雨上がりの午後

Chapter 325 新生活での初デート

written by Moonstone

 俺にとって社会人生活最初の日曜日。朝から、否、昨日から晶子は物凄くご機嫌だ。

「お待たせしました。」

 着替え場所を兼ねる寝室から出て来た晶子は、一言で言えば「輝いて見える」。ブラウスにジャケット、働きに出る時は穿かないロングスカートはどれも新規に買ったものじゃないが、昨日念入りにアイロンをかけていただけに引き締まっている。それらが細いウエストで一旦集約されることで、シルエットに明瞭なメリハリを生んでいる。

「俺が気後れしそうだ。」
「何言ってるんですか。どんどん誇ってくださいよ。」
「その方が難しい。」

 去年の夏に学会発表準備の合間を縫って晶子とデートした時、待ち合わせ場所の駅前に来ていた晶子は周囲の注目を集めていた。待ちぼうけを食らったようなら声をかけてみようか、という感じで様子を見ている輩も居た。取り立てて着飾ってなくて多くの人の流れがある中でもそうだった。
 あの時と違うのは俺と晶子が結婚しているかどうかだが、指輪は小さいから看板でもつけて歩かない限り簡単には分からない。年齢もまだ+1になってないから、大学生くらいのデートにしか見えないだろう。別に堂々としてりゃ良いんだが、これだけ輝いて見える相手が隣に居ると、俺は晶子と違う意味での視線を集めるのは予想出来る。
 ともあれ出発。晶子の手には大きめのバスケットがある。俺は水筒を肩に下げている。この時期恒例となっているピクニックは花見を兼ねて、小宮栄市北部の庄田川に行くことにした。晶子が店で仕入れて来た情報を元に調べてみたら、桜の名所の1つだという。職場がある市でも行かない場所には全く知らない世界があるもんだ。
 今日デートをすることは、晶子が今日休日だと決まった時点でほぼ自動的に決まったようなもんだ。土日休みの俺に対して、定休日の月曜にプラス1する形の休日になる晶子は、日曜でも丸々休日になるとは限らない。しかも天気は全く問題ないことは空模様から確実。晶子にとっては願ったり叶ったりだろう。
 状況がお膳立てしているようなものだったから、晶子が上機嫌にならない筈がない。店の出勤が遅番だった昨日も買い物から帰ったら物凄い勢いで仕込みを始めたし、今朝は今朝で何時から起きていたのかと思うくらい台所仕事に没頭していた。その前の夜は乱れるわ奉仕するわで、終わった頃には俺は全体力と共に魂を吸い取られた気分だった。
 俺から吸い取った体力と精力を弁当作りに分配したんだろうか?だが、チラッと見えた限りでも−「後のお楽しみ」として台所に入れてもらえなかった−バスケットには旨そうな料理がぎっしり詰まっていそうだから、それとの引き換えと見れば安いもんだ。寝ればそれなりに回復するし。
 家を出て徒歩で胡桃町駅に向かう。少し距離はあるがデートだから目的地に行くまでの時間も楽しみたい。雲一つなく綺麗に晴れ上がった空からは暖かい日差しが降り注ぐ。風はなく、昼頃には少し暑いくらいになるかもしれない。こういう日は歩いて行くと、空気を全身で感じられて気持ち良い。

「祐司さんは、通勤定期になるんですよね?」
「ああ。今度は方向が正反対になるな。」

 切符を買ったところで晶子とそんな会話になる。晶子は3月末で定期を使う生活から離れたが、俺は種類と方向が変わって続くんだよな。

「週明けに色々手続きがあるそうだから、その帰りとかに買うと思う。通勤手当の申請の仕方の説明もあるらしい。」
「通学定期とは勝手が違うんですね。」
「通学定期は通学証明書だったか?それが必要だが、通勤定期は定期の写しを書類と一緒に提出して、必要額が給料に合わせて振り込まれる形らしい。」
「ある種の信用取引ですね。」
「そうかもな。でっち上げたら多分首だろうし、犯罪にもなるんじゃないか?その辺はよく知らないが、そんな危険を冒す理由はない。」

 恐らく週明けに提出する住民票でどの辺から通勤するのかは把握出来るだろうし、仮に誤魔化して多く通勤手当を得ようとすれば、最悪首だろう。俺1人でも前科がつくのは御免だが、晶子が妻として一緒に暮らしているのにそんなことをするのは、頭がおかしくなったとしか言えない。
 そう言えば、この改札もカードが使えるな。小宮栄の地下鉄はカードを持っていることが前提のような人の流れだったが、地下鉄と同じカードが使えるのかは知らない。ただ、近々相互利用が始まるそうだし、毎回買わなくてもカードを触れさせればきちんと料金が引き落とされて改札を通過できるから、カードを持つことが前提になるのはそう遠くない話かもしれない。
 電車は割と混んでいる。到底座れる余地はない。とは言え、俺は丸4年、晶子は現在進行形で立ち仕事をしているから立つことには慣れている。電車で立つにしても、ドア付近は詰まっているが−多分降りやすくするため−通勤通学ラッシュでなければドアとドアの間あたりの空間に入れば結構余裕がある。
 晶子にはバスケットを網棚に乗せてもらう。結構重いだろうし−結構食べる俺のことを考えていっぱい入れている−、電車の中では混雑次第で邪魔になる。何せ晶子は着飾っても居ないのに半端じゃなく人目を引くから、面倒な輩とのトラブル要因は事前に減らしておくのが賢明だ。
 恙無く小宮栄に到着。そこから地下鉄の南北線のホームに向かう。地下鉄は最初に開通したらしい東西線のホームはかなり近いところにあるが、開通した順だろうか、だんだん遠くなっていく。俺が通勤で使う港湾線は中間くらいで、南北線は東西線の次に近い。

