謎町紀行

第19章 闇に食い込む黒幕の存在

written by Moonstone

 3日後。僕とシャルがタガミ市の大半の観光スポットを回っている間に、渦中のタカオ市は大きく動き始めた。まず1つ。タカオ市の市民を抑え込み、監視する者とされる者に分断していた条例は、臨時議会で一貫して反対して来た野党会派が廃止条例を提案し、全会一致で可決された。
 同時に提出された、市長とサイバーパソナ社の契約や業務内容の徹底的な調査を行う100条委員会の設置や、市長の辞職勧告決議案も全会一致で可決。与党会派の掌返しには呆れるが、ここで市長を庇えば自分達の次の選挙が危ういと判断したんだろう。議員を動かすには選挙で落選を思わせるのが一番良さそうだ。
 議会での取り捲きを一気に失った市長は、今も入院中。全治3カ月の重傷から3日で動けるようになったらそちらの方がおかしいけど、与党会派の議員に恨み節を垂れ流しているそうだ。これはシャルが病室に駐留させている諜報部隊の録画録音で分かったこと。市長の孤立はもはや避けられない。まさに裸の王様だ。
 サイバーパソナ社は完全休業状態。あの体たらくの上に逃亡を図った社員は、悉く市民などに捕まって手酷い暴行を受けて病院送りになったから、そもそも業務が出来ない状況だ。臨時議会は直ちに別の業者とネットワークの保守管理業務を契約するための補正予算を可決したけど、何時復旧するのかは全く見通しが立たない。
 市長と同じ病院に入院中のサイバーパソナ社の社長は、日夜痛みに苛まれながら過ごしている。こちらも複雑骨折を含む全治3カ月の重傷から見動きは取れない。骨折の痛みは相当強いそうだし、それが全身彼方此方にあれば魘されるのも当然か。利権で甘い汁を吸っていた哀れな末路だ。
 僕とシャルは考えた結果、この社長から攻めることにした。社長は最も市長に近かった存在。今では市長への恨み節を呟いているから、市長からの心理的な離反は濃厚。市長や手配犯の情報を入手し、市長と今も繋がっている可能性がある手配犯の動きを掴もうという戦略だ。

「機動隊の警戒は解けそうにないね。」
「人数は減りましたが、今も市民が病院を包囲しています。警戒を解いたら突入される危険がありますから、重要参考人と言えども生命の危険がある人物を公然と放置することは出来ないでしょう。」

 市長やサイバーパソナ社の社長と社員が搬送された病院は、タカオ市市民病院。一部の患者のために診療を休止したりするわけにはいかないから、病院は通常どおり診療しているけど、市民や団体に包囲されていて、警戒にあたる機動隊が警備をしていて、物々しい雰囲気だ。
 通院や急患で来院する患者は居るから、それらは病院に唯一通じる交差点を過ぎたところで機動隊が設けた検問を通り、診察券や招待状など患者と分かるものを携帯しているか、救急車で搬送された急患だと明らかな場合は、機動隊の案内と警護の下で病院に入る形になっている。
 警察などは病院の診療や患者などの妨げになるから撤退するよう要請しているが、市民や団体はならば市と多数の市民に多大な損害を与えた市長や社長を出せと応酬して譲らない。警察も強硬手段に出ると市長やサイバーパソナ社を守ったと権力の犬と見なされる危険があるから、要請に留まっている。

「強引なことはしないよね?」
「他の患者に危険を及ぼす恐れがありますから、選択肢にありません。安心してください。」

 決行は今夜。既に駐留中の諜報部隊によって、病院の内部構造やセキュリティは完全に把握されている。といっても、僕とシャルは今もタカオ市から100kmほど離れたタガミ市に居る。今から高速道路を走ってタカオ市に戻る選択肢も、シャルにはない。
 シャルが援軍を派遣して一時的に病室を封鎖し、社長に尋問する。社長は安全のため個室に居るから−病院側の判断らしい−病室を封鎖すれば他の患者に危険や迷惑は及ばない。出来るだけ短時間で行うには、尋問の内容を絞り込んでおく必要がある。
 今の状況で病院に援軍を派遣すると、処理に問題はないけどエネルギー消費がどうしても大きくなる。高速道路も使って長距離を移動しているから、エネルギー源である水素をそこそこ消費している。僕はシャルをスタンドに連れて行って水素を補給し、邪魔が入らない場所へ移動する役割がある。
 展開している諜報部隊は、病院だけで100体を超える。社長がヒヒイロカネを埋め込んでいるから、もしかすると手配犯が接触してくるのではと睨んでいるのもある。ミニチュアサイズとは言え100体以上の構成員の行動を処理する上に、更に援軍を送りこむんだから、処理が重くならないのが不思議だ。

