雨上がりの午後

Chapter 253 臨時親子の旅日記(21)−子育て終えた夜、子育て始める朝−

written by Moonstone

「−おしまい。」

 俺はめぐみちゃんのリクエストで2冊目に選ばれた「赤頭巾ちゃん」を締める。主な配役は俺が本文と狼、晶子が赤頭巾ちゃんだ。じゃんけんの結果が極めて
無難なものになって良かった。幼稚園や小学校あたりのお遊戯や学芸会の配役みたいに、自分が主役をやりたいとかこんな役はつまらないとか言わないが、
俺が赤頭巾ちゃんをするのは声もさることながら自分のイメージとかけ離れすぎている。

「面白かった!お父さんもお母さんも、役になりきってた!」
「お芝居でしゃべるつもりで読んだのが良かったみたいね。」
「ちょっと棒読みっぽかったかなと思ったけど、そうでもなかったか。」
「祐司さん、上手でしたよ。」

 役にはまっていたとすれば、おばあちゃんに扮した狼が赤頭巾ちゃんを食べてしまうあたりのシーンが一番か。あのシーンは晶子を別の意味で晶子を
食べる時をイメージして台詞を言ったのは、内緒の話にしておく。めぐみちゃんも居るし。
 最後の本である「わらしべ長者」を取って広げたところで、めぐみちゃんがあくびをする。目を輝かせて俺と晶子が読むのを聞いていた様子から一転して、
瞼がじわじわと重みを増して目を塞ごうとしている。

「眠くなってきたみたいね。先にトイレ行っておこっか。」
「・・・寝なくて良いの?」
「今は・・・9時過ぎか。お母さんにトイレに連れて行ってもらいなさい。聞きながら寝て良いから。」
「うん。」

 夜が遅いし、自分が眠いのを悟られて叱られると思ったんだろう。あまり夜更かしするのは良くないが、俺と晶子よりは体力が低いめぐみちゃんもかなり
歩いたり立ったりしたから、眠気が楽しみを凌駕するのは割と容易だろう。

「めぐみちゃんが寝て聞けなかったら、明日読んであげるから大丈夫よ。」
「うん。トイレ行く。」

 めぐみちゃんが立ち上がると、晶子も続いて立ち上がる。トイレも客室備え付けだから迷ったり危険な目に遭ったりしなくて済む。俺はトイレの間、役作りに
備えてざっと読んでおく。「赤頭巾ちゃん」もそうだったが、有名なシーンやあらすじは覚えていても細かい描写や展開は憶えていなかったりする。
 たかだ絵本と思いがちだが、読み手の興味を引くようにしっかり作られているもんだ。味気も素っ気もない数式や難解な理論が延々と並ぶ専門書よりずっと
読みやすい。めぐみちゃんの眠気を促進するなら、俺が大学で使う専門書の方が効果的だ。それが楽しみながらなのか退屈してある意味諦めているのかで、
結構違うが。
 微かに水が流れる音が聞こえてくる。音が止んだ後晶子とめぐみちゃんが連れ立って出て来て、元の位置、すなわちめぐみちゃんを真ん中にしてその
右側に俺、左側に晶子が居る状態になるようにうつ伏せになって戻る。さて配役を決めるためにじゃんけんを、と思って晶子の方を見ると、晶子は口に人差し
指を縦に当てて目配せする。あ・・・、めぐみちゃんが布団に突っ伏した姿勢で殆ど目を閉じている。トイレを済ませて安心したことで疲れが一挙に噴出したん
だろうか。まさか「今から読むから起きろ」と言うわけにはいかない。それじゃ読み聞かせの押し売りでしかない。晶子に了解の頷きを送ってめぐみちゃんの
様子を眺める。めぐみちゃんは眠気に抗おうと少し瞼を開けるが、眠気の勢いが大きく勝るらしくあっという間に瞼が完全に目を塞ぎ、規則的な寝息を生じ
させる。

「・・・寝たみたいだな。」
「ええ。トイレでも何度かあくびしてましたから。」

 小声でやり取りした後、俺と晶子は布団から身体を起こす。3つ並べて敷かれた布団から俺がめぐみちゃんを抱っこして一旦離し、晶子が掛け布団を捲った
ところに、めぐみちゃんを仰向けにして寝かせる。晶子が静かに掛け布団をかけて寝かしつけは完了と相成る。
 さてここからどうしたものか・・・。明るさでめぐみちゃんを起こさないように、明かりを消しておくか。俺がスイッチの場所へ向かおうとしたところで、晶子も同じ
ように立ち上がる。同じことを考えていたのかと思い、顔を見合わせて微笑む。明かりは昨日と同じで俺が消す。賑やかだった室内は一転して静寂が支配
する。子どもを持つ予想外の予行演習はひとまず終わったと言える。晶子はめぐみちゃんから少し離れた窓の方に座っている。俺はその隣に座る。

