謎町紀行

第11章 監視名目の追跡車とその末路

written by Moonstone

 すっかり夜が更けた頃、ホテルに戻る。歩き回ってくたくただ。結局今日1日回ったところにはヒヒイロカネは存在しなかった。シャルが言うには、ヒヒイロカネは明らかに他の物質と異なるスペクトルが出るから、砂粒ほどのサイズでも同じヒヒイロカネの自分なら分かるそうだ。そのシャルがないと断言するんだから、僕が異論を言う余地はない。
 善明寺の宝物殿は、シャルが強く惹かれたようでかなり長く滞在した。勿論そこにもヒヒイロカネは全く存在しなかったんだけど、目を輝かせて展示物に見入るシャルを見ていて気分が良かった。こういうところやものを一緒に見て回れる女の子って、今まで居なかった。
 その後はシャルのリアルタイム解析でヒヒイロカネが引っ掛かるのを期待して、タカオ市の主要道路を適当に走った。途中国道沿いの道の駅に入って、乳製品尽くしのラインナップに僕もシャルも興味津々。併設のカフェでホットミルクにクリームチーズケーキという真っ白メニューを食べた。
 黄昏時に、丁度見つけた焼き肉店で夕食。タカオ牛尽くしの焼き肉をシャルと頬ばった。こうして振り返ると何か食べていた印象が強い。オクラシブ町で行ける店、機能している店がごく限られていて、当然食べるものも限られたものだった反動だと思っている。

「ヒロキさん。お風呂から出たら明日のことについてお話したいです。」
「勿論良いよ。ゆっくりして来て。」

 シャルは、このホテルの人工温泉が気に入ったらしい。オクラシブ町はユニットバスだったから、人工とはいえプールのような広い湯船にゆったり浸かれるのは新鮮で、寛げるんだろう。かく言う僕もユニットバスより広い浴場の方が良い。歩き疲れて脚が張ってるから、尚更脚を十分伸ばせる浴場が良い。
 風呂では特に何もなく、先に浴場を出てエレベーターホール前のラウンジでシャルを待つ。男湯と女湯は入口が結構離れているし、廊下とかから見えないように2回直角に曲がった先にある。待ち合わせの時ちょっと困る構造だが、その分ラウンジが充実している。自動販売機以外に軽食もあるし−時間制限はあるけど−、ソファや小さなジム設備もある。
 ラウンジには僕以外に数人居る。見たところ、ホテルではあの妙な監視や尾行はないようだ。ホテルのエレベーターはルームキーを持ってないと動かないタイプだし、フロントは24時間稼働してるし、監視カメラも複数ある。監視や尾行をする筈が、自分が監視や尾行の対象になることは避けたいんだろうか。

「ヒロキさん。お待たせしました。」

 ソファでぼんやり待っていると、後ろから澄んだ声がする。髪を下ろした風呂上がりのシャルは、自然だけど強力な色気を滲ませている。服こそ今日のものだけど、水分を吸った長い髪とうっすら赤味を帯びた頬は、元々の容貌の良さに上質な上薬を塗布している。

「ゆっくり出来た?」
「はい。むしろのんびりし過ぎたかもしれません。」
「それは気にしなくて良いよ。行こう。」

 僕は席を立ってシャルの隣に立って手を繋ぐ。風呂上がりの女性とこうして手を繋いで部屋に向かうなんて、心臓の負荷が高止まりするシチュエーションの連続だ。シャルは僕の視線に気づいたのか、僕の方を見て微笑む。胸を圧迫されるような衝撃が走る。
 部屋に戻ってソファに腰を下ろす。基本的に2人部屋は1人部屋より広い。前の生活では出張で何度かビジネスホテルに泊まったことがあるけど、デスク以外にテーブルや椅子がないこともあった。1人だからそれらが必要ないという見方も出来るけど、2人部屋だとテーブルも椅子も普通にあるのはちょっとしたカルチャーショックだ。
 椅子もホテルによって形態は違うけど、必ず2人分はある。その1人分も座るのがやっとだと思いきや、並んで座ることも十分出来るくらい広い。料金はそれでも1.5倍くらい。ホテル側としては専有面積が多少広くなっても2人の方が良いんだろうか。
 そのソファに、僕はシャルと並んで座っている。オクラシブ町でもそうだったけど、シャルは2人分の椅子やソファがあっても何故か僕の隣に座ることを好む。シャルは構成素材がヒヒイロカネという金属なだけで、体温や柔らかさは普通に存在する。風呂上がりなのも重なって、心臓の鼓動ペースが限界に近い。

