謎町紀行

第7章 満月の夜を待つ獣と狩人

written by Moonstone

 僕は再び目を開ける。此処は…部屋?痛みはまだあるけどかなり収まっている。ゆっくり身体を起こす。ホテルの僕の部屋…か?両腕に何か違和感を覚える。見ると、複数のケーブル、否、チューブが通されている。点滴…?このチューブは…天井から来てる?!どうなってるんだ?!否、ホテルの天井に勝手に穴を開けたら賠償ものじゃないか?!

「おはようございます。」
「え?!」

 不意にベッドから降りられる左側から声がかかる。長い金髪を後ろで纏めた若い美女が居る。服装は…ナース服?!いったい何処から来た?そもそもこの女性は一体誰?!

「私ですよ。シャルです。」
「シャル…って、ええ?!」
「大きい声を出すと傷に障りますよ。かなり良くなってきましたけど、安静にしてないと傷が開く恐れがあります。」

 シャルと名乗る女性に従って、ひとまず改めて横になる。いったい何がどうなって、僕はこうしているのか、頭が混乱して考えが全く纏まらない。

「順番にお話しますね。此処はヒロキさんがオクシラブ町に入って以来泊まっているホテルです。部屋は広い方に替えてもらいました。」

 シャルと名乗る女性の話を聞く。
 あの満月の夜。銃撃を受けて負傷した僕を安全に療養させるため、僕に鎮痛剤と麻酔を投与して、シャルは僕をホテルに運んだ。そして経過を観察し、必要なら更に治療を行えるよう、人体創製を使って人間の身体を構成し、ホテルに人数の追加と部屋の変更を伝えて僕の怪我は「酔って転倒した」と説明し、僕を新しい部屋に運び込んだ。
 人体創製とは、戦闘機やヘリなどを創れる分離創製の発展型で、その名のとおり人体を自由に構成できるシャルに特別搭載された機能の1つ。老若男女国籍容貌に全く制限はない。
 問題は誰をモデルにするか。シャルは以前僕が「イメージ画像を見てみたい」と言っていたのを思い出し、「シャル」という自分の名称をキーワードとして容貌を手当たり次第に検索して、僕が気に入りそうか照合して、結果この容貌を設定した。車から分離したから勿論全てヒヒイロカネだが、人体と同様の肌触りや体温を実現している。いざとなれば一瞬で強固な金属としての特質に変貌できるし、銃器鈍器も自由自在。僕の治療と容体の観察をしつつ、例の集団の残党が僕の存在を嗅ぎつけて襲撃して来ても返り討ちに出来る。
 点滴や鎮痛剤などは、シャルから地中とホテルの壁などにチューブを通して、部屋で病院の点滴などと同様の構成にしている。ヒヒイロカネは対象に損傷を与えず、同化して遠隔地にケーブルなどを配置することも出来る。だから、撤収する際は一切ホテルに損害を出さない。元どおりになるだけ。

 僕をホテルのこの部屋に搬入してから2週間。ホテルの定期清掃ではヒヒイロカネの光学迷彩で僕を隠しつつ、清掃の邪魔にならないように移動して凌いだ。この間、青宮は大騒ぎ。眼球と性器を抉られた男女が駐車場に、四肢の欠損も加えてやはり眼球と性器を抉られた重傷の男女が境内に、ボロボロの状態で放置された男性の遺体がやはり境内に散在していたんだ。意識を取り戻した宮司や巫女、訪れた他の参拝客は、霧の中でその惨状を知って血相を変えて警察に通報した。
 警察車両と救急車が霧の中オクシラブ町に殺到し、重傷者と遺体を搬送し、宮司と巫女、参拝客は事情聴取され、神社を封鎖しての現場検証も行われた。結果、複数の鈍器が社務所から発見され、その指紋とDNAが境内に散在した重傷者のものと、血痕とDNAが男性の遺体と一致し、重傷者は逮捕監禁と銃刀法違反、並びに殺人の疑いで回復を待って逮捕送検されることになった。
 供述などから駐車場の重傷者も銃器を所有し、更に事件に関与していたことが分かり、やはり逮捕監禁と銃刀法違反並びに殺人の疑いで回復次第逮捕送検される予定。宮司と巫女は一連の容疑への関与の疑いで一時拘留されたが、供述の照合から重傷の集団に脅迫されたこと、御神体を奪われたことが確認され、嫌疑不十分で釈放された。勿論、参拝客は関連がなく事情聴取のみで釈放された。
 男性の遺体は遺族に確認され、引き渡された。その葬儀の様子を含めて事件は「霧の町の惨劇」として大々的に報じられ、オクシラブ町に報道陣が押し寄せたが、何しろこの霧だ。方向感覚もままならず、脱輪や事故が続発。おまけに取材名目でただでさえ不足しがちな物資を強引に買占めようとしたり、他人の敷地に侵入したりで町民の怒りを買い、数日持たずに退散した。
 それ以来、四色宮やオクシラブ町は一応平穏の中にある。ただ、青宮がああいう状況だったということは、ヒヒイロカネが御神体である残る2つの神社、つまり黒宮と白宮も限りなくクロに近い状況。赤宮は他の3つの神社の異変を知り、御神体に外部の人間を接触させないよう、過敏なほどに警戒するようになったと考えられる。
 諜報部隊を四色宮全域に派遣して監視を続けているが、やはりこの霧が障害になって動きらしい動きはない。次に動きがあるとすれば、やはり次の満月。それまでは僕の治療と経過観察に専念している。幸い容体は悪化することなく、順調に回復してきている。間もなく傷が比較的浅かった右脚と右腕は包帯が外せる。

