雨上がりの午後

Chapter 68 訪れた地は思い出の地

written by Moonstone


 波の音が耳に届いてくる。高くから降り注ぐ日差しが眩しい。ざわめきや歓声が彼方此方で起こっている。
時は流れて早7月下旬。勿論晶子の家への「通い婚」状態は続いている。今俺は柳ヶ浦に居る。去年の冬、足と推測に任せて晶子と訪れた海水浴場だ。
あの時とは違い、白砂には大勢の人で溢れている。あの時はなかった屋台や海の家も活気いっぱいだ。
 そもそも今、こうして柳ヶ浦に来ることになったのは、1週間ほど前の「仕事の後の一杯」の席上でマスターがこう話を切り出したことが発端だ。

夏だし、一度海に行こうか。

まあ、夏と言えば海を連想するのは不思議じゃない。しかし、店を3日間も臨時休業にしてまで本格的に繰り出すことになるとは、想像だにしなかった。
だが、来年になると進路を決める時期に入ることで夏休みだからといって遊んでいる状況にないかもしれないだろうから行ける時に行っておこう、
というマスターの事情「解説」にすんなり納得して今に至る、というわけだ。
 柳ヶ浦に程近い民宿に宿を取って、2泊3日の海水浴に来た・・・は良いが、高校以来風呂以外まともに水に浸かったことがない俺は少々不安だ。
一応かなづちではない筈だが、時の流れは俺の運動中枢から水に浮くことを奪い去ってしまっているかもしれない。

「おいおい祐司君。何をぼうっと突っ立ってるんだ?」

 不意に背後から声がかかる。見ると明るいブルーのトランクスの水着と、白地に背中に英文が書かれたジャンパーを来たマスターが立っていた。
意外にも筋肉質な身体と髭面にサングラスという出で立ちは、半径3メートル以内に人を近付けない迫力を持っている。
その手には銃・・・では勿論なく、ビーチパラソルとクーラーボックスがある。
 勿論俺もトランクスの水着を着て、マスターと同じように淡いブルーのジャンパーを着ている。
着替えを先に済ませて勢い良く外に出たまでは良いが、そこから先どうすれば良いか分からずに、前もって待ち合わせ場所に決めておいた、
とある海の家の傍に突っ立っていたというのが実情だ。マスターの登場に驚くと同時にほっとしたのは間違いない。

「女性陣は・・・まだみたいですね。」
「女は着替えるのに時間がかかるもんだよ。日焼け対策もしてるだろうし。まあ、心配しなくても井上さんの水着姿は拝めるから。」
「な、べ、別にそんなことは・・・。」
「とか何とか言いつつ、実際は楽しみなんだろ?」

 マスターがにやつきながら俺を突っついてくる。一応否定はするものの、初めて見ることになる晶子の水着姿が楽しみなのは事実だ。
あと、潤子さんの水着姿との「競演」も期待していたりする。

「お待たせー。」

 潤子さんの声が背後から聞こえる。
俺とマスターが振り向くと、ベージュのジャンパーを来て前のファスナーを締めた晶子と、大胆にも白のワンピースに白いジャンパーを羽織った
潤子さんが歩み寄ってくるのが見える。
潤子さんは楽しそうにこっちに向かって手を振っているが、晶子は潤子さんの陰に隠れるようにほんのり頬を赤らめて恥ずかしそうにしているのが対照的だ。

「おう。俺もついさっき着いたところだ。祐司君は先走って待ちぼうけを食らっちまったみたいだが。」
「あら、祐司君。そんなに晶子ちゃんの水着姿が楽しみだったの?」
「あ、いや、その・・・。」
「ふふふ。晶子ちゃん、勝負水着で決めてるわよ。祐司君が悩殺されるのは間違いなしね。」 「潤子さん。あんまり誇大宣伝しないで下さいよ。」
「そのプロポーションでその水着じゃ、どうぞご覧下さい、って言っているようなものよ。」

 順子さんの陰に隠れるように立っている晶子は、本当に恥ずかしそうだ。
余程大胆な水着なんだろうか?潤子さんが勝負水着という晶子の水着姿とはどんなものなんだろう?心ならずも期待が膨らんでくる。
勿論表面上は平静さを保っているつもりだが・・・どうしても晶子のほっそりした白くて長い足に目が行ってしまう。
そしてその上にあるピンクの布地が妄想を、もとい、期待をそそる。

