雨上がりの午後

Chapter 104 冬空の下の再会と楽宴−1−

written by Moonstone

※本文中「♪」で始まる文節は、本作品作者Moonstoneの作品です。

 大学に進学して以来初めての実家での正月を過ごした。
家じゃすっかりお客様扱いで、高校時代までのように店の手伝いを命令されることもない。
弟とも以前より話し易くなって、冬休みの宿題をみてやったりした。こんなことは高校時代じゃ考えられなかったことだ。
長い間、とは言っても約2年だが、家を離れていた家族が戻ってくると、しかも期間が限られているとなるとこんなもんなんだろうか?
 しかし、良いことばかりじゃない。
正月の親戚周りに1日中引っ張りまわされ、行く先々で新京大学進学祝に併せて食べ物や飲み物−勿論酒だ−を否というほど勧められて、帰宅した頃には
腹いっぱいの上に酔いでフラフラ。風呂にも入らず寝てしまった。
こうなることは大方予想できていたこととは言え、嬉しさ半分、迷惑半分だ。新京大学進学で全てが決まったわけじゃないのに・・・。
 そんなこともあった実家での正月休みは全体的に退屈そのもの。暇を持て余してギターをポロポロ弾いていた。
そんな中で楽しみと言えばやはり晶子からの電話だった。毎晩9時頃、ほぼ同じ時間にかかってきた。
殆ど親が取り次いだが、礼儀正しい娘じゃないの、と電話を取り次いだ母親から好評を得た。
 話をするといっても大して話題があるわけじゃない。だから今日の出来事を話し合っておしまい、という程度のものだった。
晶子は正月をマスターと潤子さんの家で迎えたということだった。やっぱり一人は寂しいんだろう。それを思うと胸が痛む。
成人式が済んだら直ぐ帰る、と言ったら喜んでくれた。待っている人が居るというのは嬉しいもんだ。
 そしていよいよ成人式当日。世間的には仕事始めを過ぎた最初の日曜日だ。
俺は年末に親に新調してもらったスーツを着て、ギターとアンプを父親の車に積み込んで成人式会場の市民文化会館へ送ってもらった。
歩いていくには距離がありすぎるし、交通の便も良くないから、車で送迎してもらうのに限る。終わったら電話をしろ、と去り際に父親が言った。
 バンドのメンバーとの待ち合わせ場所は正面入り口前にある噴水。
この寒い時期に噴水というのは気分的な寒さを増すばかりだが、そう言われたんだからそこへ行くしかない。
俺はスーツ姿でギターを背負い、アンプを持つという奇妙な出で立ちで待ち合わせ場所へ向かう。
少々周囲の視線を感じるが、この程度は店での演奏で慣れてるから気にならない。

「祐司!こっちだ!」

 不意に呼び声がかかる。声の方をみると、地面に敷き詰められたタイルの上に置かれたアンプの傍で手を振っている奴が見える。
あれは・・・バンドのリーダーでヴォーカルの本田耕次だ。
その隣で、やはりアンプとギター型のソフトケースを傍に置いた奴が手を振っている。ベースの須藤渉(わたる)だ。
懐かしい顔触れを見て、俺は表情が緩むのを感じながら駆け寄る。

「久しぶり。」
「久しぶりなんてもんじゃないぜ、祐司!面子が揃うのは卒業式以来だぞ。全くお前は変わってないなぁ。」
「耕次。お前に言われたくない。お前のそのフランクなところは相変わらずだな。」

 耕次はバンドのリーダーであると同時に、俺をバンドに誘った人物だ。
こいつの誘いに乗ってバンドに入らなかったら、俺の高校時代は全く別のものになっていただろう。
恐らく味気ない、勉強ばかりの毎日だったに違いない。宮城に告白されて付き合うということもなかっただろう。