「指を1本無作為に動かしているところにもう1本加えても、脳には負荷にならないのと同じイメージです。一斉に動かす個所が増えればカロリー消費が多くなるイメージも同じです。」
「諜報部隊はシャルの一部なのは分かってるけど、指1本とミニチュアサイズでも人間の形できちんと動くのとは凄い差があると思うから。」
「私には運動量の増大による転送エネルギーの増大でしかないんですが、このあたりも認識の違いですね。ともあれ、ヒロキさんにはスタンドまで誘導をお願いします。」
「それは任せて。」

 諜報部隊は当然だけど全て遠隔操作で動かされている。何かが動くにはエネルギーの消費が不可欠だけど、そのエネルギー転送も全てシャル本体から行われている。援軍を送ると転送エネルギーの量も倍になるから、残存の水素から作れるエネルギーでは不足の恐れもなくはない。
 処理の負荷は増えないと言っても、限られた時間で的確に情報を得る必要があるし、失敗は許されない。シャルとしては諜報部隊の操作と情報収集に専念したい筈。僕にスタンドへの誘導を依頼したのはそういう事情もあるだろう。僕が今出来るのはシャルが諜報部隊の操作と情報収集に専念できるようにすることだ。

 夕食を済ませて出発。最寄りのスタンドは4kmほど東に走ったところにある。そこで充填するんじゃなくて、更に先、10kmほど走ったところにあるスタンドで充填する。此処で充填すると2kmほど走ったところにある道の駅に近い。郊外にあって駐車場は潤沢だから、シャルが諜報部隊の操作とエネルギー転送に専念できる。

「コンビニでも良かったんですけど。」
「コンビニは車の出入りが激しいし、治安も良くないことがあるから、シャルが専念できないかもしれないと思って。」
「道の駅というのは、駐車場は広いですし車が多く泊まっていることはあっても、その割に静かですね。」
「自動販売機とトイレ以外は使えないからじゃないかな。深夜のコンビニ周辺に屯するような連中は、平穏や静寂を嫌うから。」

 言葉は悪いけど、ああいう連中は蛾みたいなもんだと思ってる。夜に明るいところに集まるところはまさに蛾そのもの。蛾と違うのは、蛾はちょっと見た目がグロテスクだけど光に集まるだけで無害。一方深夜のコンビニ周辺に屯する連中は人に危害を加えたりものを壊したりするから、害でしかない。

「準備を始めますね。」

 車のウィンドウが一斉に遮光タイプになって、フロントガラスが黒背景のスクリーンに変わる。そこに大きな建物を斜め情報から透かして見た映像が映り、ある部屋をズームする。…病院か。そして、部屋のベッドに横たわっているのは、サイバーパソナ社の社長か?

