雨上がりの午後

Chapter 272 伏見稲荷への参拝(1)−まずは絵馬奉納−

written by Moonstone

 西本願寺を出てから昼飯時を跨いで再び京都駅前に居る。この旅行で初めて大きく空振りしてしまった。唐門に続いて百華園を見物しようと思ったが
工事中で立ち入り出来なかった。待っていても終わるものでもないから次の目的地である桂離宮に向かった。京都駅から間違いなくバスに乗って到着した
ところまでは良かったが、桂離宮についての無知が此処で失敗となって表面化した。
 桂離宮は参観に事前の申し込みが必要だった。バスの車内で桂離宮の歴史や施設の紹介を読んで想像を巡らしていたが、参観はこれまでどおり
ノーチェック若しくは少々の料金を払えば済むと思い込んでいた。窓口でその旨を知って自分のうっかり加減が嫌になった。桂離宮は宮内庁の所轄。京都
御苑もそうだが、京都御苑の場合は広大な公園の中の一部が非公開や事前申込制なのに対して、桂離宮は敷地全体がそうだ。強行突破しようものなら皇宮
警察あたりがすっ飛んできて、通常の事件以上に大事になりかねない。するつもりもないが、断念してとんぼ返りするしかなかった。
 戻りのバスを待っている時、俺は率直に晶子に詫びた。だが、晶子の反応はいたって明るいものだった。「知らなかったことやうっかりしていたことは私も同じ
ですから、謝る必要なんてないですよ。」−晶子はこう言った。事故にならなければ、旅先でのミスやトラブルは楽しい思い出の1つ。全部計算され尽くした
コースをたどるよりこういうハプニングがある方が楽しいとも言った。
 往復で時間を食ったことで、偶然昼飯時を跨いで京都駅に戻って来た。付近のオフィスビルや学校に居る人たちが大挙して押し寄せるであろう駅前の
飲食店は、何処もピークを過ぎていた。京料理のランチを扱う店を見つけてそこで昼飯を済ませ、次の目的地の伏見稲荷に向かおうとしている。
 伏見稲荷は当初の計画だと往復の時間を短縮するため電車を使うつもりだった。ところが、桂離宮が取り止めになったことと西本願寺の滞在時間が割と
短かったことから、伏見稲荷に行く時間はかなり余裕が出来た。そこで乗り降り自由な乗車券を使えるバスに切り替えることにした。道のりを楽しむのも旅の
醍醐味と晶子は言った。
 伏見稲荷までのバス路線は乗り換えなしで行ける。路線図を見ても最寄りのバス停である稲荷大社前から辿ればすぐ分かる。バス路線は京都駅より北側は
複雑に入り乱れているが、南側は複数の路線が重複していたり往復で行き先が大きく異なることが少なくて分かりやすい。
 地図を見ると、伏見稲荷がある伏見区は京都市の南端に位置する。郊外の住宅地なんだろうか。政令指定都市も区によって町の傾向が大きく異なるのは
小宮栄で知っているから、そうだとしても別に驚きはしない。むしろ、田園地帯でもあって欲しいと思う。

「京都の行政区の名称は、京都らしい名前が多いですね。」
「これから行く伏見稲荷は伏見区。行って帰って来た桂離宮は…西京区。俺達が泊っているのは鴨川の近くでこの辺だから…左京区。平安時代の名残
かな。左大臣、右大臣っていう官職もあったくらいだし。」