「お疲れ様でした。」
「晶子もな。」

 小声で互いを労う。降って沸いて一挙に本番へと進んだ泊りがけの親代わり1日目は、めぐみちゃんの年齢不相応の処世術と素直で純粋な心のおかげで、
予想を大きく上回る安寧さだった。欲しくないわけじゃないが晶子と温度差がある子どもの相手が自分にどれだけ出来るか不安だったが、晶子の子ども好きと
世話好きにも助けられた。
 晶子は俺の肩に凭れ掛かってくる。俺はその肩を抱く。昨日とは違う充足感や幸福感に浸りながら、すやすやと気持ち良さ気に眠るめぐみちゃんを眺める。

「私・・・、祐司さんが私の夫で本当に良かったと改めて思います。」

 晶子は少し顔を上げて上目遣いに俺を見る。少しばかりの疲労感と溢れるばかりの幸福感と満足感を感じる。

「めぐみちゃんに色々説明してあげたり、私と一緒に絵本を読んであげたり・・・。親代わりで保護しているとはいえ、こんなに子どもを大切に出来る男性なら
安心だ、一緒にやっていける、って改めて認識しました。」
「・・・つたない親代わりしか出来ないし、俺にどこまで出来るのか分からない。だからと言って、目の前に居るめぐみちゃんを見捨てることなんて出来ないし、
せめて今くらいは、良い夢を見せてあげたい。」
「・・・。」
「めぐみちゃんは絵本を読んで欲しいって言ったから、ひとっ走りして絵本を買ってきて晶子と一緒に読んだ。一緒に風呂に入った時みたいにめぐみちゃんの
疑問や好奇心に応えてやりたかった。ちっぽけなことかもしれないけど、めぐみちゃんの望みを叶えられたと思う。」
「・・・。」
「めぐみちゃんは、今ぐっすり寝てる。後は・・・、めぐみちゃんが夢から覚めた時、直ぐに同じってのは無理だろうけど、それに近づくようにめぐみちゃんの
両親には心を入れ替えて欲しい。」

 俺の独白が終わると、左腕に軽い拘束感と温もりと柔らかい感触が伝わる。晶子が俺の左腕に両手を回して身体を密着させている。その表情には幸福感が
より強く出ている。

「こんな誠実で子どもを大切に出来る男性が、私の夫になってくれたなんて・・・。」
「こういう言い方すると『時代遅れ』とか言われそうだけど・・・、夫は妻と子どもを守る責任があって妻は夫をサポートすることが主体だ、って思う。場合によって
入れ替わりはあるだろうけど、基本は夫がしっかり妻と子どもを守るもんだと思ってる。子どもが一人立ちして社会へ出るまで親は子どもを保護して躾もする
責任がある。子ども関係の対応や最終的な責任は夫だとも思ってる。」
「警察や京都御苑の事務所の人とも、祐司さんはしっかり対応してましたよね。私は最初から祐司さんに全面協力するつもりでしたけど、妻としてしっかり
サポートしないと、って責任感を感じました。」
「限られた時間で考えて思いついた対応をしたんだが・・・、晶子が子ども好きで世話好きなおかげで何とか大きなトラブルもなく1日終えた。・・・ありがとう。
晶子。」
「どういたしまして。妻として夫をサポート出来て良かったです。」

 めぐみちゃんは今もぐっすり眠っている。親代わりでもめぐみちゃんが望む親らしいことが出来て、今頃は良い夢を見てるんだろうか。夜泣きの年齢は
過ぎてるだろうからその点は安心だろう。もよおして目覚める可能性はあるが、そのくらいなら何とか出来る。

「それにしても・・・、晶子。めぐみちゃんを世話することに便乗してたところもあったな。」
「ばれてましたか?」
「あの目の輝きを見て、分からない方がおかしい。」

 晶子は少し悪戯っぽい笑みを浮かべる。やっぱり狙ってのことだったか・・・。明らかの3人全員での入浴の許可を得る時の晶子は、目が輝いていた。あの
輝きを見れば、機会があれば俺と一緒に風呂に入るつもりだったことは疑いようがない。

「私は・・・、一緒に暮らしている頃から、入浴する時に祐司さんが一緒に入ると言われたら一緒に入るつもりでいました。夫婦ならスキンシップの一環だと思い
ますから。」
「今日だけでも、家で2人きりで風呂に入ってたら絶対理性が吹っ飛んでたと確信出来た。」
「お風呂で私を求めるってことですよね?」
「ああ。」
「夫の祐司さんが妻の私を見て性的に興奮するのは全然かまいませんし、むしろ私でどんどん興奮して欲しいです。」

 今は部屋が暗いから、目を閉じなくても瞼の裏に記憶に残った光景を再現しやすい。お飾り程度にタオルで前を隠しただけの正面姿、長い髪を結わえた
凹凸が豊かな身体、きめ細かい滑らかな肌で弾かれた水分が身体を滴り落ちる様子・・・。身体がむずむずしてきた。昨日は2人きりで初夜という位置づけで
激しい夜を過ごしたな・・・。しまった。こんな時に思い出すもんじゃなかった。

「強すぎる刺激の連続だったぞ、あれは・・・。」
「そんなに性的な魅力がありました?」
「めぐみちゃんが居なかったら、晶子が湯船に入るのを見たところで襲ってた。」

 あのシーンは心臓を鷲掴みにされたようだった。お飾り程度に前を隠すタオルが水分を吸って身体に貼り付いたことで、エロチックさが更に増していた。
見せたくはないが、あの裸体を見て興奮しない男性はまず居ないと断言出来る。