「えっと…。5番目の駅だな。」
「この路線は初めてです。」
「俺も初めてだな。高校の時何回か小宮栄に来たけど、行く場所が決まってたから東西線ばかりだったからな。」

 晶子が去年就職活動で奔走していた時に地下鉄を使ったそうだが、説明会会場に使えるくらい広い場所はそんなに多くないから、使う路線は東西線と港湾線、それと花通(はなどおり)線に限られていた。嫌なことを思い出さなくて良いから、初利用となる南北線の沿線にあるのは幸いだろう。
 目的は同じなのか、家族連れやカップル、友人同士らしい大小の集団がそこそこ居る。少ししてホームに流れ込んできた電車は、乗る人の方が多い。車内の構成も似たような感じ。やっぱり殆ど人が来ないような穴場というわけじゃなさそうだ。花見にそんなことを期待するのが間違いだろうが。
 殆ど黒一色に時折照明が見える程度の単調な風景が続き、最寄り駅の庄田堤(しょうだつつみ)駅に到着。ドアが開くと殆どの乗客が雪崩を起こしたように降りる。ドアとドアの間くらいに居た俺と晶子は、最後の方で降りる。ふと車内を見ると、長椅子にポツポツ座っているくらいの閑散としたものになっている。
 人の波に乗って移動。地下鉄の宿命(?)である出口への階層移動は、割と空いている階段を使う。何だかフィルターみたいに見える改札の風景を抜けたところで、先に帰りの切符を買っておく。帰る時刻は何時になるか分からないが、その頃人が殺到して混雑している可能性は十分ある。
 外に出たところに周辺地図がある。俺と晶子が出た3番出口から道路を縦断していくと庄田川があって、桜のイラストが並ぶあたりが花見のスポットである庄田堤。方角で言えば北へ直進。これなら迷う恐れは殆どない。緩やかに気温が上がっているのを感じつつ、晶子と一緒に庄田堤へ向かう。
 このあたりは小宮栄の北、北区にあたる。庄田川近隣は比較的最近開けたところらしく、平坦な地勢に計画的に整備された広い車道、そして割と似通った形状の家が並んでいる。街路樹はポプラとツツジで統一されているところにも、計画的な整備が感じられる。
 庄田川に近づくと、立ち並ぶ家が若干古く、一方で形状のバリエーションが増える。この地域は昔からある住宅街のようだ。そして、ピンク色のブーケのような塊が幾つか見えて来る。

「これは…。」
「綺麗ですねー。」

 堤防脇の坂道を登ると、一気に視界が開ける。広い川の両側に広大な面積を持つ堤防があって、川に近いところに桜並木がある。堤防というより広場みたいな広さで、堤防を川の方に降りると駐車場があって、遊具もあれば運動場もあるし、花見客を見込んでか屋台も出ている。これだけの広さがあれば花見客を十分収容出来る。
 小宮栄と言うと林立する高層ビルとそこに入居する企業のオフィスというイメージがまず頭にある。その次が豊富な店と潤沢な交通システムで、広大な敷地を伴う遊園は全くの予想外だ。高層ビルはまず撤去のしようがないから中心部はオフィス街や大規模ショッピングエリアのままだが、それ以外は住宅街と遊び場が中心なのかもしれない。
 さて、どこにするか…。「入口」の坂道付近は既にいっぱい。その近隣もやはりいっぱい。歩きながら探すしかないか…。

「良いお天気ですし、歩きながら場所を探しましょうよ。」
「その方が良いな。待ってても空くとは思えないし。」

 晶子から言い出したのに乗じて、歩いて場所を探すことにする。まだ午前中だが先客は宴もたけなわ。桜は満開寸前で丁度見ごろだが、桜の下で宴会に興じているから、桜そのものは話題にはしても見入ってはいないようだ。歩いている時くらいしか桜を見ないのは花見の共通事項だろうか。
 川沿いに歩いて行く。やはり桜の真下や近いところは先客が居る。桜に近いところは望まない方が良さそうだ。少し離れたところ、特に川近くに設けられている木製のベンチは、先客こそいるもののそこそこの空きがある。背凭れはないからどちらを向いても差し支えない。

「空いているベンチにするか。」
「はい。少し遠くても桜は十分見えますよね。」

 場所が決まれば話は早い。近くの空いているベンチに並んで腰を下ろす。川を背にする形で座れば間近ではないものの、視界をかなり埋める形で桜の大樹が見える。見上げなくて良い分、こちらの方が姿勢は楽かもしれない。
 場所を確保出来たら弁当、といきたいところだが、少し早い。俺が持っていた水筒の茶を飲んで喉を潤しつつ、桜を見る。本来の意味での花見だ。こうして見ると桜は1本1本がかなり大きい。丁度俺と晶子の正面に見える桜は、かなりの年月を感じさせる。近年整備された場所だが木は別の場所にあったものだろうか?