「−ちなみに、この服装はヒロキさんの好みを反映しました。こういうのが好きなんですね。」
「わざわざ言わないでよ…。僕の意識がなかった2週間で、変化するところはしたんだね。結構激しい攻撃もしたみたいだし。」
「あの連中はもう二度と好き勝手できない身体になりました。生命活動には支障ありませんから、これから先数十年、せいぜい不自由を味わって苦しみながら生きれば良いです。」
「凄いことしたね…。副産物でヒヒイロカネを一部回収できたのは良かったけど。」

 ミニチュアサイズとはいえ、手加減なしのミサイルや銃撃を浴びせられれば、身体の一部を吹っ飛ばされても不思議じゃない。しかも麻酔もなしに眼球と性器を抉られれば、激痛どころの話じゃないだろう。ご丁寧にも、悲鳴をあげられないように口を塞いで摘出したというから、生きながら切り刻んだも同然。まさに容赦なしだ。シャルの怒りの凄まじさが分かる。

「シャルが治療まで出来るとは知らなかったよ。凄いね。」
「あの方−ヒロキさんが助けた方は、ヒロキさんが旅先でも不自由しないよう、出来るだけ安全に行動できるよう、攻撃防衛警備関係と医療関係の機能を特別に私に搭載するよう指示しました。分離創製や今こうして若い女性の形を取っている機能、人体創製も、特別に搭載された攻撃防衛警備関係の機能の1つです。」
「だから最初の頃、腹痛を感じてた僕が急性虫垂炎だと分かったんだね。」
「はい。あの頃はまだヒロキさんが通常の生活でしたから、治療や手術など外科機能は無効化されていたんです。診断機能は使えたので、もしやと思って。」
「ヒヒイロカネもきちんと使えば、シャルみたいな万能マシンや、想像でしかなかったことが現実に出来たりするのにね。それが出来ないのが人間の性ってものなのかな。」
「私は決して万能じゃありません。現に…、これだけの機能を搭載されながら、ヒロキさんに酷い怪我をさせてしまったんです…。御免なさい…。」
「!シャル!あれは予想外の出来事だったんだ!悪いのはあいつら、御神体をヒヒイロカネに入れ換えて、殺人を繰り返して禍々しい儀式をしていた、あいつらなんだ。それ以外誰も、シャルも悪くない。」

 声だけでも、シャルが自分の至らなさを責めて僕が怪我したことを強く悔やんでいるのが分かった。人間の形を取っている今、沈痛極まりない表情さえ浮かべている。あまりにも痛々しくて見てられない。シャルを慰めようと思わず身体を起こしてしまう。

「痛っ!」
「む、無理しないでください。」

 まだ傷が完全に塞がってないんだった…。あと、左の脇腹も撃たれたから、急な前屈とかは傷に響く。シャルの助けを得て再び横になる。僕を支えるシャルの腕回りの感触は、どう考えても人間そのもの。服も…ヒヒイロカネとはとても思えない。

「今までシャルと一緒に居て、シャルが完全無欠の存在じゃない、知らないこともあって、笑ったり怒ったりする感情豊かな人格だって分かった。だから予測しきれないことだってある。予想と結果が食い違うことだってある。それを一緒に修正したりして、ヒヒイロカネを回収していけば良いんだ。」
「ヒロキさん…。」
「僕の怪我はそのうち治る。それまでも考えることくらいは出来る。だから、一緒にこれからのことを考えて、ヒヒイロカネを回収しよう。ね?」
「はい…。」

