雨上がりの午後

Chapter 230 終わり近付く「親子」の時間

written by Moonstone


「祐司お兄ちゃんと晶子お姉ちゃんの手って、色は似てるけど違うね。」
「ん?どういうところが?」
「祐司お兄ちゃんはがっしりしてて、晶子お姉ちゃんは柔らかい。」

 めぐみちゃんの感想は俺も思うところだ。晶子の手は本当に柔らかい。晶子はもっと強く握って良い−強く握ってほしいというニュアンスが感じられる−と言うが、強く握ると
ひしゃげてしまうと思うほど柔らかい。だから大切にしないといけないと思う。
 俺の手はどうか、自分では色白で特に特徴がないと思う。指は特別長いわけでもなく短いわけでもない。太さは標準的なものだと思う。晶子に言わせると「がっしりしてて
頼もしい」そうだ。「手を握られるだけで安心出来る」とも。めぐみちゃんもそうなんだろうか?

「晶子お姉ちゃんは、祐司お兄ちゃんに手を繋いでもらったことある?」
「うん。何度も。」

 晶子の言うとおり、晶子とは何度も手を繋いでいる。夜を共にする関係で手を繋いだことがないというのも奇妙な話だろうが、バイトの帰りでは必ず手を繋ぐ。
往路は客に見られるとまずいから、繋がないでいる。晶子との交際が明らかになって久しいから今更隠しても無意味かもしれないが、客に従業員が仲良くしている様子を
おおっぴらに見せるのは良くないと思ってのことだ。

「晶子お姉ちゃん、凄く嬉しそうに言うね。」
「そう見える?」
「うん。晶子お姉ちゃんは祐司お兄ちゃんとのことを凄く嬉しそうに言う。」
「凄く嬉しいから。」

 分かりやすい答えだ。
俺自身、聞いていて本当に晶子が嬉しそうに言っているのが分かる。俺が指輪をプレゼントして初めて人目に触れることになった翌日も、指輪のことを聞かれて嬉しそうに
答えた。最初に尋ねた潤子さんは、晶子の話を半ば呆れた様子で聞いていた。惚気たっぷりだったから当然だろう。
俺は自分の異性関係を公にするのを控えるタイプだから、惚気じゃなくて照れが先行する。指輪を填めて最初のバイトでも左手を隠していたし、週明け初の大学でも
知らないふりを決め込んでいた。目ざとく見つけた智一に聞かれても、最初は指輪としか答えなかった。更に聞かれて仕方なく言ったくらいだ。
決して晶子との関係を疚しく思っては居ない。ただ、その手の話を聞きたくない人も居るだろうから自分からは言わないし、見せびらかすようなことはしない方が良いと
思ってのことだ。言う必要に迫られれば言う。それは去年の秋に実行した。
 めぐみちゃんから見て、俺と晶子は同じ自分と相手との関係に言及する態度が大きく異なることを不思議に思っているかもしれない。「嬉しい」と即答出来る関係に
あることが羨ましく思う方が大きいかもしれない。めぐみちゃんの両親の仲がどれほどのものか分からないが、芳しいとは言えない部類に入ることはほぼ確かだ。
仲睦まじかったら俺と晶子の様子を見て羨ましく思ったり、悲しそうな顔をしたりしないだろう。子どもを持つ親の責任ってもんは単に夫婦関係を続けるだけじゃないことが
分かる。こんな形で分かりたくなかったが、反面教師と見るべきだろう。

「祐司お兄ちゃんは、あんまり晶子お姉ちゃんとのこと言わないね。」
「照れくさいって気持ちが先に出るんだ。」
「ほら、祐司お兄ちゃんは照れ屋さんだから。」
「でも、祐司お兄ちゃんが晶子お姉ちゃんを凄く好きなのは分かる。」
「どうして?」
「晶子お姉ちゃんを見る顔や目が、凄く優しいから。」

 少なくとも邪魔だとか鬱陶しいとか、そんな目で晶子を見ていないことは確かだ。でも、優しい表情や目をしようと意識しては居ない。それでも他人が見れば分かるんだろうか。
「目は口ほどにものを言う」と言うし、感情は顔だけでなくて目にも表れるんだろう。