「誰が一番だったんだ?」
「俺だよ。久しぶりの集合だから、全員喜び勇んでもっと早く来てるかと思ったんだがな。」

 渉が少々不満気味に言う。渉はステージ上では熱いがそれ以外では結構クールで、時間に一番五月蝿い奴だ。
ちょっと時間にルーズなところがある耕次と口論になることも度々だったが、それでもバンドを離れることはなかった。
バンドの雰囲気が良いからだ、と言っていたのを思い出す。

「勝平と宏一は遅いかもな。」
「あの二人は扱うブツがでかいからな。そう簡単に動けやしないから仕方ねえって。」
「それを見越して早めに準備して来るべきところだと思うんだがなぁ。」
「相変わらず細かいな、渉は。」
「細かいんじゃない。事情の把握の仕方を言ったまでだ。」
「まあ、二人共やめろよ。遅れてくることはない筈だからさ。」

 口論になりかけたところで俺が仲裁に入る。
だが、耕次の言うとおり、勝平−和泉勝平−と宏一−則竹宏一−はキーボードとドラムだから、俺達みたいに簡単に持ち運び、とは出来ない。間違いなく
車を調達してくるだろう。
しかし、キーボードやドラムを運んで成人式会場に乗り付けるなんて、想像すると結構凄いように思う。
 5分としないうちに、道路に車が横付けする。
車の横付けは珍しくないが、そこから降りてきた男の顔を見て、懐かしさが込み上げて来る。
後部座席からキーボードの入ったソフトケースとスタンドを取り出して持ってきたのは、キーボードの和泉勝平だ。

「スマン。キーボードとかを乗せるのに手間取ってな。」
「発電機とかは?」
「トランクの中だ。悪いけど手伝ってくれ。車を駐車場へ入れなきゃならんからさ。」
「分かった。」
「おっしゃ。任せとけ。」
「俺も手伝おう。」

 俺はギターとアンプを渉の荷物の傍に置いて、耕次と渉と一緒に勝平の荷物搬入の手伝いに向かう。
屋外ライブに欠かせない発電機は勝平が持っていて−家が中規模の工場だからそういうものはゴロゴロしているらしい−、今回も必要分の発電機を
持って来てくれることになっている。
 俺達は手分けして発電機を運び、勝平はアンプを運び終えると直ぐに車に戻って一旦その場を去る。程なく戻って来る。律儀にも走って来た。
息が切れるのも構わずに言う。

「改めて・・・、ひ・・・久しぶりだな。悪い。ちょっと遅くなった。」
「構うな構うな。人は逃げても約束は逃げやしないんだからさ。それよりよく来たな。待ってたぜ。」

 耕次が勝平の肩をポンポンと叩いて笑顔で言う。それで勝平の表情も明るくなる。
やはり耕次はリーダーに相応しい。こうやって即座に相手を励ましたり労わったりするのは耕次の得意技だ。
 この勝平も耕次に誘われてバンドに入った人物だ。
ロックバンドでキーボードは日陰の存在ということが多いが、ベースやドラムと共にリズムを支えたり、特にバラードでは見事なソロを奏でたりと
多彩な演奏技術を見せる逸材だ。俺と共にバンドのメロディーメーカーをやっていた。
更に料理が得意という一面も持っていて、泊り込み合宿の時は重宝されたもんだ。

「あとは・・・宏一だけか。」
「あいつ・・・約束忘れて女引っ掛けてるんじゃないだろうな。」

 渉の言葉に耕次が嫌な予感を感じさせる言葉を続ける。
まさかドラムの運搬中に女を引っ掛ける余裕なんて・・・ありゃしない・・・と良いんだが。
あいつ、とんでもない女好きだからな。ありえないと言えないのが怖いというか情けないというか・・・。
 やはり5分ほど経過した後、ドラムの音が近付いて来た。ま、まさか・・・。
俺達四人は顔を見合わせて小さく首を捻る。しかし、ドラムの音はだんだん近付いてくる。俺は嫌な汗が流れるのを感じる。