「ヒロキさんが退屈でしょうから、諜報部隊からの映像を転送しています。」
「負荷が増えない?」
「この程度は負荷に値しませんよ。諜報部隊の第2陣を派遣します。」

 スクリーンに現れた別ウィンドウに、シャル本体から続々と離陸していく戦闘機と輸送機が映る。勿論、光学迷彩をしているからシャルの画像処理で見えている。それにしても凄い数だ。オクラシブ町でも大量の部隊が派遣されて、唯一残った赤宮集落以外の集落を全て制圧したから、病院全体の制圧なんて造作もないだろうな。
 戦闘機や輸送機は、あっという間に病院に到着する。戦闘機は病院周辺を旋回し続け、輸送機は諜報部隊が全員飛び出した後、戦闘機の一部に護衛されてシャル本体に帰還する。帰還した輸送機はシャル本体に吸収され、戦闘機は踵を返して病院に戻る。病院の制空権はシャルが完全に掌握している。
 病院の屋上に降下した増援の諜報部隊は、すぐさま散開する。ある小隊は出入り口周辺、ある小隊は社長が居る病室のドアや窓周辺、その階に通じる階段やエレベーター周辺など、人が通る場所全てに展開する。ミニチュアサイズとはいえ人間の身体くらいなら穴を開けられるという銃器などで完全武装しているから、迂闊に近づけない。
 完全に諜報部隊が包囲した部屋に、シャルの見えない合図で諜報部隊の一部が突入する。重傷で動けない状態でベッドに横たわる社長に向けて、諜報部隊から細いケーブルが飛び出して社長の耳や頭に次々と突き刺さる。絶叫が上がりそうな構図だけど、社長は表情を変えない。

「音声では万が一の盗聴などが考えられるので、脳から直接回答を引き出す作戦です。」
「尋問はしないの?」
「回答が引き出しやすくなるような質問や言葉を投げかけます。」

 実力行使、言い換えれば拷問してでも吐かせるって手段じゃなくて内心安堵する。市長と癒着して杜撰なネットワーク管理で甘い汁を吸っていたことなどは厳しく裁かれるべきだけど、今は重傷を負って入院している身。身動きも取れない状態で拷問するのは流石に人道に反する。
 ケーブルが何本も社長に刺さっているのに痛む様子がないのは、ヒヒイロカネの特徴、すなわち人体との同化が可能なことを利用しているんだろう。金属が人体と同化できるなんてこれだけでも画期的、否、革命的だ。事故や病気で身体の一部が欠損したり使えなくなった人にはこれ以上ない福音になるだろう。

「市長と結託した結果、複数の複雑骨折を含む重傷。どう思いますか?」

 シャルの声が流れる。社長の脳に送り込んでいる言葉を音声にしたものだろう。それにしても冒頭からストレートだ。

「誰だ?」
「自分は契約どおり業務を遂行しただけ。なのに市長の巻き添えでこんな重傷を負った自分が不憫でならない。」
「…。」
「これだけことが公になった以上、会社の存続は難しい。だけど市長は最悪でも再来年の選挙まで安泰。辞職勧告決議案に強制力はないし、どのみちこれまで市長与党として大なり小なり甘い汁を吸って来た議員が軒並み落選とならない以上、市長はこのまま安泰になる確率すらあるのが実情。」
「…。」
「市長は保身のために自分を切り捨てるだろう。自分に全ての罪を被せてでも。許せない。市長の汚い部分を覆い隠すための業務を受託しただけなのに、最後の最後で裏切る市長は許せない。」

 シャルは抑揚を抑えた声と一定のテンポで淡々と言う。社長は最初こそ自分以外の誰かと思ったようだけど、以降はシャルの声に聞き入っている。自分の心と照合して、それが少なからず一致していて、次第に心の声と認識しているんだろうか。

「どうせ全てを失うなら、全てを失う元凶になる市長の悪事を全部ぶちまけてしまおう。市の条例も頭の中までは覗けない。」
「…市長が『起業するなら良い話がある』と言って来た。年間1億の随意契約。しかも管理対象のネットワークは既に完成されたシステムだから、一定の間隔で使用に支障がないか確認する程度で良い。こんな美味しい話はそうそうない。ましてや起業してまだ1年も経っていない零細企業に。」

 シャルの声に続いて社長の声が流れて来る。シャルの言葉に誘発されている様子だ。社長の告白は明らかに市長の独断で当初からサイバーパソナ社と契約することが決まっていたことを裏付けるものだ。これは先にシャルがサーバで発見した契約書の内容とも一致する。

「市長との因縁は何時から始まったか。思い出してみよう。」
「私と市長は大学のゼミの先輩後輩の間柄。市長が先輩だ。私は一念発起して勤めていた会社を辞めて起業したが、信用も実績もないベンチャーに融資する金融機関はない。資金繰りに頭を悩ませていた時、市長が今回の契約を持ちかけた。」

 市長が何の意図で社長に随意契約を持ちかけたかは今後の調査を必要とするが、社長にとっては千載一遇のチャンスだったことには違いない。適当な保守管理で契約どおり年間1億が必ず入るんだから、資金繰りの問題は一気に解決する。

