謎町紀行

第24章 寺の宝物に隠されたヒヒイロカネと手配犯の痕跡

written by Moonstone

 翌朝、朝食を済ませた僕とシャルは、重要な情報源候補として急浮上した天伏寺に向かう。天伏寺に行くには一旦国道に出る必要がある。これが現状ではなかなか大変だ。警察はまだ規制を敷いてるし、バーベキュー施設を使わせろとタトゥーピアスの連中が警察と睨み合ってるし、マスコミが彼方此方に陣取っている。
 幸い、警察が誘導して国道と出入りできるようになっているけど、警察の規制よりタトゥーピアスの連中とマスコミが無闇に国道に出ていることで、渋滞が酷くなっているのは明らかだ。殺人事件が起こったんだから現場の封鎖は当面解かれないだろうし、別の施設にでも行けば良いのに。
 一旦国道に出て渋滞を突破すると、一転してスムーズに移動できる。綺麗な青空の下、海岸線に沿って緩やかにカーブする道路は走っていて気持ち良い。天伏寺は国道を暫く東に走り、県道303号線に入って北上するとある。かなり分かりやすい。
 県道は少し蛇行がある片側1車線の山道。シャルのアシストがなくても十分運転できる。駐車場も整備されている。この町を支配した天狗を退治した僧侶の杖を宝物とする、地元にとっては守り神のような存在だからだろうか。対して駐車場は閑散としているから、場所を探す必要はない。
 寺そのものは特に大きいとか建物が豪華絢爛というわけでもない。ごく一般的な寺のイメージだ。山門の脇にある小道を歩くと本坊がある。今日の情報収集は此処から始まる。インターホンを押すと程なく応答がある。

「どちらさまでしょうか?」
「おはようございます。昨日宝物の拝観をお願いした富原です。」

 シャルに調べてもらったところ、宝物である杖や屏風画の拝観は事前予約制だと分かった。そこで昨日天伏寺に電話をして、宝物の拝観を申し出た。拝観自体は問題なく許可されて、まず本坊に来てほしいと言われていた。

「ああ、富原さんですね。少しお待ちください。」

 インターホンが切れて少しして、作務衣姿の初老の男性が出て来る。

「おはようございます。この寺の住職です。」
「おはようございます。本日はよろしくお願いします。」
「ちなみに、本日はお2人だけですか?」
「はい。」
「そうですか。あまり大きな声では言えませんが、マスコミが断続的に押しかけて来ましてね…。」

 此処にもマスコミが来ているのか。そういえばクロヌシの由来の昔話を教えてくれた老人も、マスコミに取材されたって言ってたな。「ナチウラ市に住み着く正体不明の人食い生物」と銘打って番組や記事に刺激を加えたいんだろうけど、注意喚起をする方が余程現実的だろうに。
 住職に案内されて、本堂に入る。敷き詰められた畳の前に鎮座する巨大な仏壇の上部、大きな蝋燭が灯る燭台に挟まれる形で、横に安置されているくすんだ木製の杖。あれが宝物の杖か。

「あれが、上念(じょうねん)大師がこの地に残された天伏の杖です。」
「上念大師とは、化け物を使ってこの町を支配した天狗を倒した旅の僧侶ですか?」
「良くご存じで。上念大師は全国を回る修行の旅の途中、天狗に支配されたこの町に立ち寄られ、仏様のご加護を受けて天狗を退治されたのです。」

 本尊が海に近い寺に見られる波切不動じゃなくて阿弥陀如来なのも、この寺が上念大師の偉業を後世に伝えるために建立されたと考えれば理解できる。伝承の真偽は兎も角、上念大師がこの町に大きな足跡を残したのは事実だ。
 一頻り合掌して、次は宝物殿に向かう。流石に屏風画はサイズが大きいし、本堂とかだと不埒な輩による破損の恐れもある。絵画は意外と耐環境性が低いから、基本的に密閉空間の宝物殿とかに安置するのが色々な面で安全だ。
 宝物殿は本堂の奥だ。こじんまりした六角形の建物の扉の鍵を住職が外す。鉄製の扉が両側に開き、僕とシャルを招き入れる。住職が宝物庫の照明を点ける。全体的に控えめな室内は、六角形の壁に沿う形に作られたガラスの壁と、その向こう側に安置された宝物だけのシンプルなものだ。
 屏風画は丁度扉と向かい合う位置にある。六角形の壁のうち、扉がある面を除いた5つのガラスの壁のうち、3つ分を占める屏風画は、天狗と上念大師が闘う様子が3場面並んでいる。1つの場面がほぼ1つのガラスの壁を使う形だ。