「祐司さんは、私の身体を全部知ってるじゃないですか・・・。隅から隅まで・・・。」
「ああ、全部知ってる。全部見て、触れた。昨日の夜もそうした。」
「はい・・・。」
「だけど、夜にベッドや布団で喘いだり動いたりするのと、風呂場みたいな明るいところで無防備に肌を見せるのとは、また違うんだ。この辺は男と女の感覚の
違いかもしれないけどな。」
「そうなんですね・・・。」

 局部無修正のアダルトビデオが出回る一方で、下着や胸がチラッと見える様子がもてはやされるのは、男性がセックスそのものにも関心があると同時に、
普段の何気ない瞬間に垣間見える「女性」への関心が強いためでもある。想像若しくは妄想を掻き立てるのは前者より後者の方が強いこともある。
 晶子は風呂に入る時に警戒感がまったくなかった。夜の営みで俺に警戒を抱いてはいないが−そうだとセックスどころじゃない−、「風呂だから」という
安心感やある種の開放感とマナーとして前をタオルで隠す姿が織り成す無防備さが、垣間見える「女性」のエロチックさを作り出していた。

「晶子は自分の魅力を知らないところがあるからな。だから、風呂場の様子が強烈な刺激になったんだと思う。見せようとして見せるとあんな刺激には
ならない。」
「夫以外の男性に肌を見せたくないですし、見せませんよ。」

 晶子は肌を出すのを控える。夏でもブラウスは長袖だし、ミニスカートも穿かない。そんな隙がない日頃の生活と夜や風呂場での限定的な積極性や
大胆さや開放的な感覚が、何度も見て触れているはずの晶子の裸体を見て強烈な刺激に感じたんだろう。

「それと、俺は晶子が本当に子ども好きで世話好きなんだと改めて分かった。」
「そうですか。嘘じゃないと分かってもらえて良かったです。」
「食事の時にめぐみちゃんをフォローするところとか、凄く様になってた。あれは本当に子ども好きで世話好きじゃないと出来ない。将来子どもが出来ても、
大丈夫だなと思える。」

 俺の感想に、晶子は満足そうな笑みを浮かべる。「いい女」をアピールするために「子ども好き」「世話好き」と言うことは出来る。だが、実際子どもを相手に
するとなると本心が随所に出る。子どもへの口調や態度もさることながら、子どものおぼつかない動作への対応やフォロー。実は子どもを鬱陶しく思っている
なら、めぐみちゃんが料理を取りやすいように皿を移動したり、食べ溢しを片付けたりは出来ない。

「やっぱり・・・、子どもが欲しいんだな。」
「はい。祐司さんとの子どもを生んで育てたいです・・・。でも・・・。」

 晶子は一呼吸置く。

「暫くは2人きりで居たいなって思う気持ちもあります。」

 晶子の笑みに少し苦い成分が加わる。晶子はめぐみちゃんと会う前に子どもが欲しいという話の流れで、娘と夫の俺を取り合うような気がすると言っていた。
めぐみちゃんの親代わりをして、そんな予想が確信へと強まったんだろう。俺も思わず苦笑いしてしまう。

「娘が出来たら、本当に俺を取り合いそうな雰囲気もあったよな。」
「そうならないように気をつけないといけないですね。」

 晶子は改めて笑みに苦味を加える。本当の喧嘩になると洒落にならないし自分の娘に対して親として大人として大人気ないが、そう思えるような夫で
居たい。
 しかし・・・瞼の裏で風呂場での強烈な刺激が隙を見て繰り返されるな・・・。身体がむずむずする・・・。

「祐司さん・・・。苦しい・・・ですか?」
「・・・分かるか?」
「ええ。」

 晶子は一呼吸置く。

「私で・・・楽になってください。」
「今はめぐみちゃんが寝てるから・・・。」
「声は殺しますし、めぐみちゃんが目を覚ましても直ぐ対応出来るようにします。祐司さんを刺激して挑発した私の責任ですから・・・責任は取ります。」

 微かに鼻をくすぐる芳しい石鹸とシャンプーの香り、左腕に伝わる柔らかい感触と温もり、少し顔を寄せれば簡単に唇を塞げる位置にある顔から感じる
息遣い。魅力的で刺激的だ。・・・ここは晶子の厚意に甘えるとするか。めぐみちゃんが目を覚ましても直ぐ取り繕えるように、俺も気をつけて・・・。

