雨上がりの午後

Chapter 322 離れた親子のひと時(後編)

written by Moonstone

「いってきまーす!」
「いってらっしゃい。」

 玄関先で高島さんの見送りを受けて、俺と晶子とめぐみちゃんは高島さんの家を出る。1時間ほどの昼飯休憩を終えて、午後からのめぐみちゃんの要望である外遊びのためだ。俺はその道具である、サッカーボール程度の大きさの柔らかいゴムボールを持っている。
 昼飯休憩の終わり頃にめぐみちゃんに午後からの要望を聞いたところ、外で遊んでほしいと言われた。何でも学校の放課後にドッジボールが流行っていて、最後まで残れるように強くなりたいからだそうだ。小学校とドッジボールが切り離せない関係にあるのは、年代や地域でさほど変わりはないらしい。
 場所は近くの公園で、めぐみちゃんが案内してくれる。めぐみちゃんは晶子と手を繋いでいる。めぐみちゃんが一番懐いている晶子が手を繋いでいれば、「目を離した隙に」という事態に陥るリスクは相当減る。家から出ても預かり続ける以上、「目を離した隙に」は絶対許されない。
 暫く歩いていくと、かなり開けた場所に出る。住宅街の中になる公園と言うからこじんまりしたものかと思いきや、学校の運動場くらいの広さがある。大半はドッジボールやサッカーが十分可能な土のグラウンドで、野球の練習も可能なダイヤモンドとバックネットが片側に、ブランコや滑り台といった公園らしい遊具がもう片方にある。
 春休みの時期だけあって、子どもから中高生らしい集団がバドミントンなどをしている。それでも俺と晶子とめぐみちゃんがドッジボールの練習をするくらいのスペースは十分ある。やや遊具よりの場所で、俺と晶子とめぐみちゃんは3角形を描く形に立つ。

「まずは準備運動がてら、軽く投げてみようか。」
「はい。」
「はーい!」

 ボールを持っていた俺は、晶子に軽く投げる。上からだと力が入りかねないから下からにする。やや大きめの弧を描いて晶子に届く。晶子は両手でしっかり受け止め、めぐみちゃんに身体を向けて軽く投げる。ボールはゆっくりと小さめの弧を描いてめぐみちゃんの両腕に無事収まる。
 めぐみちゃんは身体全体を使うように俺にボールを投げる。ふんわり宙に浮かんだボールは、俺の両手がしっかり受け止める。ボールは優にめぐみちゃんの頭くらいの大きさがある。これだけ大きなものを投げるには一見大袈裟に見える動作を経ないと力が入らないんだろう。
 少しの間、俺→晶子→めぐみちゃん→俺のループでキャッチボールをこなし、続いて徐々に力を入れつつランダムに相手を選んでボールを投げるようにする。いきなりだと特にめぐみちゃんが対処出来ない恐れがあるから、事前に呼びかけてから投げることにする。
 力を入れて投げると言っても、俺や晶子とめぐみちゃんでは差があり過ぎるし、めぐみちゃんの相手をするのが最大の目的だ。俺や晶子は手首だけで投げるような感じで強いボールがめぐみちゃんに飛ばないように気をつけつつ、めぐみちゃんからのボールは多少方向が変でもしっかり受け止める。

「この辺でちょっと休憩しましょう。」

 晶子が休憩を提言する。かなりボールを投げたり受けたり走ったりしたし、ランダムに投げ合うようになってから緊張感が増したのもある。めぐみちゃんは特に一度休んだ方が良い。こういうのも、大人より子どもを優先すべきシチュエーションだろう。
 グラウンドと遊具エリアの境界辺りにあるベンチに並んで腰掛ける。これもめぐみちゃんを中心に右側に俺、左側に晶子が座る。出発する時に高島さんから水筒を預かっている。公園には自動販売機はないから、というのが理由だ。晶子がコップに水筒の水を注ぎ、めぐみちゃんに飲ませてやる。
 続いて晶子、俺の順で喉を潤して一息。3月も下旬、もう直ぐ桜の季節だけあって、風のない晴天はかなり暖かい。その上屋外で運動をすれば十分身体は火照る。コートを高島さんの家に置いてきて正解だったな。

「どうやったら上手く当てられるかな?」

 めぐみちゃんは真剣な表情で言う。ドッジボールで最後まで残れるかどうかは、ボールから逃げることとボールを投げる相手を減らす、つまりボールを上手く当てること。特に強い相手に当ててコートから出すことは存在感を一気に高める。めぐみちゃんも真剣に強くなることを考えているんだろう。