「此処って、昔から桜並木があったんだそうです。」

 弁当が入ったバスケットを最後まで持ち運んだ晶子が一息吐いて言う。

「10年ほど前に河川整備と同時に市の緑地公園として整備される際に、それまであった桜を伐採しようと計画されていたんですけど、周辺住民の皆さんが反対運動を起こして、結果それまでの桜を残したんだそうです。」
「10年ほど前っていうと、それほど昔じゃないな。そんなことがあったのか…。」

 日本で何かの反対運動というと、一般的に何故か印象が良くない。「お上に楯突く不届きな輩」という印象操作の賜物だろう。だが、自分達の生活や環境を守るため、それが理不尽な理由で奪われたり阻害されたりすることに対して、期間は長いし費用もかかることで知られている裁判も含めて行動を起こしたことをどうして揶揄出来るんだろう?
 この反対運動にしても、「円滑な行政を阻害するな」とか難癖をつけられたりしただろう。妙な正義感に駆られて何処からでも抗議の電話や手紙をよこす輩は居る。だが、その反対運動があったことで桜は守られ、緑地公園の一部としてこうして花見客を呼んでいる。それについて自称「正義の味方」はどう弁明するんだろう?

「少し早いですけど、お弁当にしましょうか。」

 暫く茶の入ったコップ片手に本来の花見をした後、晶子が切り出す。食べたかったのは山々だし、台所に入ろうとしたところで遮られたくらいだから、何が詰まっているのか楽しみでならない。
 晶子がバスケットを膝に乗せて蓋を開ける。おにぎりとサンドイッチが詰まっている。勿論これだけじゃない。それをトレイのようなものと一緒に取り出すと、その下に様々なおかずがぎっしり詰まっている。鶏のから揚げは勿論あるし、サラダに煮物、照り焼き、串焼きなど弁当のおかずとして思いつくものが大抵ある。

「これまた張り込んだな。」
「昨日の仕込みから楽しみにしてましたから。…祐司さんにはたくさんもらいましたし。」
「あれが今日のこの弁当に変化したなら安いもんだ。」

 晶子も意識していたようだ。晶子が主導権を持つと俺は根こそぎ吸い取られて、寝た筈なのに疲れがあったりする。一方で晶子は元気そのもので、普段より朝が早くてもケロッとしている。晶子がある意味本気になることで俺から体力を吸い取り、自分のものにしているんじゃないかと思えてならない。
 だが、台所をフル回転して作り込んだだけあって、適当に選んで口にしたものはどれも納得の味だ。サンドイッチも少しずつ挟むものを変えているし、おにぎりは別途海苔を巻いて食べる本格派。から揚げも照り焼きも何時もの味で、安心して食べられる。

「この串焼きにしたものって何だ?ミートボールっぽいけど。」
「つくね焼きですね。簡単に言えば鶏肉のミンチで作ったミートボールですよ。」

 醤油ベースのたれがあっさり味で旨い。そう言えば昨日の買い出しで肉コーナーで色々買ってたな。一口ハンバーグになっている合挽き肉は分かるが、鶏肉にもミンチってあるんだな。晶子は狙いを定めて買うものを次々買い物籠に入れて行くから、よく見ていないと分からない。

「これは…初めてだよな?」
「ええ。串料理を入れることは決めてたんですけど、そういえばつくね焼きは作ったことがなかったなと気づいて。」
「から揚げは勿論良いけど、これも良いな。ミートボールよりあっさりしてる。ちょっと焼き鳥っぽいし、面白い。」

 味がくどくないから食べやすいし、もっと食べたくなる。このつくね焼きにしても、初めて使う食材をいきなりきちんと食べられる料理にすることを、晶子は簡単にやってのける。俺が手を出したら意味不明な物体になるだろうし、味は論ずるまでもないだろう。
 晶子に言わせれば、食材が全く未知のもの−例えば高級食材とされるフォアグラとかだと流石に分からないが、普通のスーパーで買える食材なら、これとこれを組み合わせてこういう味付けをすればこういうものになる、という想像が出来るそうだ。つくね焼きもミンチとはいえ鶏肉だから、晶子にとっては苦労しない範囲だろう。
 その領域に達するには、相当な回数の修練が必要だろう。晶子が台所仕事を手伝いと後片付け以外はさせないのは、今も新しいレパートリーを開拓することも兼ねての修練を続けていて、その機会を減らしたくないためかもしれない。安心して料理を食べられるのは勿論あり難いが、そこまで料理を委任して良いものか、とも思う。

