雨上がりの午後

Chapter 152 冬恒例の宴に向けて

written by Moonstone


 翌日、何時ものように晶子を送り届けてから1コマめの講義室に入った俺は、PCのカタログを眺めている。
講義までにはまだ時間があることもあって講義室は閑散としてるし、他の奴はレポートのクローン作成−元は俺のものだが無論一部改竄してある−や
雑談をしているから、覗き込まれることもない。
 俺はあまり自分の手作業、講義のノート取りや携帯の操作なんかがそうだが、そういうのを覗かれるのがかなり嫌だ。
覗かれるのが好き、という奴はあまり居ないと思うが。カタログは勿論、昨日晶子が生協で確保して俺にくれたものだ。量は豊富でやはりというか、
生協で買うと割引があって尚安く買えると言うから目移りしてしまう。
 昨日から−晶子が夕飯を作ってくれている間だ−見ていた限り、色々ソフトが入っているものとすっぴんプラス必要なソフトというものを比較して、
絶対後者が安いとは言えないようだ。
値段なんてそれこそ30万という予算内で2台買えてしまうものもあるし、上を見たら簡単に予算オーバーだ。
マスターが言っていた基準、CPUの性能が出来るだけ高くてメモリが出来るだけ多いものとかいうように、何らかの基準を持ってないと選びようがない。
情報量に振り回されるとはこのことか。
 マスターの言っていた基準と予算を重ね合わせてみると、候補は結構絞れてくる。
HDDとメモリを比べると、メモリの方が圧倒的にコストパフォーマンスが悪い。
晶子は周辺機器のカタログも集めておいてくれたんだが、HDDは数万だせば本体に積んでいる以上の容量でも容易く確保出来るのに対して、メモリはそうはいかない。
やっぱり最初から出来るだけ多くのメモリを積んでいるものにした方が良さそうだ。
 ソフトのカタログも時折見ているうちに、周囲が徐々にざわついてきた。顔を上げて周囲を見ると、かなり人が詰まっている。
講義に出ているのはその学科の該当学年だけじゃない。単位を落とした4年や留年している−何時の間にか学科の名簿が増えていたりする−人が居るからだ。
新京大学では、俺の居る工学部をはじめとする理系学部は総じて厳しいんだが、何でも3年から4年の段階で1/3が留年するそうだ。
留年は親が絶対許さないし俺もそのつもりはないから、他人事と思ってはいられない。

「祐司。」

 名前を呼ばれて顔を上げると、隣に智一が居た。
俺はノートを取りやすいように正面前方に座っているから−視力の問題じゃなくて黒板を見やすいからだ−、混雑する講義室の中でも比較的余裕がある。
智一は普段俺と一緒に行動するから、必然的に隣になるわけだ。

「ああ、智一。おはよう。」
「おはよう。最近ずっと早いな。」
「レポートは?」
「今日の分はやってある。・・・また取られたのか?」
「ああ。待ってました、とばかりにな。」

 俺は特段の怒りもなく答えて視線をカタログに戻す。
どうせ培養中のレポートは第一次培養完了後に俺の元に戻ってくるし、内容は一部改竄してあるから、試験とかで痛い目を見るのはあいつらだ。
最近はそう割り切れるようになった。
 晶子は昨日の吉弘との対決で、理不尽なことでも受け入れなければならないことがある、と言った。
俺だけならそうなっても良い。そもそも理不尽なことなら、大学での講義が専門科目の色合いが濃くなるにつれてその頻度が増している。
今から始まる講義のレポートだってそうだ。
けど、晶子にああはさせたくなかった・・・。晶子はあれから何も言わなかったが、それが余計に申し訳なく思う。

「PC選びか。」
「ああ。研究室でワープロソフトとか使えるようにしておいた方が良いみたいだし、それなら今から買って少しずつ覚えていこうかと思ってな。」
「どれを買うかは最終的にはお前の自由だけど、メモリが多い機種を優先した方が良いと思うぞ。特にノートタイプは機種によって増設出来るメモリがかなり
限られてくるし、値段も結構するからな。」
「詳しいな。」
「一応俺もPC持ってるんでな。家にはLANが標準装備だし。」