「ほらほら晶子ちゃん、前に出て出て。ファスナー開放よ。」
「ちょっと潤子さん。変なショーじゃないんですから。」
「そんなにこそこそしてたら、その水着の意味がないわよ。ほら。」

 潤子さんが晶子を前に押し出す。
晶子はジャンパーのポケットに手を突っ込んで前を隠すようなポーズをしていて、いかにも恥ずかしいと言わんばかりに頬をほんのり赤く染めて
こちらを上目遣いに見ている。
 しかし、晶子はファスナーを開けて水着姿を見せようとしない。
そんなに恥ずかしいものなら着なきゃ良いのに、とも思うが、それだけ潤子さんの白い水着に匹敵、或いはそれを上回る大胆な水着なんだろうか、
という期待が膨らむ。
いっそ自分で開けてやろうか、という大胆な、否、邪な考えが頭を過ぎる。

「ええい、じれったいわね!」
「きゃっ!」

 痺れを切らしたらしい潤子さんが晶子のジャンパーのファスナーに手をかけて一気に下ろす。
そこから顔を覗かせたものは・・・下の生地と同じピンク色のビキニスタイルの水着だった。それもかなり布の面積が狭い。
胸を三角巾で吊るしたような水着だから、胸の膨らみが布から溢れている。胸の谷間もしっかり見える。俺は思わず生唾を飲み込んでしまう。

「潤子さん!何するんですか?!」
「ジャンパー着たままじゃその水着の意味がないって言ったでしょ?それよりほら、祐司君を見て御覧なさいよ。完全に虜になってるわよ。」
「え?」

 晶子が改めて俺を見る。その視線で俺は我に帰って改めて晶子の水着姿をまじまじと見詰める。
確かに・・・よく似合っている。それにプロポーションの良さもしっかり分かる。
水着の大胆さに気を取られていたが、晶子全体を通して見てみれば、そのプロポーションに相応しい水着姿だと思う。

「ほらほら祐司君。折角彼女が勝負水着で決めてきたんだから、何か一言言ってあげてやらないといかんぞ。」

 隣に居たマスターが肘で俺を軽くつつく。俺は頭を掻いて前に進み出る。
だがどうも視線を晶子に合わせ辛い。合わせようとするとどうしても胸の方に行ってしまうからだ。
何て言ったら良いか・・・。俺は色々な言葉を思い浮かべてその中から一つを選び出して、晶子の方を向いて言う。

「あ・・・その・・・よ、よく似合ってるな。それに・・・スタイル良いんだな。」
「ほらぁ。言ったでしょ?祐司君、絶対誉めてくれるって。誉めてもらって嬉しいでしょ?」
「は、はい・・・。嬉しいです・・・。」
「折角良いプロポーション持ってるんだから、堂々と披露しちゃえば良いのよ。」
「だ、だってやっぱり恥ずかしいですし、それに・・・潤子さんと比べられると・・・。」
「彼女の水着姿より他の女の人の水着姿に目が行くようじゃ彼氏失格よ。それに祐司君はそういうタイプじゃないってことは、
晶子ちゃんが一番良く分かってるんじゃないの?」
「・・・。」

 潤子さんの言葉に晶子は小さくこくんと頷く。その様子が凄く可愛らしい。思わず抱き締めたい衝動に駆られる。

「さ、胸張って。折角の水着とプロポーションが台無しよ。」
「は、はあ・・・。」

 潤子さんに諭されて、晶子はようやく猫背気味になっていた姿勢を元に戻す。
するとスタイルの良さと水着の大胆さが相俟って、モデルを思わせる雰囲気を醸し出す。
潤子さんと比べてもちっとも見劣りしない。むしろ個人的感情の分だけ、晶子の方が魅力的に見える。
 晶子が俺の方に向かって歩み寄ってくる。
何をするのか、と一瞬警戒したが−まあ、いきなり平手打ちはないだろうが−次の晶子の行動でその警戒は霧散する。
晶子は俺のジャンパーの袖を右手でぎゅっと掴んだ。やや俯いているが、ジャンパーの皺は深い。それだけしっかり掴んでいるという証拠だ。
それだけで胸が高鳴る。付き合い始めて約半年。それでも尚、こういう「ドキドキ感」が健在なのは良いこと・・・なんだろうな。