「晶子お姉ちゃんが祐司お兄ちゃんを凄く好きなのは、分かりやすいから直ぐ分かった。祐司お兄ちゃんは晶子お姉ちゃんと違ってあんまり表に出さないけど、
晶子お姉ちゃんを見る時の顔や目を見てて、晶子お姉ちゃんを凄く好きなんだな、って分かった。」
「ああ。俺は晶子お姉ちゃんが凄く好きだよ。」

 此処まで指摘されたら躊躇ったり隠したりする必要はない。読み取れる心に嘘偽りがないことを口に出すことで証明する。晶子は一瞬少し驚いたような顔をするが、
直ぐに満面の笑顔に変わる。俺が誰かに自分を好きだと言うシーンに直面したことが殆どないから、相手がめぐみちゃんであっても喜びは増すんだろう。
 ・・・言っておいて今更だが、やっぱり照れくさい。顔が熱く火照ってくるのが分かる。「好きだ」とか「愛してる」って言葉は、夜の最中には割と言う。「好きだ」し
「愛してる」からだ。俺は誰某構わず「好きだ」「愛してる」と言える奴や、好きでもない異性とセックスする奴が信じられない。愛のないセックスはしたくないし、したことがない。
2人きりで特別な時間の只中だから、気持ちのままを口にする。回数が数えられない頻度になっても、「週何回」のレベルに移行してからも、晶子を好きだから、愛してるから
晶子とセックスする。「遅れてる」と言われようが、俺はそういうもんだと思っている。

「晶子お姉ちゃん、嬉しそうだね。」
「うん、凄く嬉しい。祐司お兄ちゃんが人前で私が好きって言ってくれること、あまりないから。」
「晶子お姉ちゃんは嫌じゃない?好きって言ってもらえなくて。」
「嫌じゃないよ。祐司お兄ちゃんは誰かと仲良くしてるとかそういうことは自分から進んで言うべきものじゃないって考えだし、それはそれで正しいことだと思うから、
嫌とは思わない。だけど、言ってほしいなとは思う。」
「「・・・。」」
「でもね。普段言わない分、言ってくれる時のインパクトが凄いのかもしれないなって思うの。」

 晶子の言葉には実感が篭っている。
実際、俺が家に一緒に居る時、偶に「好きだ」「愛してる」と言うと凄く喜ぶ。何度も聞いたのにと思うが、何度聞いても嬉しいことが分かる。それを見ると普段ももっと言った方が
良いかと思うが、照れくささや公言することへの躊躇から言えないで居る。

「祐司お兄ちゃんは言ってくれる時、私を真っ直ぐ見てくれるの。そこから『好きだ』『愛してる』って言ってもらえると、私だけに言ってくれてるんだって実感がじわじわ
沸いてきて、凄く嬉しくて幸せなの。」

 晶子が俺から「好きだ」「愛してる」と言われる時の晶子の気持ちが手に取るように分かる。
確かに俺は晶子に「好きだ」「愛してる」と言う時は、必ず晶子の顔で視界を埋めてから言う。言う前と言った後の晶子の表情の変化は、本当によく分かる。何を言うのかという
期待半分不安半分の顔から、驚きに続いて喜び溢れる顔に変わっていく様子は、見ていて俺も幸せな気分になれる。

「祐司お兄ちゃんと晶子お姉ちゃんは、本当に両想いなんだね。」
「うん。それが凄く幸せ。」
「晶子お姉ちゃんが凄く羨ましいな・・・。」

 めぐみちゃんは視線を下に落とす。これからめぐみちゃんを待つ現実に連れて行かなきゃならないんだよな・・・。
何とかしてやりたいが、「人様の家庭の事情に首を突っ込むな」と返されて終わりとなるのが関の山。めぐみちゃんの性格や人格が歪まないのを願うしかない、か・・・。
 さっき携帯を取り出した時に時刻を見たら、午後1時を少し過ぎていた。そのせいか、人通りが更に増えたように感じる。今の季節、夜はまだまだ冷えるが、
太陽が高くなればそれなりに暖かくなる。地元の人でも散歩か何かで出歩いたって不思議じゃない。
人通りの中には親子と分かる人達も居る。手を繋いだり肩車したり、おんぶしたりと子どもをつれて歩く様子は色々だ。親らしい人は見たところ30代くらいってところか。
俺と晶子がちょっと若く見える。21歳同士−あと一月少々で晶子は22歳になるが−だし、年齢相当に見える方が良い。