「ヘーイ!待たせたな、ベイビィ!」

 ダブルクラッシュ(註:クラッシュシンバルを同時に二つ叩くこと)の後、やたらと威勢の良い声が飛んで来る。
トラックの上でスーツの上着を脱いでドラムを叩いていた奴。奴こそバンド一番の問題児、則竹宏一だ。
ルックスの良さと口の軽さを武器に女を引っ掛けまくり、俺と付き合っていた宮城にも度々ちょっかいを出したとんでもない女好きだ。
そのくせドラムの腕は確かだとくるから余計に始末が悪い。

「ヘイ、ベイビィ!俺一人じゃ相棒を下ろせないから手伝ってくれ!」

 宏一は大声でそう言ってドラムを派手に叩きまくる。
俺達はちょっと躊躇うものの、ドラムが欠かせない−誰一人として欠かせないが−以上は仕方がないので、のろのろと横付けされたトラックの方へ向かう。
そして全員で手分けしてドラムを下ろして噴水前まで運んで再び組み立てる。トラックの運転手は宏一と笑顔で手を振り合って走り去っていく。

「や。待たせたな、ベイビィ!・・・どうした皆。しけた面しやがって。」
「・・・宏一。あのトラックの人、誰だ?」
「俺の兄貴さ。成人式会場までドラム叩きながら行くって言ったらノッてくれてさぁ。あー、本番前から汗かいちまったぜ。」

 俺の問いに宏一はあっさりと答える。ここまでドラムを叩きながら来たっていうのかよ・・・。冗談にも程があるぞ。
迷惑の度合いで言えば右翼の街宣車並に質が悪い。否、確信犯と愉快犯の中間だから余計に質が悪い。
こいつも全然変わってないな。否、むしろ派手さと迷惑さを増したように感じる。

「お前なぁ〜。幾ら何でも、ドラム叩きながら来るこたぁないだろ。何者だ、お前は。変わってないといえば変わってないが・・・。」
「寒空の下、熱くドラムを叩いて道行く振袖姿の女の子に声かけたんだけどさ、皆笑うか視線を逸らすかのどっちかだったぜ。」
「当たり前だ。ったく、問題児ぶりは相変わらずだな・・・。」

 耕次の呆れが多分に混じった言葉にも宏一は堪えた様子を見せない。それどころか、何故自分のナンパに引っ掛からなかったのかが疑問らしく、
頻りに首を捻りながらぶつぶつ言っている。やれやれ・・・。
まあ、耕次と並んでフランクな−少々過ぎた部分があるが−人柄でバンドのムードメーカーだったから、大人しくなってないのは良いのかもしれない。

「ところで祐司。お前、優子ちゃんと別れたんだって?」

 渉が言うと−こいつは実家から通える範囲の大学に進学した−、俺以外の全員が驚いた様子かそうそう、といった様子で俺の方を向く。
蒸し返すなよ。幾ら綺麗さっぱり別れたとは言っても、まだ傷が完全に癒えたわけじゃないんだから・・・。

「オウ、ベイビィ!なんてこった!祐優コンビにピリオドが訪れたのかよ!祐司!何でそんな大事なことを俺達に言わない?!」
「普通、そんなこと自分から進んで言うもんじゃないだろう。」
「何言ってるんだ!二人の間に迸ってた熱いパトスが止んだなんて、俺達に話さなくて誰に話すって言うんだ!」
「宏一。お前が言うと何かいやらしく聞こえるから止めろ。」
「まあ、宏一は放っておいて・・・優子ちゃんと別れたのは本当なのか?」