「よし、二人の準備も出来たようだし、海に繰り出すか。」
「そうね。さ、お二人さん。行きましょう。」
「「はい。」」

 俺と晶子は、見せつけるように腕を組んだマスターと潤子さんの後を追って人が溢れる浜辺へ向かう。
何だか周囲の視線が俺達一行に集中しているような気がする。否、気のせいじゃない。
明らかに驚いている人も居れば、羨望と嫉妬の入り混じった視線を向けてくる奴も居る。
どちらかと言えば前者はマスターと潤子さんに、後者は俺と晶子に向けられているんだろう。
何せマスターと潤子さんの組み合わせはヤクザの幹部と女優のカップルに見えるからな。
 賑わっているといっても平日だからか−ちなみに今日は金曜日だ−それ程ゴミゴミしていない。
空いていた適当な場所にマスターがビーチパラソルを立てて、さらにシートを敷く。これで場所は確保できた。
マスターがクーラーボックスをシートの上に置いて蓋を開けて缶ジュースを4本、適当に取り出して全員に配分する。一先ず一服といったところか。
俺はプルトップを開けてグレープジュースを一口飲む。よく冷えた葡萄の味がする液体が喉を通って胃に入り込み、じんわりと腹全体に広がるように感じる。
 暑い最中に冷たいものを飲むのはすっきりして気持ち良い。暑い時こそ熱いお茶、とかいうけれど、俺には単なる我慢大会にしか思えない。
それなら何で寒い時こそ冷たい飲み物ってのはないんだ、とも言いたくなる。まあ、捻くれ者の俺ならではの言い分かもしれないが。

 ジュースを飲み終えたところで、さてどうしたものか。
マスターと潤子さんはまだ残りがありそうだし−酒とは違ってゆっくり飲むもんだな−、晶子はというと、缶を持ったまま海の方を眺めている。
一人で缶を捨てに行くのも何だしな・・・。もう暫くゆっくりするか。慌てる必要なんてないし。
 そう思っていると、やおら晶子が立ち上がる。何か面白いものでも見つけたんだろうか?

「どうしたんだ?」
「いえ、飲み終えたから空き缶を捨てに行こうかと。」

 何だ、晶子も飲み終えてたのか。それなら話は早い。一緒に行動する口実が出来たってもんだ。

「俺も飲み終えたから、一緒に捨てに行こう。」
「まとめて捨ててきますよ。」
「良いから。」

 俺はほんの少し語気を強める。
塵捨て場が何処にあるかなんて探さなきゃ分からないし、晶子と一緒にという俺の野望、もとい、希望が水の泡になっちまう。
それに・・・今の晶子を一人で行動させたくない。そんな思いもある。格好が格好だしな・・・。

「晶子ちゃん。この際だから祐司君と二人で行ってらっしゃいよ。私はまだ半分以上残ってるし、ナンパ男がうろちょろしてる中に
晶子ちゃんを一人で行かせたくないっていう祐司君の気持ちも察してあげたら?」

 流石は潤子さん。良いこと言ってくれる。俺が口に出来ないことを代弁してくれた。
でも本来なら俺が率先すべきなんだろうけど。積極性のなさがまた出てしまった格好だな・・・。

「そうそう。俺は暫く此処でゆっくりするつもりだし、若い者同士仲良く一緒に海を満喫すれば良い。それに今の晶子ちゃんを一人にしたら、
ナンパ男でなくても黙ってないだろうし。」
「そんな大層な人間じゃないですよ、私。」
「晶子はそう思ってるかもしれないけど、他人もそう思ってるとは限らないんだよ。」

 俺の口から思ったことがポロポロ零れだす。それもはっきりした口調で。
晶子のよく言えば謙虚さ、悪く言えば実情を知らない上での自分の過小評価をこうやって面と向かって言うなんて、もしかして初めてなんじゃないか?