「祐司お兄ちゃんと晶子お姉ちゃんは、お休みの日は何をしてるの?」
「んーとね。一緒に買い物に行くわよ。」

 休みの日−大学の講義があるかないかからの視点だが、朝起きて朝飯を食べたら買い物に出かける。大半は普段行くスーパーで済ませられるが、そこにはないものが
必要な場合は当然ながら足を伸ばす。足を伸ばすのは主に紅茶と菓子の材料。紅茶は晶子が俺の家に居る時間が増えるにしたがって、俺の家にも「在庫」を持つようになった。
 紅茶は専門店で買う。棚に入った紅茶がずらりと並んでいて、そこから客が欲しい分取ってグラム単位で買うという形式だ。
その店は紅茶の他に、菓子の材料も売っている。紅茶だからクッキーやケーキといった洋菓子系は勿論あるが、意外なことに和菓子の材料もある。俺はまだ憶えられないが、
晶子はクッキーやケーキ以外に中に餡が入った餅菓子も作る。菓子類はおやつとして家で食される。最近だと和菓子ではウグイス餅ってやつを食べた。控えめな甘さが
絶妙だった。晶子が和菓子を手がけるようになったのは、3年に進級してからと、歴史が浅い。だが、レシピを見ながらしっかり見た目も味も良いものをこしらえてしまうから
驚きだ。和菓子なんて買って食べるものとしか思ってなかったし、それが材料から作られて、きちんと食べられるものになるのは凄いと言うほかない。
 他には、普段行くスーパーにはないか、あっても高価な日用品、下着を主にする衣服、CDや書籍を買うために行く。ちなみに、晶子の下着選びにも付き合っている。
付き合わせられると言うべきだ。当たり前だが客は女性ばかりだから俺とてかなり恥ずかしいんだが、「一緒に選んで欲しい」と言って引っ張っていかれる。

「他には?」
「お散歩に出かけたり、お歌の練習をしたり、色々。」
「何時も一緒なの?」
「うん。一緒よ。お姉ちゃんが寂しがり屋さんだから。」

 寂しい、か。晶子が俺と一緒に居ることを大袈裟じゃなく至上の喜びと位置づけているのは、晶子自身が明言しているとおり俺と一緒に居たいためだが、それは
「寂しいから」とも言える。
 晶子が寂しい思いをしたであろう時期は、一昨年の年末年始に俺が帰省していた時だ。あの時はまだ携帯を持ってなかったから。晶子が俺と話を出来るのは午後9時頃に
晶子からかかってきた電話での30分に満たない時間だけだった。携帯を持っている今は、それぞれ別の場所に居ても電話がかけられるし、電話に出られない場合はメールを
使うっていう手もある。それこそ「何時でも何処でも貴方と繋がっている」っていう、映画化ドラマのワンシーンで使われるような台詞の状況になるわけだ。
それでも、携帯の電源を切っていると電話は勿論通じない。メールもメールアドレスを変えられたら届かないし、メールアドレスが変わってなくても携帯の電源を切っていると
受信したかどうかを知ることはない。その状況が、つい最近あった晶子の一時的な家出だった。
 晶子がマスターと潤子さんの家に引きこもり、携帯の電源も切ることで、俺は晶子に100mあるかないかの距離まで接近出来ても顔を合わせることすら出来なくなった。
期間は半分ほどだが、俺が帰省した時の晶子と似たような状況を体験することになった。寂しいから電話をかけたい。電話より直接顔を合わせたい。寂しさをより解消しようと
すると物理的な距離を縮める方向に向かう。それが叶わないことで考えのすれ違いが起こりやすくなり、寂しさを解消する手段を相手以外に求めることを選択肢にする
可能性が生じる。端的な例が浮気であり、それで生じる二股だ。