「そうねえ…。不意打ちみたいな当て方が出来るのはそうそうないし…。」
「足元を狙うようにすることかな。」
「足元?」
「そう。低いボールは結構取り難いから、取り損ねる形で当てられる確率も高い。」

 ジャンプして取るより屈んで取る方が難しいのは、さっきまでのキャッチボールで実感した。身長の差もあってめぐみちゃんからは低めのボールが飛んでくることが多いが、スピードはさほどないのに意外と取り難かった。特に、足先に飛んでくるようなボールは取りこぼすことが多かった。
 野球だと打たれ難い、或いは打たれても長打になり難い球種は低めのボールだったと思う。屈むという動作はジャンプするという動作より出難くて動作事態も遅くなりやすいようだ。性質は異なれど球技だから、相手を抑え込むには低めの球種が効果的なのは変わらないだろう。

「低めに投げるのって、どうしたら上手く出来る?」
「やっぱり…コントロールを良くする、言い換えれば狙ったところに正確に投げるようにすることだろうな。これは低めに投げるだけじゃなくて、ドッジボール全体に通用することだと思う。」
「それはどうやったら出来るようになる?」
「これはもう、練習を繰り返すことしかないだろうな。コツは色々あるだろうけど、頭で覚えるだけじゃ出来ない。コツを意識しながら練習を繰り返していけば、出来るようになるよ。」

 「見て覚える」という練習(?)や訓練(?)が学校の部活や職場で幅を利かせている。それは一部正しいが誤っている部分が多い。過程や動作を観察して自分の状況と比較することで、問題点を洗い出したりその対策を講じたりすることは有効だ。だが、そこから実践に移してみないと理論や知識の域を出ないし、見て全てを覚えて自分に適用出来るほど人間の学習能力は高くない。
 観察したことを実践すると、思い描いたとおりにはいかないもんだ。それが出来ればプロなんて存在しないし学校や塾も不要になるし、職人なんて存在しようがないが、ボールを投げるにしても速いボールを狙ったところに、とはなかなかいかない。現にめぐみちゃんはそれで試行錯誤している。
 実際に投げて問題点を掴み、アドバイスを貰ったり知識を得たりしてそれを試し、実現には何が足りないかを掴んで反映する。このフィードバックが「見え覚える」思想に欠落している。大体自分自身が見ただけで何もかも出来るようになったわけがないのに、都合良く記憶を改竄して教育や伝承を放棄しているに過ぎない。

「お父さんの言うとおりね。あと付け加えるなら…、体力をつけることかな。」
「体力?」
「うん。ドッジボールって前後からボールが来るし、当てられないように素早く逃げることも大切よね。だから、長い時間速く走ったり出来るように体力をつけておくのは大事だと思うよ。」

 至極もっともだし、スポーツの根幹に関係する重要なことだ。ドッジボールはかなり忙しいスポーツだ。サッカーやバスケットボールもそうだが、頻繁に攻守交代があるから急に方向転換することは当たり前だし、攻撃にも防御にも全力疾走が付きまとう。
 ドッジボールで「強い」とされる人は、ボールのスピードが速いだけじゃなく、なかなか当てられない=長時間戦力となる人だ。めぐみちゃんが目指すようなボールを上手く当てられる、スピードとコントロールを併せ持つ攻撃も重要だが、直ぐに当てられたら効果は半減する。
 スポーツは結局のところ、どれだけ長時間速く走れるか、長時間全力を出せるかが戦力としての価値を決定づける要素になる傾向がある。サッカーやバスケットボールは勿論だし、野球やバレーボール、テニスもそうだ。体力をつけるのはこれまた地味な作業の連続だが、やはり避けては通れないだろう。

「体力をつけるのって、どうしたら良い?」
「めぐみちゃんみたいに学校に通ってる歳だと、やっぱり積極的に走ったりすることかな。全速力でなくて良いから、出来るだけ長い時間、出来れば毎日くらいの期間続けること。直ぐには結果が出ないかもしれないけど、凄く大切だと思うよ。」
「うん。頑張ってみる。」