「明日のことをお話する前に、今日1日の監視や尾行についてお話したいことがあります。」

 僕の心境を知ってか知らずか−風呂上がりだから腕時計を外している−シャルはそう言って僕のスマートフォンを操作する。シャルは電子機器に直接アクセスできるから、スマートフォンはひとりでに動いているように見える。スマートフォンに文字が何処かのWebページが表示される。

「タカオ市の不審者情報にヒロキさんと私が登録されているのは先にお話したとおりですが、これはタカオ市の条例に基づいて行われていることが分かりました。」
「市の条例?」
「はい。タカオ市安全都市条例というものがあります。これを見てください。」

 シャルは僕にスマートフォンの画面を見せる。Webページはタカオ市の公式ページだと、最上部左端に表示されたロゴで分かる。画面には「市の例規(条例や規則)」とあって、その中段くらいに「タカオ市安全都市条例」という項目がある。
 スマートフォンが操作されて、「タカオ市安全都市条例」の全条文が目次を一覧とした形で表示される。そして画面がスクロールして、第1条(目的)が表示される。えっと…「この条例は、タカオ市の治安とタカオ市民の安全の向上のため、市と市民が一体となって取り組むことを目的として制定する」。これだけ見るとまともなんだけど。

「この条例の条文には、このような記載があります。」

 スマートフォンが更に操作されて、幾つかの条文が別のウィンドウに抽出される。…ん?「不審な人物や団体とは、市や市民が不審な行動を取る恐れがあると見なしたものを指す」「市民は不審な人物や団体を発見次第、可能な範囲で監視・追跡し、その情報を市が運営する市民安全情報共有ページに送信することを努力する」「登録された情報は、対象の人物や団体が市からの退去等、市と市民への脅威が消滅したことを確認できるまで保存されるものとする」?!何だこれ?!

「これじゃ、タカオ市全体が不審者と勝手に判断して監視や尾行をしろと奨励しているようなもんじゃないか!」
「そのとおりですね。通常は市が条例を施行しても実際に行動に移す市民は限られるものですが、彼方此方から監視や尾行が湧き出て来たのは、このような条文が背景にあります。」

 別のウィンドウが現れる。そこには…「不審な人物や団体が危険行為を行うに至る確実な情報を提供した市民には、市が報奨金を支払う」?!不審な人物や団体を監視や尾行して、もし実際に危険行為−別の条文には「殺人や放火等、刑法における重大な犯罪並びにその幇助(ほうじょ:協力や支援の法律用語)」とある−に至ったら、その情報提供者に市が金銭を支払うってことか。

「不審者を付け狙って、何千何万分の一かで実際に不審な行為をしたら金一封が出るって仕組みか…。だから執拗に付け回してたんだ。」
「そういうからくりです。更に、この監視尾行ボランティアを加速させる理由が、この条文にあります。」

 ウィンドウがスクロールして別の条文を表示する。えっと…「報奨金は、情報の重要性・緊急性によって別表のとおり段階を設ける。」「また、重要性・緊急性が連続する情報の提供については、報奨金を別表のとおり累積加算する。」…均一な額じゃなくて、情報の質によってランク分けされていて、しかも連続すれば加算されるってわけか。

「不審者情報を徹底的に流していれば、それが万が一にでも実際の危険に繋がれば、相当な額のカネが手に入るってわけか…。」
「執拗に監視尾行したり、写真や動画を撮ったりするのは、こういう背景があると考えるのが自然です。」
「タカオ市全体が、タカオ市の市民による広大な監視社会になってるんだね…。」
「そういうことです。一応、対外的なポーズとしてこのような条文も用意されています。」