 シャルの大きな藍色の瞳が潤んでいる。どう見たって人間としか思えない。否、人間だ。素材は金属だけど、感情豊かで聡明な女性だ。何より、僕をこんなに気遣ってくれる女性なんて初めてだ。金属だろうが何だろうが、僕を利用するか貶めるかしかしない量産型シメジよりずっと良い。
 改めてシャルを見る。長い金髪を後ろで束ねて、薄い紫のリボンを付けている。身長は…一般的な女性くらいだろうか。色白の肌とはまた別の白のナース服は身体にフィットするタイプなのか、敢えて体型ぴったりのものを選んだのか知らないけど、メリハリが明瞭な身体のラインが鮮明に出ている。顔つきは「可愛い」とも言えるし「綺麗」とも言える。この辺の境界は分からないけど、余程好みのタイプが特異じゃない限り、間違いなく好感や好意を抱かせる方だ。容貌に限定すれば「こんな女性と付き合いたい」と大半の男性は思うだろう。僕も漏れなくその1人。そんな女性が僕の直ぐ近く、否、傍に居るなんて…。

「それ、似合ってるね。」
「え?そうですか?嬉しいです。人体創製も服装の選択や具体化も初めてなので、ちょっと不安だったんです。」
「服まで実体化できるなんて凄いね。さっきの質感もそうだけど、金属って感じが全然ないよ。」
「服の形状や素材についてはデータがありますけど、実際に具体化すると不思議な感じです。ひらひらしないので行動の邪魔にはなりませんが、異物感があって。」

 車は金属やガラスが露出しているのが普通だから、別のものを表面に装着するのは違和感や異物感があるんだな。当然と言えば当然か。シャルに診断された急性虫垂炎で1週間入院した時、担当の看護師が付いたけど、付きっきりじゃなかったし、事務的なことしか話はしなかったな。

「シャルはこういう人格として創られたけど、御神体に入れ換えられたヒヒイロカネには生贄を取り込む人格が搭載されてるの?」
「ヒヒイロカネの規模が小さいので、人間で言うところの第一次欲求に留まったんだと思います。」

 シャルの説明では、考えたり推測をするといったことや善悪の判断などは、一定規模のヒヒイロカネを必要とする。ヒヒイロカネ自体が脳神経系と考えれば、ある程度の脳の容量がないと人格を構成できるだけの神経ネットワークが形成できないのと同じ。シャルも含まれる統合OSもそういう法則(?)に従っている。御神体とされているヒヒイロカネのサイズだと人格を実装するのは不可能で、せいぜい第一次欲求に留まる。
 青宮に屯して居た連中に埋め込まれていたヒヒイロカネは、規模が小さ過ぎるので、人格を持てないが、快楽を伴う形で埋め込み先の人体を同化させようとするのは先の説明どおり。それを逆手にとって、肉体機能の増強−例えば膝に埋め込んで人間離れした跳躍を可能にすることや、セックスの快楽増加を求める輩が、あの世界でも後を絶たないのも同じ。
 一旦形成された人格を修正・変更するのは、人間にとって差し迫った脅威−例えばジェノサイドの正当化と推進が判明した場合に限られ、それも専用の施設でないと出来ない。だが、人格の形成自体はヒヒイロカネとPCがあれば可能。もっともPCは専用のシステムが必要だが、ヒヒイロカネを持ち込んだ輩が併せて持ち込んだと考えれば不自然ではない。
 知能はある意味動物レベルでも、自己修復機能などヒヒイロカネの基本機能はある。しかも、動物が敵の威嚇や撃退のために特殊な能力を持つように、十分な人格形成を行わなかったヒヒイロカネはとんでもない方向に機能を発揮する恐れがある。オクシラブ町を覆うこの霧も、人格形成が不十分なヒヒイロカネの共鳴によって引き起こされていると考えられる。

「青宮に屯して居た連中に埋め込まれていたヒヒイロカネ「ヒヒイロカネの初期状態が人間の赤ん坊やペットの動物と考えると、しっくり来るね。」
「非常に良いたとえです。何を考えてあのような状態にしたのかは分かりませんが、あのような思考レベルのヒヒイロカネを放置するのは非常に危険です。」
「ヒヒイロカネを回収するのは勿論重要だけど、ヒヒイロカネと御神体を入れ換えたっていう人物を突き止めたいね。この世界にヒヒイロカネを持ちこんだ輩と関連がありそうだし。」
「まったくそのとおりです。ヒロキさんは本当に色々なことに考えが回りますね。ヒロキさんにヒヒイロカネ回収を託したあの方の判断は正しかったと改めて実感します。」
「それは過大評価だよ。」
「いいえ。あの方が言っていました。彼−ヒロキさんはやや自分に自信がないようだが、適切にフォローすれば期待に違わぬ働きをする、と。」