「それじゃ・・・一緒に行ってください。」
「ああ、そうする。」

 俺は徐に立ち上がって晶子の右横に着く。すると晶子が再び俺のジャンパーの袖をぎゅっと掴んでくる。
その横顔は少し照れくさそうで、目はやや下を向いている。
腕を組んでるわけじゃないのに、こうしているだけでドキドキする。何でだろう?もうキスも済ませて胸を愛撫した程仲が深まったのに。

「じゃあ、行ってきます。」
「おう、頑張ってこいよー。」
「何を頑張るんですか、何を。」
「決まってるじゃないか。晶子ちゃんのボディーガードだよ。それとも何か?もっと先のことを想像したとか?ん?」
「いや、それは・・・。」

 来た来た、マスターの突っ込みが。
どうかわそうかと考え始めたとき、潤子さんがマスターの頭を引っぱたく。マスターの首ががくんと下に折れる。
潤子さんが爆弾を炸裂させたか。しかし、何時見ても強力だな。

「変な突っ込みしないの。それより二人とも。安心して行ってらっしゃい。折角二人一緒なんだから、仲の良いところを見せつけちゃいなさい。」
「見せつけるって・・・。」
「さあほらほら、行った行った。」

 潤子さんの後押しを受けて、俺は照れ隠しに頭を掻いて返答する。

「それじゃ改めて、行ってきます。」
「行ってらっしゃい。待ち合わせ場所は此処だから、それだけは忘れないでね。」
「はい。」

 俺は短く返答して、再び前を向いて歩き始める。俺のジャンパーの袖を掴んでいる晶子も俺に並んでついてくる。
夏の日差しを受けた砂はかなり熱い。ビーチサンダルを履いてきて正解だったとつくづく思う。
それにしても・・・さっきから周囲の視線が感じられて仕方がない。
気のせいじゃない。実際に俺と晶子の方を見ている奴が居る。それも何か、羨望と嫉妬がごちゃ混ぜになったような表情で。
俺は視線を気にしないようにして砂浜を進む。いちいち視線を気にしてたら身が持たない。
 5分ほど砂浜を歩き回った俺と晶子は、ようやく空き缶を入れる塵箱を見つけた。
周囲には多分投げ入れようとして失敗したんだろう、かなりの数の空き缶が砂から顔を出している。全くマナーのなってない奴らだ。
俺と晶子は塵箱に空き缶を入れる。そして俺が引き返そうとしたとき、晶子が俺のジャンパーの袖をくいくいと引っ張る。何かあったのか?

「どうした?晶子。」
「落ちてる空き缶、拾って塵箱に入れておきましょうよ。」

 晶子はボランティア精神を発揮し始めたらしい。
確かに塵箱周辺の様子は見るに耐えないものがあるが、何も俺や晶子がこんなところで俄かボランティアになる必要はないだろう。

「そこまでしなくて良いんじゃないか?それは捨てた奴の責任なんだし。」
「それはそうかもしれませんけど、見過ごすわけにはいかないです。」

 晶子の決心は固いらしい。まさか晶子を一人置いて行くわけにはいかないし・・・。
仕方ない。俺も俄かボランティアになるとするか。

「じゃあ、一緒に拾おう。」
「はいっ。」

 晶子は俺が一緒に拾おうと言ったことが余程嬉しいのか、はっきりした口調と笑顔で応える。
やれやれ・・・。まあ、晶子の性格じゃ、この惨状を見て見ぬ振りすることはしないかもしれないとは思ってはいたが。
 俺と晶子は手分けして周辺の空き缶を拾う。
中には相当前から放置されていたらしく、熱砂同様熱くて持ち辛いものもある。
それに量も予想以上に多い。
10個程度なんてもんじゃない。固まって何個か落ちていたりするし−多分一気に投げ入れようとして失敗したんだろう−、
砂が中に入って重たくなっているものもある。
砂が中に入っているものは逆さまにして砂を出してから塵箱に放り込む。
手間はかかるが砂が入った空き缶はリサイクルの時に支障を来すらしいし、晶子が居る手前手を抜くわけにはいかない、という気持ちが働く。
周囲を見るとある者は物珍しげに、ある者は軽蔑の目で俺と晶子を見ているのが分かる。
そいつらは俺と晶子を見て何かこそこそ話して笑うだけで何もしない。腹立たしいのは勿論だが、そんな奴らのことを気にしてたらこんなことやってられない。
 全身から汗が滴り落ちる頃になって、ようやく空き缶拾いは終った。
塵箱を見ると、空き缶を拾い始める前よりかなり量が増えている。もう一度同じ量を拾ったらいっぱいになってしまうくらいだ。
それだけ砂浜に放置されていた空き缶の数が多かったということだ。
本当にマナーのなってない奴が多い。只捨てるだけなんだから、塵箱の真上で手を離せば良いものを・・・。

