雨上がりの午後

Chapter 228 1人加えた昼食への道のり

written by Moonstone


 兎も角、食事にすることで意見が一致したなら、食事に繰り出すのが先決だ。食事は誰しも大体同じ時間に摂るから、食事時は飲食店が混雑する。
俺と晶子だけなら順番待ちも旅行の一環と見なせるが、この子が居るから早めに出向くのが賢明な選択だろう。

「さて、何処に行くか、だな。」
「地図だと休憩所はありますけど、飲食店はなさそうですね。」

 晶子が広げた地図を俺に見せる。確かに休憩所は点在しているが、そこにトイレの表記はあっても飲食店の表記はない。公園であって遊園地とかじゃないから、
飲食店を期待するのはちょっと無理な話か。だが、此処に出前を頼むのも変に思う。

「何か食べたいものあるか?あと、好き嫌いがあるならそれも含めて。」
「好き嫌いは・・・ない。ご飯は何でも良い・・・。」

 女の子はやっぱり遠慮気味に答える。本当は苦手なものがあるんだが、言わないし言えない。そんな感じがする。
読心術なんて備えてないし、問いただしても膠着状態に陥る可能性がある。お言葉に甘えてと言うのも変だが、俺と晶子で決めるとするか。

「まずは此処を出るか。」
「そうですね。」
「・・・おんぶして。」

 出発しようとしたところで、女の子が俺のセーター−コートは屋内だから脱いでいる−を掴んでおずおずと頼む。甘えたいのかな。まあ、良いか。
俺は一度女の子を立たせて、自分も席を立ってからしゃがむ。女の子が背中に乗ったのを受けて、おんぶして立ち上がる。
 事務所の人に女の子を連れて昼飯に出かけることを知らせ、俺の携帯の番号を伝える。昼飯の間にこの子の両親が戻ってくるかもしれないし、俺と晶子がこの子を誘拐する
意図はないことを伝えることも兼ねられる。迷子の世話をして挙句誘拐犯扱いされたんじゃ、たまったもんじゃない。

「さて、行くか。」

 俺は女の子をおんぶして、晶子がその隣に並んで事務所を出る。事務所がある敷地を出たところで人の流れを見る。心なしか、出て行く人が目立つ。
混み合う前に早めに食事を、と考えるのは別に珍しいことじゃない。食事に関して考えることはそれほど大きな差は出ないようだ。

「何処に行きましょうね。」
「この子が居るから、あまり見た目に変わったものや匂いが強いものは避けた方が良いな。」
「となると、和食関係はあまり向きませんね。」

 和食は微妙な味加減や食感を楽しむもんだと、晶子の料理を食べ続けて分かるようになった。子どもの頃は食卓に出ると「何でこんなものが美味いんだ」と首を傾げたものが、
大人になると美味く感じるのもその典型例だと思う。子どもには苦かったり酸っぱかったりよく分からない味だったり、匂いや見た目がどうもとっつき難いものもある。
嫌いな食べ物の代表格がニンジンやピーマンなのはその端的な例だろう。

「喫茶店が無難でしょうね。」
「そうだな。とりあえず、此処から出よう。」

 行く店の方向性がある程度固まったところで、俺と晶子は女の子と共に京都御苑を出る。出るところは堺町御門じゃなくて、それより東にある門構えのない、ある意味
公園らしいところ。晶子が見せてくれる地図を見ると、「間ノ町口」とある。
外に出たところで周囲を一望する。見たところ住宅が多い。観光地と言っても京都は大都市。しかも歴史の長い都市だ。観光客用の店は京都の総合窓口とも言える
京都駅あたりに行かないとないかもしれない。

「観光案内だと、南の方に割とありますね。」

 今は晶子が持っている地図は、旅館でもらった観光案内に付属しているものだ。観光客用に観光スポットの他、色々な種類の店をピックアップして載せている。
略地図を見ると、ファーストフード店が程近いところにある。

「ハンバーガーとかはどうだ?」
「あまり・・・食べたくない。何時も・・・食べてるから。」
「じゃあそこはパス。歩くか。晶子。店を選んでくれ。」
「はい。あまり曲がったりしないで行けるところにしますね。」