 別のウィンドウに表示された条文は、「ただし、以下の施設等は監視・追跡の対象外とする。(1)ホテルや旅館等、市外の旅行者等を収容する施設(2)水素スタンドや電気スタンド、道の駅やサービスエリア等、交通における補給や休憩の施設(3)その他、市長が必要と認める施設」とある。旅行者でもホテルやスタンドに入れば監視や追跡はしません、と言ってはいるけど、外に出れば執拗な監視や尾行がされるんじゃ、全く意味がない。

「こんな条例がどうして成立したんだろう?」
「市長と一心同体の与党会派による、治安と健全を大義名分にしたごり押しです。」
「やっぱりそういう理由か…。」
「ですので、タカオ市に滞在する間は『善良な』市民による『治安維持』という名目による監視や尾行が続くということは、頭に入れておいてください。」

 「善良な」と「治安維持」で不自然に強まったアクセントから、シャルの強い怒りを感じる。僕は目に入らないと分からないけど、シャル自身が言うように全身がセンサの塊と言えるシャルは、常に監視や尾行の視線を感じ続けているだろう。更に本体の車は待機中に360°から写真を撮られた。気分が悪いことこの上ないだろう。

「それを踏まえた上で、明日の予定をお話したいと思います。」

 シャルはスマートフォンを操作する。地図は今僕とシャルが居る市街地から離れたところを表示する。旧シシド町と見て良いだろう。複数のマーカーが現れる。かなり散らばっているな。

「一旦、旧シシド町、現在のタカオ市シシド区の神社や寺院を回ってみたいです。前回の例からして、神社や寺院の御神体や宝物などとして擬態していることが考えられるからです。」
「人の出入りが少ないところの方が、隠すには適してるかな。」
「はい。ヒヒイロカネをこの世界に持ち込んだ連中の意図が見えない以上、隠すことに主眼を置きつつ悪用を企てると仮定しています。やはり隠すとなれば人が少ない場所の方が都合が良いのは事実です。全て回るには相応の時間がかかりますが、候補地を回って確認したいと思います。」
「一番賢明な作戦だね。確かに距離は結構ありそうだけど、シャルで走れば行ける場所なら根気強く回れば良いことだよ。」
「そう言ってもらえて嬉しいです。出来るだけ効率良く回れるように行程を編成します。」

 オクラシブ町のように、目測を付けた場所にヒヒイロカネがあると思わない方が良い。むしろ、今回のようにありそうな場所を虱潰しに探して回るのがデフォルトだろう。僕みたいに宝探しの知識や経験もないずぶの素人の直感で分かるような場所に隠すくらいなら、とっくにヒヒイロカネが表舞台に出て来ているだろう。
 シャルが表示したスマートフォンのマップに視線を戻す。面積は旧シシド町は旧タカオ市の3倍以上ある。そこに候補地が10個以上散在している。この地図の縮尺からすると、1日かけて全部回るのがやっとといったところか。回るだけじゃなくて、シャルがスペクトル解析できるくらい近づいたりする必要があるから、所要時間は1日では足りそうにない。

「シャル。旧シシド町に宿泊できるところはある?」
「探しましたが、見当たりません。中央付近を縦断する国道沿いに道の駅があるくらいです。」
「此処を拠点に行き来するのも良いけど…、道の駅で車中泊して行動するのもありかな。国道1号でもそうしたし。」
「それは可能ですが、ヒロキさんの負担が大きくなります。」
「どうにも眠気に耐えられなくなったら寝れば良いんだし、シャルも運転のサポートや交代はしてくれるだろ?」
「勿論です。」
「行き来する時間や手間もあるし、一気に回ろう。山道だと監視や尾行もし難いだろうし。」
「はい。行程のサポートは万全にします。」