「資金繰りもさることながら、市役所という官公庁からの受注や契約を得たこと自体が大きな実績と信用になります。」

 何だかんだ言っても官公庁の看板は強力。しかも、金銭は発注や契約時の価格で必ず支払われる。企業間だと受注時より安く買い叩かれたりするのは何も珍しくない。しばしば問題となる下請け企業の非人間的な扱いがその典型だ。だからこそ民間企業は大小問わず官公庁への食い込みを図るし、その結果贈収賄や談合といったことが起こる。

「入手したサイバーパソナ社の資料と照合したところ、タカオ市の契約を受注後、受注件数が急増しています。社長の告白を裏付ける証拠と言えます。」
「社員は10人なんだよね?仕事が増えてもさばけないんじゃない?タカオ市でもあの体たらくだったし。」
「全て別の企業に丸投げしていました。タカオ市は管理受注先としてサイバーパソナ社の名前が出たので、丸投げする間がなかったようです。」

 なるほど。受注が増えても丸投げすれば実際の業務量はさして増えないし、手数料なりを上乗せして請求することも出来る。派遣会社のやり口そのものだけど、それで会社の規模は成長しても自前の技術力は碌に向上してなくて、今回のように前面に出る機会が出来たことで一気にぼろが出た格好だ。

「タカオ市のネットワークは既に完成していたが、適当な管理で維持運営できるような規模ではない筈。そこまで大きくしたのは、市長の背後関係だったか?」
「元々市のネットワークは、技術畑上がりの元副市長が中心になって構築したものだという。市長はそれが面白くなかったが、ネットワークなしでは業務が出来ない昨今、そのネットワークを使わざるを得なかったと愚痴っていた。旧藩主の家老の系譜としてちやほやされるのが当たり前だった市長と、技術畑からの叩き上げである元副市長は、相容れない要素が多かった。」
「元副市長って…!」
「元副市長は行方不明。その時の様子を思い出してみよう。」
「私は市長から、元副市長が行方不明になったと聞いた。だが、当選した市長が推進した産業廃棄物処分場の建設業者や周辺が行方不明になっていることからして、元副市長もそのクチだろう。」
「消された理由は?」
「『口封じのため』。市長はそう言ったことがある。あまり深く聞くと自分の身も危ういと思ったから、詳しくは聞かなかった。」

 シャルのストレートな質問に、社長はあっさりと衝撃的なことを口にする。口封じ…。社長も産業廃棄物処分場の建設業者やその家族、そして僕とシャルも偶然遭遇した元副市長も行方不明になっていることを知っていて、それが口封じのためとも知っている。これは重大な事態だ。
 曲がりなりにも民主主義、法治主義を謳う日本で、対立する相手を拉致や殺害で抹殺することは犯罪だ。だけどその犯罪という手段を躊躇わない輩は確実に存在して、表現は悪いが地方の1都市で現に行われている。しかも自治体の長である市長が犯罪に手を染めている。これが異常事態でなくて何だと言うのか。

「そういえば、市長はよく奇妙な服を着た人物と会っていたような気がする。」
「市長の部屋は、ごく限られた者しか入室を許されなかった。私も入室は許されなかった。入室できるのは市長の秘書と、別の業者らしい人物くらいだと聞いたことがある。」
「その人物が市長に何か吹き込んでいたのではないか?」
「そういう噂はよく耳にした。だが、その人物は何処からともなく市役所に現れ、市長との用事を済ませたら何処かへ行った。その人物と会話をした者は、市役所では居ないと聞いたこともある。」

 存在を知られるのを警戒してか、手配犯らしい人物は極力市長以外と接触しないように徹底していたようだ。社長も噂は聞いているけどそれ以上のことは知らないようだ。存在を知られると拙いのは、その人物が身元や経歴を偽っている確率が高い。そしてそれは、シャルが創られた世界からバラバラに逃亡した手配犯の状況と符合する。

「これ以上社長の暗部を思い起こすのは難しい。暗部は出し尽くした。そろそろ寝るとしよう。」

 シャルは尋問を締めくくる。そのまま精神を破壊する尋問も出来そうなもんだけど、社長は市長の失政愚策の先兵にされたある意味被害者。今後の批判や裁きは免れないにしても、先兵を詰めたところで出るものは限られる。シャルはそう判断したんだろう。