「どうにか拾い終わりましたね。」
「そうみたいだな。ふーっ、それにしても暑いな。」
「直射日光の下ですからね。一度マスターと潤子さんのところへ戻りましょうか?」
「そうだな。ジャンパー着たままじゃ海にも満足に入れないし。」

 俺は晶子に左手を差し出す。最初きょとんとしていた晶子だが、直ぐに嬉しそうな笑顔を浮かべて俺の左手を握る。
それで周囲の視線がまた変わったような気がする。
全く・・・さっきまで物珍しげに、或いは軽蔑して眺めてただけのくせに、女のことになると目の色を変えやがる・・・。
そう言えば高校の時、宮城と海に来た時も周囲の視線がいやに俺と宮城に集中してたな・・・。「いい女」と見れば身体が疼くとでもいうのか?勝手な奴らだ。
 俺は周囲の視線が集まる中、晶子の手を引いて砂浜を歩く。
視線は鬱陶しいが、それだけ晶子を連れていることが羨ましく見えるのかと思うと、ちょっとした優越感を感じたりする。
全く俺は男として幸運な奴だ。相手こそ違うが、高校の時も今も、こうして人目を引くような女を連れて歩けるんだから。

「さっき、祐司さんが一緒に空き缶を拾ってくれて、嬉しかったです。」

 直ぐ隣に居る晶子が晴れやかな表情で言う。

「私、ああいうのを見ると放っておけない質(たち)なんですよ。祐司さんは気が進まなかったかもしれませんけど、
それでも一緒に拾ってくれて嬉しかったです。」
「まあ・・・空き缶拾ってる晶子を一人放って行くわけにはいかないしな。」
「私を一人きりに出来ないんですか?」
「出来るわけないだろ。周囲の男共が目の色変えて言い寄ってくるに決まってるからな。そんな目に遭わせるわけにはいかないし、
晶子一人で空き缶を拾わせるのは気が引けるし・・・。今までも視線がこっちに集中してたから、晶子を一人にしたらどうなるか、分かったもんじゃない。」
「私も視線を感じるんですよ。私に向かってか祐司さんに向かってかは分かりませんけど、何かこう・・・突き刺さるような視線を。」
「多分両方だと思う。もっとも晶子にはその水着姿に、俺には晶子を連れてることにだろうけど。」
「・・・やっぱり私の水着、人目引きますか?」
「引くも何も・・・晶子が気付かない方が不思議だよ。」

 晶子が俺の手を握る手に力を込めてくる。柔らかい感触が掌全体によりはっきりと伝わってくる。

「この水着、祐司さんの前でしか見せないようにしようかな・・・。」
「そうして欲しい気持ちはあるけど・・・折角海に来たんだし、その水着よく似合ってるから、隠すのは勿体無いよ。」
「・・・似合ってますか?」
「ああ。よく似合ってるよ。」

 俺が面と向かってはっきり言うと、晶子が空いていた左腕を俺の左腕に抱きかかえるように絡めてくる。
手とは違う、これまた独特の柔らかい感触が水着一枚を通して左腕に伝わってくる。
その突然で強烈な「一撃」に、俺は思わず晶子から弾き飛びそうになる。

「な、何だよ、いきなり。」
「だって、似合ってるってはっきり言ってくれたから。」
「い、今は止めてくれ。周囲の視線が・・・。」
「そんなこと気にしてたら、この水着着て祐司さんと一緒に歩けませんよ。」

 参ったなぁ・・・。周囲の視線が余計に鋭さを増したような気がする。
だけどまさか晶子の腕を払い除けるわけにはいかないし・・・。このままマスターと潤子さんの居る場所まで行くしかないか。
このままの状態で戻ったら、マスターと潤子さんに絶対突っ込まれるだろうな。ああ、嬉しいやら悲しいやら。

「おお、随分仲のよろしいことで。」

 サングラスをかけたマスターが俺と晶子を見て開口一番、予想どおりのことを言う。
勿論、俺の左腕には晶子が抱きつくように腕を絡めて、その上、手を繋いでいる。こんな状況じゃあ、マスターが突っ込まない筈がないだろうな。