・・・。

 身体の硬直が解けると同時に思わず深い溜息が口を吐いて出る。有声音が混じってしまいそうなところをしっかり唇を合わせて抑える。鼻から出すことで
無声音に強制変換するが、勢いまで抑えるのは困難だ。前のめりに倒れそうなところを膝に力を入れて堪える。晶子からゆっくり身体を離したところで再び
深い溜息。改めて目の前に仰向けに横たわる晶子を見る。脱がさなかった浴衣は乱れ、闇の中で胸と下腹部より下の部分が白く浮かび上がっている。唇を
きゅっと閉じて声を押し殺している晶子の両腕がゆっくり動いて、はだけた浴衣の前を隠そうと試みる。
 ・・・思わず生唾を飲み込んでいたことに気づく。この様子を見ているだけでもう1回となりそうだ。普段とはまったく異なる驚くほど緩慢な動き−俺がそうなる
ように体力を削らせたんだが−の晶子を、四つん這いになる形で抱き起こす。肩口から聞こえて感じる晶子からの余韻は、何時もの夜と同じく深いもののよう
だが、今はそれに浸りきるわけにはいかない。
 晶子を抱き起こした後、素早く身に着ける若しくは戻せるように近くに置いておいた下着を取って、片方を晶子に手渡す。まだ声と息を押し殺すのに懸命な
晶子は、黙って下着を受け取って小さく頷く。声が出せない状況でも意志を示すあたりにも律儀さを感じる。
 俺と晶子はそれぞれ下着を穿く。体裁を整えるために浴衣は脱がなかったし、脱がさなかった。しかし、下着だけを取って秘密裏に夜の営みを決行した
のは「俺が楽になる」という点では若干逆効果の面が否めない。済んでから思っても手遅れだが。
 今夜は直ぐに取り繕えることが前提だから、俺が動くことに徹した。その途中で脱がさなかった浴衣は嫌が応にもはだける。俺が途中で体位を変えたことで、
晶子の下半身は幾度となく露出した。体位によっては晶子の下半身だけが全裸になって目の前に突き出されることにもなった。そんな状況で興奮を鎮めろと
いうのは無理な話。歯を食いしばって−本来の意味から逸脱するが−動いて、晶子が声や息を出せないことを身体をよじったり手を強く握り締めたりする
様子を見て更に興奮して、晶子の中で幾度か絶頂に達した。性生活のマンネリにはシチュエーションを変えることも有効と聞いたことがあるが、それは正解
だと身をもって実感した。場合が場合でなければ最高だったんだが。

「晶子・・・。ありがとう・・・。」

 下着を穿いて浴衣を元に戻して、改めて2人寄り添って座ったところで、晶子に小声で礼を言う。場違いなのは分かっているが、言わずには居られない。
晶子は小さく首を横に振って、俺の肩に凭れ掛かってくる。

「どうしたしまして・・・。私・・・責任を・・・果たせてましたか?」
「十分。」

 事前に宣言したとおり、晶子は最後まで声を完全に殺した。動く前に可能な範囲で愛撫をしたから普段だとその段階で息は荒くなるところも、さらには必ず
声が出る絶頂に達した時も完全に声を殺しきった。有言実行を実践した晶子に感謝することはあっても批判する余地は何もない。

「声を出さないようにするってのは・・・なかなか難しいもんだな。」
「私は特にそうですね・・・。」

 晶子の言葉は普通どおりたおやかに紡がれる。ようやく押し殺す必要がなくなったらしい。俺も歯に力を込める必要を感じないし、これで完全に見た目
元通り、めぐみちゃんが目を覚ましても支障はない状態に戻ったわけだな。
 めぐみちゃんは変わらずぐっすり眠っている。「楽になる」最中も絶頂に達することを感じる直前あたりまで時々注意を払っていたが、偶に寝返りを打つ
程度で目を覚ますことはなかった。声も吐息も押し殺して「楽になった」ことで、めぐみちゃんを起こさずに済んだようだ。

「よく・・・眠ってますね。めぐみちゃん。」
「昼間かなり移動したからな。楽しんで疲れてぐっすり寝られてるんなら、当然だし良いことだ。」

 地下鉄やバスを使ったし、混雑する場所では危険と迷惑を考えて交代でおんぶをしたとは言え、結構な距離をめぐみちゃんも歩いた。短い距離でも、俺と
晶子とでは体力も足の長さも回転の速さも全然違う。その分めぐみちゃんの方が疲れるのは自然なことだ。
 俺も晶子も、昼間の行動では大きな疲労感を覚えるには至らなかった。これは多分、日頃のバイトで鍛えられたせいだろう。俺は接客係として料理が乗って
いるかどうかの違いがある何枚もの皿を持ち運びして、個人経営の喫茶店にしてはかなり広い店内とキッチンを行ったり来たりしている。一方晶子は料理
担当として重い料理器具を扱い、注文を受けて食材を料理する。どちらもほぼ開始から営業終了まで立ちっぱなし。それが夜6時から10時まで4時間続く。
かなりの運動量だし身体の負荷になるから、それをこなしているうちに体力は自然と増強されていく。俺もバイトを始めて最初の頃の体力で、最近の混雑に
対応出来るとは思えない。体力的なことも含めて順応するってことは凄いもんだ。

「祐司さんはめぐみちゃんを長くおんぶして移動もこなしましたから、疲れてませんか?」
「その疲れは意外と少ない。それに、めぐみちゃんをおんぶして移動もこなしたのは、晶子も同じだろ?」
「ええ。でも、ある程度のものを運んだりする体力はありますよ。それに・・・。」