「そのとおりです。社長から手配犯に関する情報はこれが限界と判断できます。市長との癒着の経緯や、市長の背後に手配犯が居る裏付けが概ね取れたので、それで良しとします。」
「やっぱり市長本人から聞き出すしかないね。」
「はい。市長は多少強引にでもこちらが望む回答を引き出します…!」

 シャルの表情が急変する。HUDのウィンドウに、両腕が変形した市長が表示されている?!翼を広げた鳥みたいな姿になって、窓ガラスを破って出て行こうとしている!

「逃げる?!あの身体で?!」
「追撃します!」

 周囲を警戒していた戦闘機が、一斉に市長の部屋へ急行する。市長は変形した両腕で飛び降りた衝撃を吸収して、その両腕で身体を包んだと思ったら姿を消した?!

「光学迷彩か!」
「小癪な!」

 HUDの表示が、実際の映像からサーモグラフィのような画面に切り替わる。殆ど濃淡がないうっすらとした物体が高速で移動していくのが分かる。その後を戦闘機が追い、ミサイルを一斉発射するが、そのミサイルは市長に命中する前に明後日の方向に散り散りになって行く?!どうなってるんだ?!

「エネルギーチャフ!」

 シャルが苦々しい表情を浮かべる。彼方此方で爆発したミサイルで更に病院周辺が騒然となる。その間にも市長は物凄いスピードで遠ざかって行く。

「…御免なさい。市長をロストしてしまいました…。」
「ひとまず病院から撤収して。光学迷彩をしているといってもこの騒ぎに巻き込まれるのは良くない。」
「は、はい。」

 窓ガラスの割れる音や逸らされたミサイルの爆発音で、正面入り口付近を警備していた機動隊やそれと睨み合いを続けていた市民団体が騒然となる。部外者を巻き込むのは極力避けないといけない。市長は逃亡したけど、それだけじゃない。
 HUDに、続々と帰還して来る戦闘機と諜報部隊を迎えに行った輸送機が映る。戦闘機や輸送機はシャル本体に着陸と同時に本体に同化する。勿論光学迷彩使用でジェット音などもないから、映像処理がないと深夜の道の駅の駐車場に駐車する平凡なコンパクトカーでしかない。

「全員全機帰還を確認しました。」
「被害がなくて良かったよ。早速だけど、市長が使ったエネルギーチャフって何?」
「私が搭載しているミサイルの航行を攪乱するエネルギーの球体を散開させる防衛機能です。」

 シャルの説明を聞く。この世界にもあるミサイルは主に赤外線の探査して航行する。戦闘機だとエンジンが最大の発熱源=赤外線の発生源だから後方に回り込んでミサイルを発射するのはそのためだけど、撃墜を避けるために、動きが鈍い爆撃機や輸送機はミサイルの防衛機能を備えていることがある。
 チャフは金属片やグラスファイバーをばら撒いて敵のレーダーを攪乱するための防衛機能。本来はミサイルの回避には適さないけど、シャルが搭載するミサイルは赤外線とレーダーの両方で追尾する機能を持つ。熱源をばら撒いて妨害するフレアという防衛機能対策でもあるけど、エネルギーチャフはその性質上レーダーも赤外線も攪乱する。

「シャルのミサイルを無効化するのか…。」
「勿論私もエネルギーチャフを搭載していますが、プレーンの、しかも人体の一部に埋め込まれた程度のヒヒイロカネでは使用できない機能なんです。」
「それが使えたってことは、手配犯はかなり近いところに居るんじゃない?」
「!」
「光学迷彩をしているシャルの諜報部隊より先に行動を開始したのも、シャルの諜報部隊を感知できる機能なり存在なりが市長の近いところに居て、社長の接触を感知して、次は市長だと察して市長に逃げるよう指示した。そう考えられるよね?」
「た、確かに…。」