「この屏風画−大師天伏の図は、右側から順に大師が天狗と化け物に闘いを挑む場面、大師が天狗と化け物と闘う場面、そして大師が天狗と化け物を退治し、天狗と化け物が海に沈んでいく場面を描いたものです。」

 まず、上念大師が天狗と黒い龍のような化け物に向かい合う。次に、上念大師が荒れ狂う海と空を背景に、天狗と化け物を相手に光が溢れる杖で闘う。最後に、上念大師に倒された天狗と化け物が、下半身が融合した状態で海に沈んでいく。何れの場面でも大師の背後には阿弥陀如来がいる。場面の解説らしい文章が空きスペースに書かれているけど、達筆で僕には読めない。

「大師、漆黒の邪龍を従えし天狗に相対(あいたい)すことを告げたり。天狗と邪龍、阿弥陀如来の御加護を受けし大師を嘲笑い、八つ裂きにした後魂をも食らうと答えたり。」
「ほう。お嬢さんは読めますか。」
「はい。…天狗、その呪いの力侮りがたし。海と空を引き裂き、大潮と雷が入り乱れたるはまさに地獄絵図。大師、阿弥陀如来の御加護を杖に宿し、光で以てその身を守り、天狗と邪龍と闘いたり。大師、ついには天狗と邪龍に打ち勝ちたり。天狗はその業故に邪龍と一体となりつつ、大海原に沈みたり。大師、阿弥陀如来の御加護を宿したる杖を残し、何処へと去りぬ。…伝承と一致していますね。」
「良くご存じで。この屏風画で大師が携えておられる杖が、先ほど本堂でお見せした天伏の杖です。」

 伝承と一致する屏風画。そして伝承にも登場する杖。もしかすると、この伝承は実際の出来事だったんじゃないか?天狗と邪龍は手配犯とヒヒイロカネ。上念大師はシャルが創られた世界から手配犯を追ってきた人。神仏の存在が当たり前だった時代なら、太刀打ちできない力で支配する存在は妖怪や天狗だろうし、それを倒した人は神仏の加護を受けたと解釈されても何ら不思議じゃない。

『全てが事実ではありませんが、遠い昔、この地でヒヒイロカネが関係する戦闘があった可能性は高いです。』
『!どういうこと?!』
『詳細は後ほどお話します。』

 伝承が実際にあった可能性が高いって…。予想もしなかった事態だけど、クロヌシはヒヒイロカネなのも事実。一体かつてこの地で何があったんだ?手配犯は、そして上念大師として語り継がれている人物の正体は?
 住職に色を付けた拝観料を払って礼を言って天伏寺を後にする。昼食と情報の整理を兼ねて、天伏寺から北に行ったところにある、ヒョウシ市との境界に程近いところにあるうどん店に入る。シャルが調べた店だから味の面は心配ない。
 座敷の席に案内してもらって、そこでシャルと向かい合わせに座る。注文が来るまでの間、情報の整理をする。とはいっても衝撃の事実、ヒヒイロカネが関わる戦闘が実際にあった可能性が高いことが大きい。そう判断するに至ったシャルの見解が聞きたい。

『順にお話しします。まず1つ。天伏寺にヒヒイロカネが存在することが分かりました。』
『え?!最初に捜索した時は反応がなかったんじゃ?』
『それは事実です。今回、天伏寺の宝物を拝観した際、反応があったことで存在が発覚しました。これを見てください。』

 シャルはスマートフォンを操作する。画面に表示されたのは宝玉。宝物庫で、屏風画の左側に安置されていたものだ。説明では、上念大師が天狗と邪龍を倒した際に天狗から剥奪した、邪龍を操るための水晶玉とあった。屏風画の3つ目の場面で上念大師が左手に持っていたでもあるという。

『この宝玉がヒヒイロカネです。』
『!前に捜索した時も、中には入れなかったけど宝物庫は探索したのに、どうして?』
『このヒヒイロカネは、記録の保管機能に特化された、大容量メモリのようなものです。しかも、アクセス条件として、ヒヒイロカネが30cm以内に接近する必要がありました。前回の捜索ではそこまで接近できていないので、このヒヒイロカネは休眠していました。』