「ずっと一緒に居て、喧嘩したりしない?」
「相手を怒鳴ったり殴ったりっていう喧嘩はしないよ。こうして欲しいとかこれは良くないんじゃないかってことは、きちんと相手に言う。そうして話し合いをするの。
その結果例えば、お姉ちゃんがお兄ちゃんに『こうして欲しい』ってお願いしたことをしてもらったりすることもあるし、逆にそれはお姉ちゃんの方が我慢するべきことだって
分かって、やめたりするの。」
「ふーん・・・。」

 晶子の分かりやすい説明で、めぐみちゃんも価値観の相違の理想的な解決方法が分かったようだ。晶子が解説した解決方法は、付き合い始めた初期の頃に多く使った。
晶子が作る料理に関することが殆ど全てと言って良い。煮物の味をもう少し濃くして欲しいとか、そういうもんだ。
 晶子が俺の家に住み着くようになってから、食事以外に洗濯だの掃除だの、トイレや入浴まで色々な場合を共有するようになった。洗濯で言えば、下着は晶子のものを
俺のものの陰に吊るして干すか、場合によっては晶子のものだけ屋内で干すかを考えて選ぶことにした。
晶子は天気が良い場合は屋外に干したいと思っていた。だが、晶子の家があるマンションと違って女性専用じゃないからセキュリティは居住者が維持強化するしかない。
俺の家は1階だし、庭に入るのはその気になれば割と容易だ。そこに女物の下着が目に付く位置にあると、下着だけじゃなくて晶子自身に目を付ける不埒な輩が生じない
危険性がある。晶子の家があるマンションですら、下着を屋外に干さないよう言われているくらいのこのご時世、変質者に餌を見せ付けるのは危険だ。俺が一緒に居る場合なら
まだ何とかなるが、俺が何かの用で一時的に不在になって、晶子が1人で居ることになったところを狙ってくるだろう。
 俺がそういったことを説明すると、晶子は納得して何度も頷き、「私を大切にしてくれているんですね」と凄く嬉しそうに言った。頬にキスのおまけつき−無論俺は照れた−。
晶子の夫として、妻が不慮の事態に巻き込まれないようにするのが務めだと思っている。晶子にはそれが嬉しくて幸せらしい。
俺に何かしてもらうだけじゃなく、何かをしたい、喜んでもらいたい、と思うから美味い料理を作ろうと頑張るし、綺麗になりたいし、綺麗になろうと思うそうだ。
年末年始の旅行で宏一が引っ掛けて合コンに誘った女子大生の連中は、ものの言い方から自分がなにかしてもらうことしか頭にないのがありありと分かった。少なくとも
俺はそういう連中とは合わないし、俺が合わせるのはまさしく「都合の良い男」になるだけだ。

「祐司お兄ちゃんは晶子お姉ちゃんを凄く大切に思ってるのは分かってた。それと同じくらい、晶子お姉ちゃんも祐司お兄ちゃんを凄く大切に思ってるのが分かる。」
「ありがとう。」

 晶子はめぐみちゃんに礼を言う。めぐみちゃんを年下だからとか子どもだからとか見下したりしないで、1人の人間として扱っているのが分かる。晶子は良いお母さんに
なるだろうな。
 通りを北上していくと、京都御苑を取り囲む木々が見えてくる。めぐみちゃんの両親が待つ管理事務所はあの中、最寄の出入り口から程近い場所にある。
めぐみちゃんが幸せな夢から現実に引き戻される瞬間は刻一刻と近づいている。だが、止める手段はない。京都御苑に近づくにつれて、めぐみちゃんの表情が沈んでくる。
めぐみちゃんも、俺と晶子と別れたくないんだろう。めぐみちゃんの両親がどんな仲なのか、めぐみちゃんにどう接するのかは想像の域を出ない。だが、想像はかなり
現実に近いと思えてしまう。こんなの、めぐみちゃんにとって何も良い影響はない・・・。

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