 光学迷彩は画像処理がないと全く見えない。レーダーでようやく見えるけど、人間の目にレーダーはない。なのに市長はエネルギーチャフまで使用してシャルの追撃から逃れた。底から考えられるのは、市長とは別に諜報部隊の存在や動きを察知できる何者かが居て、市長に逃亡を指示したということ。
 そして、エネルギーチャフは市長の逃亡を支援する何者かが支援で投入した証拠とも言える。肉体の驚異的な変化は出来ても、エネルギーチャフは市長に埋め込まれたヒヒイロカネでは使用できないそうだから、市長の逃亡を支援する存在が近いところに居ると考えられる。そして、その存在とは恐らく、否、ほぼ間違いなく…。

「手配犯が居る。しかも市長に近いところに。」
「その推論は正確だと見るべきですね。でも、何処に…。エネルギーチャフの使用には人格OSを有する本体か創造機能で創造された戦闘機などが必要です。」
「さっきまでの行動って、映像で記録してるよね?それの解析をすればステルスや光学迷彩を使っている、シャルの部隊とは別の存在が見えるんじゃない?」
「!そ、そのとおりです。映像を解析します。」
「一旦ホテルに戻ろう。運転は僕がするから、シャルは解析に専念して。」
「は、はい。」

 映像は情報量が膨大だから、シャルでも解析するには負荷が大きい。車が少ない状況では運転と解析を分担して、敵の正体や態勢を少しでも速く読み取れるようにするくらいは、僕でも出来る。あと、相手があんな手を使って来たってことは…、僕とシャルの存在を察知している確率がある。そういう時は、1か所に留まるのは危険だ。
 ホテルに戻ってシャルの解析結果を待つ。解析に専念できたせいか、思いのほか早く完了する。シャルはTVに映像を映す。市長が光学迷彩を繰り出して逃亡し始めたあたりだ。シャルの戦闘機が急行してロックオンしたあたりで、市長の周囲に何かが急接近して来て、市長を庇うように位置する。

「敵の支援機です。」

 映像が一時停止して拡大される。こちらも光学迷彩をしている筈。シャルの映像解析でその姿が露わになる。シャルの戦闘機より少し小型の機体だ。映像が動きだすが今度はスローモーションになる。シャルの戦闘機が一斉にミサイルを発射したのとほぼ同時に、支援機が緑の球を大量にばらまく。

「この緑表示したものが、エネルギーチャフです。」
「凄い数だね。」
「今回発射したミサイルは36発。それを攪乱して市長を逃がすには十分な数です。」

 広く散らばるエネルギーチャフに引き寄せられるかのように、シャルの戦闘機が発射したミサイルが市長から逸らされる。ミサイルはエネルギーチャフに衝突して爆発する。その間に市長は一目散に逃走していく。支援機は市長を追うようにかなりの速さで飛び去って行く。

「明らかに市長を護衛するために派遣されて来たね。」
「間違いありません。私と同じく人格OSを有する本体が存在して、そこから派遣されて来たようです。」
「これまでの行動で、市長周辺の異変は確認できてないんだよね?」
「はい。諜報部隊の探査でも、同様の部隊の存在や接近はありませんでした。」
「…手配犯は病院に居ると見た。」

 今回の市長への不意の支援。迎撃ではなく市長の逃亡支援だけという結果。そこから考えられるのは、市長に危険を知らせて逃亡を支援した手配犯は、病院に居るということ。

「病院ならマスコミや市民団体に気づかれることなく、市長や社長の動向を把握できるからね。」
「どうやって市長に私達が迫っていると察知して知らせたんでしょうか?諜報部隊など他の存在は確認できていません。」
「盗聴だろうね。家族や関係者が見舞いに来た際に、手配犯に関わる秘密を漏らしたかどうか常時病室を盗聴していて、社長が尋問で手配犯の存在を感じさせることを言ったことで、次は市長が言わされる危険があると感じたんだと思う。そして、市長の容体を確認するとかの口実で市長の病室に行って逃亡を指示した。こう考えられるね。」