 ただ単に「走って体力をつけろ」だと単調だし地味だし飽きてしまうだろう。だが、今のめぐみちゃんには「ドッジボールで強くなりたい」という明確な目標がある。それを据えて取り組めば、めぐみちゃんの歳と向上心が組み合わさることで割と短期間で大きな成果を出すと思う。
 こうして見ると、子どもの成長は目覚ましい。1年前は今までの環境では当然とはいえ終始おどおどびくびくしていたのに、今は明確な目標を持ってそれに向けて邁進する力強さへと大きく変わっている。きちんとした環境で愛情に恵まれれば子どもが大きく変わる可能性が高いということか。
 その分、特に幼少時の親の責任は重大だ。ハンバーガーとジュースしか与えられない、構ってほしいと言えば怒鳴られる、挙句の果てには京都御苑に置き去りにされる、とめぐみちゃんの両親はあまりにも酷かった。俺と晶子がめぐみちゃんを保護したことから警察沙汰になり、「次はない」と釘を刺されて高島さんの保護監察下に入ったから良かったものの、それがなかったらめぐみちゃんは最悪死んでいたかもしれない。
 「子どもを儲けて親は成長する」、ひいては「子どもを儲けることで一人前になる」とも言われるが、めぐみちゃんの危機と両親の出鱈目ぶりに触れた今は、「子どもを儲けるだけなら動物でも出来る」と言い返せる。文字どおり、ただ産み捨てるだけなら動物でも出来るし、動物はまだ子育てをするから動物以下とも言える。
 純真無垢で生まれて来る子どもをどう育てるか、自分以外という意味での他人と折り合いをつけて暮らしていけるだけの躾やマナーを身につけさせる、収入を得て生きられる程度の学力や能力を育ませるなど、動物では出来ないことをして初めて親であり、人間として成長云々が言えると思う。

「そろそろ再開しようか。」
「そうですね。」
「うん!」

 日はかなり長くなってきたとは言え、夕暮れまでそれほど多くの時間は残されていない。もう直ぐ小学2年生のめぐみちゃんを夜に連れまわすわけにはいかない。精一杯練習を兼ねた遊びをしてめぐみちゃんを無事に家に送り届けてようやく、俺と晶子の1年ぶりの臨時両親の役割は終わる…。
 夕暮れ時の街は何となく物寂しい。家々に明かりが灯り始め、車の数が増えて来る。往路と同じく俺がボールを持ち、晶子はめぐみちゃんと手を繋いで帰路に就いている。晶子とめぐみちゃんは手まり唄を歌っている。この手まり唄、1年前に臨時親子をした時、晶子が教えたものだったな。
 あの時と違うのは、晶子にもめぐみちゃんにも悲壮感の類が感じられないことだ。あの時はめぐみちゃんの両親を一晩拘留し、高島さんが身柄引き受けに来ていた京都府警本部に向かう時で、晶子とめぐみちゃんの夢の時間が終わりに近づいていく最中だった。
 それは、晶子にとっては、俺との早期の結婚の理由でもある母親としての時間、めぐみちゃんにとっては「優しくて綺麗なお母さん」からたくさんの愛情を注いでもらえる時間の終焉を意味していた。夢の時間の終焉をせめて同じ歌を歌うことで紛らわせようとしていた。
 今こうして高島さんの家に帰宅するのも、晶子とめぐみちゃんの夢の時間が終わることには違いない。だが、あの時のような悲壮感がないのは、「これで終わりじゃない」と分かっているからだろうか。
 無事に高島さんの家に到着。インターホンを押して森崎さんに門を開けてもらい、中に入る。玄関前では森崎さんと高島さんが待っていた。

「ただいまー!」
「おかえりなさい。」
「おかえり。安藤さん、どうもありがとうございました。」

 めぐみちゃんは自然と晶子から離れて高島さんに駆け寄る。晶子も自然と手を離した。やっぱりあの時とは心理が大きく異なる。

「お父さんとお母さんと、いっぱいドッジボールの練習したよ!すっごく楽しかった!」
「良かったわね。安藤さん、本当にありがとうございました。遅くまでめぐみと遊んでいただいて…。」
「いえ。めぐみちゃんが元気で過ごしていることが分かって、良かったです。」
「これからも、めぐみちゃんをよろしくお願いします。」
「勿論です。安藤さんに恥ずかしくないよう、めぐみの健やかな成長をお約束します。」

 あれから1年。めぐみちゃんは安全と安心を基軸にする環境で大きく成長した。次に会う時は更に成長しているだろう。俺と晶子の役割が親代わりから歳の離れた兄と姉に変わるのも、そう遠くない話だろう。俺と晶子が成長どころか退化していたら、めぐみちゃんに会わせる顔がない。