「たくさん作りましたから、遠慮なく食べてくださいね。」
「晶子も食べよう。一緒に食べないと楽しくない。」

 俺が食べる様子だけ見ていてもつまらないだろう。晶子自身はそうでもないようだが、やっぱりこうして気合を入れて作られた弁当を、目的地で2人で味わうのが良い。サンドイッチを2つ取り出して1つを手渡したりするのも今だから出来る楽しみの1つだ。
 酒はない。俺は明日仕事だし、研修初日だから欠勤は基本的にすべきじゃない。ましてや二日酔いで欠勤なんて話にならない。それを見越して晶子は酒を持ってこなかった。俺が持ってきた水筒に緑茶が入っているだけだ。だが、それで不満はない。酔うなら明日の心配が不要な状況で酔いたい。
 それに、飲むより食べる方が好きだ。利き酒が出来るほど酒に詳しくないのもあるが、酒は買うもの以外に選択肢がない。その点、食べることは買うこと以外に晶子の料理を食べる選択肢がある。酒との決定的な違いだし、その選択肢を選びたいから食べる方が好きだ。
 鶏か卵かの話みたいだが、晶子の料理を食べる選択肢があるなら迷わず選ぶ。バイトでの食事を除いて晶子の料理を食べることが日課になって1年少々だが、もう俺の生活には欠かせない。別に変な薬や材料を使ってるわけじゃないのに、食べずにはいられないと思うほどのある種の中毒性を含んでいるのは、やっぱり味のせいだろう。

「晶子の料理を食べられるのは、俺の特権だな。」
「そうですよ。お店は仕事ですからそれはそれできちんとしますけど、家庭料理は家族−今は祐司さんと私だけのものですから。それにこういう時は特別気合が入りますよ。」
「今朝台所に入れなかったのは、出来てからのお楽しみを保っておくためなのもあっただろうけど、気合を入れたところに集中を削がれたくなかったからか?」
「前者が7で後者が3くらいです。台所仕事は私の仕事にしたいですから、私一人に任せてほしい、って思って…。」

 今朝若干のけだるさを覚えながら音がする台所に入ろうとして、やや焦った様子の晶子に遮られてリビングで待つしかなかった。朝飯は少しして出て来たが、いそいそと食べて食器を持って台所に戻った晶子は、珍しく鬼気迫るものを放っていた。
 確かに集中を削がれるとげんなりする。それ以外に晶子は家の台所は自分専用の場所と思っている。食材や調味料を買ってきて収納するのは晶子だし−俺は晶子の指示で手伝うだけ−、それは晶子が料理をするうえで都合が良いように配置されているのは間違いない。
 今の家に決めたのも、晶子がコンロ3つを使えて台所自体が広いのを気に入ったことが大きな要因だ。前の家も一応2つあったが基本的に単身向けだったから手狭だったし、2人分の料理だけじゃなく弁当も作ってくれるようになると尚更場所のやりくりに苦労しているようだった。それが解消出来た今はまさに自分の城なわけだ。

「今の時代にはそぐわないと思いますけど、台所仕事は私の仕事にしたいんです。今日は祐司さんと休みが合って朝からお出かけ出来るってことで、尚更頑張れましたし…。」
「俺はまったく異論はない。ただ、晶子が体調を崩したり、この先子どもを産んだりする時に、俺もある程度は出来るようにしておきたいだけだ。」
「そういう考え…、凄く嬉しいです…。」
「子どもは晶子だけの問題じゃないからな。俺も出来ることはしたい。」

 俺が料理で晶子の領域に達するには、少なくとも10年はかかると見ている。それは晶子の料理に関する仕事を全部すると仮定した場合の話で、実際は多分20年で到達できるかどうかも怪しい。生煮えの煮物や焼け焦げた焼き魚とか食べたくないし、やっぱり毎日の生活に欠かせない食事は晶子に任せたい。
 だが、任せきりじゃ駄目だ。特に晶子が望む、そのために勇み足を承知で俺を結婚という手段である意味抱き込んだ妊娠・出産と育児は、やはり晶子がメインになるだろうが、その分今の料理をはじめとする家事に割く労力が少なくならざるを得ないだろう。言葉による意思疎通が出来ない時期すらある子どもを相手に24時間格闘していたら体力も気力も厳しい。
 それに、晶子はかなり健康な方だが、不安定になる時もある。現に去年、晶子が体調を崩して1週間寝込んだこともあった。あの時は潤子さんから作り置きや簡単に出来る料理のレシピを貰って、それを参考にどうにか乗り切ったが、今後もそうならない保証はない。出産前後に入院となれば尚更だ。
 何もかも平等というのは無理がある。挑戦したい人に対する機会の均等は保障されてしかるべきだが、何が何でも平等にして均等に分担すれば良いもんじゃない。そんな機械的なやり方が通用するほど人間は均質じゃないし、そういうことを推進する輩は個性の尊重と言いつつ、平等を信奉しすぎて個性を度外視しているのが滑稽だ。