 山道を運転するのはどうしても蛇行する道を相手にすることになるけど、シャルのサポート、時には代行もあるから恐れることはない。これまでもそうだったし、これからもそうだ。時間はあるし、此処に戻るまでに報奨金目当ての連中に付き纏われる気分の悪さも多少は減るだろう。
 それに、シャルと一緒の方が行動も休憩も、時には宿泊も安全だ。シャルの本体である車は、防犯対策は勿論、追跡や捕獲、更には干渉や迎撃までする尋常じゃない防犯システムであるACSがある。この世界のどんな車載防犯システムをも凌駕するそれは、シャルの機嫌を損なうと更に凶悪なシステムになる。
 この旅に出る前に煽ってきた車を、携帯の電波が圏外のところで行動不能にしたり、深夜にライトとHUDを使用不能にして道路のど真ん中で立ち往生させたりしたのは、シャルに言わせれば「十二分に手加減した」結果。本気になれば車自体を爆破したり、脱出不可能にした上で国会議事堂に突っこませることくらい余裕だそうだ。
 しかもACSで攻撃・迎撃対象に出来るのは車に留まらない。電子制御されているものなら何にでも干渉して、思いどおりに操れる。つまり大半の電子機器にシャルが干渉できる。デジカメやスマートフォンのバッテリーを唐突に発火させたり、PCから政府機関のサーバにDoS攻撃をさせることも難なく出来るそうだ。
 今は僕の隣に人間の形をした分身が居るけど、この分身も一瞬で全身を凶器に変えられる。その片鱗はオクラシブ町の町長を取り押さえる際に垣間見た。人間を取り押さえて確実に急所を突いて息の根を止めることくらい、シャルがその気になれば造作もないことだ。
 そんなシャルが居るんだ。山奥だろうが地下深くだろうが、ヒヒイロカネがありそうな場所に出向いて探す。シャルと目的と情報を共有していけば、ヒヒイロカネの回収は出来る。その過程で立ちふさがる障害は知恵を絞って回避したり、時に破壊して乗り越える。

「道の駅の営業時間と、そこに温泉や入浴施設があるか、調べてくれる?」
「はい。どうするんですか?」
「温泉や入浴施設があるなら、そこでゆったり入浴できるから疲れを取りやすいと思う。営業時間を見込んで行程を決めれば、食事も取りやすいし、そこに居る別の旅行者とかから何か情報が得られるかもしれない。」
「臨時拠点の形成ですね。それらを調べて行程を編成します。」

 道の駅があるなら、そこで食事や休憩が出来る。シャルも人体創製で人間の形を取って行動している部分がある以上、何も食べない飲まないというのは怪しまれかねないし、僕独りで飲み食いするのは悪い気がするし、シャルも疎外感を感じるだろう。
 タカオ市がある地域から少し北に走れば、有名な温泉街がある。旧シシド町を貫く国道でその温泉街と繋がっているから、温泉があるんじゃないかと期待してしまう。シャルも温泉が気に入っているようだし、やっぱり人間の形を取っているからこそ出来ることを体験してほしい。
 シャルが単なる移動手段だったら、こんなことは考えなかっただろう。一緒に考えて行動して、問題が発生したら対策を講じる、大切なパートナーだから、移動も単なる作業にしたくない。でも、それだけじゃないとも思う。僕は…。
 翌朝。ホテルで朝食を済ませて早速出発。荷物は貴重品以外は置いておく。どのみち貴重品と言えばあの老人がくれたカードと財布、会社を辞める直前に新規に契約したスマートフォンくらい。あとは最悪全部なくなっても現地調達できるし、秘密にするようなものでもない。
 シャルと一緒に車に−こっちが本体なんだけど−乗り込むと、直ぐにコックピットの電源が入ってナビには現在地、HUDにはこれから探索するポイントの一覧が表示される。改めて見ると広範囲に散在しているのが良く分かる。

「道の駅にある施設の営業時間は9:00〜17:00です。自動販売機とトイレは24時間使用可能です。」
「道の駅って、営業時間はだいたいそういう感じだね。」
「はい。一方、温泉を使った入浴施設はあります。そこでやや変則的な行程を編成しました。HUDを見てください。」