 観光案内の地図で行政区の名称を探していく。午前中に行った龍安寺があるのは右京区。左京区と対になる名前だ。清水寺があるあたりが東山区。そこ
から山を越えた東側に山科区がある。境界はこの地図だと分からないが、京都御苑があるあたりから京都駅まで南に向かって順に上京区、中京区、下京区。
京都駅から南側、鴨川までが南区。そして上京区の北側に北区、という位置関係だろう。全部で…11か。
 最寄りの政令指定都市である小宮栄は一部あやふやだが、東西南北の4区、中央にある中区、臨海開発が盛んな港区、江戸時代は一大城下町だった
らしい官庁街の城町(しろまち)区、小宮栄大学の他私立大学がある文教地域の社(やしろ)区、住宅地が多い美山(みやま)区の9だったと思う。小宮栄だと、
戦後間もない時代までは現在の中区、港区、城町区、社区の4つだったが、人口の増加で中区の周囲を4分割して東西南北の4区を新設。住宅地として
急速に隆盛してきた美山町を編入して美山区にして現在の9区になった。京都市もバス路線図の密度から推測して、区の分割や編入があったんだろう。
 市町村合併が連続して起こったことで、政令指定都市が幾つか誕生している。新京市も小宮栄のベッドタウンとしての人口増加を受けて、政令指定都市に
しようという動きがあると聞いたことがある。だが、新京市は一度大規模な合併をして1つの市になっている。そのせいで広大な面積を持つが人口密度はかなり
偏っている。それをどうにもしないまま更に編入で人口を無理やり政令指定都市の基準に乗せようとすれば、今以上にいびつな構成の町になるだろう。

「思い出したんですけど、伏見って宿でいただいているお酒を作っている地域ですよね。」
「ああ、そう言えばそうだったな。」

 非日常を感じる理由の1つは、夕食後の飲酒だ。1年の頃はバイトが休みの月曜に智一と時々飲みに行っていたし、バイトから帰った後も偶に飲んでいた。
専門課程の色合いが強まって来た2年の後期あたりから飲酒の機会が減り始めて、最近だと酒を飲む機会は年末年始や今のようなバイトと大学が両方
休みでそれが数日ある時くらいだ。飲むと翌朝寝起きがかなり悪くなることは俺自身よく知っている。専門課程一色だった3年は講義を手当たり次第に組み
込んだから、酒を飲んで寝こける暇はなかった。出席も結構チェックされる講義が多かったし、試験対策をしても欠席が多くて試験が受けられなかったら
意味がない。
 酒を飲まなくなったもう1つの要因は、晶子が淹れる紅茶と作る茶菓子だとも思う。色々な香りと味があると分かって来た紅茶を飲みつつ菓子を摘むのは、
今の手狭な家には似つかわしくないが上流階級のような優雅な時間だ。酒は酔うとどれがどんな味とかよく分からなくなるが、紅茶や菓子はそれがない。割と
よく食べる方の俺には紅茶や菓子の方が性に合っている。

「伏見の漢字はかつて『伏す』に『水』だったそうだから、酒造りに必要な水が豊富なんだろう。」
「鴨川も近いですし、かつてはそれ以外にも支流が豊富だった地域だったのかもしれませんね。」

 酒造り−日本酒以外はどうか知らない−にはコメと水と寒さが必要と聞いたことがある。コメは日本酒の材料だから当然。水もなければ基本水で出来ている
酒は造れない。伏見のかつての名称が「伏水」とか酒造りに必要なものだった可能性は十分ある。
 寒さについてはよく知らないが、周囲を山に囲まれた地形である京都は冬かなり寒いようだから条件を満たす。観光案内の写真にも雪化粧のものが珍しく
ない。雪が降った時を待って撮影するのは、頻度が少ないと何時撮影できるか分からない。推測だが、京都での降雪はさほど珍しくないんだろう。
 バスを降りる。車内はそこそこ乗客が居たが、立つ必要はなかった。思ったよりバスは路線に沿ってスムーズに移動して、俺と晶子を降ろして走り去って
いく。

「雨、上がってますね。」

 傘の必要はなくなった。車窓から空を覆っていた雲に光の裂け目がいくつも入り、明るくなっていく様子を見た。宿を出て間もなく降り始めた雨は、道路や
家や木々をむらなく濡らしているが、静かに降り続いていた細い水の線は視界からも空からも完全に消えている。