 店を選んだのか、少しして晶子は観光案内から顔を上げる。

「此処から近いところだと、京都御苑を観光している人で混み合うでしょうから、少し遠い方が良いかと思うんですけど・・・、どうですか?」
「俺は良いぞ。」

 俺が女の子をおんぶしているから、長距離を歩かせるのは問題だろうと思っての配慮だろう。バイトでキッチンと客席を何度も往復してるし、通学も買い物ももっぱら
自転車か徒歩だから、脚力や体力はそれなりにある。ただ、おんぶだとちょっと姿勢がきついかな・・・。

「おんぶだと腰がちょっと辛いから、抱っこにする。」
「分かりました。」
「1回下ろすからな。」
「うん。」

 おんぶにこだわるかと思ったが、女の子は素直に了承する。俺と晶子への遠慮もあるんだろうか。俺はしゃがんで−おんぶして膝を曲げ伸ばしするのは結構膝にも
負担がかかる−女の子を下ろし、女の子を抱え上げる。女の子を右腕に座らせ、左腕で落ちないようにカバーするという抱っこをする。

「良いですねー。」
「・・・羨ましがるなよ。」

 俺に抱っこされた女の子を羨ましがる晶子に苦笑い。女の子は俺のコートの襟近くをきゅっと握っているから、それも羨ましさに加わっているんだろう。
女の子はただ落ちないように捕まってるだけだろうけど。

「やっぱり、娘が出来たら娘と祐司さんを取り合いますね。真剣に。」
「それくらい魅力のある父親になれればな。」
「なれますよ、絶対。ね?」
「・・・うん。」

 女の子まで話に巻き込むとは・・・。確かに、この様子だと娘が生まれて俺に娘が甘えているのを見たら、娘と入れ替わろうと真剣になりそうな気がする。
逆の構図、すなわち俺が息子と晶子を取り合う様子は簡単にイメージ出来るが、娘の場合も結構現実味が出てきた。
巻き込まれた女の子は、晶子の確認に同意する。話に合わせようとしてのことだろう。すると、女の子は俺の胸に身を委ねて来る。今まで落ちないように襟の近くを掴んでいた
だけなのに、安心したんだろうか?怯えられるよりはずっと良いが。

「良いなぁー。」
「後でどれだけでもして良いから、兎も角店に案内してくれ。」
「はーい。」

 晶子は少しむくれて、仕方なさそうに観光案内を見る。本気で女の子にやきもち妬いてるな・・・。声のトーンも初めて聞く低さだったし。
晶子も俺と同じで独占欲が強い方だが、ライバル以前の相手−俺にそっちの方面の趣味はない−に本気でやきもちを妬くとは、何ともはや・・・。

「まず、この大通り−丸太橋通を渡ります。」
「此処を渡るのか。」

 南へ行くには目の前を横切るこの大通りを渡らなきゃ話は進まないのは当然だが、いかんせん車の量が多い。直ぐ近くに横断歩道はあるんだが、この交通量と流れを
遮って歩行者を渡らせようとする親切な車の登場は、あまり期待出来ない。左右を見ると、信号がある。どちらかを利用して渡るのが安全だし、待つより早い。

「どっちの信号が目的地に近い?」
「距離で単純に比較すると向かって右側の、『烏丸丸田町』っていう交差点が近いですけど、丸太橋通より広い烏丸通と交差してますし、その烏丸通を辿って
南下するのはちょっと危険かな、と。」
「そうだな。じゃあ、左の交差点から渡るか。遠いって言っても何キロもあるわけじゃないし。」
「はい。」

 今日京都御苑に来た道を戻る形で丸太橋通を西に歩いていく。車だけじゃなくて人もかなり多い。本格的な観光シーズンではないが此処が観光地だってことを改めて
実感させられる。堺町御門から少し西へ進んだところに、南へ渡る交差点がある。俺と晶子と女の子が到着したところで、タイミング良く歩行者用信号が青になる。
車の流れが遮断されて南北に縦断する人の流れが横断歩道に生じる。俺と晶子と女の子はその流れに乗って丸太橋通を渡る。

「次は?」
「此処からしばらく、ひたすら真っ直ぐ南下です。」
「道が真っ直ぐだから分かりやすいな。」
「京都の市街地全体がほぼ碁盤の目のようになってますからね。」