 人格OSを搭載できるくらいだから、記憶の集約と保存に特化した構成に特化することは出来そうだ。アクセス条件が厳しいどころか、この世界では基本的にあり得ない条件だから、これまで宝物の1つとして長い時間宝物庫の一角に安置されてきたわけか。

『この世界じゃ本来あり得ない条件でしかアクセスできないってことは、何か重要な記録が保管されていた?』
『そのとおりです。人格OSの生成方法やヒヒイロカネへの転送方法といった、私が創られた世界で最も機密レベルが高い情報に属するものです。』

 まさにシャルが創られた世界の最重要情報だ。どうしてそんな情報を記録したヒヒイロカネが天伏寺に?5人の手配犯はヒヒイロカネを奪ってこの世界に逃げ込んだけど、そんな情報も持ち出していたのか?考えられる背景は…。

『何時か条件が揃った時、この世界に持ち込んだヒヒイロカネに人格OSを転送するために、関連情報を永続的に保管する方法として、ヒヒイロカネを記録の保管に特化して情報を記録したってところかな。』
『その可能性が非常に高いです。手配犯はヒヒイロカネこそこの世界に持ち込みましたが、人格OSの生成やヒヒイロカネへの転送に必要な機器までは持ち出せませんでした。情報自体はクラッキングで不法取得したことが判明していますし、永続的な情報保管の手法としてのヒヒイロカネの用途は、私が創られた世界では一般的なものです。』

 HDDやフラッシュメモリは長期間保存できるようで、実はそれほど寿命は長くない。この世界で核戦争が起こって人類が滅亡したら、ものの100年程度で記憶媒体に保管された情報は風化や崩壊で使えなくなって、残せるのは石に刻んだものだけという予測がある。
 だから高レベル放射性廃棄物処分場や軍事要塞は、核戦争による文明崩壊に備えて石や壁面に危険接近禁止と表記したり、核ミサイルの直撃を受けても耐えられる強固なシェルターに情報を保管したりしている。だったらそもそもの危険要因である核兵器の全面廃止に至らないのは理解できないけど、ヒヒイロカネならコンパクトに、しかも長期間の情報保管が可能だ。
 追跡の手を振り切るために散り散りになった手配犯達、或いは1人か何人かが、年月が経って自分達の記憶が色褪せても、そして自分達の寿命が尽きても、ヒヒイロカネへの人格OS搭載が可能なように、関連情報をヒヒイロカネに集約して保管することにしたんだろう。全員がヒヒイロカネを持っていたのは事実だし、ヒヒイロカネを持って接近することでのみアクセスできるという、この世界ではあり得ないアクセス条件なのも、そう考えると筋が通る。

『シャル。あのヒヒイロカネにアクセスログとか残ってなかった?それがあれば、手配犯の接触時期が分かる。』
『非常に良い質問です。私もそれを期待して記憶媒体−あのヒヒイロカネのことですが、そのアクセスログを解析しました。結果、350年ほど前にあの記憶媒体が形成されて情報が登録されて以来、私がアクセスするまで一切のアクセスはなかったことが分かりました。』

 うーん。そう思いどおりにはいかないか。だけど、シャルの解析結果からもう1つの推論が見えて来る。手配犯があのヒヒイロカネを記憶媒体として人格OSに関する情報を登録したは良いけど、それにアクセスできるには至らなかった。つまり、手配犯やその末裔は、今も散り散りに暗躍している確率が高まった。
 オクラシブ町での手配犯らしい人物の行方は不明だけど、タカオ市での手配犯は身柄拘束と強制送還に至った。今も事情聴取は行われているだろうけど、手配犯のこの世界への食い込み度合いや技術・知識の水準によって、人格OSは個別に構築されたものだと考えるのが自然だ。
 タカオ市での人格OSがかなり高水準だったのは、手配犯がこの世界の医師に背乗りしていたことからも推測できる。背乗りしたといっても、医師である以上診察や処方、手術といった専門知識や高度な技術が必要だ。特に生物や化学関連の知識は豊富な筈。それを基に人格OSを生成してヒヒイロカネに転送したんだろう。

「お待たせしました。うどん定食です。」

 注文したうどん定食が運ばれて来た。一旦スマートフォンをテーブルから退けて膳を置いてもらう。釜揚げうどんに味噌汁と漬物、そして一見少しどろっとした謎の食べ物−なめろうが複数乗った豪華版だ。