「二人共、なかなかお似合いよ。」

 潤子さんも笑みを浮かべながら言う。
この状況を見れば、大抵の人間は俺と晶子が仲睦まじいものだと信じて疑わないだろう。
もう、どうとでも言ってくれ、というある種投げやりな気持ちと同時に、何と言うかこう・・・もっと言って欲しいという相反する気持ちが
俺の心の内に存在している。こういう気持ち、宮城と付き合っていた時にも色んな場面で感じたな・・・。
 晶子はここへ来てようやく俺から離れてビーチパラソルが作る影の下に入る。
俺も厳しい夏の日差しから一時的にも離れようと、晶子に続いてビーチパラソルの影の下に入る。
影がある分まだましだが、日差しが作り出す夏独特の熱気はかわしようがない。まあ、これが夏なんだと言われればそれまでだが。

「お二人さん、随分汗かいてるな。」
「まあ、夏の直射日光の下に居れば汗もかきますよ。それに、それだけが原因じゃないですけどね。」
「どういうこと?」
「私と祐司さんの二人で空き缶を捨てに行ったでしょ?その塵箱の彼方此方に空き缶が散乱してたんで、私、見て見ぬ振りが出来なくて
祐司さんと一緒に拾ったんですよ。」
「あら、立派ねえ。やろうと思ってもなかなか出来ないものよ。」
「私一人だったらもしかしたら見て見ぬ振りしてしまったかもしれませんけど、祐司さんが一緒だったし、祐司さんも一緒に拾ってくれるって
言ってくれましたから。」
「マナーのなってない奴がカッコ良いつもりでそうしてるからな。カッコ良いように見えることが実はカッコ悪くて、カッコ悪く見えることが
実はカッコ良いってことは往々にしてあるもんだ。その点ではお二人さんはカッコ良いぞ。」
「・・・全ては晶子の行動力の賜物ですよ。」

 そう。俺は最初衆人環視の中で空き缶を拾うことを躊躇った。でも、晶子が拾おうと誘ったから一緒に拾った。
晶子が居なかったらそれこそ、見て見ぬ振りして戻っていただろう。
こういう時こそ、俺が率先して拾い始めるべきだったんじゃないかと今になって思う。・・・マスターが言ったんじゃないが、カッコ悪い奴だ、俺は。
 視線を海の方に向ける。
浜辺に近いところで水着姿の男女や家族連れが水と戯れている。
海水浴と言っても泳いでいる人の姿は全くと言って良いほど見かけない。まあ、これが海水浴の典型的な様子と言えばそうなんだが。
 俺は汗が染み込んだジャンパーを脱いでシートの隅に置く。晶子も暑さに耐えかねたか、同じようにジャンパーを脱いでシートに置く。
晶子の水着姿が完全に衆人に披露されたことになる。
どうだ、俺の彼女の水着姿は、と自慢したい気持ちより、あまり他人に、特に男の目には晒したくないという気持ちが強い。これも独占欲だろうか?
 俺達一行は暫く無言で海を眺める。
その間、当然人が目の前を行き交うわけだが、男の視線がちらちらとこっちに向いてくるのが分かる。
その視線はマスターの直ぐ横に居る潤子さんと、俺と少し距離を置いて座っている晶子に交互に向けられているような気がする。
潤子さんは大胆にも白の水着だし−まあ、透けないようにはしてるだろうけど−、晶子は胸のカットが目を引くビキニスタイルだし・・・。
男の目を引くのは当然かもしれない。
 そうしていると、数人の如何にも夏の男を気取った格好の男達がこっちに近付いてきた。
愛想の良さそうな顔をして、それでいて目はぎらついているんだが、さも自然なふりを装っている。狙いはやっぱり・・・。

「はぁい、彼女。一人?」

 やっぱり晶子だった。潤子さんは隣にヤクザの幹部を思わせる風貌のマスターが居るから、声をかけたら殺されかねないと思ってるんだろう。
だが、晶子は「一人」じゃない。ここは俺が毅然とした態度で割って入らないと・・・。

「ちょっと待てよ。」
「ああ?」

 俺が男達の「野望」を横から阻止しようとすると、男達は露骨に嫌そうな顔をして、喧嘩売る気か、というような目で俺を見る。
此処でひるんじゃ元も子もない。第一晶子は「一人」じゃないんだから。

「その娘(こ)は俺の彼女だ。女漁りなら他所でやってくれ。」
「彼女ぉ?お前の?ははは。笑わせるぜ。全然バランスが取れてないじゃねえかよ。」
「な・・・!」
「失礼なこと言わないでくれませんか?彼の言うとおりなんですから。」