 晶子が差し出した地図を見ると、観光場所や大学や病院などを除いた大部分が碁盤の目のように整然と区分けされているのが分かる。他の町、俺と晶子が住んでいる
新京市も出来るだけ整然と区分けするようにしているようだが、幹線道路が大きく湾曲していたりしてなかなか思うようにいっていないのが現実だ。
山を切り開いて造成された新興住宅地は兎も角、割と古くからある町でも、場所によっては複雑に入り組んでいたりする。元からある家や田んぼが切り売りされたりして
新しい家が建ったり、逆に取り壊されて更地になって、その後分割されたりと経緯は色々だが、人と人の利害が衝突する場合も多いからそう綺麗に区分け出来るもんじゃない。
 京都は平安京として完成される時点で区画整備されてきた町だ。それをほぼ忠実に守って現在に至る。守ったことが現代において不便を齎している側面はある。
主要道路以外の道が狭いこと、地図で分かるがやたらと一方通行が多いことなど、色々ある。だが、そんな不便を承知で守ってきたものが、町全体を観光地とするだけのものに
なっているように思う。

「学校があるのか。」

 少し南下したところで校舎が見えてくる。京都の中にある学校に通うってどんな気分なんだろう。

「小学校だそうですよ。」
「最初のうちは迷っちまいそうだな。何番目の交差点を曲がれば良いのか間違えたり。」
「あるかもしれませんね。」

 胡桃町近辺には小学校から高校まで揃っている。小中学校は全部公立で、高校は公立2校に私立1校だ。近隣の住宅は新興住宅地だが、高校は割と昔からあるところらしい。
公立高校の1校と私立高校は、この近辺では名高い進学校らしくて、塾通いの中高生の大半はその高校の在学生若しくはそこを狙う受験生だと聞く。
公立の小中学校は基本的に学区制だから、「この地域の小中学生はこの小中学校に」と自動的に決まる。高校からその後の進路が大きく分かれる。大まかに分けて進学と就職。
とは言え、昔からの進学校以外の高校からも大学への進学者数は増えている。高卒では実業系を除いて就職口が限られているのもあるし、大卒以上が求人条件の基本に
なりつつあるのも影響していると思う。

「そういえば、君は小学生の低学年か?」
「ううん。幼稚園の年長。」
「てことは…5歳か6歳か。」
「うん。6歳」
「お名前、聞いてなかったですね。『この子』とか『君』じゃ呼び辛いし、名前教えてくれない?」
「・・・『めぐみ』。」

 思わず女の子を見る。「めぐみ」って、田中さんと同じ名前・・・。偶然だしこの子に責任は何もないが、ここで「めぐみ」って名前が出るのはタイミングが悪い。
晶子が最も警戒する相手の名前でもあるんだから。

「めぐみ、か。良い名前ね。」
「うん・・・。」

 晶子は動揺した素振りを見せずに言う。それには安心するが、この「めぐみ」という女の子はあまり褒められても嬉しそうな顔をしない。自分の名前があまり好きじゃないのか?
それは別に珍しいことじゃない。とんでもない当て字や間違えられやすい字だと、自分の名前自体が嫌いになるというのは良く聞く話だ。気になるのは、この子が未だに
笑わないで居ることだ。暗い顔や泣きそうな顔は何度か見ているが、笑ったり喜んだりといった顔は見ていない。

「言わせておいて俺達が言わないのは変だから、俺達も名前教えておくか。俺は祐司。」
「私は晶子。」
「・・・祐司お兄ちゃんに・・・晶子お姉ちゃんで・・・良い?」
「ああ、それで良い。」
「こういう呼ばれ方初めてだから、ちょっと照れくさいなぁ。でも、嬉しい。」

 俺も「祐司お兄ちゃん」なんて呼ばれるのはこれが初めてだから、ちょっと、否、かなり照れくさい。でも、名前を呼び合うことで少しだけどこの子、めぐみという女の子が
心の扉を開いてくれたんだから、良いことだな。「世話をしてもらってる」「世話をしてやってる」なんてのは、余所余所しくて世話をする相手を疎んじてるようで、
あまり気分の良いもんじゃない。