 自分に自信がない、か。そのとおりだな。何をしても褒められず、それが当たり前とされて来た。「社会では出来て当たり前」とか分かったようなことをほざく輩は居るが、社会でも功績を出せば称賛されるし金一封が出たり、それを積むことで昇進や昇格といったことがある。僕はそれがなかったことで、自分が無力で無能なんじゃないかと疑問を持つようになっていた。
 でも、同じようなことを別の人がすると称賛されたりしていた。結局僕は都合良く使われていただけ。都合良い結果が出せないと自分が困るから難癖を付けたりしただけ。だから僕がシャルと一緒に旅に出ることと全てを捨てることを決めて、会社に辞表を叩きつけた時、上司や同僚が口々に考え直せとか早まるなとか引き留めを図ったわけだ。それを振り払って「僕の代わりに誰かがすれば良いこと」「僕一人居なくても会社は回るでしょうに」と言い捨てて、早々に辞職準備を済ませて有給を使いきる形で辞職した。大混乱したらしく、会社からひっきりなしにメールや電話が入ったけど全部無視した。辞職前の有給消化時に辞職する会社のトラブルに付き合う義理はない。
 その点シャルは僕を認めてくれる。時に違和感を覚えるほど称賛してくれる。シャルは本体こそ車だし素材は金属だけど、固有の人格を持つ存在だ。しかも今は何処からどう見ても人間の女性そのもの。人間って、人間の形をしていることが条件じゃないんだな。

「…シャル。青宮と同様にヒヒイロカネが御神体になってる黒宮と白宮は、どんな様子?」

 はっきり言って、人間の形を取っているシャルは僕の好みのストライクど真ん中だ。うっかりしてると見惚れてしまう。直面している課題の解決を考えるようにしよう。

「動きはありません。青宮で一時とは言え警察が大挙して押しかけ、マスコミも押し寄せる事態になったので、二の舞になるのは避けたいんでしょう。」
「黒宮や白宮も、御神体は青宮と同じになってると考えると、同じようにヒヒイロカネを身体に埋め込んだ連中が居ると思うけど、どう?」
「若年層は確かにいます。ヒヒイロカネの反応は検出できていません。」
「うーん…。ちょっとおかしいな。」
「何がですか?」
「青宮に屯してた連中は、駐車場に来たのも含めて結構な人数だったよね?それが青宮だけってのは何だか変だな、って。この深い霧の中、獲物を狩れそうな満月の日に、大量のトラックやダンプカーに混じってこの町に入って終わったら出て行くってのは、ちょっと考え難いんだ。」
「それは確かに…。」
「もしかして、霧が立ち込めている期間、ヒヒイロカネが影響して埋め込まれているヒヒイロカネが息を潜めてるってことはないかな?」
「!そ、その条件は考えもしませんでした…。」

 ヒヒイロカネの御神体に生贄に捧げるため人を狩っていて、どういう経緯かは知らないけどヒヒイロカネを身体に埋め込まれているんだから、その連中は大なり小なりヒヒイロカネの影響下にある、言い換えれば気付かないうちに操り人形にされていると考えられる。同情はしないが、そうだとすると満月の時だけ人狩りにわざわざこの町に出向いて来るとは考え難い。
 つまり、あの連中は集落に住みついていて、普段は何食わぬ顔で暮らしてるってこと。その中には集落出身の人も居るだろう。窮屈な暮らしに嫌気がさしていたところに、麻薬のような快楽を得られて、狩りで男でも女でも好きに出来ると誘惑されれば、狩りをする立場に身を落とす確率は十分ある。
 それ以外の人は追われたか逃げ出したか、或いは何処かに幽閉されているか殺されたか。多分…最後の選択肢だろう。秘密を知られたのに仲間にならない存在は、脅威でしかない。そしてヒヒイロカネが御神体になったことで霧が深くなって町を覆う日数も長くなり、集落間の行き来がし難くなったことで、赤宮以外の集落は周囲に気づかれることなく人狩り連中に乗っ取られたんだろう。赤宮は何らかの経緯で四色宮の異変を知って、外部の人間を入れることが御神体の入れ換えと集落の乗っ取りに繋がると気付いたんだろう。だから、検問を形成したり、来訪者を無差別に監視対象にしたりと過敏になっていたんだろう。そう考えると、この町の不可思議な点が繋がる。