 HUDに表示されたポイントが4色の色の配線で接続される。拠点とする道の駅を含めて、一筆書きで蝶を描くイメージだ。道の駅は丁度蝶の胴体にあたる。左側の羽の上側が赤で下側が黄、右側の羽の上側が緑で下側が青だ。
 1日を、9:00〜17:00を含む時間帯とそうでない時間帯に分けて、1日に2度道の駅に戻って食事や休憩をしたいと思います。こうすると、1つの行程で回る候補地は3から4程度になり、1つの探索に十分時間をかけられます。」

「なるほど。これから日中に行くのは黄色のコース?」
「はい。候補地の探索を済ませたら、道の駅に向かいます。昼食にしてはかなり遅い時間になりますが。」
「それは良いよ。1食抜くくらいどうってことない。それより眠気の方が心配だよ。」
「蛇行や幅員が狭いことが多くなりがちな地形を考慮するのと、ヒロキさんの疲労を減らすため、運転は常時私がサポートします。眠気が強くなったら私に切り替えます。」
「それは頼むね。山道で事故とかになると大変だから。」
「万全の態勢で予防します。任せてください。」

 HUDを通常の進行案内や近傍の情報に、ナビに現在地と周辺地図を表示してもらって出発。駐車場をゆっくり出て、近くの県道に入る。道路は結構混んでいる。時間帯からして通勤ラッシュかな。僕も少し前まで毎日これを経験して、1日最初のストレスになっていた。
 じりじり進む感じで県道から国道に入る。この国道を暫く東方向に走ると、今回の捜索ルートのうち黄色のルートに含まれる国道に入るとHUDに表示されている。HUDのきめ細かい、同時に視界の邪魔にならない情報は、シャル独自のものだ。
 国道は少し混んでいるけど、片側2車線で交差点に右折帯もあるから流れはスムーズだ。この国道もトラックが多いな。国道は何処でも重要な輸送ルートだと分かる。トラックは意外と煽る車の率は低い。むしろワゴンの方が煽る車の率は高い。某社なんて酷いもんだ。
 HUDに3つ先の交差点での左折が案内される。車線変更、っと。このサポートも今時の、否、この世界の車よりシャルは進んでいる。安全に車線変更できるようにスピードを調整してくれるし、特に死角になるところに車などが居ないかチェックして、HUDに表示してくれる。
 車線変更を終えて左折する交差点に近づく。そして左折。この国道はまだ片側2車線だけど、暫くすると片側1車線になる。だから最初から車線が残る左側に居ることにする。こういった情報も、通常の車ならナビを更新していないと無理だけど、シャルは緻密に伝えてくれる。

「シャル。監視や尾行はどう?」
「それと思しき車が居ます。これです。」

 HUD右上に別ウィンドウが表れて、そこに後方の車が表示される。黒のワゴン。この旅に出る前に僕とシャルを煽ってきた車種の1つでもある。

「この国道417号線に入る前、国道19号線のミツギ町1丁目交差点付近から存在します。車線変更が不自然に連動していました。今は2台後ろに居ます。」
「車で僕とシャルが行動するなら、車で尾行するってことか。会社勤めとかしてないのかな?僕が言う台詞じゃないけど。」
「報奨金を稼ぐことを専門にする人や集団が居ても不思議ではありません。背景となる条例の成立過程から考えると、その確率は高いと言えます。」

 僕とシャルを執拗に監視尾行する法的根拠であるタカオ市安全都市条例とやらは、市長と一心同体の与党会派のごり押しで成立したと昨日シャルが説明した。そういう背景があると、市長と繋がりがある個人や団体が先兵として跋扈することは十分あり得る。オクラシブ町もそうだった。
 ワゴンだから複数人乗っている確率は高いし、これから市街地から離れた旧シシド町に入るから、道の駅とかに入ってからも監視や尾行、ひいては絡んでくる危険がある。シャルの強力無比なサポートがあるとは言え、ヒヒイロカネ探索という本筋とは違うところに神経を割かれる気分の悪さは否めない。