 智一の家は高級賃貸マンションだからな。俺の仕送りプラスバイトの収入だと、家賃だけで半分以上取られてしまう。
まあ、そんなところに住みたいとは思わないけど。うっかりコーヒーを零すのも憚られて、窮屈に感じてしまうに決まってる。

「卒研に備えてPC買うのか。大したもんだな。」
「卒業研究がどの程度のものか知らないけど、卒業研究してバイトして、更にPCの使い方まで覚える、なんて器用なことは出来そうにないからな。出費は
この際必要経費と見てる。」
「研究室のPCが何時でも自分専用で使えるってわけじゃないから、自分用に1台持っておいた方が何かと便利だろうな。ノートタイプだと尚更。」
「お前は使ってないのか?」
「家じゃ専らインターネットでネットサーフィンさ。ワープロソフトは一応使えるけど、単純に文章を入力出来る程度だから、覚えなきゃならないとは
思ってるんだけどな・・・。」
「実験のレポートもまともにやらないようじゃ、PCの使い方を覚えるには至らないか。」
「お前さん、それは言いっこなしだよ。」

 それは俺の台詞だ、という返しを飲み込んで、ふと携帯を取り出して時計を見る。・・・もう直ぐだな。俺はカタログを鞄に仕舞う。講義の始まりが近い。
正面でしかも前方のこの席は何かと目立つ。それに、カタログを見ながらノートを取るほど器用じゃない。見る時間はまだある。

「あ、電話だ。誰だ?」

 智一が携帯を取り出し−俺と同じくシャツの胸ポケットに入れている、−広げて見る。
・・・一気に表情が厳しくなっていく。どうしたんだ?智一は厳しい表情のまま携帯を耳に当てる。

「俺だ。もう直ぐ講義だぞ?・・・ああ、居る。・・・居るんじゃないのか?・・・自分で何とかしろ。言っておくが妙な真似はするなよ。幾らお前だからって
ただじゃすまないぞ。良いな?・・・じゃ。」

 智一は何時になく素っ気無い調子で電話を切って、携帯を畳んで仕舞う。そして大きな溜息を吐く。表情は固いままだ。
俺はあえて誰からとかどんな内容とか聞かない。電話の相手を聞くのはプライバシーに踏み込むことだし−携帯を使うのに未だ抵抗感があるのはそのせいも
あると思う−、聞かなくても相手は何となく分かる。何を言って来たのかまでは流石に分からないが。
 講義室が俄かに慌しくなる。前のドアから教官が入って来た。それと時を合わせたかのように、リレー形式で俺の元にレポートが返って来る。
俺はそれを予め用意しておいた提出するレポートとすり替える。一部しか違わないレポートを2つ用意するのは手間がかかるが、この方が怪しまれない。
まあ、怪しまれたり文句を言われたところでどうするものでもない。そもそも文句を言われる筋合いがないんだから。
 教壇の前に立った教官は、早速テキストを広げる。俺もテキストとノートを広げる。
レポートの提出は講義終了後。俺は眠気すら誘う教官の棒読み解説を聞きつつ、走り書きのような黒板の記述内容を整理してノートに記録していく。
何時もの火曜日の幕開けだな。

 講義は終わった。過ぎ去ってしまえばあっという間なのは何時ものこと。すっかり真っ暗になった屋外の冷え込みはかなり厳しい。
さて、今から晶子を迎えに行くか。
待ち合わせ場所は文系学部エリアの生協の書籍売り場。時間がちょっと迫ってるから−講義の終了がずれ込んだからだ−、急いだ方が良いな。

「智一。俺は先に行く。」
「そうか。また明日な。」
「ああ。また明日。」

 俺は荷物を鞄に放り込んで講義室を小走りで出て、そのままのスピードで通りに沿って文系学部エリアの生協へ向かう。
大学ってのはどういうわけか無駄に広いから、こういう急ぎの時とかには自転車でもないと辛い。
まさか、一般教養が終わった3年になってから文系学部エリアと行き来することになるとは思わなかったからな・・・。
 まばらな人通りは、生協の建物に近付くにつれて賑やかなものに移り変わっていく。
外は暗いとは言え時間はまだ午後5時。所謂アフター5ということもあるし、食堂は勿論各種売店が揃っている生協は必然的に人の集う拠点となる。
 俺は生協の建物に入る。
俺だけかもしれないが、文系学部エリアの生協は理系学部エリアのそれより雰囲気が柔らかく感じる。女の比率が違うせいもあるんだろうか。
俺は人垣をかいくぐって書籍売り場に入る。・・・居た。入って正面少し奥にある雑誌売り場のところに佇んでいるその横顔が。
気配を察したのか、俺の方を向く。表情が一気に晴れていくのを見ながら、俺は駆け寄る。