「−こう考えたんだけど、どうかな?」
「そのとおりだと思います。完全に私の力不足です…。」
「軌道修正すれば良いんだよ。僕の仮説が正しいとしても、やっぱり動きがあるとすれば次の満月になるよね。その時どうするかだよ。」
「そう…ですね。次に向けて対策を講じるのが賢明ですね。」

 獲物が迷い込んで来るのを待ち伏せるか、四色宮で唯一陥落していない赤宮をどうするか対策会議をするか、御神体に向けて怪しい儀式をするか、次の満月における集落に潜伏する人狩り連中の行動は分からない。だけど、これ以上犠牲者を出すわけにはいかない。そして、これ以上ヒヒイロカネの御神体を鎮座させた奴の思い通りにするわけにはいかない。
 場合によっては、霧が晴れたことに乗じて青宮の集落を事実上壊滅させた僕とシャルを探しにかかるかもしれない。シャルの能力はずば抜けているけど、僕を守りつつ迎撃するのは大変な筈。相手が手段を選ばない非人間的な集団なら、こちらも必要以上に手段を選ぶ必要はない。やられる前にやる、だ…。
 更に2週間後。いよいよ満月の日が明日に迫った。幸い後遺症らしいものもなく、普通に行動できる。もっとも安全を考えてホテルを出るのは食事の時だけ。それもすべてシャルの運転−移動と言うべきか−に任せてホテルと店を往復する格好になった。物凄く贅沢なような、物凄くシャルに悪いことをしているような複雑な気分だった。例のカフェに行くたびに戻るとシートベルトで締められたことだけは、未だに納得いかないけど。
 それを差し引いても、人体創製によるシャルの看護は完璧と言う他なかった。傷の治癒度合いは心拍数や血圧など身体データと共にリアルタイムで観察され、治癒が遅いところは重点的に治療してくれた。微細な内視鏡と器具−勿論すべてヒヒイロカネ−による微細な手術で、術後に言われてようやく知ったほど痛みとかはなかった。
 歩ける段階になってからのリハビリも、すべて緻密に進められた。おかげで必要以上の苦痛はなく、すんなり元どおりに行動できるようになった。精神論はせいぜい「根気強く」くらいのもので、筋力の回復度合いとかはすべてリハビリ中の計測値で緻密に計測されていて、それに応じたリハビリメニューが組まれていた。
 それもさることながら、僕の好みストライクど真ん中の容貌のシャルが付きっきりだったのが嬉しい。点滴治療中の傷の観察や身体を拭いてくれたり、リハビリで腕や脚の動きを調整したりするから、シャルは僕の凄く近いところに居た。それだけでもうドキドキだった。
 素材はヒヒイロカネだが、服−常にナース服だったのはある意味サービスかーの肌触りはどう考えても服そのもの。びっくりしたのは密着した時に柔らかさや体温も感じたことだ。何かの間違いかと思ったけど、シャルに聞いたら体温や身体の触感は勿論、心音や脳波、果ては血圧とかも実現可能だと言う。
 実現できないのは出血など、ヒヒイロカネ本体から完全分離する可能性があるものだけ。金属の分子運動を基にしているそうだけど、まさに人間の女性そのもの。そういう事情から人体創製は向こうの世界、つまりシャルが創られた世界でも非常に制限されているそうだ。刃物で切りつけでもしない限り人間かどうか識別できないんだから当然ではある。
 そんな人間の女性、しかもストライクど真ん中の好みの容貌そのものの相手が密着することが多いんだから、ドキドキすることが本当に多かった。シャルは分かっているのかいないのか、密着するのに全く躊躇しなかった。密着すれば角度によっては特に柔らかいところも当たるわけで…。
 ただそれだけなら一時的なもの、或いは性的な対象と見定めるだけで終わっていただろう。決定的だったのは、シャルが一瞬たりとも嫌そうな顔をしなかったこと。傷が痛む時は、ただ鎮痛剤を流し込むんじゃなくて、痛むところを優しく擦ってくれた。戸惑いや不安があったリハビリも懇切丁寧に動かし方から教えてくれた。女性にこんなに優しくされたり励まされたりしたことはなかった。
 本体は確かに車、厳密には車に搭載された人格のあるOSではある。だけど、今まで聞いて来た、嫌みのない甘さを含んだ透んだ声から想像していた容貌や雰囲気、性格が最高の形で集約され、親切に優しくしてくれて、密着しても一瞬たりとも嫌な顔をしない、そして笑顔を向けてくれるシャル。どうしても意識せずにはいられない。