 勝平の制止に続いた耕次の問いに、俺は小さく頷くだけで答える。
・・・まだ・・・こだわってるのか?もうあの夏の夜で綺麗さっぱり清算した筈なのに・・・。
それとも清算したのは表面だけで、心の何処かではまだ清算し切れてないってことなんだろうか?
どっちにしても・・・胸が重い。少しだけ。
 俺の肯定の頷きに、耕次と勝平は驚きの、渉はそうか、といった感じの、宏一はOh!my God!と言いたげに頭を抱えて愕然たる表情を浮かべる。
まあ、驚くだろうな。このメンバーでは俺と宮城の関係を知らない筈がなかったし、このバンドに俺が居たから宮城の告白を受けたんだ。
言い換えれば、このメンバーと宮城との思い出は切っても切れない関係にある。

「そうか・・・。まさかお前と優子ちゃんが別れるなんてな・・・。意外だぜ。」
「ホントホント。遠距離恋愛の果てにゴールイン、って結末を信じてたんだが・・・。」
「こればっかりは仕方ないな。二人の問題だから。」
「オゥ、何てこったい!二人の間に迸ってた熱いパトスが止んじまったなんて!」
「だから、お前が言うといやらしく聞こえるから止めろっつってんだ。」

 4人はそれぞれの反応を見せる。
宏一はちと大袈裟過ぎるが、まあ、驚くのも無理はないだろうな。高校時代の俺と宮城の付き合いを知ってる奴らばかりなんだから。
それにしても・・・何処で渉はこのことを知ったんだ?

「渉。何で知ってたんだ?俺と宮城が別れたってこと。」
「優子ちゃんの友達から聞いたんだ。一昨年の秋に別れた、って。それも別れ方が双方のすれ違いっぽくて、きちんとケリをつけられたのは去年の夏、
海で偶然会った時だ、ってな。」
「・・・そのとおりだよ。後に引き摺る、一番悪い形での別れ方だった。俺はその晩自分の家で自棄酒飲んでひと暴れしたし、宮城は好意を持っていた相手と
付き合うようになった。まあ、宮城の方は直ぐに別れたらしいけどな。」
「「「「・・・。」」」」
「渉の言うとおり、去年の夏、海で偶然宮城とその友達集団と出くわして、二人だけで清算の話し合いをしたんだ。このまま尻切れトンボのままで終わるのは
良くないんじゃないか、と思ってな。まあ、俺の背中を押してくれたのはバイト先の人だけど。」

 俺は概要を説明し終えて溜息を吐く。白い息が勢い良く宙に吐き出されて、出た時とは対照的にゆっくりと消える。
やっぱり・・・まだ胸が少し重い。恋愛事では男の方が未練がましいっていうけど、あながち出鱈目じゃないみたいだな・・・。

「しかし・・・、そうだとするとヤバいんじゃないか?」

 勝平が言う。

「優子ちゃんもこの市の住人だろ?成人式に来るんじゃないのか?だとしたら鉢合わせだぞ。」
「オゥ、ベイビィ!別れた二人の巡り合いかよ!何て皮肉な運命なんだ!」
「宏一。いい加減にしろよ、お前。」
「耕次、良いって。俺と宮城とはもう・・・終わったんだから。高校の同期になる、って決めたんだ。二人でな。」
「祐司・・・。」
「それに、俺は去年の暮れに小宮栄で宮城と会ったんだ。俺はちょっとした買い物で、宮城は一人暮らし用の家電製品とかの買出しでな。その時にも別に妙な
わだかまりなしで話し合えたんだ。だからもう・・・大丈夫だ。」

 そうだ。俺と宮城とは高校の同期ってことになったんだ。あと腐れなくさっぱりと。
何時までも噛みまくったガムの味の復活を求めるようなことをしてちゃいけない。
こういう時こそ、語弊があるかもしれないが、男の真価が問われると思う。