「この粘性の高そうなものが、なめろうという料理ですか?」
「そうだよ。僕も初めて食べるけど、美味しいらしいよ。」
「変わった魚の調理法ですね。新鮮さを前面に出すなら刺身という調理法が適していると思いますが。」

 見た目はちょっと新鮮とは相反する部分があるけど、食べてみると新鮮な魚の味がたっぷり味わえる。なめろうの数と食材はその日の水揚げによって異なるそうで、今日は鯵と鰯。鰯のなめろうは結構珍しいらしい。

「これはこれで美味しいですね。薬味が良いアクセントになっています。」
「ヒョウシ市の漁港に近いから食べられる、特産品の一種だからね。」
「さほど遠距離ではないナチウラ市にはないのは、不思議ですね。」
「昔は交通手段も輸送手段も限られてたからね。今は車や冷凍庫があるけど、魚介類はそれでも運搬が難しいそうだから。」

 今は僕とシャルが今日走って来た県道もあるけど、ナチウラ市とヒョウシ市を繋ぐのは国道が基本。その国道は何故か海岸線沿いに造られているから、走行距離は結構長い。魚介類は元々日持ちし難いし、青魚は特に傷みやすい。
 ヒョウシ市は行ったことがないけど、ナチウラ市と同じく漁業の町だと聞いたことがある。ナチウラ市の海岸はクロヌシ事件で大騒ぎだけど、ヒョウシ市はどうなんだろう?今回は行く機会はなさそうだけど、ヒヒイロカネに関わっていないならそのままであって欲しい。

『食事の邪魔にならない範囲で、天伏寺を含む一連の伝承が遠い昔のヒヒイロカネに関する闘いの記憶と思われる証拠をお話ししていきます。』

 食事が半分ほど終わったところで、シャルが話を再開する。

『伝承に登場する邪龍ことクロヌシはヒヒイロカネで実在は明らかです。一方、天狗は物証こそないものの手配犯の1人と考えられます。』
『どうして?』
『屏風画に描かれている天狗の装束が一般のものと異なり、手配犯が好む服に類似しているからです。』

 シャルがテーブルの隅にスマートフォンを置いて、屏風画の場面の1つを表示する。別ウィンドウに別の天狗が表示される。確かに装束が違う。伝承の天狗は弥生時代とかの想像図にある服装に近い。姿形こそ天狗だけど装束が異なるのは、手配犯やヒヒイロカネに関する重要な情報と見ることが出来る。
 天狗は、輪廻転生の六道−天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道から外れた存在になった僧侶のこと。仏法を学んだため地獄道には行けず−地獄道は罪を償う期間−邪法を扱うため極楽にも行けないとされる。外道とは六道の輪廻を繰り返すうち解脱するという仏法に基づく救済の道から外れたこと、転じて人外の存在になり果てた様を言う。
 伝承の天狗が手配犯を描いたものだとすれば、上念大師は手配犯を追って来たSMSA職員と見ることが出来る。SMSA職員は死闘の果てに手配犯を拘束したかクロヌシと同志討ちさせたかで倒したか、クロヌシを残して逃走されるかした。残された記憶媒体はヒヒイロカネじゃないSMSA職員には単なる遺留物と判定されて、この地に残されて宝玉として天伏寺に納められた。SMSA職員は自分を旅の僧侶と称して、仏の加護を受けたものとして杖を残し、これも天伏寺の宝物とされた。

『天狗は手配犯かその末裔の1人で、上念大師は手配犯を追跡して来たSMSA職員の可能性が高いってこと?』
『マスターサーバの記録を精査しないと断定は出来ませんが、その可能性は極めて濃厚です。また、記憶媒体が回収されずにこの世界に残されたのは、ヒロキさんの推測どおり、記録媒体に特化された上に特定条件でしかアクセスできないセキュリティ処理がなされていたため、SMSA職員には遺留物と判断されたためと考えられます。』

