大捕物だからな。HUDの案内に従って、ヨットハーバー近くにシャル本体を停車させて、外に出る。

「おはようございます。」

 SMSA職員が一斉にこちらを向いて敬礼する。不審者と思われたらしい前回とは全く違う。

「お、おはようございます。」
「おはようございます。今回の作業はかなりの危険が伴います。十分注意を。」
「了解しました。」
「ヒロキさんは本体内で待機していてください。メインの処理を私に移行するので、作業中に本体の移動の必要が生じたらヒロキさんの判断で移動してください。」
「分かった。気を付けてね。」
「はい。」

 僕は再びシャル本体に乗り込み、シャルは単身岸壁に向かう。本体のシステムは起動している。ある意味シャルと切り離されて普通の車になったようなものと思えば良いか。クロヌシがあの巨体で暴れたら、岸壁が破壊されることは十分あり得る。シャル本体を護るのは運転する僕の役目。動向をしっかり見ていよう。
 シャルが岸壁の先端に向かう。SMSA職員が武器を構える。バズーカ砲みたいな武器の形状からして、威力は相当ありそうだ。海の一点が不自然な荒れ方をし始めた。激しい水柱と共に姿を現したのは、黒一色の胴体に巨大な口を付けたような風貌のクロヌシ!無事に水槽から追い出せた。まずは第1段階クリアか。
 四方八方から激しい攻撃が加えられる。戦闘機がミサイル、戦闘ヘリが機銃照射とミサイル、艦船が艦砲射撃や魚雷、そしてSMSA職員が砲撃。激しい攻撃で生じる爆音と爆炎で、クロヌシの全体像と咆哮がかき消される。このままクロヌシのエネルギーが尽きるまで攻撃を続ける…わけはない。核燃料を食らったクロヌシに消耗戦を持ち込むのは、こちらが不利でしかない。
 クロヌシが少しずつ岸壁に近づいて来る。動きから見て明らかにクロヌシの意思に反して引き摺られるように。作戦−GPSユニットの要領で攻撃に紛れて神経ネットワークユニットを複数打ち込み、連結させてクロヌシの行動を束縛・強制するのは、上手くいっているようだ。あの巨体に対して複数埋め込むには、激しい攻撃でクロヌシの気を逸らせる必要がある。その点は、SMSAの支援で対応できる。
 意に反する行動と激しい攻撃に怒ったのか、クロヌシが激しく暴れる。係留されているヨットが弾き飛ばされ、岸壁がもがれる。SMSA職員は退避しながら攻撃を続ける。弾丸を込める様子はないから、シャルと同じく遠隔地から弾丸に相当するものを供給できる仕組みなんだろう。シャルも巧みにクロヌシの破壊行動を避けつつ、起動艦隊への攻撃指示とクロヌシの岸壁への誘導を続ける。
 クロヌシがかなり岸壁に近づいたところで、別の武器を持ったSMSA職員が出て来て一斉射撃する。ワイヤーのようなものがクロヌシに突き刺さる。クロヌシは抵抗する様子を見せるが、ワイヤーに引っ張られる形で次第に岸壁に乗り出すように横たえさせられる。クロヌシは抜けだそうとしているけど、神経ネットワークユニットによるシャルの強制操作と多数のワイヤーで完全に封じられたようだ。

『ヒロキさん。クロヌシの拘束を完了しました。本体を私に近づけてください。』
『分かった。』

 此処からが本番。シャルがクロヌシを無力化するには、事前に満タンにしておいた本体の水素エネルギーが必須。それでも70%の消耗が見込まれる。それはシャルに直接供給できることが前提だから、シャルの作業場所に極力近づける必要がある。慎重に運転してシャルに横付けする。