「相合傘が出来なくなりましたね。」
「心底残念そうだな。」
「残念ですよ。このまま宿に戻るまで降っていて欲しかったです。」

 口調だけでなく、表情も言葉と明瞭に同期している。よほど相合傘がしたかったんだろう。俺とて悪い気はしないが、どうも色々な意味で人目が気になる
からな…。これも慣れの問題だろうか。待っていても空を見ると再び雨が降ることはなさそうだから、しきりに残念がっている晶子を連れて伏見稲荷に向かう。
バス停が分かりやすい位置に作ってあるから、真っ直ぐ道沿いに東に進めば良い。
 ものの数分で伏見稲荷に到着。此処も背後に山を控えている。山と一体化していると言った方が適切かもしれない。昨日行った下鴨神社もうっそうと生い
茂る森の中になったから、神社は自然崇拝の側面が大きいことが感じられる。
 鳥居を潜っていくと、最初に出迎えたのは朱色が眩しい巨大な門。観光案内には楼門とある。清水寺や平安神宮でも大きな楼門があったが、此処はひと際
大きい。楼門を潜ったところで境内の予習。山と一体化した境内は山の傾斜に逆らわずに作られている。社務所や本殿は楼門から近いところにあるが、
全部を回るなら山道を登っていく必要があるようだ。下鴨神社や平安神宮は平地だったから、かなりのギャップがある。

「此処に有名な千本鳥居があるんですね。」
「知ってるのか?」
「ええ。大学のパソコンで倉木麻衣さんの曲を使った個人製作の映像を見て、そこに登場したのが千本鳥居ってあったんですよ。」

 大学はネット環境が整備されているし、回線速度もかなり頻繁に向上している。俺はIDとパスワードが割り振られた複数アカウント持ちのPCだが、3年から
ゼミに所属している晶子は個人で使えるPCがある。それで調べ物をしたり、Webサイトを見たりしていると言っていた。
 入学してから丸3年ほどで、PCやネット環境は大幅に向上している。中学高校時代にはネットで映像を見るなんてまず考えられなかった。テキスト→画像→
音声→映像の順でデータが膨大になるのは知っているし、1秒当たり30フレーム−俺には30Hzという表現の方がしっくりくる−の音声を伴う画像を連続して
送受信することと、受信側で映像として再現するハードウェアの処理が、高級機種でないと不可能だったからだ。ところが、去年あたりから大学でPCが一気に
更新された。ネットワーク関連の技術分野での全国的な実験の一環としてのことだそうだが−工学部の情報工学科が総力を挙げたと小耳にはさんだ−、
それに併せてネット環境も一気に更新された。それで、今まで目に見えて処理がもたついていた大きなファイルの転送や複雑な計算と描画が難なく可能に
なった。

「千本鳥居の場所が此処だってことは書いてなかったのか?」
「ええ。映像の合間に効果の1つとして表示されたものだったので。」
「此処に来たことで、謎が解明出来たわけか。その映像で使われていた曲って憶えてるか?」
「はい。『Time after time〜花舞う街で〜』です。」

 「Time after time〜花舞う街で〜」は思い出深い曲だ。晶子のレパートリーを拡張していた時に曲を選んでいて、データ化を止めて弾き語り専用にアレンジ
した曲。去年の夏に「別れずの展望台」に行った時に初披露した曲。弾き語りするために、レコードやテープだったら摩耗しているかもしれないと思うほど繰り
返し聞いたから、最初から最後まで全てのフレーズが鮮明に刻み込まれている。あの曲は和風のテイストが盛り込まれていたから、此処の雰囲気に合い
そうな気がする。