「直接絡んできたら痛い目に遭ってもらうだけです。遠目に見ている分には見せつけて差し上げましょう。」
「無茶はしないでね。」

 シャルは普段温厚な分、怒ると怖いしキレたら凶暴なのはオクラシブ町でもつぶさに見た。麻酔なしで切り刻んだり、手足をもぐのを承知でミサイルを当てたり。生身の人間とシャルでは能力が違いすぎる。それこそ、今すぐにでも例のワゴン車を車線オーバーさせて対向車と正面衝突させるくらい朝飯前だ。
 ウィンドウで見るに、運転席は勿論として−自動運転は運転者が居ないと機能しない−助手席に1人、どちらも男性か。顔つきからして不穏な気配は拭えない。単にシャルに気を惹かれて僕が目障りに思うならありがちな話だけど、わざわざ車で尾行や監視だと尋常じゃない。
 山道の上りは、蛇行が多くて幅員が狭くなりがちな基礎条件がスピードを落とさせやすい。無理にスピードを出すと、カーブで容易に対向車線にはみ出す。対向車が来ていたら正面衝突の恐れが強い。カーブで綺麗に曲がるには相当なアクセルワークが必要だ。
 レースでもタイムトライアルでもないから、安全重視が無難。2台後ろが疑惑のワゴン車で、直ぐ後ろはセダンか。セダンは某社の車種にスピード狂やオラついた運転が多い。某社っていうのは疑惑のワゴン車と同じメーカーなんだけど、その手の輩を呼びやすいんだろうか?
 道が片側1車線になったのと同時に少しスピードを上げる。セダンは今のところ一定の車間を維持している。片側1車線の山道は、追い越し禁止が多い。はたして疑惑のワゴン車はどうするか。セダンが別の道に逸れるまで我慢強く待つか、強引に追い越しをかけるか。…後者か?
 HUDに集中する。曲がることを促す矢印表示はない。ナビは今走っている緩やかに蛇行する国道417号線に、あぜ道らしい細い道がところどころ毛のように生えているところを表示している。このまま走り続けるしかないな。
 最初の捜索ポイントは、国道417号線を暫く走って左折して、県道223号線を西に走ったところにあるようだ。ようやく左折案内の矢印表示がHUDに出る。この矢印表示は曲がる地点までの距離がカウントダウンするようにリアルタイム表示されるから、距離感を掴みやすい。
 僕は案内どおり左折。後ろのセダンは直進していく。疑惑のワゴンは…左折してきた。そして距離を詰めて来る。車間距離は次第に狭くなっていく。僕もハンドル操作が可能な程度にスピードを出してるんだけど、ワゴンはその上を行くようだ。

「やはりヒロキさんと私を尾行していますね。」
「そうみたいだね。行動がシンクロしてた。」
「行動もそうですし、車内の会話を傍受したところ、タカオ市の不審者情報と照合して、都度不審者情報を更新していることが分かりました。」
「ハンターじゃあるまいし…。」
「向こうからすれば不審者−実際にはそうでなくても不審者と見なされることですが、まさに獲物なんでしょう。何かしら因縁を付けて尋問ついでにあわよくば、と考えている様子ですし。」
「!そんなこと絶対にさせない!」
「勿論ですよ。鬱陶しく纏わりつく蝿は潰すだけです。」

 シャルの怒りが高まっている。我慢の限界を超えると、シャルは本当に容赦しない。「十二分に手加減した」状態でも最悪の状況下で立ち往生を強いられるし、そんな現場を何度も見た。直接絡んで来ようものなら、行方不明者になる危険すらある。
 何度かカーブを曲がっているうちに車間距離がかなり縮まる。退避場所に逃げてやり過ごす手もあるけど、尾行されていることが確実な今だと、前に回り込まれてしまう危険がある。そうなったら本当にシャルが容赦ない迎撃、否、殲滅に乗り出すだろう。シャルに殺人はさせたくない。