「待たせたな。」
「いえ。」
「行こうか。」
「はい。」

 何時もの、でも俺と晶子が互いの存在を確かめ合う挨拶をして、連れ立って生協から出る。
人通りが少なくなって来た、正門へ続く大通りに出ても、闇に染み込む微かな蛍光を受けて浮かぶ晶子の横顔は普段と変わらない。
どうやら俺が恐れていた事態、すなわち智一の従妹である吉弘が追い討ちをかけてきたりということはなかったようだ。
 でも、晶子の性格からして、何かあっても俺に心配をかけまいと隠しているかもしれない。
自分に非がなくても、理不尽だと分かっていても頭を下げることを厭わないのが晶子だ。少し気が引けるが聞いてみるか。

「晶子。今日、何もされなかったか?」
「はい。何も。」

 即答したところからするに、隠しているのではなさそうだ。俺は内心胸を撫で下ろす。
従妹とは言え、あの吉弘という女は智一とは違ってかなりの性悪だ。
昨日は一旦引き下がったから日を改めて、ということもありうる。晶子に何もなかったのは何よりだ。

「もう少ししたらクリスマスですね。」

 晶子から話を切り出して来る。そう、もうクリスマスまであと一月くらいだ。
俺の性格からすると、自分に関係なければクリスマスなんて自分の脇を通り過ぎていく年中行事の一つに過ぎない。だが、今の俺にとっては一大イベントとなる。
 晶子と二人で豪華ディナー、なんて世俗的なものじゃない。
俺と晶子を繋ぐきっかけの一つとなった、今でもそうなっているバイト先の店でクリスマスコンサートをする。
今年も俺が実験で忙しいだろうから、ということで、早い時期からの泊り込みも勧められているし、曲選びも並行してしておくように言われている。
選考や練習時間を考えると、そうゆっくりして居られない。

「今年の曲、どうしますか?」
「去年と違う曲を中心にしたいところだけど、あまり増やせないんだよな。『Winter Bells』と『UNITED SOUL』は決まりだけど、去年までにしてない曲を
したいところだな。」
「それだったら、『Can't forget your love』はどうです?」

 「Can't forget your love」か・・・。
晶子のレパートリーの中では人気は中くらいだが、最近リクエストが増えているように思う。
曲調が冬っぽいし、店の雰囲気にも合うからな。晶子の歌声が綺麗なのも人気の一つだろうけど。

「去年は演奏曲に入れなかったですから、今年はどうかな、と思って。」
「そうだな。それにするか。」

 晶子は嬉しそうに微笑む。これでまた1曲決まりだな。
今年は忙しさに拍車がかかったおかげで、あまりレパートリーを増やせていない。
まあ、店で演奏する曲は元々流行を追うタイプじゃないし、来る客もその辺のことは弁えてるから問題ないんだが、既存のレパートリーだけというのもな・・・。

「祐司さん、補講の予定はありますか?」
「幾つかある。俺には関係ないものもあるけど。」
「実験は、年末ギリギリまであるんですよね?」
「ああ。来年の期末テスト直前までしっかりと。」
「大変ですね・・・。」
「晶子はゼミとかないのか?」
「ゼミや講義は普段の日程どおりです。補講が若干入ってますけど。」
「そうか・・・。となると、早めに曲の絞り込みをした方が良いな。新曲を導入するのはちょっと無理だから、既存のレパートリーの中から候補を出して、
マスターと潤子さんとも相談して・・・。」
「そうですね。そうなると祐司さん、益々忙しくなりますね。」
「今年、来年は特に忙しくなるだろうな。色々と。」