『このくらいで良い?』
『十分です。ヒロキさんは念のため、本体から出て離れていてください。』
『分かった。』

 接近して改めてクロヌシの巨大さが分かる。横幅だけでシャルの身長を超えるし、縦方向でもシャルと同じくらい。シャルの身長が確か154cm。口がある部分だけでこのサイズで胴体は数m。本当に鯨が打ち上げられたようなイメージだ。シャルの作業の邪魔にならないように本体から離れる。
 僕が避難したのを確認したのか、シャル本体から太いケーブルが射出されて、シャルの背中に突き刺さる。シャルは両腕を広げてクロヌシの口がある部分に覆い被さる。同時にシャルから多数のケーブルが飛び出してクロヌシに突き刺さる。血は出ないけど、やっぱり結構えぐい図式だ。
 と思ったら、激しい閃光と爆発音が始まる。シャルの機動艦隊の攻撃を凌駕する。思わず目と耳を塞ぐ。クロヌシとシャルのサイズ比は本当に人間と鯨そのもの。シャル本体の水素タンクは満タンにしておいてあるけど、処置が完了するまで気が気でならない。此処は…ただ待つしかない。
 両手で塞いでも振動を伴って聞こえて来た爆音が止む。瞼越しに目に飛び込んでいた閃光が消える。目を耳を解放すると、シャルが彼方此方から白煙を上げてゆっくり後ろめりに倒れているところだった。僕は急いでシャルに駆け寄る。距離があったから流石に間に合わなくて、シャルは仰向けに倒れてしまう。
 僕はシャルを抱き起こす。服どころか身体全体に激しい凸凹が生じている。それが急速に修復されているから大丈夫なんだろうけど、この損傷の激しさはタカオ市での処置後を凌駕している。完全に元通りになるまで、否、シャルが目を開けて僕を認識するまで安心できない。シャル!シャル!

「シャル!」
「…ヒロキさん。処置は完了しました。」

 良かった…。修復も問題なく出来たみたいだ。クロヌシは全体的に平べったくなって、色が黒一色から銀色へと変化している。無力化されて回収できる状態になってきているようだ。そうなると、後はラゲッジルームにある回収ボックスへの収納か。こんなサイズ、否、量のヒヒイロカネをあの回収ボックスに収納できるか?

「ヒヒイロカネの特質があるので、回収ボックスへの収納は可能です。ヒロキさん。回収ボックスがクロヌシの方を向くように、本体の向きを変えてください。」
「それくらい良いけど、シャルは大丈夫?」
「私は内部の修復中ですが、このまま待機していれば10分程度で完了します。安心してください。」

 まず外側を修復したのか。シャルなら自己分析も問題ないだろうけど…、後ろ髪を引かれる思いでシャルをその場に横向きに寝かせて、本体に乗り込んで向きを変える。90度向きを変えるのは、この広さなら十分出来る。まだ本体とシャルがケーブルで接続されているから、不用意に引き回さないように、移動を最小限にして、バックは慎重に…。これで良いか。
 本体のスイッチを操作して、テールゲートを開けてラゲッジルームにある回収ボックスを露出させる。回収ボックス自体は僕でも開けられる。シャルの背中に刺さっているケーブルとは別の太いケーブルが本体から射出されてクロヌシに接続される。すると、クロヌシがケーブルに引き摺られて回収ボックスに突っ込まれる。クロヌシはどんどん回収ボックスに飲み込まれていく。
 信じられない光景に呆気に取られていると、クロヌシの回収はものの10秒程度で完了してしまう。回収ボックス内のヒヒイロカネは確かに量が増えたけど、クロヌシのサイズを考えるとこの程度の増量で済むのかと思うしかない。この回収ボックスにはヒヒイロカネの容量を減らす特殊な機能があるんだろうか。
 回収まで完了したのは間違いないから、改めてシャルに駆け寄って抱き起こす。表面上の修復は完了したようで、あれだけあった激しい凸凹は見る影もない。本体とはケーブルで接続されているし、内部構造の修復中だと言うから、このまま待っていれば完全に修復は完了するだろう。それまでこうしていよう。

「シャル。クロヌシの回収が完了したよ。」
「私も本体からの通信で確認しました。これで伝説は本当の意味で伝説になります。」
「そうだね。350年か…。今回手配犯は見つかってないけど、ヒヒイロカネが回収できたのは成果だね。」
「十分な成果です。併せて、今回の事態を作ってくださった方々への置き土産も用意しておきましょう。」
「ヒョウシ理工科大学と元財務相に?核燃料貯蔵庫の発覚で十分だと思うけど。」
「それでは終わりませんよ。この大学をSMSAに捜索させたら、面白い情報が幾つも出て来ましたから。」
「それって何?」
「お話は別のところでしましょう。私をこのまま本体に運んでください。ケーブルは外しますから。」

 えっと、つまりお姫様抱っこで本体の助手席に乗せてくれ、と。良いのかな…。SMSA職員は敬礼して見送ってくれるけど…。
第26章へ戻る
-Return Chapter26-
第28章へ進む
-Go to Chapter28-
第5創作グループへ戻る
-Return Novels Group 5-
PAC Entrance Hallへ戻る
-Return PAC Entrance Hall-