 まさかとは思うけど、可能性は十分ある。病院がある種の聖域であることは、現状でも十分確認できる。これまで安泰と見ていた市長と社長を中核とする相互監視社会、つまりはヒヒイロカネの隠蔽体制が一気に崩壊したことで、手配犯は自分やヒヒイロカネを知る市長と社長を病院に隔離した。市民病院への搬送なら誰も疑わない。
 実際に手術や治療をしたかは不明だけど、市長と社長の面会は謝絶されてなかったようだから、家族や関係者が見舞いに来る確率はある。そうなると自分やヒヒイロカネの存在やそれを隠蔽するための悪事が露呈する。だから盗聴器を病室に設置して、秘密を洩らさないか監視していたんだろう。
 そして社長が、シャルの尋問によって手配犯の存在を臭わせることを言い出した。寝言とは思えない明瞭な言葉から、何者かが潜入して尋問したと察知したんだろう。手配犯は市長の容体を確認するとかの口実で市長の部屋に向かい、逃げるよう指示した。シャルの戦闘機が迫っていることを察知して、急遽支援機を派遣してエネルギーチャフを放ち、市長を逃がした。

「−こういう筋書きだと思う。」
「まさか病院に手配犯が居たなんて…。」
「僕も予想しなかったけど、これまでの状況からそう考えるのが一番無理がないと思う。」

 展開していた諜報部隊を撤収して正解だったのかもしれない。あのまま展開を続けていたら、手配犯は強力な機能を搭載した人格OSの存在を確信しただろう。手配犯の能力は分からないけど、反撃してきたかもしれない。そうなったら病院が一気に戦場と化して犠牲者が出ていたかもしれない。

「シャルに幾つかして欲しいことがあるんだ。」

 僕は、シャルに幾つか依頼する。シャルは了承して早速実行に移す。結果が出るのは明日の朝の見込みだという。その間シャルは他の機能をディープスリープにして、僕は寝る。朝はシャルからの結果報告を待たずにある場所へ向かう。恐らくタカオ市をこんな状況にした元凶は…あそこにある。
 翌朝、珍しくシャルより早く目覚めた僕は、朝食もそこそこにシャルと共に出発した。高速道路で移動しても6時間はかかる。運転をシャル本体での制御と交互にすることで、休憩は取らないことにした。そうまでして急ぐ理由は勿論ある。

「ヒロキさん。そろそろタカオインターです。」
「ん…。渋滞とかなかった?」
「幸い極めて順調な行程でした。準備が出来次第運転を交代します。」
「分かった。ちょっと待って。」

 身体の節々を適当に動かして、ハンドルを握ってシャルから運転を引き継ぐ。僕が運転する間、シャルはアシストや念のための周辺警戒を担当する。今のところ周辺に異常はないようだ。タカオインターから久しぶりにタカオ市に入る。向かうは一部の荷物を置きっ放しにしているホテルじゃなくて、旧シシド町。
 シャルにナビには行程、HUDには走行アシストを表示してもらって目的地へ向かう。僕が休憩している間に、シャルの調査が完了してそれを纏めてくれた。HUDの別ウィンドウに概要が表示され、シャルが解説する。

「−調査結果は以上です。ヒロキさんの予想どおりです。」
「こういう潜伏の仕方をしてたとはね…。」

 手配犯と思しき人物は、やはり市民病院の職員だった。しかも医師。その人物は実在するが、実際の人物ではない。本来存在した−過去形なのは理由がある−人物の戸籍に、問題の人物が存在することが判明した。
 シャルが僕の推測に基づいて病院職員の情報を調査照合したところ、骨格の形成や変遷が本来存在した人物のものと食い違う事例が少数発見された。精査すると殆どは整形だったが、1つだけ整形でも説明できない食い違いがあった。更に調べると、身元不明として処理された自殺者のデータが、戸籍の実際の人物と一致した。
 戸籍ロンダリングや背(はい)乗りと言われるこのやり方は、僕も聞いたことがある。戸籍管理は完璧だと思いきや、登録や修正において個人確認はない。僕もパスポートの取得で戸籍謄本の写しを取ったことがあるが、意外にあっさり取れるし、記載情報と個人を明確に結びつける情報が乏しいと感じたのを覚えている。
 恐らく、手配犯と思しき人物は実際に存在した人物を殺害し、身元を特定する特徴−指紋とか歯形とか−を潰して遺棄した。そしてまったく縁もゆかりもない場所に戸籍を移して、改めて戸籍の人物として生活を開始した。そして今では医師、しかも市民病院の職員として何食わぬ顔で生きているわけだ。