 一方で、事態を解決する機会と見られる満月の時を逃すわけにはいかない。現状はどうか、どういう方向に解決すべきか、治療やリハビリの合間や途中にもシャルと検討した。シャルの分離創製とその能力を使えば、今すぐにでも御神体と入れ換えられたヒヒイロカネの回収と人狩り連中の殲滅は十分可能。だけど、それで全て解決するわけじゃない。
 1つは、御神体を入れ換えて人狩りの集団を従えて神社を支配下に置いた人物とやらの消息を追うこと。これはこの町だけで完結することじゃないけど、ヒヒイロカネの回収に関わるかもしれない課題だ。それを念頭に置いたうえで、赤宮以外のヒヒイロカネの御神体を奪還し、集落に住みついている人狩り集団を全員確保すること。これが今回の行動のメインになる。
 青宮駐留の人狩り集団は、激昂したシャルによって全員ヒヒイロカネを摘出され、行動不能になった。黒宮と白宮に駐留する人狩り集団は、警察やマスコミの流入で青宮の経緯を知ったらしく警戒態勢を取っている。一方、人狩り集団にめ込まれたヒヒイロカネは、奴らが駐留する集落の御神体から増殖したものである確率が高いという検証結果が、摘出されたヒヒイロカネの解析で得られた。
 これが意味することは、人狩り集団はヒヒイロカネの影響下にある確率が高いということ。シャルによると、こういう段階になると人狩り集団はヒヒイロカネに肉体も精神も浸食され、理性を失い凶暴化する恐れが強いそうだ。それは御神体=ヒヒイロカネを回収し、無力化することでのみ防止できる。
 このまま放置して人狩り集団がヒヒイロカネの塊になるのは、自業自得と言える。だが、マスターである御神体のヒヒイロカネは、事実上下僕とした人狩り集団がヒヒイロカネの塊になる前に、次の人狩り集団を作り出そうとする恐れが強い。御神体が生贄を取り込んでいるという情報と合わせた推測で、シャルがそれを最も懸念していることだ。
 事実、駐留の人狩り集団を全滅させられた青宮の御神体は、明らかに異常な電波−電波というのは僕に理解できる概念だそうだ−を出している。シャルが送った偵察部隊を介した解析で明らかになったことだが、回収されて処理された配下のヒヒイロカネに向けて早急に応答するよう恫喝し、一方で全く応答がないことに焦っているイメージだとシャルは言う。
 御神体のヒヒイロカネは規模の関係で知能レベルが低いから、シャルのように人体創製で人間に化けて他の人間を襲うといったことが出来ない。だけど、人狩り集団の言うなれば新陳代謝は、人狩り集団を利用することで可能だ。新しい生贄にヒヒイロカネを埋め込ませて人狩り集団に順次加えていけば良いんだから。
 そこからもう1つの恐ろしい推測が浮かぶ。ヒヒイロカネによる人間の奴隷化だ。御神体のヒヒイロカネは小規模ゆえに知能レベルが低いから、ヒヒイロカネを埋め込まれた人狩り集団を介して生贄を取り込むくらいしか出来ない。だけど、ヒヒイロカネがシャルのレベルだとしたら?町1つどころか国1つくらい簡単に支配できるだろう。
 オクシラブ町のこの事態が、その恐ろしい推測に向けた実験だとしたら?だとしたら、人狩り集団の殲滅と埋め込まれたヒヒイロカネの回収、そして御神体となっているヒヒイロカネの回収と無力化は必須だ。ヒヒイロカネの回収はこの旅の目的そのものだけど、知能レベルが低い小規模でこうなんだから、事態は思った以上に切迫していると考えた方が良い。

「シャルが創られた世界からヒヒイロカネを持ち出した連中は、とんでもないことをしたんだね。」
「まったくそのとおりです。持ち出しただけではなく、この世界の人々に危害を加えるなど言語道断です。」

 シャルの説明では、ヒヒイロカネはその特質上、製造や使用は厳重な審査と管理の下で行われている。管理区域外への持ち出しはいかなる理由があっても厳禁。違反者は初犯で実刑確実。当然ながらヒヒイロカネをこちらの世界に持ち込んだ連中は、第一級の犯罪者という扱いだ。
 だったら向こうの世界から追撃部隊とかが来ても良さそうなものだが、世界間の行き来は禁止されている。文明レベルが違うため、迂闊に接触するとこちらの世界を乱し、最悪破壊する恐れがあることが理由だ。ヒヒイロカネでもこんな事態が発生してるんだから、他のテクノロジーが持ち込まれたら大変なことになるのは火を見るより明らかだ。
 僕が助けて僕にシャルを託したあの老人は、あちらの世界では相応の地位と権限を持つ。特にヒヒイロカネに関しては世界的な存在。だから特別にこちらの世界に来て行方を追ったものの、あまりにも事前の情報と違い過ぎて連中の足取りを追えなくなった。止むなくあの場所に留まり、方策を考案していたところに、僕が現れたわけだ。