「何時か…子どもも一緒にこうしてお花見に来たいです…。」

 晶子は俺にもたれかかって来る。酒を飲んでないのに狼狽せずに受け止められる。やっぱり…法的に正式な夫婦になったのが影響してるんだろうか。

「正直…、子どもを作るのはその気になれば出来るよな。何時作るかだけが問題であって。」
「はい…。今の生活で唯一悩みがあるとすれば、そのことだけです…。」

 晶子としては子どもは今すぐにでも欲しい。だが、産めば良い、後は勝手に育つというほど子どもは簡単なもんじゃない、むしろ産んでからが大変で重要だということは、めぐみちゃんに関わる一連の流れで痛いほど経験した。それが晶子の強力なブレーキになっている。
 晶子にとっては心を常に左右に激しく揺さぶられるような気分だろう。子どもが欲しいという強い欲求と、子どもに安全で安心な環境を用意しておきたいという強い理性の激しいせめぎ合い。どちらが勝ってもおかしくない戦いだし、晶子はどちらに軍配を上げるか常に迷っているようなもんだろう。
 贅沢な悩みかもしれない。だが、晶子当人にとっては切実な問題だ。揺らぎ続ける迷いを、晶子は性欲に変換して発散しているのかもしれない。大きな一線を越えるごとに、そして回数を重ねるごとに晶子が激しく乱れ、主導権を持つや俺の魂を精力ごと吸い取りそうな勢いになることが、その証明と言えなくもない。

「どうしても欲しくなったら…、作ってしまうのも良いかもな。」
「そう…でしょうか…?」
「金銭的な問題は少なくとも危機的じゃない。幸いにして俺も晶子も浪費と無縁だったから、共同の口座の分だけで出産まで十分賄えるくらいあると思う。」
「…。」
「少し調べた限りだが、新京市には妊婦健診や出産の補助がある。それを使えば実質1/3くらいで済む。母子健康手帳の申請に市役所に行く必要があるし、その時検診の券を貰えるそうだ。回数制限はあるが、15回あるから1カ月に1回のペースで大抵間に合う。」
「…。」
「まったく何も準備しないで行き当たりばったり、ってのは流石に問題だが、色々な補助がある。それを利用すれば意外と出費は抑えられる。それより、子どもを大切に育てる、何せ泣くしか意思表示が出来ない子ども相手にきちんと向き合える体力や気力の方が大事かもしれない。」

 調べてみると、妊娠・出産から育児まで公的な補助は色々ある。検診は15回まで無料なのをはじめ、出産では1人あたり10万円の補助金が出る。子どもの通院・入院は中学卒業まで無料だから、兎角病気や怪我をしがちな乳幼児期でも医療費に戦々恐々となる必要はない。
 俺と晶子の共同名義の口座には7ケタの金が入っている。これだけでも当面の子育てとかは問題ないだろう。それより、3時間か4時間おきに授乳する必要がある乳児期にきちんと授乳をしたり、その間家事を引き受ける体制を用意したり、ある程度成長したら躾をきちんとするとか、そちらの方が重要だと思う。
 産むだけで親になるんじゃなくて、子どもをきちんと躾けられて子どもの手本になり、悪いことをすれば叱ることが出来るのが親だと思う。簡単なようだが、意外とこれが出来てない。「自主性を伸ばす」との名目で放置したり、何をしても叱りつけたりと極端で駄目な事例が目立つ。
 だから、金銭的な心配よりも親として子どもに接する心構えや協力体制を心配して、問題があれば対策する方が良いと思う。生活が落ち着いたら、とするのも目処の1つだが、それだと俺が仕事をひととおり出来る10年くらい先の話になる。そこまで先送りすることが良いとは思えない。

「だから、晶子が欲しくてたまらないってなったら作っても良いんじゃないかと思う。その時は…勿論協力する。」
「しっかり…考えてくれてるんですね…。」
「アメーバみたいに細胞分裂で出来るんじゃないし、俺と晶子の子どもだから他人事じゃいられない。俺が多少知ってるのも、晶子の部屋選びのおかげだし。」
「?どういうことですか?」
「新居選びの時、晶子は今後のことを考えると多少家賃が高くなってもインターネット対応の方が良い、って言ったこと、憶えてるか?新京市の出産や育児の補助についてインターネットで調べた結果だ。」

 大学では無料で何時でも使えたインターネットは、自宅では当然一定のコストがかかる。月単位では1000円程度とはいえ、それだけ払ってまで使うことや理由はあるのかと訝ったことがある。晶子は色々な理由を挙げてインターネット対応の家が良いと言ったが、月1000円くらいなら良いかという安直な考えで賛同した。
 本来なら市役所に出向くなりしないと分からない−もしかすると市の方も出来れば補助をしたくないのかもしれないと穿った見方も出来る−こういった情報は、市役所のWebページを見ると続々出て来る。その中で当面必要になる情報を書き出しておいた。2日間の春休みに暇潰しがてらしたことだ。