「お父さん、お母さん。ありがとう。」

 めぐみちゃんが俺と晶子と向かい合って言う。

「今日はすっごく楽しかった。絶対また来てね。めぐみが頑張ってるところ、見て欲しいから。」
「ああ。必ずまた来るよ。」
「めぐみちゃん。お母さんも凄く楽しかったよ。絶対会いに来るからね。」

 めぐみちゃんが不意に晶子に駆け寄る。晶子は直ぐに屈んでめぐみちゃんを抱き締める。しっかり抱き合う様子はあの時と同じだ。だが、俺から見える晶子の顔にはやはり悲壮感はない。「楽しかったよ。ありがとう。」と言っているようだ。

「めぐみの弟か妹が出来たら、めぐみに会わせてね。」
「うん。めぐみちゃんは良いお姉ちゃんになる準備をしておいてね。」
「うん、約束する。良いお姉ちゃんになって、お勉強教えてあげたり、いっぱい遊んであげたりする。」

 この約束は1年前の別れの時と同じだ。何年後になるかは分からないが、この約束も必ず達成されるだろう。それは同時に、晶子とめぐみちゃんにとって次に会うまでの生きる目標であり、気力の源にもなるだろう。決して大袈裟な話じゃない。目標や活力の源泉は、その人にとってそうであること以上の理由は要らない。
 俺と晶子は、高島さんと森崎さん、そしてめぐみちゃんの見送りを受けて敷地を出る。律儀に門の外まで見送ってくれるようだ。

「安藤さん。どうぞお元気で。もし困ったことがありましたら、何なりとお知らせください。」
「はい。もしその時がありましたら、よろしくお願いします。」
「お父さん、お母さん、またねー!」
「ああ。また会おうな。」
「元気でね。」

 俺と晶子は手を振りながら高島さんの家を後にする。高島さん、森崎さん、めぐみちゃんはずっと手を振っている。どちらも見えなくなるまで手を振り続ける。あの時と同じだが、やっぱり悲壮感はない。これが最後じゃない。きっとまた会える。そんな確信が寂しさだけにならない未来への期待や希望を生んでいるからだろう。
 夕飯を済ませて京都駅近くに取った宿で一息。1年前とは違い、部屋は完全に洋式だ。俺はダブルベッドで晶子お気に入りの人間座椅子になっている。晶子はすっかり寛いで、自分のウエストに回った俺の左手を手に取って撫でたり抱いたりしている。

「意外…でしたか?私が寂しがらなかったこと…。」
「去年とは違う、と思った。悲壮感はなくて、これで最後じゃない、また会える、って希望を感じた。」
「ええ。祐司さんの言うとおりです。去年に最後に絵本を読んであげた時に私が言ったと思うんですけど、同じ空の下に居る限りきっとまた会える。そう思えたから…元気に別れられたんです。」
「…。」
「それに…、今日のめぐみちゃんを見ていて、寂しがってばかりじゃいられない。めぐみちゃんはこんなに明るく元気なのに、私が寂しがっていたらめぐみちゃんにその気持ちが移ってしまう。それは私のためにもめぐみちゃんのためにもならない。…そう思ったんです。」

 臨時とは言え、晶子はめぐみちゃんの母親として接する。母親の表情や感情は子どもに容易に伝わる。晶子が別れを寂しがり、悲しんでいたら、恐らく内心ではもっと遊んでほしい、一緒に居てほしいと思っているであろうめぐみちゃんに辛い思いをさせてしまう。
 母親の顔色を窺って感情を押し殺すのは、めぐみちゃんが過去に苦しめられた両親の大きな罪の1つだ。前回は念願叶った母親の立場と時間が終わることの寂しさと、めぐみちゃんが本当に幸せになれるのかという不安があったから止むを得なかったが、今回は違う。
 めぐみちゃんは無事小学校に入学し、勉強に遊びに充実した学校生活を送っている。両親とは今回も顔を合わさなかったが−恐らくめぐみちゃんとの再会の邪魔になるとして高島さんが隔離したんだろう−、両親の顔色に怯えることなく、のびのびと成長していることを感じさせた。めぐみちゃんは間違いなく良い環境の下で健やかに成長している。
 だからもう不安がる必要はない。健やかな成長の先にある親代わりから歳の離れた兄と姉へとめぐみちゃんの認識が変わる親離れの時期に備えて、寂しがることから次の再会でどれだけ成長しているかを期待する方へと、気持ちを切り替えていく必要がある。晶子も1年でそういう思考が出来るように変わったわけだ。