 シャルと言えども膨大であろう全ての記録を保有しているわけじゃないし、全ての記録と照合するには時間がかかるだろう。上念大師と天狗がSMSA職員と手配犯かその末裔と断定するには時間がかかるだろうけど、その推論で間違いないと見て良い。
 記憶媒体が形成されたのは350年ほど前だというから、その時代の人に、ヒヒイロカネとか容疑者を追跡して来た別の世界の存在とか言って理解される筈がない。それより自分は旅の僧侶で、仏の加護を受けて天狗と邪龍を倒し、杖を用意してこれに仏様のご加護が宿っていると言い残した方がずっと理解されやすいし、人々が後世に伝えることが出来る。
 SMSA職員が手配犯を追跡しても、今回のように直接対峙して何らかの決着を見た事態は少ないようだ。手配犯が追跡を逃れるために散り散りになったことからもそう推測できる。ヒヒイロカネを奪還するためとしても、シャルが創られた世界の人間がこの世界に干渉できる範囲はかなり限られているそうだし、足取りが途絶えたところで撤収を余儀なくされたんだろう。
 そうだとすると、焦点はクロヌシの無力化と回収に移る。出没条件がかなり限定されているのと、出没の時間帯が深夜なのがネックだ。時間帯はまだしも、海鳴りがする夜っていうのは狙って作れるもんじゃない。その上、音もなく闇と同化して現れて俊敏に獲物を仕留める、単純だけど厄介な行動パターンを持つ。苦戦は避けられない。
 僕が囮になるのは自殺行為だ。出没ポイントが限定されていないところに、音もなく闇と同化して現れたらクロヌシに食われる運命しか残されていない。シャルでも対処できるか疑問だ。シャルの能力云々じゃなくて、クロヌシが異常なまでに待ち伏せと捕獲に特化されているからだ。それにシャルを危険に晒すのは気が引ける。
 かと言って、新たな犠牲を待つわけにはいかない。心情的に絶対相容れないし、ヒヒイロカネが絡んでなければ正直死んでも構わないと思う連中でも、犠牲になるのを見過ごすわけにはいかない。次の犠牲が出る前にSMSAの支援を受けてでもクロヌシを無力化して回収するのがベストだけど、相当難しい。

『私が囮になる手段も選択肢に入れられます。』
『!き、危険過ぎるよ!幾らシャルでも、クロヌシが神出鬼没の上に俊敏過ぎる!』
『ヒヒイロカネの私がクロヌシに食われても、同化を阻止しつつ本体に位置情報を送り、それを基に追跡・捕縛へと繋げることは出来ます。仮にその過程でクロヌシに同化されても、本体は健在ですから、再び人体創製を使うことで、同じ容貌を持ち、記憶を継承するシャルという存在を形成できます。』
「絶対駄目だよ、そんなこと!」

 僕は思わず身を乗り出す。

「たとえ容貌は全く同じに出来ても、僕にとってのシャルは、今此処に居る、僕の目の前に居る君だけなんだ!」
「ヒロキさん…。」

 目を見開いて僕を見るシャルの顔で、僕は自分の言ったことのインパクトに今更気づく。勢いとはいえ、「僕には君しか居ないんだ」的なことを声に出して言ってしまったことが、猛烈に気恥かしい。顔から火が出る感じとはこのことか。

「ヒロキさんの意見を踏まえて、私が囮になる案は取り下げます。他の方法を考えましょう。」
「そ、そうだね。」

 気を取り直して対策を考える。相手が神出鬼没なのは勿論、海という天然の防御壁に囲まれた環境に居るのが厄介だ。仮に海に潜っても捕捉できるかは微妙だし、あの俊敏な動作で攻撃されたら陸上より危険だ。何とかクロヌシに見つからず、クロヌシが出現した時に捕捉・追跡できる方法はないものか?
 シャルの創造機能は戦闘機や戦闘ヘリを多数創造して、しかも同時制御できる。だけど、戦闘機や戦闘ヘリは海には潜れないだろう。仮に潜れたとしても、飛行と同じように海中を移動できるとは限らない。それに目的はクロヌシの撃破じゃなくて捕縛・無力化と回収だ。戦闘機や戦闘ヘリという攻撃色の強いタイプはちょっと適さないように思う。

『水上や水中を移動できるタイプも創造できますよ。』
『潜水艦とかも?』
『勿論です。問題はどのように秘密裏に水辺に運ぶかです。陸上を移動させることも可能ではありますが、構造上どうしても鈍足になります。』

 潜水艦や艦船が陸上移動するだけで常軌を逸してるけど、百足みたいなイメージだろうから、陸上の移動はかなり制限されると見た方が良い。深夜に移動させる手もあるけど、鈍足だと言うから、国道の横断中に不意に走って来る車と接触する危険がある。ダメージは車の方が大きいだろうけど、無関係の人を巻き込むことには変わりない。
 何処に出現するか分からないから複数停泊させるとなると、余計に難しくなる。どうやらシャルの創造機能は一部を除いて、戦闘機から潜水艦とかの形態の大規模な変化は出来ないようだから、艦船や潜水艦を予め創造した上で水辺に運搬する必要がある。それを自然な形で実施するには…!