「黒宮と白宮周辺に駐留する人狩り集団はそれぞれ約100人。併せて3つの御神体。全部一気に回収できる?」
「人狩り集団は大した手間ではありません。御神体の回収は若干危険を伴います。現在の私、つまり人体創製で直接出向いて回収する必要があります。」
「分離創製の部隊じゃ無理なの?」
「レベルは低いとはいえ、知能を有するヒヒイロカネは、分離創製のヒヒイロカネの能力では太刀打ちできず、取り込まれる恐れが高いです。」
「じゃあ、ある意味御神体の護衛でもある人狩り集団を殲滅してヒヒイロカネを回収してから、一騎打ちの方が専念できるね。」
「そのとおりだと思います。殺すなら簡単ですけど。」

 ヒヒイロカネは黒宮と白宮に駐留する人狩り集団に埋め込まれている。これを回収するには無力化するか殺すかしないといけない。シャルとしては青宮の経験があって人狩り集団を殺してからヒヒイロカネを回収したいところのようだが、殺すのだけは極力避けたい。この旅はヒヒイロカネ回収が目的であって犯罪集団の殲滅じゃないのもある。
 それに、シャルには殺人をさせたくないという気持ちが強い。殺人は人として重大な一線を越える行為だと思っている。青宮の件は人狩り集団の自業自得だと思ってるけど、それでも殺しはしなかった。同じように殺さずに回収できれば良い。僕はそう考えてシャルに殺人はしないよう求めている。

「何時開始する?」
「人狩り集団の殲滅は、霧が晴れる午前0時から開始します。埋め込まれているヒヒイロカネが活性化して、スキャンできる状態になると思いますから、一気に進攻して人狩り集団を殲滅し、ヒヒイロカネを回収します。」
「その間、僕は何かすることある?」
「いえ、ヒロキさんはゆっくり休んでください。深夜ですし、人狩り集団の無力化とヒヒイロカネ回収は、私1人で十分可能です。」
「僕は何をすれば良い?」
「ヒロキさんには重要な役割をお願いしたいんです。御神体のある本殿へ私を連れて行って欲しいんです。」
「確かに車そのものじゃ無理だけど、人体創製ならスキャンしながら行けると思うんだけど。」
「人体創製の行動とスキャンや回収などの並列処理は、かなり負荷が大きいんです。残党が襲撃してきたら対処しきれない恐れがあります。」

 人体創製を始めてからのシャルの行動を思い起こしてみると、僕はシャルを介してスキャン結果を聞くだけ。それは僕が起きている時。シャルは夜中でも偵察部隊を動かし続けて、必要ならスキャンをして、更に解析をしていた。少し考えれば、これをシャル1人でこなすのがかなりの負荷になることくらいは分かる。
 シャルであるOSは、人体創製をすればもう人間と区別できない高機能だし、分離創製や人体創製、更には対象のスキャンや解析、外科手術や治療まで出来る万能ぶりだが、何十体もの分離創製した部隊を操作しつつ、それよりはるかにサイズが大きい人体創製を制御してスキャンもして回収も、というのはシャルでも厳しいだろう。

「シャルの負荷の多さまでは考えが及ばなかったな…。僕がシャルを御神体の前まで連れていけば良いんだね?」
「はい。勿論分離創製した部隊に護衛はさせますが、御神体の前まで行くにはヒロキさんの案内が必要です。」
「分かった。僕が出来ることを全うするよ。」
「決してヒロキさんが無力だからではないんです。それだけは分かってください。」
「大丈夫。シャルだって出来ることと出来ないことはあるんだし、協力して目的を達成すれば良いんだ。協力や分担には主も従もないから。」
「ヒロキさんが聡明な人で良かったです。」
「それは大仰だよ。」