「そんな感じで制度として存在するなら利用すれば良い。申請とかは俺もするし。」
「そう…ですね。何だか…もっと子どもを持つことに前向きになっても良いような気がします。」
「準備と言えば、俺はひととおり料理が出来るようになることかな。これは時期を問わず必要なことだと思う。もっとも俺は仕事を覚えながらになるからそう簡単には上達しないだろうが。」
「祐司さんなら大丈夫ですよ。私が寝込んだ時、あれだけ美味しいものを作ってくれたんですから。」
「あれは潤子さんのレシピを見ながらだったからな…。」
「レシピを見ながら作るのは何も不思議じゃないですよ。最初は人に教わるか本とかを見ながらですから。料理は一種の暗記作業ですよ。」

 暗記作業は高校までで散々経験した。暗記は詰め込み教育だから良くないという向きもあるが、限られた期間で必要なものをひととおり使えるようにするには−生涯或いは任意の期間に学校に通えるシステムは今のところ日本にはない−暗記をせざるを得ない場面は多い。それに、英単語とか数学の公式とかはある程度暗記しないとどうしようもない部分がある。
 レシピを無視して自己流の味付けをすると、悲惨なことになりやすい。料理が下手な人が陥りがちな失敗だが、まずはレシピを見ながらそれを忠実に真似ることで、最大公約数に受容される味が出来る。そこから自分若しくは相手の好みに合わせて味を調整するのが料理の基本かつ王道だ、と以前潤子さんが言っていた。
 晶子と双翼体制で店の看板であるメニューを支える潤子さんも、やはり最初から何でも出来たわけじゃない。特にマスターと結婚して店の中核を担うため、調理師の免許を取って懸命に練習したそうだ。詳しくは知らないが相当なお嬢様だったようだから、包丁を使うところから始めたのかもしれない。
 レシピを見ながら作ることを繰り返し、それと併せて仕込みや片づけ−これをしないと次の料理が出来ない−を効率良くこなす手法を編み出して、食材の買い出しから片付けまでシステムとして確立した料理となるんだろう。だから、そのシステムの一環である台所に迂闊に入られたくないと思うんだろう。
 料理も暗記作業となると、やはり回数をこなさないと自分のものにならない。台所は晶子の居場所だし俺が最初から色々やろうとしても、調理器具や食材の位置をきちんと把握するところから始めないとまごつくばかりだろう。晶子に教わりながら練習するに限る。

「晶子が慎重になるのも無理はない。初めてのことだから思っていたことと違うってことはあるだろうし、今までのことが出来ない、やり難いってことも出て来るだろうし。」
「それも…ありますね。」
「やっぱり俺と晶子で十分な合意が出来た時、だな。子どもを作るのは。それまでは準備をしながら2人きりを楽しんでおこう。子どもが出来たらそう簡単に2人きりにはなれないんだし。」
「はい。」

 こういう話をしていると、子作り1つ取っても俺1人の意向で決まるもんじゃない、決めるもんじゃないと分かる。だが、それが俺と晶子の夫婦のあり方だと思う。何もかも俺が責任を持てるならまだしも、子どもを育てるのは晶子が主体になるだろう。特に産むまでは晶子の比重が圧倒的に高い。
 そんな場合は晶子の意向を優先するくらいの気構えが良い。晶子とて「やっぱり子どもを産むのはやめた」じゃなく、石橋を叩いて渡る感覚で臨みたいんだと思う。親の身勝手や無計画さがどれだけ子どもに迷惑や負担をかけるか、めぐみちゃんの一件で痛いほど分かったつもりだ。子ども好きな晶子は尚更だろう。
 晶子が言ったように、否、望んでいるように、何時かこの桜を子どもと一緒に見に来る時が来るだろう。その時、どんな会話をするんだろう?少なくとも「お前なんか欲しくなかった」とは絶対に言いたくない。禁句どころのレベルじゃない。「お父さんとお母さんの積み重ねの上に生まれて来たんだ」と話したい…。
 弁当が空になった。腹の膨れ具合も良い感じ。締めに茶を飲む。周囲の宴会は鎮まるどころか盛り上がる一方。ビニールシートは桜の真下以外に彼方此方に広がっている。この一帯が完全に花見客の集合場所になったような気がする。
 太陽は南天を通り越したが、気温は今も上昇中。4月初頭とは思えないくらい暖かい。連休くらいの気候じゃないだろうか?薄手のコートを着て来たが、脱いで畳んである。それに暑くなくて冷たい風で暖かさを吹き飛ばされことがないこの気候で満腹だと、眠気を誘われる。

「少し寝ますか?」
「否…。此処で寝るのは勿体ない。寝るのは家で出来るからな。」

 この眠気の根幹は昨夜の営みにある。激しさに加えて熱烈な奉仕もあったから、終わった時には魂ごと体力を根こそぎ吸い尽くされたような状態だった。半ば気絶するような形で寝たことで一応回復はしたが、眠気そのものを解消するには程遠かった。
 満腹と良い気候が重なるだけで眠気は誘発されるのは、学生生活で幾度となく経験した。今はそれに加えてより深い部分というか、そんな眠気の要因を抱えている。気を抜くと意識が蒸発していくように遠のく。慌てて意識を引き戻して晶子に意識を集中する。