『ゴムボートとかも創造できるよね?』
『勿論です。』
『じゃあ、明日海に行こう。』

 翌日。朝食を済ませてチェックアウトより少し前に海に繰り出した。勿論、クロヌシが出現したバーベキュー施設はまだ閉鎖中で、現場検証のため交通規制をしている警察と、バーベキュー施設目当てに来た連中の間で睨み合いが続いている。バーベキュー施設は他にもあるんだから−シャルが検索したら車なら十分行ける−そこに行けば良いのに、妙なところでメンツやこだわりを発揮するのが、海辺のバーベキューに執着する連中の思考らしい。
 どうにか規制を抜けて、少し前に訪れた海水浴場に到着。僕は早々に着替えて、シャルに事前に創造してもらったゴムボートを抱えて外に出る。このゴムボート、空気が入ってない今は脇で抱えられるくらい小さいし、何しろ感触はゴムそのもの。付属のポンプも含めてこれが金属とは分かっていても信じられない。

「お待たせしました。」

 前と同じく待ち合わせ場所の休憩所前で待っていると、水着に着替えたシャルが現れる。水着は前と同じスカイブルーを濃い青で縁取りしたビキニで、白い肌と抜群のスタイルを際立たせている。見入ってしまいそうだから、シャルの手を取って浜辺へ向かう。
 ゴムボードはポンプを使えば簡単に膨らませられる。本当はポンプなしでも伸縮自在なんだそうだけど、周囲から見れば勝手に膨らんで勝手に縮むなんて明らかに怪しい。ゴムボートを膨らませて、近くの浜辺から進水。膝丈くらいの深さになったところでシャルと2人で乗り込んで、付属のオールで漕いで少し沖へ向かう。

「この辺で良いかな?」
「十分です。」

 ゴムボートの海側が一部変形して、指先から肘くらいまでのサイズの潜水艦と、同じくらいのサイズの軍艦−イージス艦だそうだ−が出来あがる。潜水艦は潜航。軍艦は透明になって見えなくなる。潜水艦と軍艦は5隻ずつ創造されて、人知れずこの海に展開した。
 ゴムボートなら海に持ち出しても怪しまれる要素はない。ゴムボートで少し沖に出て海側で創造すれば、人目につくことはない。シャルに確認を取って海水浴にかこつけてこの海に艦隊を展開して次のクロヌシ出現に備える。いきなりワープして来ることはないだろうから、出現を察知次第シャル本体に通知することで迎撃も出来る。

「ヒロキさんの提案どおり、早期警戒機をはじめとする航空部隊も上空で展開しました。」
「光学迷彩で見えないから分からないけど、想像すると結構凄い光景だね。」

 海から監視するのと同時に、より広範囲を監視するには空からの方が適している。そこで僕は戦闘機の他に早期警戒機の創造をシャルに提案した。戦闘機のレーダーはそれほど広範囲を対象に出来ない。監視は広範囲のレーダーを使える早期警戒機に、迎撃や追撃は攻撃力に優れる戦闘機に分担させた方が良いと思った。
 実際、シャルが創造する戦闘機のレーダーは、サイズの都合で全方位レーダーにすると範囲がかなり狭くなってしまうそうだ。早期警戒機は飛行速度や攻撃・防御は低いけど、広範囲のレーダーを使える。クロヌシは海から上がって来ることはないとみて良いから−上がって来ていたら大騒ぎどころじゃない−、早期警戒機は旅館の駐車場上空に待機している。
 念のため、早期警戒機の下には戦闘ヘリが10機ほど展開している。機動力と攻撃力の高さ、そして戦闘機では出来ない待機或いは後退しながらの攻撃能力を、クロヌシの迎撃やシャル本体の防衛に使う。旅館周辺はバーベキューにこだわる連中が屯しているせいでどうもきな臭い。人間が蹴ったりした程度でシャル本体はびくともしないけど、念には念を、だ。