「あの曲が、か。そうなれば、行ってみない手はないな。」
「はい。」

 「Time after time〜花舞う街で〜」は、アルバムを最初から聞いていたら印象が良くて気に入り、データ化を検討したのが最初だ。だから、曲のタイアップ
元や使用シーンとかは知らない。俺がアレンジやデータ化に着手するのは、どこで使われたとかどれだけ売れているかじゃなくて、どれだけ自分が気に
入ったかとレパートリーに加えた時のバランスが良いかだ。
 まずは、真正面に鎮座している本殿に参拝。雨上がりの午後だから今まで何処かで雨宿りをしていた他の観光客も大勢出てきていると思ったが、まだ
周囲は閑散としている。順番待ちもなく2人並んで参拝。水滴を周囲に散らした鮮やかな朱色が、雨雲を引き裂いた陽光に照らされて煌めいている。次の
参拝者が来ることを考えて、脇に退いて伏見稲荷について改めて観光案内で概要を見る。境内は山に作られている。潜った楼門と参拝間もない本殿は、
境内全体で言えばごく最初のあたり。山頂付近にあるらしい円を描く社や鳥居に至る道は2つ。1つは鳥居の絵がいくつも並んでいて、三ツ辻というところ
までに直線に上っていくらしい道。もう1つは「Time after time〜花舞う街で〜」を使った映像で登場したという千本鳥居を経由して、新池という池のほとりを
通って三ツ辻に至る道。景色や見どころの面では、後者の方が良さそうだ。

「頂上まで行くかどうかは、三ツ辻までである程度判別出来そうだな。」
「山登りと考えて良さそうですから、時間との兼ね合いもありますよね。」
「晶子の今の服装なら行けなくはないだろうが、無理は禁物だな。」

 晶子は移動を考えて下はズボンだし、靴はスニーカー。起伏の多い道でも十分移動出来る服装だ。だが、山道だと思った以上に移動に時間がかかる
可能性はある。今回は山登りが目的じゃなくて伏見稲荷の拝観、特に今は千本鳥居だ。円形を描く山頂へのルートは空の光の量と疲労の度合いで決める
のが無難だ。上ったら終わりじゃなくて下りるのもある。いくらなんでもエスカレータやエレベータが備わっているとは思えない。
 ひとまず三ツ辻を目標にした参拝−或いは登山−は決まった。伏見稲荷についてもう少し観光案内を見る。伏見稲荷は全国の稲荷神社の総本山
−神社の場合は総本宮と言うらしい−にあたる施設で、起源は1300年前にも遡るという。その時の元号の「和銅」は、確か日本最初の貨幣の名称でもあった
筈。平安京より前に出来たとは長い歴史だ。

「お稲荷さんの総本宮なんですね。初めて知りました。」
「小宮栄にも美山稲荷っていう稲荷神社があるから、そことも関係があるわけか。」

 小宮栄の行政区の1つである美山区は元々美山町という独立した町だった。住宅地として急速に隆盛したことで小宮栄に編入合併されたが、それより前
から美山稲荷の城下町として有名だった。俺の実家からも十分行ける距離なのもあって、高校時代に宮城と初詣に行ったことがある。
 稲荷神社は小宮栄以外にも各地にあるが、それらは各々独立した、言い換えれば他の○○稲荷とは無関係に狐を祀っている神社だと思っていた。
ところが、全国約3万とも4万とも言われる稲荷神社は此処伏見稲荷に起源を辿れるという。そこまで広範なネットワークの源泉だとは思わなかった。

「山に作られたのは、稲荷神社の総本宮として外敵からの防衛も兼ねてのことかもしれないな。」
「稲荷神社の頂点に位置する以上、戦乱とかで破壊されるわけにはいかないですよね。」
「地形を利用した天然の防衛陣地だとすると、人力が基本でほぼすべての時代に此処に建立したのも必然だったのかもな。」

 観光案内の歴史の項目をざっと見ると、一大豪族−何だか懐かしい呼称だ−の1つである秦氏が建立に深く関与したとある。それは当時の政治で秦氏を
含む渡来人が巨大勢力であり、政治だけでなく産業や経済でも重要な位置を占めていたことに関係しているようだ。
 一方で、1300年前は平地だったとは思えない−逆は珍しくない−この場所に重要な神社を建立した理由は、伝承による部分が大きい。各種資料もあるが、
「古事記」や「日本書紀」など当時の書籍や記録は大和朝廷中心に書かれているし、神武天皇からの系譜を重要視して神話と絡めているから、全て真実と
見なすことには疑問符がつく。
 まだ科学なんてものが概念すらなかったような時代だから、宗教や信仰が時に国家を動かしたのは歴史の事実として存在する。そんな時代に宗教施設を
建立するのは相当の権力や財力を持っていないと不可能だっただろう。その拠点を外敵に容易に破壊されたら一族の存亡にかかわりかねないのは決して
大袈裟じゃない。信仰に地理上の利点を含めてこの地に建立したと考えるのはさほど不自然じゃない。