 3年の後期も前半の終わりを迎えようとしている。
多忙に誤魔化されがちだが、研究室配属希望は年明け早々に集約されて、後期試験の結果とこれまでの成績を総合して正式に研究室配属となる。
希望通りの配属になるかどうかがこれまでの成果で決まるわけだ。
 少なくとも現段階では、俺の希望配属先である久野尾研への配属の可能性は高い。それを想定して、晶子にも協力してもらってPC選びをしている。
研究室が決まると今度は卒業研究に着手するし、就職活動も本格化するだろう。
 今の就職はそれこそ「早い者勝ち」の様相を呈している。
会社資料をインターネットで集めたりしている奴も珍しくない。一方で大学院進学が、耳に流れ込んで来る学科の話題にもボツボツ出て来ている。
大学院進学は前の進路指導でも解説があったとおり、成績上位者は面接のみだがそれに入れない奴も当然居る。
学卒での就職は枠が狭いから院卒、という方針の奴もそれなりに居る。
自分で見た限りでは、採用の条件として学歴は大学卒業が当たり前になっている。「学歴社会脱出」の掛け声は何処へやら。
 俺は今の大学進学の時点で、4年きっかりで卒業、という親との取り決めが出来ている。大学院進学なんて想定していない。
親もこれ以上学費を払う余裕はない、と断言していた。
弟も大学進学することになったが、弟は自宅通学圏内の国公立系しか受験させられない。譬え受験して合格してもびた一文出さない、という態度は俺の時と同じだ。
 改めて通帳の残高を見たら、4年の学費を出せるだけ貯まっていた。
弟の進学先を狭めないためにも、親に4年の学費は自分で出す、とこの前の週末の電話で言った。
親は本当に4年で卒業出来るのか、と問い質すに併せて、公務員試験の準備をしろ、と言って来た。
4年で必ず卒業する−成績証明書が4年進級決定後に実家に郵送されることになっている、と付け加えておいた−、就職先は他も考えている、というのが俺の答えだ。
 とんでもない時期に俺の世代は生まれて来たと思う。
中学では校則、高校では受験戦争、ようやく大学に進学したと思ったら就職先云々を研究室配属前から絞り込め、早い者勝ちと煽られる。
そして就職出来たと思ったら過労死・ただ働き・・・。何のために生きてるんだろう、って思う時もある。
 そんな時心の拠り所になっているのが晶子だ。
晶子の願いを、俺の願いを叶えたい。そう思うこと、それ自体が今の生き甲斐になっている。
晶子が居なかったら俺は・・・どうなっていたんだろう?
それを考えると、断崖絶壁に臨む覚悟を決めないといけない。自分の将来を自分で、否、晶子と一緒に切り開くために。

「ずっと・・・一緒に居てくれよな。」
「祐司さん・・・。」

 思わず立ち止まって晶子に言った俺が居る。そんな俺を大きな二つの瞳に映している晶子が居る。
車と人が行き交う通りで、俺と晶子は見詰め合っている。

「生活は厳しくなるかもしれない。旅行やプレゼントは今以上に期待出来なくなるかもしれない。だけど・・・。」
「そんなことを祐司さんとの関係に期待してませんよ。」

 プロポーズに近くなって来た俺の言葉を、晶子が微笑みと共に遮る。

「私が望むことは唯一つ、祐司さんと一緒に暮らせることです。どんな生活スタイルになっても、祐司さんと一緒に暮らせるなら良いんです。」
「晶子・・・。」
「それから、もう一つ。」

 晶子は微笑を悪戯っぽい笑みに変える。

「さっきの祐司さんの言葉の続きは、プロポーズしてくれる時までとっておいてくださいね。その時、きちんと聞きますから。」
「・・・そうする。」

 プレゼントや世間に沿った形のイベントには自己流を貫く晶子だが、結構こだわっているところもあるな・・・。
やっぱり、今の半通い婚状態から法律上でも一緒になる前提の言葉には特別の思い入れがあるんだろう。俺にもまったくないわけじゃないし。
 俺と晶子は再び歩き始める。
空気そのものが益々凍てつく時期。多忙な中迎える3回目のクリスマスコンサート。
俺と晶子を繋ぐきっかけの一つとなった、今でも繋いでいる店での大きな思い出をまた一つ作るために、多忙に押されっぱなしにならないようにしないとな・・・。

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