 晶子は一呼吸置きながら、少し腰を浮かせて俺に顔を近づける。

「さっきまでの祐司さんの激しい攻めで奪われた体力の方が・・・。」

 少し照れたような晶子の笑みで、つい30分も経たない前の出来事が鮮明に蘇る。声も音もほとんどない殆ど白黒の、黎明期の映画のような光景の連続は、
音や声がなくてモノトーンな分、エロチックさが別の角度から際立つ。

「色々と・・・興奮させられることが連続するな・・・。」
「祐司さんは健康な男性ですし、妻の私が乱れる姿を見て興奮するなら・・・嬉しいです。」

 万年発情期と言われる人間の男、しかも20代前半と性欲に事欠かないのが基本の時期。だが、誰でも興奮して襲い掛かるかといえば決してそんなことは
ない。それは犯罪だと分かってるのもあるし、性欲を常時理性で制御していられる。これが出来るかどうか、言い換えれば性欲の赴くままに行動するか
どうかで人間かそれ以外の動物かの違いが出るんだろう。
 晶子とセックスすることに対する壁を超えて、更に晶子が次第に俺の家で暮らす時間が長くなるに連れて、俺は晶子に性欲を向けることが増えている。
大学のレポートの連続攻撃と試験の大規模攻撃に応戦する最中でも、結構な頻度で晶子との夜の営みに励んだ。疲労が一概に即寝ることへと繋がるもの
じゃないようだ。俺の性欲やセックスに関しての晶子の認識や態度は多少揺らぐことはあっても基本は一貫している。1人の特定の女性−つまりは晶子に
対してのみ俺が性欲を向けて発散することはかまわないどころかむしろ奨励・支援するし、自分も1人の特定の男性−つまりは俺に対してだけは積極的に
なり、俺以外の男性とは決して関係を持たないと誓約して実行することだ。
 あくまで自分以外の他人である以上は、ちょっとしたきっかけで誤解や行き違いを生じる。田畑助教授とのトラブルや最近だと田中さんの「台頭」がそうだ。
晶子はその都度自分を強く戒め、俺との関係を強化することで自分の認識や態度のブレを修正しているようだ。俺は晶子とセックスすることに何も不満は
ない。壁を作っていたのは、セックスが必ずしも男女間の愛情の維持には繋がらないことを宮城との破局で思い知らされ、それから程なく勃発した晶子との
関係でもそうなることを強く警戒していたからだ。その警戒が必要ないものだと多方面から認識することで弱まり、俺が求めて晶子が喜ぶことはあっても
−変な表現だが−拒否することはないという認識が加われば、晶子とのセックスに及び腰になる理由はなくなる。

「そろそろ寝るか。明日もあるし。」
「ええ。そうですね。」

 2人きりなら仲居が来るまでに起きて、チェックアウトまでに宿を出れば良いというかなり大まかな行動が可能だ。しかし、今はめぐみちゃんの親代わりだ。
間もないところに来ている小学校入学も視野に入れて、俺と晶子の都合で生活リズムを混乱させるのは好ましくない。
 子どもを持つということは、子どもを生活の中心に据えるということなんだと感じる。子どもが1人で社会の一員として生活していけるようにするために、
子どもの世話や躾をする。「個性」という名の下で何もかも許して認めていたら、それこそ個性が無数に存在する社会に加わった時に必ず軋轢を生む。
感情的な諍いだけなら当人同士の問題だからまだしも、他人に危害を加えたり他人が安全に暮らしていく社会を破壊するようなことになってはならない。
 人間の子どもは動物の子どもと違って、その種として成長して生きるにはかなり未熟な状態から始まる。食事を食べることもままならない。そのままだと
当然死んでしまうから、親が子どもに食事を与え、やがては作るなり別に調達するなりして自分で得るように教育する必要がある。何も出来ないし何も知らない
子どもを、他人に預けっぱなしでまともに育つのか疑問だ。何かにつけて親が口出しする過干渉も有害だが、「親はなくとも子は育つ」とばかりに放置するのも
問題だ。他人とのかかわりがあるからきちんと育つという言い分にも限界がある。
 所謂「出来ちゃった結婚」が家庭の不和になりやすいのは、男女がそれぞれ好き勝手したいと思っていた矢先に、子どもを授かったことで目論見が外れて、
好き勝手とは正反対の束縛が四六時中付きまとうことによるストレスが大きな原因だろう。今日のめぐみちゃんの両親がまったくの他人である俺と晶子と
京都御苑の管理事務所の職員の前で、さらにはめぐみちゃん本人が居る前で激しい罵り合いを展開したことからも、ストレスの度合いが窺える。
 子どもの権利や将来の可能性を台無しにする危険が高い−離婚が子どもにとって転居に匹敵する深刻なダメージを及ぼすことは多い−ことからも、自分の
目論見が外れたことでの両親の不和は、あまりにも見苦しいし情けない。めぐみちゃんの両親は俺と晶子とそれほど年齢の差はないように見えた。晶子が
熱望さえする子どもを持った男女、言わば先輩なのに・・・。結婚すれば一人前、子どもを持てば一人前とする認識は思い込みに過ぎないと分かる。

