雨上がりの午後

Chapter 207 対処は人によりけり

written by Moonstone


 翌日。2コマ目が終わったところで俺は今日何度目かの欠伸をする。
平日の夜に営む、否、戦うと翌日の昼間に少なからず影響する。夜の遅さと朝の早さには慣れた筈だが、4夜連続、しかも総力戦というのはかなりきつい。
居眠りせずにノートを取れたのは、進級がかかった試験が近いという緊張感のおかげだ。それが緩む休み時間となると、押さえ込んでいた眠気が一気に前面に
進み出てくる。

「祐司、眠そうだな。」
「まあな。」
「今日は朝から何度も欠伸してるし、晶子ちゃんと昨日の夜激しかったとか?」
「だとしたら、どうする?」

 軽妙に切り返すだけの余裕はない。元々洒落を利かせられるタイプじゃないが。ストレートに返したら、智一から言葉は続かない。

「先に鞄とか置きに行くか。昼飯食いに行こうにも生協は混んでるだろうし。」
「・・・あ、ああ。そうだな。」

 固まっていたらしい智一と共に俺は講義室を出て、3コマ目の講義がある講義室に移動して鞄を何時もの席に置く。昼飯を食いに行くのは12:30を過ぎてからでも
良いだろう。俺はカウンターに並ぶ必要がないから楽観的になれる。
 ・・・そう。今日は弁当持参だ。晶子は昨夜終わった時には完全にノックアウト状態だったが、朝は俺より早く起きて弁当の準備もしていた。断る理由はないし
断りたくもないから、しっかり受け取った。中身はまだ見ていない。俺が起きた時には弁当は出来ていたし、昼飯までの楽しみに取っておいてあるからだ。
智一は既にそのことを知っている。俺が普段使っている鞄とは別に小さい鞄を持っていることを目ざとく見つけて尋ねてきて、包み隠さず答えたからだ。
指輪でもその日顔を合わせて程なく気づいたくらいだから、指輪よりずっと大きい鞄なら分からない方がおかしい。

「祐司は晶子ちゃん手作りの弁当だから良いよなぁ。」
「ああ。」
「おまけに、文学部の美人院生にも迫られかけてるなんて何かこう、理不尽なものを感じるよなぁ。」

 最初の羨望は聞き飽きたのもあって適当に答えたが、次の羨望には返す言葉に詰まる。
昨日晶子が田中さん達に同行してもらって工学部の実験室を訪ねてきた時に智一は居た。けど、田中さんのことまでは知らない筈だ。自己紹介とかもしてないし。

「智一。お前どこからそんな情報を・・・。」
「俺と同じマンションに住んでる従妹からだ。」

 そうか。智一と吉弘さんは従兄妹同士で同じマンションに住んでいるんだったな。
吉弘さんは去年の1件でかなり詳細に晶子の情報を掴んでいたらしい。その「実績」からすれば、昨日智一から話を聞いた吉弘さんが大学の該当ゼミのホームページを
見るなりして、情報を掴んでいても不思議じゃない。

「田中めぐみ。文学部戸野倉ゼミ在籍の博士課程1年。翻訳や英語関係の実用書での業績多数。表に出ている情報はこんなところだ。」
「・・・そういう方面は早いな。」
「順子は名前を見たらこの女性(ひと)か、って直ぐ分かったらしい。ずば抜けた成績とその美貌は才色兼備の呼び名が相応しくて大学のミスコンにも出場が
取り沙汰されてたが、本人にはまったくその気がなくて出場は実現してない。もし出場していたら自分の連覇も危なかったかもしれない、ってな。
今まで言い寄った男は悉く蹴散らされたし、ゼミの教授直々の依頼で博士に進学したくらいだから、高嶺の麗華っていう称号までついてるそうだ。」
「有名なんだ・・・。」

 大学のミスコンを連覇した自信家の吉弘さんでも、対戦相手となった場合連覇が危なかったと想定していたほどなのか。まあ、確かにあれだけの美人だから
周囲もミスコン出場を勧めるだろう。でも、そういう場に出るタイプでもなさそうだ。勧められても「興味ない」の一言で片付けそうな気がする。