「参拝の時間に制限はないようだな。」
「そうみたいですね。拝観料もないみたいです。」
「仮に日が暮れそうになっても慌てて下山する必要はないわけか。」

 今まで巡ったところには漏れなく拝観時間の制限があったし、拝観料が必要なところもあった。歴史が長い分拝観料があっても不思議はないが、やはり
全国の稲荷神社の総本宮だけに賽銭や氏子からの寄付で十分まかなえるんだろうか。
 方針が固まったところで改めて出発。千本鳥居は本殿の裏手に回ってすぐのところにある。本殿に勝るとも劣らぬ鮮やかな朱色に塗られた鳥居が
連なって、朱色の通路を形成している。これは圧巻だ。

「入口が2つありますけど、出口は1つだそうです。」
「入る場所によって何か違いはあるか?」
「特にないようです。」

 となると、「どちらにしようかな」のシチュエーションだ。見比べても目立った違いは見当たらないし。

「じゃんけんで選んでみるか。俺が勝ったら…右側からで、晶子が勝ったら左側からってことで。」
「良いですね。」

 晶子も乗り気だ。右側を取ったのは並んで歩く際の立ち位置に由来する。正面を向いた状態で俺の左手側に晶子が立つことから、俺を右にして晶子を左に
しただけだ。
 2回のあいこを挟んだじゃんけんの結果、晶子が勝った。2回連続でチョキで晶子が次にグーを出すと思ってパーを出したら、読みが外れた。

「私が勝ちましたね。」
「勝てると思ったんだけどなぁ…。約束どおり、左から入ろう。」

 再勝負を挑むものでもないし、それほど大人気ないつもりはない。晶子と一緒に左側の鳥居に入る。鳥居の間隔はあまりない。すれ違い出来るくらいの
広さの通路に鳥居の隙間から日の光が差し込む様子は、もはやトンネルというべき状況だ。

「凄いですね。」
「これだと名のとおり鳥居が千本ありそうだな。」

 これだけ鳥居がズラリと並ぶ様子は見たことがない。この先ずっと進んでいくと別の世界に出てしまうような錯覚さえ覚えてしまう。頭の中で「Time after
time〜花舞う街で〜」のフレーズを思い浮かべて映像をイメージしてみる。トンネルを出たところでサビに入るイメージか。

「晶子が見た映像だと、この千本鳥居はどの辺のフレーズだったか憶えてるか?」
「えっと…、イントロを終えてAメロからでした。Bメロにかけて風景の進みが加速していって、サビに入る直前に鳥居を抜けてホワイトアウトしてました。」
「俺の即席イメージと似た感じだな。」

 映像に関しては素人だから、イメージを思い浮かべることは出来てもそのとおりに撮れる自信はない。だから思い浮かんだものと同じだったことで「自分でも
出来る」とは思わない。
 鳥居で覆われた−この表現がぴったりだ−通路は、左に右に緩やかなカーブを描きながら上方向に傾斜している。たまに人とすれ違う通路に差し込む
日差しが眩しく感じる。
 前方が開けて来た。千本鳥居を抜けた先には石畳が敷き詰められた平地が広がっている。此処にも朱色が目を引く平屋建ての建屋がある。

「奥社奉拝所、通称『奥の院』という場所です。」
「奉拝ってことは、此処でも祈祷とかを受け付けてるんだろうな。」
「はい。此処は背後の山、稲荷山三ヶ峰を遥拝するところだそうです。」