「さて、まだ真っ直ぐで良いのか?」
「ええ。信号のある交差点がありますから、まずそこまでひたすら真っ直ぐです。」
「流石に此処からじゃ、ちょっと見えないか・・・。」
「迷うことはないですから、ゆっくり行きましょう。」
「そうだな。道は真っ直ぐだから、余計なこと考えなくて良いし。」

 「真っ直ぐ」と一口に言っても、地図を見るとカーブしていたりすることはよくある。俺は幸い方向音痴じゃないからその程度で迷うことはないが、言葉どおり真っ直ぐ進めば
良いのはありがたい。この子−名前を教えてもらったんだから「めぐみちゃん」で良いか。めぐみちゃんを抱っこして歩くのも、おんぶの時より姿勢に無理がないせいか、
重いとか感じない。めぐみちゃんは俺のコートの襟近くをきゅっと掴んでいる。

「祐司お兄ちゃん。重くない?」
「いや、おんぶの時より楽だ。」
「そう・・・。良かった・・・。」

 節々に出る、めぐみちゃんの遠慮が過ぎる態度。絶えず他人の目を恐れ、叱責されるのを恐れている。
叱責されたいという人はまず居ない。だが、めぐみちゃんの場合、それこそ起きている間ずっと叱責に対して身構えているように思う。幼稚園の年長で6歳。そんな幼い頃から
窮屈な思いをしなけりゃならない生活をしてるんだろうか・・・。

「遠慮とかは、しなくて良いからな。」
「・・・うん・・・。」
「そうそう。今はお兄ちゃんとお姉ちゃんがお父さんとお母さんだと思って良いからね。」
「・・・うん・・・。」

 晶子もフォローするが、めぐみちゃんの表情はまだ硬い。俺のコートの襟近くを掴むようになっただけでも、十分警戒や恐怖を解いたと思っておく方が良いな。
この調子だと「遠慮するな」とかしつこく迫ると余計に警戒や恐怖を強めかねない。

「今から食べ物屋さんに行くんだけど、何か『これ食べたい』って思ってるもの、ある?」
「ん・・・。」
「店に着いてからでも良いし、ゆっくり考えような。店でメニューを見て選ぶのも良いし、兎に角慌てたりする必要はないからな。」
「うん・・・。」

 晶子の問いに口篭ったところで、何とかフォローらしいことを言う。この年代なら飲食店に行けると知れば、フルーツパフェを食べたいとか意気込んでもおかしくない。
余程普段から自己主張を抑え込まれてるんだろう。或いは、抑えないと生きていけないと感じたか。

「祐司さん、妙に優しいですねー。めぐみちゃんに。」

 少しむくれた様子を見せる。おいおい・・・。めぐみちゃんにやきもち妬いてどうする。相手は幼稚園児。しかも自分はしっかり俺の妻を名乗ってるんだから、やきもち妬くより
余裕の表情を見せても良さそうなもんだが。

「妬くなよ。」
「娘が出来たら、絶対娘と祐司さんを取り合いますね、私。」
「今の晶子を見て、その仮定に十分納得出来た。」

 俺と晶子は顔を見合わせて笑う。晶子は楽しそうだが、俺は苦笑いが大半を占める。単なるイメージか俺を持ち上げるために言っていたと思いきや、一時預かっているだけの
めぐみちゃんでさえこうなんだから、娘が出来て娘が俺に甘えたら、下手すると喧嘩になりそうだ。

「・・・祐司お兄ちゃんと晶子お姉ちゃん、仲良いんだね。」
「お姉ちゃんはお兄ちゃんにぞっこんだから。」
「『ぞっこん』って?」
「好きな人一筋で、好きな人以外の異性−お姉ちゃんの場合だと他の男の人になるけど、それには見向きもしない状態のことを言うのよ。」
「じゃあ、祐司お兄ちゃんも晶子お姉ちゃんにぞっこんなの?」
「ああ。」