「それで良い。寂しく思うのは当然だとしても、めぐみちゃんを不必要に悲しませたりしちゃいけない。」
「はい…。めぐみちゃんは1年で成長して、お姉ちゃんになる心構えもしっかり出来てました…。だったら尚更、私が寂しがってばかりじゃ駄目です。」
「お姉ちゃんになる、か。そう言ってたな、めぐみちゃん。」

 昼飯時でも別れる前でも、めぐみちゃんから弟か妹の話が出た。かつてはそんなことに考えを巡らせる余裕はなかっただろうが、安心して暮らせる環境に落ち着いたことで、次は自分が可愛がられたように弟か妹を可愛がりたいという思いが芽生えたんだろう。
 めぐみちゃんの弟か妹は、本当の両親では難しい。今は高島さんの保護監察下にあるとは言え、生まれて間もない子どもを引き離すのは難しい。それを逆手にとってめぐみちゃんの悪夢の再来となる恐れは否定できないから、高島さんが事前に釘を刺していると考えられる。
 となると、めぐみちゃんが俺と晶子に期待するのは自然ではある。俺と晶子の側は…作るだけならそれこそ毎日夜を営めば1年以内に可能だろう。晶子が作ることそのものは積極的そのものだから、俺がひたすら晶子の中で放出すれば良いだけだ。
 だが、やはり作るだけじゃ駄目だ。そこから他人との不要な軋轢なしに暮らしていけるように躾やマナーを教えることが絶対条件だ。親が生活にいっぱいいっぱいだったり、享楽に溺れて子どもを放置するなら、子どもが安心して暮らせない。少なくとも晶子が育児に3年程度は専念できる財政基盤を確立してからだ。それは晶子も十分分かっている。

「1年で人って大きく変わるんですね…。」
「小さい頃は特にそうだろうな。行動範囲や交友範囲がぐっと広がるし、その分見えるものも知るものも増えるから。」
「私は…めぐみちゃんから見てどうだったんでしょうね…。」
「嬉しかったさ。会った瞬間から別れる直前まで、一番くっついていたのは晶子だった。めぐみちゃんにとっては、『優しくて綺麗なお母さん』なんだよ。晶子は。」

 1年で成長したのは間違いないが、まだまだ甘えたい盛りのめぐみちゃんにとって、晶子はめぐみちゃんの理想の母親であるのは変わりない。会った時駆け寄った先は晶子だったし、ケーキを食べる時まで晶子に抱きついたままだった。1年ぶりの再会で思う存分甘えたいという意志がこれでもかというくらい感じられた。
 高島さんの保護下に入ったことで生活に不自由や不安はなくなったのは間違いない。だが、存分に甘えられるかといえばそうはなっていないだろう。両親は高島さんの保護監察下で仕事をしているようだし、ある意味隔離されている面もある。めぐみちゃんが思う存分甘えられるのは晶子くらいしか居ない。
 1年経って妙に余所余所しくなっていたり、もう小学生だからと対等な付き合いをしようとしたら、めぐみちゃんは不安に感じただろう。かつてのように自分が疎ましがられる存在なんじゃないかと。たった1日限りでも1年前と同じようにお母さんと呼んで存分に甘えられたから、めぐみちゃんは希望を持って別れられたんだと思う。

「何時の日か、めぐみちゃんが俺と晶子を親代わりと思うことから、歳の離れた兄さんや姉さんと思うようになる時は来るだろう。その時まで親代わりで居れば良い。思う存分甘えられれば、自然と甘えることから離れて一人立ち出来るようになる。その時まで見守れば良い。」
「そうですね…。なかなかそういう見方が出来なくて…。ずっとめぐみちゃんの親で居られるならそうしたい。でも、めぐみちゃんの親にはなれない。そんなジレンマに振り回されてばかりです…。」
「存分にめぐみちゃんの母親で居れば良い。めぐみちゃんが『今までありがとう』と言えるようになる時、自然と晶子も親代わりを終えられるさ。」
「はい…。」

 今の晶子の「寂しい」も、1年前とは違って「折角母親を体験できたのに」「もっと可愛がりたかったのに」という気持ちじゃなく、「次に会う時はもっと成長しているんだろうか」「その成長をつぶさに見られたら」という気持ちだろう。この1年だけでも小学校入学に始まる様々なイベントがあったから、それを通しての成長も見たかっただろう。
 考えてみると、親が親でいられる時間は思いのほか短いのかもしれない。中学辺りになると反抗期や思春期として親と距離を置きたがったり、異性に関心を持ったりする。そうなると親は疎ましい存在になり得る。長くて小学校卒業くらいまでの10年ちょっとくらいしかないと言えるかもしれない。
 そう考えると、めぐみちゃんの両親は物凄く勿体ないことをしてしまったと言える。最も可愛がりたい時期、最も親で居られる時期を自ら放棄したようなもんだ。この先、めぐみちゃんが成長するにつれて、より親という認識をしなくなる可能性すらある。晶子があの時「贅沢で我儘」と言ったのは、そういう認識があったからだろう。