 社殿の背後には木々が生い茂る山が控えている。山は西側に聳えているから、日が沈む時後光のように見えるだろう。祀る対象に相応しい風格や神秘性を
感じる。神社らしく、絵馬を懸ける場所もある。稲荷神社は五穀豊穣や商売繁昌がメインだと思うが、願掛けの内容に制限があるという話は聞かない。絵馬と
いうと受験がイメージしやすいから、受験シーズンになると増えそうだ。
 此処で改めて現在地と道のりを確認。このまま道沿いに上っていくと新池と熊鷹社があって、更に進むと最初の目標地点である三ツ辻。案内図は平面だが
実際には傾斜がある。この先傾斜が厳しくなることも十分予想出来る。

「足は大丈夫か?」
「はい。まだまだ歩けます。」

 言葉と様子にずれはない。この程度は散歩感覚だろう。買い物での往復では片道20分くらい歩くし、店ではキッチンに入ってからずっと立ちっ放しで
居られるから、健脚は見た目からの想像以上だ。

「此処まで来たんだし、絵馬でも奉納しておくか。」
「はい。良いですね。」

 今まで拝観した神社や寺院ではおおむね参拝してきた。絵馬を懸ける場所もあったが、奉納は思い浮かばなかった。此処で多くの絵馬が奉納されている
ことに触発されたのかもしれないが、絵馬を奉納しておこうと思いついた。幸い絵馬は売っているし、願掛けの内容にも特に制限はない。此処へ来ることも
そうそうないだろうから、拝観の記念と願掛けを兼ねて奉納するのは、我ながら結構良いアイデアだと思う。

「絵馬、買ってきますね。」

 晶子はいそいそと社務所に向かう。後ろ姿は予想どおりと言おうか嬉しそうだ。俺も社務所に向かう。木目が新しい無記入の絵馬と筆ペンを晶子が受け
取っている。この場で買って奉納する人のために、筆記用具は用意してあるようだ。

「何て書きますか?」
「聞くまでもないと思うが。」

 此処へ2人で来て願掛けのために買った絵馬に書くことと言えば決まっている。晶子は気持ち鼻歌交じりで絵馬に願掛けの内容をしたためる。「幸せな
家庭を築けますように」と綺麗な字で書かれる。…ん?まだ書くのか。えっと…「Dandelion Hillが末永く繁盛しますように」。

「商売繁盛の神様ですし、この旅行を後押ししてくれたことの感謝ということで。」
「丁度良いな。」

 今回の旅行はマスターと潤子さんがくれた多額の臨時ボーナスが原資になっている。往復の交通費と宿泊費、その他食事や買い物で使っても相当額余る。
旅行期間中に使いきるのは俺と晶子の金銭感覚では難しいから、今後の生活の資金にするつもりでいる。
 もっと遡れば、俺と晶子が今に至ったのはマスターと潤子さんが経営するあの店、Dandelion Hillがあるからだ。俺が生活費を稼ぐためにバイトを始め、
晶子がキッチン担当として俺の後を追う形で加わり、毎日のバイトと何度かの大きなイベントを経て俺と晶子の距離は確実に縮まった。店は連日繁盛している
から、俺と晶子が繁盛を祈念する必要はないかもしれない。だが、俺と晶子の関係と生活を構築する上で欠かせない存在である店が、これからもずっと
大勢の人達に美味い食事とひと時の安らぎを齎す憩いの場として続いて欲しい。その願いを併せて祈念して奉納しておくことは、決して間違いじゃない
筈だ。

「祐司さん。名前を書いてください。」

 俺は晶子から筆ペンを受け取って、絵馬の右下に記名する。筆ペンは普段使わないし、書道の成績も並み程度だったから、晶子が書いた願掛けの文章の
文字と比べるとかなり見劣りする。仕方ないか。俺は晶子に筆ペンを渡す。晶子は俺の名前の下にファーストネームだけ記名する。年賀状とかであるような、
夫婦連名の表記になる。俺に先に記名させたのはこうするためだったんだな。