 晶子から教わった新しい言葉を早速俺に使ってくる。いきなりの鋭いストレートにちょっと焦ったが、どうにか目立ったタイムラグなしで応える。

「祐司お兄ちゃん、顔赤くなってる。」
「お兄ちゃんは照れ屋さんだから。」
「そうなの?」
「かなり、な。」
「ふーん・・・。」

 沈んだ表情になるかと思ったが、納得した様子のめぐみちゃんの表情が少し緩む。京都御苑で見つけた時以来、初めて笑った顔を見た。

「祐司お兄ちゃんは、晶子お姉ちゃんのどういうところが好きなの?」

 今まで恐る恐るといった様子だったのが、少しこの年代らしい好奇心に溢れたものになって来る。それは良いが、質問が殆ど俺と晶子に関するストレートなものなのは、
どうにかならないもんか。年代が異なっても他人の恋愛に興味を抱きやすいんだろうがこういう質問をされるのは苦手なんだよな・・・。照れくさいから。

「色々あるけど・・・、全部、だな。」
「全部?」
「ああ。良いところも、ちょっと気になるところも、それらが組み合わさって晶子お姉ちゃんっていう存在があるんだからな。」
「ふーん。晶子お姉ちゃんもそうなの?」
「そうよ。お兄ちゃんが言ったとおり、祐司お兄ちゃんの良いところも、ちょっと気になるところも、全部ひっくるめてお兄ちゃんが好き。」
「だから、晶子お姉ちゃんは祐司お兄ちゃんと結婚したの?」
「そう。ずっと一緒に居たいから。」

 言葉を選んだ−分かりやすいようにするのと晶子にも誤解がないようにするため−こともあって、俺がちょっと噛みかけた部分もあったのに対して、晶子はスラスラと言う。
迷いや躊躇いなど微塵もないことがよく分かる。晶子自身言いたかったことを言える機会を、めぐみちゃんが質問で提供してくれたようなもんだな。

「どっちからプロポーズしたの?」

 この子は・・・。どれだけ晶子が話したいことを次から次へと尋ねるんだ?カップルに尋ねることと言えば相場が決まってると言えばそうだが。

「お兄ちゃんからよ。」

 答えようかと思ったところで晶子が先に言う。しかも、凄く嬉しそうに且つ次を言いたそうに。晶子が喜んで答えたがる質問の1つだから、少しでも考えたりしたら
先を越されるのは自明の理か・・・。

「何て言われたの?」
「『結婚しよう』って。変に飾ったりしないで真っ直ぐそのまま。」
「へえ・・・。晶子お姉ちゃんはどう答えたの?」
「こんなに早く言ってもらえるなんて思ってなかったから、もう嬉しくてお姉ちゃん、泣いちゃって・・・。お兄ちゃんに『返事は?』って聞かれて『よろしくお願いします』って
答えたの。」

 心底嬉しそうに、しかも「その質問を待ってた」とばかりに目を輝かせて晶子は答える。しかし、ずいぶんはっきり憶えてるな。一昨日のことだから俺も勿論一部始終は
鮮明に思い出せるが、こんなに嬉しそうに自分から進んで言えるとは思えない。

「そうなの?祐司お兄ちゃん。」
「ああ。晶子お姉ちゃんが言ったとおりだよ。」
「本当に、仲良いんだね。」

 俺が追認すると、めぐみちゃんは今までとは違って、少し頬を緩めて納得した様子を見せる。今まで暗い表情や泣き出しそうな顔が続いていたから、こういう表情を見られると
預かっている立場としては安心出来る。泣いた幼児をあやせる自信は俺にはない。

「ん?また学校か。」
「えっと・・・、あれは中学校だそうです。」

 晶子が地図を見せてくれる。碁盤の目のように区切られた場所に学校があるというのは、分かりやすいような分かり難いような。まあ、中学校くらいになれば、学校までの
道のりで迷うなんてことはまずないだろう。前に見た小学校と地図では割と近い位置にあるから、この中学校の学区は前の小学校を含むだろう。となれば、小学校から
「真っ直ぐ南」とそのまま表現出来るから、授業参観とかで親が迷う可能性はぐんと低くなるだろう。

「この通り以降はどうするんだ?」
「信号がありますから、此処でこの通りを渡って、1つ分東に歩いて左折。後は交差点を2つ進めば直ぐそこです。」
「そうか。めぐみちゃん、昼ご飯までもう少しだからな。」
「うん。」