「シャル。最初の目的地に駐車場ってある?」
「少数ですがあります。今は1台も駐車していません。」
「なら、このまま進もう。最悪駐車場で対峙することになると思う。」
「私に任せてください。」

 どのみちヒヒイロカネの探索ポイントでは駐車しないといけない。ヒヒイロカネのスペクトル解析をするには、ある程度シャルが近づく必要があるからだ。そうなると車から降りることになるし、相手もそれを狙っているだろう。対峙は避けられそうにないか。
 大事にはしたくないけど、タカオ市に入って早々身に覚えのない不審者と位置づけられ、ホテルから一歩出れば監視や尾行が彼方此方から集まってくる。車で郊外に移動するなら大丈夫かと思いきや、向こうも車で尾行してくる。対決が不可避なら仕方ない。向こうが望んでいるとおり戦争するしかない。
 ん?ワゴン車が突然右折した。あそこは確か細い道があったけど、ナビだと何処かに通じている様子はない。軽やコンパクトならまだ慎重にバックするか根気強く切り返せば戻れるだろうけど、ワゴンの大きさだとバックで戻るのも至難だろうに。どうしていきなり?

「シャル?」
「鬱陶しいのでHUDに干渉して、私本体が先ほどの道で曲がったという嘘の情報と映像を転送しました。行き止まりの、ワゴンならやっと通れる道をせいぜい幻影を追いかけていれば良いです。」

 あのワゴン車は幻影を追ってあらぬ方向に曲がっていったのか。シャルなら造作もないだろうけど、あの道が行き止まりとか、車では通行不能な細い道とかだったら、まさに僕が予想したとおり、元の道に戻るのが非常に困難な状況に陥るだろう。

「映像は行き止まりに達しても表示され続けるの?」
「唐突に消すのとどちらが面白いか考えたんですが、ヒロキさんの予想の方がパニックの度合いが強いと判断してそうしました。」

 シャルはさらっと言うけど、これからワゴン車の面々に襲いかかる現実は熾烈だ。HUDに表示されるシャル本体の映像を追いかけて難儀な道を突き進み、眼前に森が迫ったのにシャル本体は森の中に消えていく。これだけでも結構な恐怖だし、判断が遅れれば森に突っこむことになる。
 森の木は太いから、スピード次第ではフロントをやられる。多くの車はフロントにエンジンやジェネレータ(註:発電機のこと。この世界の車は水素やガソリンを燃料として発電し、バッテリーに蓄電して使用するのが主流)を積んでるから、それらが壊れる恐れもある。そうなったら確実に行動不能になる。
 ロードサービスを呼んでも、来るのに時間はかかるし、あんな細い道だとロードサービスが入れない。廃車にする前提で引き摺りだすしかないだろう。それも相当時間がかかるだろうから、ワゴン車の面々は森の中で立ち往生する羽目になりかねない。
 直接対決しかないと思っていたけど、シャルはそれを避けて壮絶な迎撃に打って出た。この世界の電子機器ならまず支配下におけるシャルならではの方策だし、やっぱり容赦ないの一言だ。怒りが高まっていたのは分かっていたけど、既に相当腹に据えかねていたらしい。

「これで当面はヒヒイロカネの探索に専念できますね。」
「それは間違いない。それにしても、凄いことするね。」
「話し合いが通じない相手には、相応の恐怖を植え付けるのが一番です。」

 シャルの言うことは理に適っている。話し合いで全て解決できれば良いけど、生憎それが通じない輩は確実に存在する。シャルは「私に関わるな」と警告するのを兼ねて、ああいう手を打ったわけだ。追っていた車が森の中に消えた恐怖と、行き止まりの森に迷い込んだ恐怖、そしてそこから容易に脱出できない状況だと認識する恐怖に襲われるように。
 今のところ、尾行して来たのがあのワゴン車だけだったから、シャルが言うように当面はヒヒイロカネの探索に専念できる。これに懲りて新たな追手が出てこなければ良いんだけど、ああいう輩ってメンツにこだわるから兎に角しつこい。日を改めて追ってきそうな気がする…。
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