「文学部とか文系学部は、工学部と違って院生の絶対数自体が少ないし、博士で女となると尚更だからな。工学部は院生が多くても女の数が機械系や電気系は
少ないから見かけないんだが。」
「文学部は院生が少ないってことは、晶子から聞いてる。」
「そんな中で強烈な存在感を保っている女性から迫られかけてるなんて、お前って奴は・・・。」
「迫られかけてるってのは勘違いだ。晶子から昨日実験室に来た成り行きを聞いたけど、俺には興味の域としか思えない。」
「甘いな、祐司。」

 智一が立てた人差し指を横に振って、俺の推論を否定する。女付き合いのキャリアは智一の方がはるかに上だから、一応聞いておくか。

「とても手が届かないって思われてる女は、逆に声をかけられなくなって寂しい思いをしてる場合が多い。そこに意中の相手が現れたら、女の方からアプローチを
仕掛けてくるもんだ。男がその気ならあっという間にカップル誕生だぞ。」
「そんな単純なもんか?」
「単純なようで奥深く、意外なところで単純なこともある。それが男と女の関係ってもんだ。ところで祐司。1つ提案だが・・・」
「断る。」
「まだ言ってないぞ。」
「どうせ、田中さんから言い寄られてるんだから俺は田中さんとくっつけば晶子がフリーになるからくっつける。そのチャンスを提供しろ、とでも言いたいんだろ?」
「お前、何処でそんな予知能力を・・・。」
「こんなの、予知なんて仰々しいものに入らない。」

 俺が言ったとおりの構図になれば智一は万々歳だろうが、俺にも晶子にもそんな気はない。俺と晶子の間に何かあるとそれに付け入ろうとするのは、智一の悪い癖と
言うべき部類だな。まだ諦めてないのはある意味凄いと思うが、それにお情けを提供するつもりは毛頭ない。
どうも、話が俺の想像の範疇を超えるところで進行しているような気がするな・・・。単なる関心や興味の類だと思うんだが、晶子は俺と自分との仲に田中さんが
割って入ろうと機会を窺っていると危機感を募らせてるし、智一は漁夫の利を狙ってるし・・・。
 こういうのを自分から解決出来るほど、俺は恋愛の場数を踏んでない。想って最後にはふられる一方で、付き合ってるいないにかかわらず意中の相手以外から
想われた経験そのものがなかったりする。そもそも、俺が田中さんから想われているかどうか怪しいのに、周囲は田中さんが表現は悪いが横恋慕しかけていると
考えている。考え過ぎだと思うんだが、俺だけの世界じゃないから、俺の意図に反する方向で事態が進展することはあって当然。こういう場合どうしたもんだか・・・。
場慣れしてりゃ色々自分から手を打つことも出来るだろうが、それが出来ないとなれば、相談するのが無難かな。
とは言え、相談するにも相手を選ばないと逆効果になる時があるからな・・・。智一は(悪いが)論外。マスターは・・・(悪いが)経験なさそうだから止めた方が良いな。
潤子さんは・・・理想的だけど晶子と同じ女性からの見解とかになるだろうから、(悪いけど)ちょっと後回し。

となると・・・。


「何て羨ましい状況なんだ、お前は!」

 ・・・後の祭りとはこのことか、と痛感するがもう遅い。携帯越しに飛び込んできた羨望の叫びは完全に選択肢を誤った罰ゲームってところか。
電話の主は宏一。女との付き合いは色んな意味で経験豊富だろうから対応出来るんじゃないか、と思ったのが間違いの始まりだった。
大学の講義を終えて晶子と一緒に帰り、程なくバイトに出かけて何時もどおり大盛況の店を駆け回って、「仕事の後の1杯」で一息吐いて、晶子の家に立ち寄って
ホットミルクとクッキーをご馳走になって帰宅。此処までは普段と同じ流れだ。普段だと此処からレポートの纏めや続きをしたりギターの練習をしたりするんだが、
今日は宏一に電話した。
冬休みの旅行で交換し合った高校時代のバンド仲間との携帯の番号の中から選んだのは宏一のもの。だが、電話して間もない今、選択を誤ったと後悔している。