 少しずつだが、めぐみちゃんの顔に明るさが垣間見えるようになってきた。この年代らしい騒々しいほどの賑やかさ−晶子と買い物に行くスーパーで目にする−は
まだないが、気持ちが解れて来ているのは間違いないようだ。

「祐司お兄ちゃん。手、痛くない?」
「いや。平気。」
「すっごく優しいですねー。めぐみちゃんに。」
「おいおい・・・。」

 晶子のやきもちがたっぷり篭った言葉に、再び苦笑い。めぐみちゃんが怯えたりしなきゃいいけどな・・・。
信号で通りを渡って右折。そして1つ目の交差点で左折。此処からひたすら真っ直ぐ南進。晶子の案内どおり、交差点を2つ渡る。

「えっと・・・。あそこです。あの紺の暖簾(のれん)がある場所です。」
「ああ、あそこ・・・か。喫茶店・・・だよな?」
「ええ。」
「喫茶店に暖簾って、珍しい組み合わせだな。」

 晶子が嘘を言うとは思えないが、珍しい組み合わせだ。とは言え、周囲の町並みと調和させるには暖簾があった方が良い。日本住宅の中に洋風の建物が1軒だけあったら、
かなり浮いて見えるだろう。店の前まで行く。純和風の建物に暖簾。店の看板がかかってないと、蕎麦屋かうどん屋と勘違いしそうだ。
俺はめぐみちゃんを抱っこしたまま、晶子と店に入る。コーヒーの良い香りが漂っている。落ち着いた店内は店の概観からのイメージとは違って、女性客が多い。
制服を着たウェイターが小走りで歩み寄って来る。普段、店で客を迎える側だから、ちょっと違和感というか傍観者的な錯覚を覚える。

「いらっしゃいませ。何名様で?」
「3人です。」
「お煙草は吸われますか?」
「いえ、吸いません。」
「では、ご案内いたします。」

 案内で店の奥に向かう。女性客が多いせいか、視線をかなり感じる。小さい子が居るから騒いだりしないかと怪訝に思ってるんだろう。めぐみちゃんくらいの年齢の子が
大きな声を上げたりすることに眉をひそめるが、実は携帯や電車の車内とかでより大声を出して顰蹙を買っているのは、小さい子に視線を向ける「お姉さん」だったりする。
めぐみちゃんは幸い、大声を出したりしない。いたって大人しい。むしろ大人し過ぎて心配になる。めぐみちゃんも視線を感じているのか、ちょっと怯えた様子だ。
ある意味最初の頃に戻ったが、こういう戻り方はしてほしくない。
 奥の方にある4人がけの禁煙席に案内される。俺は此処でめぐみちゃんを下ろす。俺と晶子が向かい合って腰を下ろし、壁側に寄る。めぐみちゃんがもよおした時に
素早くトイレに連れて行けるようにするためだ。めぐみちゃんの様子だと、ギリギリまで我慢しかねない。トイレに連れて行く場合は晶子に頼むことになるから−俺だと
変質者扱いされかねない−めぐみちゃんには晶子の方に座ってもらうか。

「めぐみちゃん。晶子姉ちゃんの方に座って。」
「・・・うん。」
「大丈夫。お姉ちゃん、怒ったりしないから。」

 俺がめぐみちゃんと話している時に見せたやきもちの色は消えた晶子の微笑みは、見ているだけでほっとする。めぐみちゃんも警戒を解いたのか、晶子の隣に座る。
身長差が如実に表れるが、テーブルから顔を出せないほど小さくないから安心だ。
やはり制服を着たウェイトレスに運ばれて来た水とお絞りをもらい、注文が決まったら呼ぶよう言われる。俺と晶子はメニューを広げる。コーヒーがこの店の売りらしくて、
詳細が書いてある。他にもサンドイッチやアイスクリームなどが揃っている。選ぶ数には困らない。

「めぐみちゃんも、食べたいもの選んで良いからね。」

 晶子が広げたメニューをめぐみちゃんに見せる。めぐみちゃんが俺に抱っこされていたことへのやきもちを引きずるかと少し思ったが、杞憂だったようだ。
無論、その方が良いに決まってる。ギスギスした雰囲気の中での食事ほどまずいものはない。