「親や子どもって関係は、一緒に暮らした日数や時間だけで決まるんじゃない。どれだけ心を通わせたかだと思う。俺と晶子がめぐみちゃんと過ごした時間は、今日を含めても1週間にも満たない。だが、少なくとも晶子にとってはめぐみちゃんは可愛い子どもだし、めぐみちゃんにとって晶子は優しいお母さんだ。」
「…。」
「だから…、存分にめぐみちゃんの母親で居れば良い。」
「はい…。」

 可愛がっているからこそ、本当の子どものように思っているからこそ、もっと一緒に居たい、もっと一緒に遊びたいと思うのは至極当然だ。その気持ちが続く限り、再び距離が離れても、それこそ同じ空の下に居る限り、晶子とめぐみちゃんは親子で居られる。

「めぐみちゃんと遊んだりすると…、どうしても子どもが欲しいっていう気持ちが強くなってしまう…。」
「…。」
「こういう性格だと…、子どもが出来たら子どもにべったりになってしまいそうですね…。」
「小さい頃はそのくらいの方が良いんじゃないか?10年くらいで親離れし始めるだろうし、それまで唯一無二の存在で居た方が良い。可愛がってもらった、遊んでもらった、って記憶は親離れしてもずっと残るだろうから。」

 何れめぐみちゃんが親離れする時が来ても、可愛がってもらったことや遊んでもらったことはずっと記録に残る。幼い時の記憶は後々まで影響を及ぼすことも多い。晶子に可愛がられたことは、きっとめぐみちゃんのこれからにとって大きな財産になる筈だ。
 何時までも子どもが子どもだと思う、厳密にいえば子どもだから自分の言うことを必ず聞く、と思っていると子離れ出来ない。晶子が子離れできるかどうかはその一点だろう。その点はさほど心配いらないと思うが、寂寥感はどうしても発生するだろう。今でもそうなんだから。

「めぐみちゃんがもう少し大きくなるまで…、子どもは持たない方が良いかもしれませんね…。愛情を公平に向けることが出来るかどうか、ちょっと不安なところもあって…。」
「それも良いかもな。ただ、めぐみちゃんと約束してたように、めぐみちゃんにとっての弟か妹が出来れば、めぐみちゃんと一緒に可愛がることも手だな。」
「そうですね…。子どもが欲しいのは変わりませんけど、きちんと育てるのは難しいって思います…。育てるってことは子どもの将来に責任を持つことなんだな、って…。」
「それだけ認識出来てれば大丈夫だ。」

 子どもを作るだけならそれほど難しくない。大切で難しいのはそこからだ。育て方を誤ると、子どもの性格も将来も歪んでしまう恐れが高い。育て方次第で天使にも悪魔にもなるのが子育ての難しいところだ。単に抑えつけていれば正しく育つと言う輩もいるが、その時代の凶悪犯罪の発生率を見ればそれが戯言だと分かる。その程度の思慮しかないんだろうが。
 幼少期は言葉による意思疎通が難しい分、特に難しいと思う。文字どおり「言っても分からない」のが普通だから、どうやって理解させるかということそのものが難問だったりする。子育てでノイローゼになるのは、大人なら普遍的な言葉による意思疎通が思うようにいかないことへの焦りやいら立ちがあると言われているくらいだ。
 晶子が幾ら子ども好きといっても、言葉が通じないか通じにくい子どもを1人でずっと相手にするのは体力的にも厳しいだろう。俺が出来ることがどのくらいあるか分からないが、おむつを替えたり風呂に入れたりといった日常のことくらいは、進んでするくらいの感覚で居るべきだろう。
 時折新幹線か在来線か分からないが電車の走行音が囁き声のように聞こえる室内で、俺は晶子を抱きすくめ続ける。子どもを作る時期は…やっぱり晶子が主体になって決めるべきだな。その時は恐らく、晶子がめぐみちゃんを「歳の離れた妹」へと認識を変える時だろう。それまで親になる心構えを固めておくか…。
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