「早々と美人で家事も万能の嫁さん捕まえて、今度は年上美女に迫られてるとは、世の中は何か間違ってる!」

 いや、間違ってるのはお前の認識だ、という突っ込みはあえてしない。しても無意味だから。

「その回避策を教えろとは・・・、何て贅沢な悩みなんだ!」
「あのさぁ・・・。叫ぶのは後にして、先に見解とか聞かせてくれないか?今はそっちの方がはるかに重要なんでな。」
「くっ、余裕だな・・・。こちとら、バブルの焼き直しとカタカタ言葉で簡単につられる程度の女としか縁がないってのによぉ・・・。」
「余裕じゃない。こっちは切実なんだ。」

 大きな勘違いをしている宏一に念を押す。明日も朝一から講義があるからあまり夜更かしは出来ない。試験前はレパートリーの新規投入は止めるし
−進級するにつれて少なくなっているが−、大学関係を最優先するようにしている。進級出来なかったら元も子もないからな。今度は特に。

「祐司は晶子さん一筋なんだろ?」
「ああ。」
「その年上美人と一度デートでもしてみたいな、とか思ってないんだろ?」
「ない。」
「だったらそのままで居れば良いんじゃねぇか?」

 ・・・やっぱり、最初に宏一を選んだのは大きな間違いだった。後で悔やむから文字どおり後悔なんだが、後悔してしまう時ってあるもんだ。見解とかになってない。

「祐司の一途さやその裏返しの嫉妬深さは、3年バンドやっててよく分かってるつもりだぜ。そんな祐司が晶子さんから問題の年上美人に乗り換えるなんて、
俺にはとても想像出来ないね。」

 もう良い、と言って電話を切ろうと思った指が止まり、宏一の言葉に聞き入る。

「晶子さんがぱっと見これといって特徴のない祐司に、誕生日プレゼントのペアリングを揃って左手薬指に填めろって強請(ねだ)って今に至るくらいべた惚れなのは、
晶子さんがお前に惚れた理由が計算に基づいてのものじゃないって証拠だ。」
「計算?」
「祐司が名立たる新京大学の工学部在籍で、将来はエリートサラリーマンでも高級官僚でも選り取り緑だから祐司にくっついてりゃ自分の生活は一生涯安泰だ、って
いう姑息な寄生虫感覚の計算じゃねぇ、って意味だよ。」

 問い返した俺に、宏一は具体的な例を挙げる。これに至るまでの宏一のぼやきの中にあった、「バブルの焼き直しとカタカナ言葉で簡単につられる女」を
経済感覚の側面から表現したものだ。さっきのぼやきを踏まえると、その表現に実感が篭ってるのが分かる。

「双方相手一筋で、今回迫られてる当事者の祐司に乗り換える気がないんなら、誰かが割り込む余地なんてありゃしない。その余地があると察してたら、
前の旅行の時に俺が晶子さんを落としにかかってたさ。スキーを放り出してでもな。」
「宏一は割り込む隙がないと思ったのか。」
「朝と夜は全員揃って食堂で飯食ってたし、夜には何かと祐司と晶子さんの部屋に出入りしてたんだ。機会を探る時間は十分あったさ。でも、まったく見当たらなかったね。
祐司は兎も角、晶子さんがあれだけ祐司にべったりじゃあ、俺も手が出しようがない。」

 相変わらずの軽い口調で語られる降参の経緯を聞いて、一瞬戦慄を覚える。
あの時宏一が晶子に迫っていたら、俺は血が沸騰するとまではいかなかったかもしれないが−高校時代によくあったし−間違いなく怒っていただろうし、
晶子があの旅行を他の男性と出会える機会と位置付けていたとしたら宏一は本気になっていたかもしれない。そうなったらどうなったことか・・・。
険悪な光景が一瞬脳裏をよぎる。
 女癖の悪さで高校時代からバンド仲間の手を焼かせていた−「不純異性交遊」とか言いがかりをつけてくる生活指導の教師が居たのもある−宏一が機会を窺っても、
晶子に自分の方を向かせる機会はないと降参するに至った。それは確かに晶子の気持ちの強さと重さを裏付けるものだ。