 俺と晶子は、絵本を読んであげた時と同じ位置、すなわちぐっすり眠り続けるめぐみちゃんを真ん中に俺が窓側、晶子が出入り口のドア側の布団に入る。
川の字で寝る・・・。俺が小学校低学年くらいの頃に1回経験した記憶がおぼろげにある程度の就寝スタイルを、親の立場で体験することになるとはな・・・。
 京都という大まかな行き先と拠点となる宿だけ確保して、後はその日の気分と状況に任せるという新婚旅行らしくないこの旅行は、様々なハプニングや
トラブルの連続だ。それらにどうにか対応してやり過ごしていられるのは、晶子の協力があってこそのものだ。新婚旅行からの帰還と同時に離婚する事例が、
一時大きく取り上げられたことがある。何のために結婚したのか理解出来ないという気持ちもあるが、こうして突発的な親代わりをしている今は、特に日本での
常識や考え方が通用しないこともあれば言葉が通じにくくてコミュニケーションも取り辛い外国へ2人で旅行へ行ったことで、相手の素性が判明したり思い
違いが甚だしかったことが分かってこの先夫婦としてやっていけないと絶望したのかもしれないという気持ちもある。
 晶子は俺を夫として頼れる、協力し合えるという認識を強めることが出来たことで、俺と一緒に居たい、一緒に暮らしたいという気持ちをより強めたようだ。
良いことはあっても悪いことはない・・・。

Fade out...

 ・・・うじさん。祐司さん。・・・晶子か。
 晶子の呼びかけで意識が急速に形を成していき、目の前が開ける。何時もの目覚めとほぼ同じ光景が広がっている。違うところは覗き込んでいる顔が
晶子に加えてめぐみちゃんのものもあることだ。

「おはようございます。」
「お父さん、おはよー。」
「ああ、おはよう。先に起きてたのか。」
「私が最初に起きて、それから直ぐにめぐみちゃんも起きたんですよ。」

 子どもが居ても俺の朝の弱さには変わりはないようだ。めぐみちゃんが自分に続いて起きたことで、俺を起こす様子を見せようと思い立ったのかもしれない。
普段どおりにすれば良いんだからその辺は随分楽だろう。

「仲居は?」
「まだです。7時を少し過ぎたあたりですから十分余裕はありますよ。」
「そうか。それなら良い。寝過ごして待っててもらってるってなるとみっともないからな。」

 子ども相手に心身が疲れて寝こけていたならまだ良いが、めぐみちゃんが寝ている最中に晶子と二晩連続の営みをしておいて、晶子は先に目覚めている
のに俺は起こしても起きないなんていうのはみっともないの一言だ。
 枕元に置いておいた携帯−アラームを設定した携帯は色々と便利だ−で改めて時刻を確認する。仲居が来るのは7時半くらいだから確かに十分余裕は
ある。来るまでの間に見繕いをしておこう。布団から出て晶子とめぐみちゃんと共に、洗面所へ向う。顔を洗って口をゆすぎ、目立つ寝癖がないか確認する。
・・・よし、大丈夫。めぐみちゃんも晶子のフォローを得て見繕いをする。洗面台と身体の大きさのギャップと一生懸命な様子が見ていて愛らしい。
 洗面所から出て部屋に戻り、晶子が淹れた茶を飲む。微かに残っていた眠気が茶の苦味と渋みと熱さで完全に消し飛ぶ。窓から差し込む柔らかい光と
共に、穏やかな朝を感じる。

「着替えなくても良いの?」
「人によって色々だけど、浴衣は旅館限定の部屋着みたいなものだから、旅館の中だったらこのままでも構わないわよ。」

 朝食時の服装にもそれぞれの家庭の様子が見受けられる。俺は高校までは通学の日は制服で休日は部屋着−時にパジャマ兼用−だったが、大学進学と
同時に一人暮らしを始めたことで、パジャマで過ごすことが多くなった。晶子と共に朝を迎える機会が多くなっても変わっていない。一方、晶子は必ず
部屋着を着用している。部屋着でも私服と比べてさほど見劣りしないし、見繕いもきちんとしているから朝早くの不意の来客−今のところは幸いにしてない−
にもそのままで十分対応出来る。朝に強いことと真面目さがよく分かる。
 晶子が言ったとおり、基本的に浴衣はその宿限定の部屋着と思っておけば間違いはない。浴衣には旅館の名称は記載されていない。花火やイベント時に
このまま外出しても不都合じゃないように作られているようだ。知っている京都の祭事は・・・、祇園祭くらいしか直ぐに思い浮かばない。町も建物も歴史が
長いところだから、年中何処かで有名な−その様子を見たり名前を言われたりすれば「そう言えば」と気づく祭事が開催されているだろう。
 この宿が面している鴨川も有名な観光スポットの1つ。確認していないが桜も堤防沿いに並んでいたように思う。そうだとすれば、桜が咲く時期−もう直ぐ
そこまで来ている時期には大々的な祭りが開催されても不思議じゃない。花火の季節になれば意図しなくても花火大会で賑わうだろう。1年かけて全ての
祭事を体験したい気もするが、それは時間と懐具合が許さない。今は数ある京都の時期と祭事の僅かな谷間なんだと思う。観光シーズンに混雑承知で
行かずに、「行ってみたい」という単純明快な意志の合意で始まったこの旅行は、観光シーズンでは見られない普段の京都に暫し触れるには、むしろ最高の
機会なんだろう。