「まあ、祐司が大丈夫だ、って言うなら良いか。俺達が騒いだところでどうになるものでもないし。」
「同感。」

 耕次と渉は言う。勝平は納得した様子で小さく頷く。

「ようし!それじゃ祐司を元気付けるためにも、ここらで一発いこうぜ!」
「別に俺は落ち込んじゃいないんだが・・・。」
「がたがた言うな、祐司!お前の中の熱いパトスを俺のドラムで蘇らせてやるぜ、ベイビィ!」

 宏一はそう言うが早いか、ドラムの前に座って激しくドラムを叩き鳴らす。会場に来ていた人達が何事か、というような目で宏一を見る。
だが、宏一は自分の世界に浸りきっているらしく、恍惚とした表情でドラムを叩きまくる。こいつ、全然変わってないな・・・。
 思わず笑いが漏れる俺の肩を、耕次がポンと叩く。
その表情には変な同情や哀れみはない。吹っ切れたな、と言っているように見える。

「祐司。どのみち俺達の目的はお偉いさんの話を聞きに来たわけじゃねえんだ。どうだ?指慣らしに一曲いってみようぜ?」
「ああ。」
「よし、決まりだな。さあて、全員で準備だ。宏一!一旦止めろ!準備を手伝え!」
「了解だぜ、ベイビィ!」

 宏一は派手にタムを打ち鳴らしてからダブルクラッシュを決めて返答する。
よく聞こえてたな。てっきり自分の世界に浸りきってて聞いちゃいないかと思ったんだが。
 俺達は手分けして発電機やアンプを配置し、配線をする。
キーボード担当の渉はプログラムチェンジ(註:音色やそのキーボード配置の切り替え)の確認をして、エフェクターやミキサーが入ったラックを通して
アンプに配線するからちょっと面倒だ。でも勝平はその作業を淡々と手早くこなす。
 俺と渉はアンプの電源を貰ったら、手持ちの楽器を繋ぐだけで良い。ディストーションはアンプの出力をそのように切り替えれば完了だ。
寒さで悴んだ指を元に戻すため、音量を控えめにして適当にフレーズを爪弾く。
そして手を何度か握ったり開いたりして指の動きが戻ったことを確認してボリュームを上げる。
 耕次はスーツの胸ポケットからワイヤレスマイクを取り出し、電源を入れてマイクを軽く叩いて自分のアンプから−アンテナ内蔵のやつだ−音が出るのを
確認する。そしてそれぞれの位置について−何だか凄く懐かしい気分だ−耕次が振り向いて言う。

「ようし。全員、準備はOKか?」
「ああ。」
「問題なし。」
「こっちも。」
「OKだぜ!」
「よし、最初は『Over the rainbow』だ!」

 「Over the rainbow」。作詞が耕次、作曲が俺の、ライブで定番だった曲の一つだ。
懐かしさが込み上げて来る中、宏一がドラムのフィルを入れる。
それを合図にタイミングを見計らって、俺はディストーションを効かせたギターのグリスを入れる。
 俺のギターがコードを掻き鳴らす。勝平のキーボードが力強いピアノのバッキングを鳴らす。渉の低音ベースが響く。宏一のパワフルなドラムが突き上げてくる。
8小節のイントロが終わると、耕次がマイクを構えて歌い始める。

♪涙の雨は終わりにしよう これからは太陽の出番だ
♪流した涙は無駄じゃない 変わるんだ俺達は
♪もう雨と風は止んだんだ 次は光溢れる世界の番だ
♪苦しみの爪痕は直(じき)癒える 変えるんだ俺達を
♪見上げろよ空を 雨雲は撥ね退けろ
♪眩しく輝く光を受けて 虹の橋が生まれる

 耕次のヴォーカルが盛り上がりへの狼煙を上げると、俺と渉がユニゾンして、そこに勝平のグリスが入り、宏一のシンプルなフィルが絡む。
2小節分のフィルを挟んで、耕次が再びマイクを構える。

♪Over the rainbow 虹を越えて行こう
♪あの虹の橋の向こうに 俺達が生きる世界がある
♪Over the rainbow 現在(いま)を越えて行こう
♪未来を掴みたいのなら 自分の足で歩いて行け