「コーヒーが美味そうだな。」

 コーヒーはどの喫茶店にもある。紅茶より需要があるのもあるだろうし、喫茶店といえばコーヒーという公式めいたイメージもあるように思う。コーヒーの味は店によって違う。
当然と言ってしまえばそれまでだが、そこに店の個性を垣間見ることが出来る。
 俺と晶子がバイトをしている店でも、コーヒーは売りの1つだ。マスターが日頃ほぼコーヒー作りに専念しているのは、料理は潤子さんに任せた方が安全確実だし、
店の個性でもあり重要な判断材料でもあるコーヒーにこだわりがあるからだと聞いた。
サイフォンで淹(い)れるのはそれなりに時間がかかる。紅茶で葉が重要なように、コーヒーも豆が重要だ。店ではコーヒー豆を扱う専門店に足を伸ばして入手している。
何でも豆は酸味と苦味で大別出来て、しかも焙煎(ばいせん)によって同じ豆でも味が違ってくるそうだ。
香りも良くて美味いコーヒーを追求すると、必然的に試行錯誤が要求される。マスターと潤子さんも試行錯誤の末に今のコーヒーを編み出したそうだ。この店もそうなんだろう。
晶子の影響で紅茶をよく飲むが、この店のコーヒーを飲んでみたいと思う。

「遠慮しなくて良いからね。」

 晶子はめぐみちゃんとメニューを共有して選んでいる。身長の関係でめぐみちゃんの顔はあまり見えないが−メニューに隠されてしまう−、晶子の弾んだ声からするに、
多少戸惑いがあるようだ。席に座ったし時間制限はないから、慌てる必要はない。
コーヒーは決まり。昼飯だから食べるものも欲しい。サンドイッチが色々ある。一番ボリュームがありそうなのはカツサンドだ。揚げ物は好きだし、これにしよう。
他は・・・良いか。メニューを開いたまま、向かい側を見る。晶子がメニューを開いて、めぐみちゃんがさっき見たときよりかなり晶子に頭を寄せている。表情は見えないが、
無用な遠慮や警戒が相当解消されて来たんだろう。良い傾向だ。

「祐司さん。決まりましたか?」
「ああ。晶子とめぐみちゃんは?」
「決まりました。」
「じゃあ、呼ぶか。」

 俺が近くに居たウェイトレスを呼ぶ。メニューが決まったことを告げると、ペンが付いた伝票を取り出す。ファミリーレストランやチェーン店の飲食店だと電子式のものが
主流だが、此処は俺と晶子がバイトしている店と同じで手で書く旧来のスタイルか。

「カツサンドとコーヒー。」
「ハムサンドとコーヒーを。」
「えっと・・・。これとこれをください。」

 名称が読むのを迷って、めぐみちゃんはメニューをテーブルに広げて指差す。ツナサンドの小さいものとホットミルクか。ウェイトレスは訝ることなくメニューを記していく。
メニューの確認を済ませてウェイトレスは一礼して去る。俺が店でしていることとほぼ同じだ。

「めぐみちゃん、ツナが好きなんですって。」
「そうか。食べたいならそれが良いよな。」
「うん。」

 めぐみちゃんの声が前よりはっきりしてきた。此処に来るまで色々言ったり尋ねたりしたが、何処か遠慮気味というか恐る恐るという様子が感じられた。リラックスというのは
大袈裟かもしれないが、俺と晶子の世話になっているとこの年代らしからぬ遠慮が薄らいできたなら、それに越したことはない。
 携帯はピクリともしない。マナーモードにしてバイブレータ機能をONにしているから、着信があれば携帯が位置する左胸に振動を感じる。悪戯電話や間違い電話かどうかは
ディスプレイを見れば分かる。事務所を出る前に事務所の電話番号を教えてもらって登録しておいたから、事務所から電話が入れば「京都御苑管理事務所」と表示される。
昼時なのもあって混雑しているだろうから、捜索が難航しているんだろう。それだけなら良いんだが、それだけじゃないような気がしてならない。めぐみちゃんが呟いた言葉が
そう思わせる。これも杞憂なら良いんだが・・・。

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