「失礼いたします。」

 ドアノックに俺が応答すると、この部屋の専属担当らしい仲居が入ってきて机の側で腰を下ろす。

「おはようございます。」
「「「おはようございます。」」」
「よく眠れましたでしょうか?」
「はい。おかげさまで。」
「ぐっすり寝られたよー!」
「良かったねぇ。」

 めぐみちゃんのアピールに、仲居は見下すことも媚びることもなく応じる。自分のアピールが聞き入れられたことで、めぐみちゃんは満面の笑みを浮かべる。
自分の存在が他人に認知される、言い換えれば無視されないってことは、何気ないことだが当人には重要なことだったりする。めぐみちゃんのように、日々の
生活の拠り所を自宅での暮らしに見出せないでいるらしい幼児にとっては尚更・・・。

「これよりお食事をお持ちします。」
「よろしくお願いします。」

 仲居が退室して程なく、食膳を持った別の仲居が整然と列を成して入ってくる。昨日の夕飯と同様にそれぞれの前に並べられた食膳は、俺と晶子の分は
ご飯と味噌汁に鮭の切り身を焼いたものを中心とするオーソドックスだが品揃えは豊富なもの、めぐみちゃんはお子様ランチを和風にして水平方向に展開
したような、これまたかなり凝った細工がなされたものだ。