 耕次が力強く歌い上げた後、俺がソロを始める。約2年ぶりの演奏にも関わらず、指が自然と滑らかに、そして激しく動く。
耕次から、勝平から、渉から、宏一からパワーを分けてもらったのかもしれない。
8小節分のソロを終えると、再び俺と渉のユニゾン、勝平のグリス、宏一のフィルが入り、耕次がマイクを構える。

♪Over the rainbow 虹を越えて行こう
♪涙と光が作った橋は 俺達の未来のためにある
♪Over the rainbow 現在(いま)を越えて行こう
♪過去の雫にこだわるな 前を向いて歩いて行け

 俺のコード音と渉の低音に勝平の激しいピアノのバッキングが乗っかる。そして宏一のテクニカルなフィルが入る。エンディングだ。
耕次以外の全員がそれぞれの楽器を激しく響かせ、耕次のジャンプで締める。
 すると周囲から拍手と歓声が飛んで来る。
改めて見回してみると、周囲に人垣が出来ている。それも二重三重のものだ。
俺達の演奏を聞いて会場から出てきたんだろうか。スーツ姿や振袖姿の、俺達と同じ年代らしい集団が惜しみない拍手と歓声を発している。

「皆、ありがとう!」

 耕次がマイクで呼びかけると、拍手と歓声がより大きくなる。
ふと腕時計を見ると、成人式はもう始まっている時間なんだが、少なくとも此処に入る観衆はそんなことなどお構いなし、ってところだろう。
しかし、久しぶりのセッションだっていうのにリズムが乱れなかったのは不思議だ。これも高校時代に培った友情と信頼と技術の賜物だろうか。

「もう一曲いくぜ!曲は『Cyber dimension』!聞いてくれよ!」

 「Cyber dimension」。これもライブでの定番メニューの一つだった曲だ。俺は気を引き締め直す。
作詞は耕次、作曲は勝平の、テクニカルな曲な上に久しぶりのセッションだから油断は禁物だ。
宏一のスティックを叩く音に続くシンプルなフィルに続いて、俺と勝平と渉のユニゾンが宏一の複雑なフィルに乗って響く。
やはりここでも不思議と乱れない。高校時代に培った阿吽(あうん)の呼吸は健在ってことか。

♪前を弄(まさぐ)るひたすらに 此処は何処かは分からない
♪電子音と光が支配する 前後も上下も分からぬ世界
♪ひたすら彷徨い行く今の俺は さながら人生に迷う若人(わこうど)
♪この不可思議奇怪な世界は 俺に何を求めるのか
♪誰かを求めるひたすらに 今は何時(いつ)かは分からない
♪電子音と光が支配する 過去も未来も分からぬ世界
♪ひたすら迷い続ける俺は さながら世間に溺れる木の葉
♪この奇妙未開の世界は 俺に何時を求めるのか

♪Be careful this world 何かが何処からかやって来る
♪Be careful this world 何時かが何処からかやって来る

 ヴォーカルが終わったところで再び俺と渉のユニゾンが入る。その締めくくりの白玉にフィルから入ってきた宏一のダブルクラッシュが加わって迫力を増す。
そして曲調は一転して静かになり、宏一のシンバルワークに乗った勝平のシンセソロが始まる。
まさにシンセといった感じの浮遊感ある音色とピアノの白玉中心のバッキングが複雑に絡み合う。
 俺はストロークを効かして渉と共にナチュラル音での白玉のバッキングに務める。
8小節シンセソロが続いた後、クイが混じり始めたピアノに合わせて俺がディストーションを効かせたバッキングを加え、それを渉の低音ベースが支える。
白玉だがどっしりした音色が腹に響く。宏一のシンバルワークはタムやスネアを加えたパラティドル(註:左右の手で不規則に強弱を付けてドラムを叩くこと)に
変化していき、どんどん盛り上がっていく。