「早くも馴染んでるな。」
「祐司さんとの結婚を意識して以来、ずっとこうしたかったですから。」

 姓が変わることに抵抗がある人も居るが、晶子はまったく抵抗がないどころか、俺の姓である安藤を積極的に使おうとしている。姓の変更後に病院や役所で
名前を呼ばれると自分のことと分からなかったりして苦労したという話があるから、その時に備えて馴染んでおくつもりなんだろう。
 近年は結婚に伴う姓の変更がネックになって、婚姻届をしない結婚である事実婚も選択肢として表に出てきている。結婚で姓が変わるのは圧倒的に女性の
方が多いし、色々な手続きが煩雑なのもさることながらそれまで慣れ親しんだ自分の姓を変更することへの抵抗感は、慣習や我慢で片付ければ良いとは
思わない。
 だが、日本では婚姻届を出す法律婚が夫婦関係、ひいては家族関係の前提になっている。そこに事実婚をして「絆は夫婦」と主張したり当人同士が納得
していたとしても、法律婚を前提にしている以上、それによる法的裏付けのある事柄−保険契約における家族用プランの適用や数々の控除などから除外
される。それも承知の上で事実婚をするなら構わないが、それは差別だと言い出す人達が居る。
 事実婚を選ぶ傾向が強いフェミニズムの女性達は、女性が被る不利益や差別は我慢ならないが、男性が被る不利益や差別には知らぬ存ぜぬを決めこむ。
結婚は家制度に女性を組み込む前時代的なものだから許せない、差別である、だから事実婚を推進するという思考パターンが見える。俺はどうもそういった
主張や思考には疑問を感じざるを得ない。
 結婚は夫婦を基本にしてそこに子どもや時に両親を加えて構成する家族を営むための基本単位だ。夫婦だけなら当人が被る不利益や不都合を許容
出来れば好きにすれば良い。だが、子どもはどうなるのか。法律婚をしていない夫婦の子どもは非嫡出子だ。相続だけでなく、色々な面で不利益や不都合を
強いられる。夫婦の方針として事実婚をするのは兎も角、子どもも同様に現状の不利益や不都合を許容することを強いるのはそれこそ理不尽だ。
 事実婚を進めるフェミニズム信奉の女性達は、夫婦関係からも子どもからも、そして女性であることからも解放することを目指しているんだろうか?解放して
何をするんだろうか?まさか、自分達は何もしなくても、男性や社会が無条件に扶養するとでも思ってるんだろうか?それが当然だと思ってるんだろうか?
男性の1人として、それには「ふざけるな」と言いたい。

「何処に懸けましょうか。」
「目線の高さだと埋まってるから、上の方に懸けよう。」

 絵馬の奉納場所は、受験シーズンが終わった今も結構な数の絵馬が懸けられている。人間の心理だろうか、目線の高さくらいの位置に集中している。そこ
より高いところは結構空いている。俺でも手を伸ばせば届く高さだ。俺は晶子から絵馬を受け取って上の方に懸ける。見上げながらだと目測が取り難いが…、
よし、懸かった。俺と晶子の連名による2つの願い事が書かれた絵馬が、何だか燦然としているように見える。

「これで良いかな。」
「ありがとうございます。よく見えますよ。」

 距離を置いて見ると、同じ材質の絵馬なのに際立って見える。これは不要だろうが、絵馬に向かって柏手を打って祈念。…これで良し、と。

「絵馬を奉納するのは、初めてなんだ。」
「私もです。受験とかで経験していても良さそうなものなんですけど。」
「晶子もか。ちょっと意外だな。」
「私だと、参拝や奉納に縁がありそうに見えますか?」
「そういうのにしっかりしてそうなイメージがある。」
「これが全然なんですよ。寺社仏閣には興味はあっても参拝や奉納には無縁だったんです。それが今では、機会を見つけて参拝や奉納をしてるんですから
変わってますよね。」
「良いんじゃないか?それで自分の意志を確認したり心を新たに出来るんなら。」

 神頼みの類は基本的に信じない。だが、その過程で決意や方針を新たにしたり、「あの時頑張ろうって決めたから」とか挫けそうになったり投げ出しそうに
なった時の気持ちの崩落の歯止めになることはある。その意味では神頼みや願掛けは決して悪いことじゃない。
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