「手配犯は凄い長寿命ってこと?」
「その確率もあります。本来の手配犯の寿命は尽きて、その子孫が戸籍乗っ取りで潜伏しているとも考えられます。」
「手配犯本人かどうかは重要じゃないから、これ以上は聞かないよ。問題は手配犯をどう捕えてどうヒヒイロカネを回収するか、だからね。」

 手配犯が市長を逃がすために支援機を派遣したらしいこと、そしてそれも光学迷彩やエネルギーチャフといった、この世界の文明レベルを凌駕する機能を使用したことから、手配犯は高度な人格OSを有するヒヒイロカネを持ち、それを自分の護衛に使うことが考えられる。
 手配犯は特別な素材を利用した服を着ているらしいから、シャルでも捕縛するのは困難が予想される。その上シャルに匹敵する機能を駆使されたら、町1つ消し飛ぶ規模の戦争になりかねない。無関係な人の犠牲は絶対に避けないといけない。
 ナビの情報では、まだタカオ市の中心部は混乱が続いているらしく、彼方此方が渋滞していたり通行止めになっている。シャルが選択したルートは渋滞を可能な限り避けているから、ナビとHUDの指示に従えば迷うことなく安全に運転できる。土地勘のない場所では特にありがたい。
 旧シシド町に入る。このあたりになると道が少ないし、交通量もさほど多くない。信号も少ないから信号待ちや加減速が少なくより運転しやすい。目的地は旧シシド町のやや奥。国道417号線をひた走り、市道に入って少し先にある。

「目的地周辺に不審な人物や物体は確認できません。」
「近くに止めても大丈夫だね。」

 周辺は森しかない、アクセス方法は1本の市道だけ。こんな辺鄙な場所にあるのは、市長が強引に誘致した産業廃棄物処分場。市長の父親の代からの付き合いがあった建設業者が、家族を含めて消息不明になったいわくつきの場所。
 僕はシャル本体を近くの行き違い用の空き地に止める。人気が全くない、高い塀に囲まれた、隔離地域と呼ぶに相応しい雰囲気。手動開閉の出入り口は、取っ手を鎖で繋いでいる。機能していないのは明らかだ。
 産業廃棄物処分場と言うからには、処分対象の産業廃棄物を搬入するためのトラックやダンプカーが通れるくらいの道は必要だ。なのに、此処に通じる唯一の市道は、ところどころにある空き地を使わないと行き違いが難しい。大型車はまず行き違い出来ない。
 現地に来て周囲を観察して、益々疑惑は強まった。この産業廃棄物処分場は、そのための施設じゃない。市長が相互監視の条例を制定したのは、この施設の本当の目的を隠蔽するため。その証拠はこの塀の向こうにある。

「諜報部隊を派遣しました。間もなく施設の情報が収集・集約されます。」

 出入り口を強行突破しなくても、施設に侵入しなくても、シャルの諜報部隊で隠蔽された事実や情報は丸裸にされる。入手した事実や情報は、タカオ市に抑圧と分断と混乱を齎した市長を追い詰め、その背後に居る手配犯を探し出して捕縛し、ヒヒイロカネを回収するために必要だ。

「情報収集を完了しました。…やはり、ありました。」

 HUDに敷地全体の航空写真が表示される。その何箇所かの地点の輪郭が強調される。拡大表示されたその地点が示すものは…、予想はしていたけど事実であってほしくなかったものだ。

「詳細情報を早急に分析して、市長の関与を全面解明します。」
「頼むよ。この事態を収束させるには、市長の悪事の裏付けを取って追い詰めないといけない。」

 市長の行方はある程度想像できる。だけど、追跡するだけじゃまた逃亡の支援が入って妨害されるだろうし、市長は何の責任も取らないままほとぼりが冷めるまで潜伏するだろう。市長に責任を取らせるためには、どうしても事実関係の裏付けが必要だ。
 やっぱりこの世界とヒヒイロカネは相容れない。ヒヒイロカネを正しく使える人間が居ないんだ。この世界に潜伏するヒヒイロカネは、この世界の人間の欲望に取り付いて増殖し、深刻な事態を招く。それを持ちこんだ手配犯や子孫、手を組む輩も捕縛しないといけない…。
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