♪ひたすら足掻き続ける俺は さながら風に吹かれる花弁
♪この電脳が支配する世界は 俺に何を求めるのか

♪Be careful this world 何かが何処からかやって来る
♪Be careful this world 何時かが何処からかやって来る

♪Be careful this world 何かが何処からかやって来る
♪Be careful this world 何時かが何処からかやって来る

 一旦転調してサビを繰り返した後、調を元に戻し、俺がギターソロを入れる。4小節分の短いソロだが、ライトハンドを多用した激しいソロだ。
最初にこの曲の楽譜を見せられた時、一瞬だが勝平を恨んだもんだ。だが、弾き慣れるとこれが爽快なんだよな。流石はバンド一のテクニシャンだ。
 ギターソロが終わると、また俺と勝平と渉のユニゾンが宏一の複雑なフィルに乗って冬空に響く。
宏一のバスドラムとクラッシュシンバルによるロックらしいフィルが続く間、俺と勝平と渉は動きを止めて音が自然消滅するのを聞く。
ギターとキーボードとベースの音が消滅する前に、耕次が両手を上げる。終わるという合図だ。
耕次が両手を振り下ろすと同時に楽器部隊は一斉にそれぞれの音を強調して音を止める。
 その直後、大きな拍手と歓声が俺達に降り注ぐ。人垣はさっき見たときより厚みを増したように思う。
成人式よりも想像だにしなかったライブ演奏の方が興味をそそられるんだろうか、やっぱり。
人垣を構成するのはスーツ姿だったり振袖姿だったりで、どれもこの成人式会場に来た新成人だろう。

「皆、聞いてくれてありがとう!」

 耕次の呼びかけに人垣が拍手や声援で応える。
俺は額に汗が滲むのを感じてスーツの袖でぐいと拭う。身体が火照っている。演奏を始める前の、手が悴む感触は何処かへ行ってしまった。
見ると手は赤みを帯びている。汗をかくのも当然だ。

「皆は今日成人式に出席するために此処へ来たのか?」

 耕次が尋ねると、そうだ、とかいう声が彼方此方から飛んで来る。

「実は俺達も本来なら成人式に出る人間だ。だけど高校卒業のときの約束で、20歳の成人式の日に此処で会おう、そしてライブをやろう、ってことで
集まったんだ。」

 人垣から大きなどよめきが起こり、続いて拍手と歓声が沸き上がる。

「折角の機会だ。ここでメンバー紹介といこうか。」

 人垣からの拍手と歓声に混じって、ハイハットのハーフオープンを使った8ビートのドラム音が始まる。人垣の「構成員」はそれに合わせて手拍子をする。
本当にライブをやっているという感じだ。高校時代の記憶が鮮やかに蘇ってくる。

「まずは熱いビートを刻む、ドラムの則竹宏一!」

 耕次の紹介を受けて、宏一がタムのフィルに続いてシンバルを叩く。

「そして俺達の縁の下の力持ち、ベースの須藤渉!」

 耕次の紹介で、渉がチョッパーベースのアドリブを入れる。

「そしてバックにソロにと忙しい、キーボードの和泉勝平!」

 耕次の紹介に続いて、勝平がさっきのシンセ音でアドリブを入れる。

「そしてクールで鋭い音を聞かせる、ギターの安藤祐司!」

 耕次の紹介を受けて、俺がギターでアドリブを入れる。

「そして最後は熱い声で歌う、俺、ヴォーカルの本田耕次!以上5人のメンバーで『客を取って悪いねお偉いさんライブ』をお送りします!」

 何てお題目だ、耕次の奴。
まあ、確かに成人式の「客」を少なからず取っているのは事実だろうし、即興で巧みにMCを入れることが出来る耕次らしいといえばそれまでだが。
やっぱり変わってないな、こいつも。

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