「凄ーい!」
「遊園地みたいだねー。」
「ごゆっくりどうぞ。」

 仲居が静々と退室した後、3人揃っての朝食が始まる。興奮冷めやらぬまま箸を持っためぐみちゃんを、隣の晶子が巧みにフォローする。俺は昨日の夕飯の
時と同様、時間制限はないことと食べられないものは無理に食べずに残しても良いことを話してから、味噌汁に手を伸ばす。
 晶子と2人で朝食を摂るのは、此処一月二月ほどは馴染んだ光景だ。朝起こされたら食事が出揃う直前で、揃って食事をしてから平日だと大学、休日は
手分けして掃除や洗濯をして、少し俺がレポートを手がけてから買い物という行動もパターン化している。飽きたり面倒だと思うこともなく、むしろ生活は
規則正しく健康的になって−休日に昼まで寝ているのはやはり勿体無い−ありがたい。朝以外で2人で食事するのは休日の昼間くらいだが、そこでする
会話の話題は、大学で今どんなことをしているのか、(これは晶子から出される提案だが)食べたい弁当のメニューはあるかといった平凡なものがほとんどだ。
今の社会情勢や世界経済の動向といった崇高な話題はあまりしない。それより同じ大学でも学部学科が違うとこれほど違うのかと驚いて、そこから話が続く。
 文学部は女性の割合が多いことは知っているが、講義の出席率は必須だとそこそこ高いがそれでも8割程度で、選択だと講義によっては閑散としたものだと
いうのが一番の驚きだ。工学部だと学科によって若干の違いはあるが、必須はほぼ全員出席、選択でも登録者の7割か8割が最低レベルで、必須と同様全員
出席のものも珍しくない。それもそのはず。単位の取得が容易じゃない講義が多いからだ。必須は言うに及ばす、選択もそう簡単に取らせてくれない。進級に
必要な最小単位数を元に講義を絞ると、よほど出来が良い学生じゃないとまず留年する。更に、三人寄れば何とかではないが、履修する学生が多いと過去
問題の広まりやノートやレポート写しでの恩恵が強まることで単位取得の可能性が高まる。後者のノートやレポート写しは俺だと原本になることが殆ど
だったが、過去問題の入手で恩恵が得られたのは間違いない。そんな状況だから、出来るだけ多くの講義を履修して言うなれば「数撃てば当たる」方式へと
殆どの学生がシフトする。晶子が居る英文学科を含む文学部全体はそれとは正反対に単位の取得が割と容易だから、出席率も低下しやすい。
 4年になると卒研が待っているのは俺も晶子も同じだが、雰囲気や進捗スケジュールはかなり異なるようだ。当然就職や進学の度合いもかなり異なる。
簡潔にまとめると「俺は就職は研究室繋がりで意外と何とかなるが大学生活は最後まで厳しい」「「晶子は大学生活は卒研まで安穏と出来るが就職は何もかも
自分で」だ。
 俺の就職に関しては、学生実験の後半で担当教官から特別待遇−先に1対1で口答試験を終えて雑談して解放という流れ−を受けるようになり、
仮配属中の研究室に出入りすることで明らかになってきたことだ。不景気や就職難とひっきりなしに言われるが、工学部、特に電気電子工学科と機械工学科
−大学によって名称は異なるが分野は変わらない−に限ってはさほど影響はないようだ。これも少し考えれば割と単純な理屈だったりする。電気電子と
機械は産業つまりは企業のみならず現在の自動化・電気制御導入を推進若しくは必要とする社会全体が求める技術分野だからだ。家電製品、例えば
洗濯機1つ取ってみても、用途に応じた洗濯槽の駆動には電気電子回路による制御が不可欠だし、機械分野でも省電力化を追求するほど力学など機械
工学の知識や技術が必要になる。高機能化すればするほど電気電子と機械の技術が不可欠になる。そういう分野に技術や知識で直接関与する電気電子
工学科−新京大学だと電気工学科と電子工学科に二分されているがカリキュラムは同一だから同一の学科−と機械工学科は、産業すなわちメーカーや
大手に大抵存在する付属研究所からの求人が多数ある。研究室の教官や学生から異口同音に就職には困らないという言葉が聞かれるのは、そういう背景が
あると分かり始めている。
 公務員だと全員受験の筆記試験があるから研究室繋がりでの採用というのは無理だが−あってはならない−、企業やその付属研究所だと研究室繋がりで
かなりカバー出来る。これも研究室の教官や学生から「うちの研究室なら何系のメーカーに強い」と言われる背景にある。逆に就職したい企業があるなら
研究室をある程度早期に絞り込む必要があるが、これは偏差値とネームバリュー絶対主義が根強い一般ではあまり理解されないことだ。
 だから、就職そのものは俺の場合意外と何とかなる。問題はどういう職場で何をしたいか若しくは何が出来るか、だ。勿論最初からあれもこれも出来るわけ
じゃないが、企業や職場によって携わる分野はある程度絞られてくる。研究室繋がりの弱点でもある選択や絞込みを入念にすることが肝要だ。俺だけなら
まだしも、晶子も居るから。
 就職に伴う晶子との付き合い−夫婦関係と言うべきものの不安や心配は、当初の俺の就職が可能か否かに限っては解消される方向に向っている。一方で、
晶子がどうするのかという別の不安が生じつつある。晶子は俺に経済的に俺におんぶに抱っこ、宏一が以前使った表現だと「寄生虫」感覚で俺との関係を
深めて強めてるわけじゃないから、仕事と家事を共同で負担する、つまりは自分が専業主婦になることは考えていないだろう。だが、俺との関係に支障を
きたさない−遠距離になったり時間が全然合わないなど−就職先が見つからなかった場合、俺は自分の収入のみで晶子と、晶子が熱望する子どもを扶養
していくことを考えないといけない。
 企業にしろ公務員にしろ、新卒時の給料はそれほど高くない。子どもを持つことを考えるなら、かなり考えて生活しておかないといけない。晶子の経済感覚
からして俺が就職した途端に浪費に走ることはまず考えられないし、子どもを持つことをある意味盾にして浪費を抑制することも可能だ。しかし、自分1人の
収入で晶子と2人若しくはそれ以上の人数で生活していけるのか、不安がある。
 …今は旅行、しかも「新婚」と冠した旅行の最中だから、これ以上将来の不安方向に思いを馳せるのは控えておこう。今、俺の前で繰り広げられる光景を
見て、子どもが出来ても安心して母子のやり取りを見ていられるだろうと思う方が良い・・・。
 朝食の後−全員残さず食べた−歯を磨いてから、絵本を読むことになった。めぐみちゃんが昨夜の約束を憶えていて、自分が途中で寝てしまったから最初
から読んで欲しいと言ってきた。俺と晶子は断るどころかそうするつもりだったから、即答でOKした。めぐみちゃんの表情が不安の曇天から歓喜の快晴へと
一転したのが微笑ましい。
 読む前にチェックアウトの時間を確認したが10時と、今が8時半過ぎだから十分余裕がある。昨夜は寝る前だったから布団にうつ伏せだったが、今は布団が
片付けられたことで−食膳の運び出しと同時に素早く片付けられた−、畳に座る。めぐみちゃんを真ん中にして絵本を広げて見せ、左に晶子、右に俺が位置
するスタイルは同じだ。
 じゃんけんを何度か繰り返して配役を決める。わらしべ長者になる主役の男性が俺になったことで、配分を考えて本文を読むなど説明は晶子に任せる。
その他の役はじゃんけんで勝った方が得ていく。・・・主役と本文を除くと幾分無理がある部分があるが、そこは気にしないことにする。配役が全部決まった
ところでふとめぐみちゃんを見る。座っても身長の違いがあるから顔は良く見えないが、表紙を捲って直ぐの扉絵に真っ直ぐ見入っているから読んでもらい
たいと強く思っているのは分かる。

「じゃあ、始めるか。」
「ええ。・・・『昔々、あるところに・・・』」

 晶子の落ち着いた聞き取りやすい朗読が始まる。俺は配役の1つである主役の男性がしゃべるタイミングを待つ。絵本だから情景描写は簡単で
−そのためにページ全体を使う絵がある−その分台詞が登場人物の性格や心境を強く反映する。演劇には疎いし昨日今日の読み聞かせで自信がつくもん
じゃないが、めぐみちゃんを楽しませることだけ考えれば良い・・・。
Chapter252へ戻る
-Return Chapter252-
Chapter254へ進む
-Go to Chapter254-
第3創作グループへ戻る
-Return Novels Group 3-
PAC Entrance Hallへ戻る
-Return PAC Entrance Hall-