「無理しなくて良いんですよ。」

 晶子が少し苦笑いして言う。

「周囲に遠慮してるのもあるんだと思いますけど、此処に限ってはその必要はないようですから。」

 周囲を見ると、桜との距離を問わずカップルがめいめいの過ごし方をしている。さっきまでの俺と晶子のように飲み食いしていたり、膝枕をしていたりと色々だ。通り道がビニールシートの合間に出来ているような感じの混雑ぶりだから、周囲の視線を集める状況じゃないと言える。
 あと、酒が入っているのも大きいか。酒が入ると周囲の視線に対する感度がかなり低下する。そうじゃなけりゃあれだけ様々な痴態醜態が出る筈がない。俺と晶子は酒を飲んでないからかなり冷静に、言い換えれば周囲の視線を気にする状況だが、この界隈はもはやそんな状況じゃなさそうだ。

「祐司さんが眠いのは私の責任でもあるわけですし…。」
「んー…。それじゃその身体で責任を取ってもらうか。」
「え…。此処では流石に…。」

 俺は身体を横に倒す。倒した先は晶子の太もも。頭を置いたまま体勢を整えれば、家で時々する膝枕の完成だ。寝心地は抜群。気候の良さも相俟って抑えていた眠気が一気に強まって来る。

「こういうこと。」
「勿論良いですよ。夕方近くになったら起こしますね。」
「頼む。…ホント、気持ち良い…。」

 普段は何度か寝返りを打って晶子の太ももの感触を確かめたり、下から見上げる胸の出っ張り具合を観察したりするんだが、今日はそんな余裕はない…。本当に眠い…。それに…気持ち良い…。

Fade out...

 意識が浮上して視界が開ける。ジャケットとブラウスで作られたひさしに一瞬疑問を抱くが、直ぐに寝る前の状況が頭に再現されて状況を理解する。首に何かが触れている感触がある。晶子の右手が丁度脈を測るように触れている。俺が身体を起こそうとすると、その右手がぴくっと動く。

「起こしちゃいました?」
「否、自然に目が覚めた。」

 俺は身体を起こして晶子の隣に座り直す。その拍子に俺にかけられていたコートが滑り落ちる。俺が乗っかっていて身動きが取り辛いだろうに、こういうところは相変わらず抜かりないし有り難い。俺はコートを取って軽く畳む。

「3時間くらい寝てましたね。眠気はどうですか?」
「すっかり消えた。ぐっすり寝てたみたいだな。」
「良い気候ですから、昼寝にはもってこいでしたね。」

 大体4時過ぎくらいだろう。かなり日は西に傾いていて、微かに茜色を帯びている。穏やかな気候のまま日は沈みそうだ。花見の宴は多少陣地に変化があるようだが、彼方此方で盛り上がっている。その中で、小さな子ども連れは帰る準備をし始めている。これから先は小さな子どもが出歩くにはちょっと相応しくないだろう。

「暇じゃなかったか?」
「いいえ、ちっとも。だって、私の祐司さんが私の膝枕でぐっすり寝てるんですから。祐司さんの寝顔を見ながらどんな夢を見てるんだろう、とか考えてるだけで穏やかで幸せな時間を過ごせましたよ。」
「寝心地良かった。横になったら直ぐ寝ちまったのは少し勿体なかったかな。」
「祐司さんたら…。」

 眠気はすっかり取れたし、もう少ししたら夜になる。堤防に沿って提灯が並んでいるから、恐らく夜桜のライトアップがあるだろう。出かける前からそのつもりだった晶子と夜桜を見物したい。夜桜を見るのは初めてだ。晶子と結婚してから見ることになるとは、最初の頃は全く想像もしなかったってのに…。
 俺はコートを羽織り、その左側で晶子を抱き込む。より密着した形になった晶子は、引き寄せられた瞬間こそ少し驚いた様子だったが、直ぐに嬉しさいっぱいの顔になる。夕暮れが近づくにつれて冷えて来るし、こうしていれば二重に温かい。こういうことを殊の外喜ぶ晶子の幸せいっぱいの顔を見るのも楽しいし、幸せだ。
 茜色が濃くなってくると、日が落ちる速度が格段に早まるような錯覚を覚える。一旦茜色で世界を照らした後、線香花火の火が消えるようにその色が徐々に消えていく。代わって世界から色と明るさを奪う夜が東から世界を包み込んでくる。
 それと歩調を合わせるように、堤防に沿って並ぶ提灯に明かりが灯る。桜に合わせたのかピンク色の提灯が太陽に替わって辺りを照らす。太陽に比べて微弱な光の群れは、それでも世界が闇で覆われるのを妨げる。近くに佇む桜をほのかに照らし、近くに居る宴の客から拍手喝采も起こる。