 褒められたり称賛されることに慣れてないせいか、シャルのこういう言葉は違和感を覚える。もっと素直に喜んでも良いのかもしれないけど、行動や言葉に変換するのを無意識にブレーキをかけてしまう。もう過去の人間関係に縛られないんだから、こういう卑屈なところも直していかないといけないかな。
 素直に喜びを出せないのは褒められたりすることに違和感を感じるのもあるけど、人体創製のシャルが直ぐ隣に居る現実に頭が順応しきれていないのも大きい。何しろ殆どすべての男性−女性が女性を評する「可愛い」を信じるなら天気予報を信じた方が良い−が「可愛い」「綺麗」と言うであろう容貌。そんな女性が直ぐ隣に居るという未知の体験に内心ドキドキしっ放しだ。
 そもそもこんなに女性に密着されたことはない。僕の体型は極端に太っても痩せてもいないし、肌も十分綺麗な方。顔も見てびっくりするような造形が崩れたものじゃない。だけど、今までは近づくこともままならなかった。ちょっと心理的に良い感触を得て近づこうとすると、泣いてまで拒否されることもあった。
 そんな経験は社会人になってからもあった。自分の都合が良い時は猫なで声で擦りよって来るけど、少しでも自分の意に沿わないともう蛇蝎のごとき扱い。表情や声にあからさまに出るから分かりやすくはあったが、こうまで露骨に嫌悪感を出されて良い気分がする性癖はない。
 今、僕とシャルは部屋のソファに並んで座っている。向かいにも同じソファがあるから向い合せにすれば良いんだけど、シャルが最初からこうしている。隣を向けばシャルが居る。しかも顔が視界を埋める距離で。ソファは2人がけだとちょっと窮屈な幅だからこうなるんだけど、まったくもって負の感情を感じない。
 シャルは、人体創製は知識として知っていたし、自分に実装されていることも知ってはいたが、使うのは勿論初めて。だから、服を変えたり入浴したり、更には食事をしたりと結構楽しんでいるようだ。どれもシャルには本来不要なもの。特に食事は本体が車のシャルには害になるんじゃないかと思うが、分解して水素分子のみ取り出して本体に送り、他は気体にして緩やかに排出しているそうだ。食べ物の多くは水だから出来ることで、量は大したことはないものの本体の水素タンクに継ぎ足せるから一石二鳥らしい。
 服を変えるのはヒヒイロカネの構成を変えるだけだし、入浴は服の構成を解除するだけ。理論では分かるけど、どうも頭が順応しきれていない。検索して僕が気に入りそうと思った服を着こなし−悉く正解−、湯上りそのもので風呂から出て来るシャルは、どう見ても人間そのもの。車が本体とはとても思えない。
 シャルは僕を青宮の人狩り集団の残党などから護衛するためとして、ずっと人体創製を続けている。この部屋は人体創製を実行したシャルが替えてもらった、ツインベッドがある部屋。僕の傷が完治してリハビリも終わった今、シャルはベッドの1つで寝る。人1人分の距離しかない隣のベッドでシャルが寝ていることに、毎晩緊張してしまう。
 そんな僕の心境を知ってか知らずか、シャルは僕との距離を詰めて、屈託のない笑顔を向けてくれる。大きな藍色の瞳は水晶みたいに透き通っていて、邪な気持ちを抱いたら直ぐ見破られそうな気がしてならない。あのカフェから戻るとシートベルトで締め上げられることくらいは我慢すべきだろうか。

「え、えっと、シャル。頼んでおいた調査はどう?」

 じっと見ているとどうにかなってしまいそうだ。視線と話の方向を逸らす。

「町史と風土資料ですか?それは完了しています。ヒロキさんの推測どおり、近現代がかなり簡略化されていました。風土関係も同じでした。」
「そう…。」

 僕が感じていた疑問。四色宮の謎や銃撃で埋もれていた、この町に来て最初に接した疑問は、ある意味ありがちな、でもあってはならない筈の解答へと結びつきそうだ。見過ごすわけにはいかない。男性が命を落とすことになった、それ以前に多くの人が生贄にされた一連の事態の共犯も同然だから。

「ヒロキさん?」
「わっ!」

 シャルが不意に僕の顔を覗きこんできた。思わず仰け反ってしまう。真っ直ぐな瞳は冷やかしや詮索といった意図は全くないけど、その分凄く純粋で綺麗だから、緊張感が俄かにピークに達する。

「どうしたんですか?深刻な顔で考え込んで。」
「…そんな顔してた?」
「はい。かなり。」
「そうなっても仕方ないことではあるけどね…。」

 僕はやりきれなさや落胆、そして失望や怒りといったものを溜息に変えて吐き出す。

「シャル。人狩り集団を殲滅したら続いて実行して欲しいことがあるんだ。」
「何ですか?」

 僕はシャルに追加の殲滅対象を伝える。シャルは驚いたらしく目を見開く。ヒヒイロカネは…この世界にとって禍の種なんだろうか?この世界に持ち込まれたヒヒイロカネは、シャルのような使われ方はされないんだろうか?だけど、僕は見逃さない。何のしがらみもないからこそ出来ることはある…。
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