「今のところ、艦隊からも不審な物体の出現や接近はありません。」
「凄く沖の方に居るのかな。」
「そうかもしれません。より沖の方まで探索させますか?」
「否、クロヌシの接近や出現が分かれば良いから、この辺で待機させておいて。」
「分かりました。監視を続けます。」
「頼むよ。あと、エネルギーの方はどう?」
「水素から作れる容量はまだ余裕がありますけど、念のため後で充填させて欲しいです。クロヌシのサイズから推定して、高エネルギー弾などを使う必要性が生じる可能性があります。」
「後でスタンドに行くよ。」

 人間なら戦闘ヘリ1機でも十分相手できるだろうけど、今回の相手クロヌシは映像から推定する限り相当巨大。しかもヒヒイロカネだから、これまでの攻撃だと通用しない恐れはある。どうやら他にも攻撃手段はあるようだけど、その分消費エネルギーが多いのは必然だろう。
 シャルは、車本体はジェネレータで発電する電気で駆動するけど、創造機能など独自機能は水素から直接エネルギーを得ているそうだ。その仕組みはこの世界の文明レベルを超えるからという理由でシャルも詳しくは教えてくれない。多分機密事項だろうし、僕が理解できるとは思えない。それにシャルが必要な水素を充填することが本筋だから仕組みが分からなくても構わない。
 問題は、次のクロヌシの出現が何時になるかということ。天気予報を見る限り、ナチウラ市界隈は当面晴れで波も穏やかな日が続くようだ。前回の出現時は海が荒れて海鳴りが記録に残っている。天候までは操作できないから、気長に待つしかない。クロヌシがヒヒイロカネであることは間違いない以上、見過ごすわけにはいかない。

「沖は静かですね。人は見えてるのに殆ど聞こえて来ません。」
「波は穏やかなのに、不思議だね。」
「日差しは強いですけど、風が気持ち良いです。」

 シャルは後ろに両手を着いて寛いだ様子を見せる。波でゆらゆら揺れるゴムボートは、周囲の喧騒から隔絶されている。そんな中、僕は水着姿で寛ぐシャルを真正面で見ている。少し前まで考えられなかった光景だ。少し前まで自分を取り巻く状況に悶々としながら仕事をしていたのに。
 それにしても、シャルは本当にスタイルが良いな…。どうしてもまず胸に目が行くけど、ウエストのくびれを含めた腰周りへのカーブが明瞭だ。細身ではあるけど柔らかさをふんだんに湛えた曲線美というか…。東京の渋谷や原宿あたりを適当に歩いたら、スカウトやナンパがひっきりなしだろうな。

「わっ!」

 突然顔に水をかけられた。少量だけど突然だとびっくりする。顔を拭うと、身を乗り出したシャルの顔が間近に迫る。考えてることなんて全部お見通しって言っているような、悪戯っぽい笑みを浮かべたシャルの顔が、僕の視界を埋め尽くす。

「何見てたんですか〜?」
「べ、別に何も…。」
「嘘ばっかり〜。さあ、今は何が見えますか〜?」
「な、何って…。」

 今はシャルの顔しか見えない。紫の瞳はアメジストそのものだ。それよりも何よりも近い。近過ぎる。鼻先が触れそうな近さだ。それに、割と大きいとはいえ2人で乗るには脚を曲げないと厳しいゴムボートでこれだけ接近してるってことは、シャルの今の体勢は…一瞬想像したら急に身体が熱くなる。

「シャ、シャルの顔しか見えないよ。」
「ちゃんと見てますね〜。こうすればどうですか〜?」

 シャルは僕の両肩に手をかけて上体を誇示する。こういう時は本来「誇示」って単語は使わないだろうけど、今のシャルは「誇示」と言う他ない。スカイブルーのビキニが持て余す豊かな2つの球体が僕の目の前で、少しだけどゆっくり上下に揺れている。恐らく上下運動は呼吸のせいだろうけど、猛烈に扇情的だ。
 さっきまで顔が僕の視界を埋めるほどの距離から、胸の動きが真正面に見える距離、否、そもそも僕の両肩に手をかけている時点で、どんなに近いか。更に言うなら、今の僕とシャルの体勢は…。頭がオーバーヒートして何も考えられなくなる…。
第23章へ戻る
-Return Chapter23-
第25章へ進む
-Go to Chapter25-
第5創作グループへ戻る
-Return Novels Group 5-
PAC Entrance Hallへ戻る
-Return PAC Entrance Hall-