「綺麗ですね…。」
「夜桜って、昼の桜と違って見えるもんなんだな。」

 場所は変わってないし見ているものも変わってない。同じ桜の筈なのに、何て言うか…別の世界のもののように見える。全部把握してるわけはないが、大勢の人が桜の周辺に陣取っている理由が分かるような気がする。昼と夜とで違う顔を見せる桜を存分に楽しむために、それを見ながら春の訪れを歓迎するために、こうして桜の下に集うんだろうか。
 提灯の明かりが明るく見えるくらいになると、流石に冷気が強まって来る。晶子が更に身を寄せて来る。コートで晶子を抱き込んでいる俺は、気持ち身体の一部を重ねるように密着の度合いを強めて桜を見る。
 何処からか、トン、トン、トン…、と小さめの太鼓を叩く音が聞こえる。後ろの方から微かに。祭りか何かだろうか?幻聴かと一瞬思うが、少し早めのリズムに乗った太鼓の拍子は、確かに後ろの方から聞こえて来る。

「太鼓の音、聞こえる…よな?」
「はい。確か、豊作を祈願するこの地域−正確には小宮栄に編入する前の村だった時代の春祭りだそうです。」
「祭りって言うと夏の盆時期か秋ってイメージがあったんだが、豊作祈願の祭りなら春だよな。」
「後ろの川、庄田川の向こうの広場でしてるそうです。」

 一定調子だった太鼓のリズムにバリエーションが出来て、少し遅れて笛の音も混じって来る。小宮栄は「大都市」「高層ビル」っていうイメージだし、俺はその中を通勤で往復する。それはむしろ小宮栄の一角であって、昔の田園地帯や小さな集落の集合体が町や村として存在していた時代の名残が彼方此方に残っているのかもしれない。
 取り立てて祭りを見に行くつもりはない。コートに抱き込まれているのをこれ幸いと俺に抱きついてさえいる晶子が、此処に来た目的である桜から離れるとは思えない。こうして俺と一緒に桜を見るために、前日から全身全霊を込めて準備を進めて来たんだから。

「日本って広いんだな。20年以上生きて来て、小宮栄に通勤するようになったのに、まだまだ知らないところや見たことがないことや知らないことがたくさんある。」
「本当ですね。私もついひと月、いいえ、半月ほど前まで此処を全く知りませんでした。そもそも、小宮栄にこんな場所があること自体イメージすらなかったです。」
「結婚して…、俺と晶子の場合は籍を入れて半年ちょっと、か。それでも2人で行動してると知らないことや見たこともなかったところがどんどん出て来るもんだな。」
「毎日が楽しくて幸せです。家に帰れば必ず祐司さんと一緒に居られる場所があって、色々な場所に行ったり出来て…。独りだったら、こんな生活も体験もなかったってことばかりです。」
「こういうのも、結婚の良さなんだろうな。2人でこうだから…、子どもが出来たらもっと世界が広がるかもな。今まで見た世界も違って見えるかもしれないし。」
「きっとそうだと思いますよ。」

 結婚してなかったら、此処に来るどころか場所を知ることもなかったかもしれない。知ったところで彼方此方の桜を見に行く趣味とかがないから、「あらそうですか」で終わっていただろう。結婚していたからこそ開けた世界の一角に、今、結婚相手である晶子と一緒に居る。
 時間が緩やかに流れて行く。徐々に冷気が強まって来る中、コートにくるまって晶子と身を寄せ合いながら、提灯に照らされる夜桜を見つめる。大学に入った時は隣には一応宮城が居たが、会う機会も限られていたし桜を見に行くことはなかった。あれから4年。隣には晶子が居る。俺の妻として。
 4年前、大学を出るより半年ほど前に結婚にまで行きつくことなんて、想像もしなかった。宮城と結婚したいとは思っていたが、割と漠然としたものだった。結婚に対してその時の延長線上という認識があったせいかもしれない。
 晶子との結婚は、晶子が着実に積み重ねて来た既成事実の法的な認証と言ったところ。晶子は元々両親や地域の束縛を脱して結婚相手を見つけるために大学を入り直して新京市に移り住んだし、俺が結婚相手に最適と判断したことで徐々に、しかし確実に距離を詰めて外堀も内堀も埋めて行った。
 双方の両親への紹介が事実上決裂したことと、双方の就職活動の結果を受けて入籍に至った。それから早半年。今も晶子が豹変して浪費と浮気の限りを尽くすなんてことはなく、より甲斐甲斐しくより優良な妻になっている。毎日が楽しくて幸せと言ったのは誇張じゃないようだ。
 この幸せや時間は、全自動で維持されるもんじゃない。俺と晶子が協力することで初めて維持出来る。子どもが出来たら尚更だ。その協力にしたって、今自分が出来ることをするだけで良い。それが実は続けることが意外と難しいことも知ってるつもりだし、その努力が相手に伝わることも協力の1つでもあることも分かったつもりだ。
 今度桜を見るのは早くて1年後。その時には俺と晶子はどうなってるんだろう?ただ1つ言えることは、俺も晶子も今の関係と生活を続けて行く意思に溢れてるということ。その結実としてもしかしたら子どもが出来ているかもしれない。1年先なんて本当にどうなるか分からないよな…。
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