「だから、当面は放っておけば良いんじゃないか?その年上美人は。それより、晶子さんと連絡を密にすることだな。」
「連絡を密にって、どういうことだ?」
「今まで携帯のメールで済ませていたのを電話にするとか、電話だったところを直接会うとか、兎に角晶子さんに祐司が自分の生の声を聞かせたり、生の自分を見せる
機会を増やすようにするってことだ。」
「別の場所に居ても、俺が今1人で居て別の女と会ったりしてないってことを直接伝えたり、一緒に居る時間を増やせ、ってことか。」
「そういうこった。」

 前の旅行で夜を共にしていることは言ってないのは確かだが、俺と晶子が互いの家に出入りしていることを言ったかどうかはうろ覚えだ。晶子と一緒に居る時間が
旅行から帰ってから更に増えたのはまだ面子には話してない。だが、宏一の助言は自分の潔白を証明する手段として素直に受け止めておく。

「祐司の大学も試験前だろうし、晶子さんと一緒のバイトを続けてるんならその年上美人と人目を忍んで密会なんてしてる暇はないだろうが、祐司は晶子さん一筋で
年上美人は眼中にない、ってことをより緊密に伝えるように心がけろ。女ってのは自分が受身になる時に男が攻めてこないと、男にその気がないって思っちまいやすい
もんだ。遠距離恋愛が難しいのはそれも要因の1つだ。」
「そう・・・か。」
「あ、優子ちゃんのことは祐司に非があるって意味じゃないぞ。」
「分かってるつもりだ。」

 今でも思い出される、少し甘くてほろ苦い思い出。
宮城との付き合いが俺の新京大学進学を機に遠距離恋愛になったことで、少しずつ噛み合っていた筈の歯車がずれていった。俺は大丈夫だと信じていたが、
そうじゃなかった。何かの時に傍に居る存在の重みが宮城の中で徐々に増し、やがて俺は乗り換えられた。あの秋の夜の電話で。
 宏一の言葉と重ねて思い返してみると、距離が離れた女の心は常に不安定で、誘惑の風になびき易いものだと分かる。週1回の宮城の来訪と毎日のバイト帰りの
電話じゃ繋ぎ止められないものだったということも。宮城の心変わりが俺の心に残した傷跡は、今でも残っている。今はもう痛まないが、何かの拍子に思い出すと・・・
少し痛む。

「ま、これまでどおりに仲良くしろ。結婚式で晶子さんのウェディングドレス姿を見ないことには、死んでも死に切れねぇからな。」
「そっちか。・・・悪かったな、こんな遅くに。宏一も試験前だろ?」
「気にすんな。俺は朝でも夜でも何時でもオッケーさ。綺麗な女性なら尚更、な。じゃあな。」
「ああ。お休み。」

 携帯のフックオフのボタンを押して通話を切る。閉じた面にある液晶の時計を見ると11時半を超えたところ。もう遅いから今日電話をかけるのは宏一だけにしておくか。
宏一は起きてたが、他の面子もそうだとは限らないしな。
 机の上に広げておいたテキストの横に携帯を置いて、レポートついでの試験勉強に取り掛かる。互いの気持ちが向き合ってるなら介入の余地はない。
あの宏一でさえもその隙を見出せずに降参したと言う。その関係と気持ちを保ち続けること。向上は注目されるが維持は注目されないどころか、それが当たり前と
思われる節がある。だが、維持するのが難しいってことには変わりない。色んなテンションにしても、成績にしても、・・・恋愛にしても。

このホームページの著作権一切は作者、若しくは本ページの管理人に帰属します。
Copyright (C) Author,or Administrator of this page,all rights reserved.
ご意見、ご感想はこちらまでお寄せください。
Please mail to msstudio@sun-inet.or.jp.
若しくは感想用掲示板STARDANCEへお願いします。
or write in BBS STARDANCE.
Chapter 206へ戻る
-Back to Chapter 206-
Chapter 208へ進む
-Go to Chapter 208-
第3創作グループへ戻る
-Back to Novels Group 3-
PAC Entrance Hallへ戻る
-Back to PAC Entrance Hall-