 晶子が男達を見据えて言う。その横顔は何時になく厳しい。
去年の俺の家の大掃除を手伝ってくれた時、昼飯を食いに出かけた先でおばさん連中に誹謗中傷された時に見せた表情を髣髴とさせる。
男達もその迫力にビビったのか、ちょっと尻込みする。

「か、彼って・・・ホント?」
「何度言えば分かるんですか?」
「・・・そ、そんな色白の貧弱男より、俺達の方が良いだろ?」

 色白なのは元々だ。俺は普段日焼けするような場所へ行ったり日焼けするようなことをしないし、それに日焼けすれば肌が赤くなって
痛くなるのが関の山なんだから。日焼けしてるかどうかで優劣を決めないで貰いたい。

「日焼けはしてないけど、事実は変わらない。さあ、行った行った。」
「何だとてめえ、偉そうに・・・!」
「これを見てもまだ私をナンパしようと思いますか?」

 晶子が俺の左腕を取って手の甲を向けさせ、晶子も左手の甲を見せる。性格には左手の薬指なんだが。それを見て男達はギョッとする。
まあ無理もない。俺と晶子の左手の薬指には同じ指輪が光っているんだから。

「け、結婚指輪・・・?」
「そうですよ。」

 否、結婚指輪じゃないんだが・・・。まあ、填めてる場所が場所だからそう見えてもそう言われても仕方ないか。
俺と晶子の指輪は5月2日、晶子の21回目の誕生日祝いに考えに考えた末にプレゼントしたものだ。
所謂ペアリングってやつなんだが、晶子は左手の薬指に填めて欲しいといって譲らなかったし、俺も左手の薬指に填めるようにと言って聞かなかった。
まさかこんな場でそれが威力を発揮するとは・・・。

「だ、だって彼氏だって・・・。」
「夫を彼氏と言っても構わないでしょ?二人で居るんですから昔に戻った気分になってそう言っても。」
「う、うう・・・。」
「おい、そこのガキ共。諦めの悪い男は嫌われるぞ。」

 後ろから威圧感たっぷりの低い声が響く。
振り返ると、マスターがサングラスを少し下にずらして鋭い眼光を見せている。
まさに幾つもの修羅場を潜り抜けてきたヤクザの幹部を思わせるその雰囲気に圧されたのか、男達はじりじりと後ずさりする。
日焼けした顔が青ざめているのが良く分かる。
 男達はマスターの迫力に相当ビビったらしく、視線をマスターに固定したままゆっくりと後ずさりを続けて、人波に隠れるように逃げていった。
男達が居なくなったことを見計らって、マスターがサングラスをかけ直す。

「肝っ玉の小さい奴等だな。ちょっと睨んだだけなのに。」
「マスターのその出で立ちでサングラスの下から睨まれたら、大抵の人はビビりますよ。」
「そうか?こんなにダンディに決めているのに。」
「マスターの場合はダンディって言うよりヤクザの幹部ですって。」
「そんなに怖いか?」
「私にお呼びがかからないのは、あなたが直ぐ隣に居るからよ。」

 潤子さんに言われてマスターは首を捻る。確かに潤子さん一人だったら男共からお呼びがかかっても不思議じゃない。
マスターが直ぐ傍に居るから近寄ることさえ出来ないんだろう。
さっきの男達が潤子さんでなくて晶子に声をかけてきたことは果たして喜んで良いものなんだろうか?

「それにしても、ペアリングを見せつけるなんて、晶子ちゃんもやるわね。」
「折角のプレゼントですから、有効に利用しないと。」
「有効利用って言うのか?ああいう場合。」
「祐司君。さっきの晶子ちゃんの態度は賞賛されて然るべきよ。世の中、夫婦に声をかけてくる男はまず居ないけど、恋人同士だったら
付け入る価値があると思ったら遠慮なく声をかけてくるものよ。」
「そうなんですか・・・。」

 潤子さんも左手の薬指に輝くリングを見ないと結婚してるなんて判らないと思うんだが・・・。やっぱりマスターの「影響力」が
それだけ大きいっていう証拠だろう。言い換えれば、それだけマスターが女性を守る術を自分なりに心得ているということか。
さっきの男達、今考えてみれば話が通用しそうになかったな・・・。
そういう時のためってことも考えてペアリングをプレゼントしたつもりなのに、俺は全然有効利用できてないな。

「二人共、海へ行ってらっしゃいよ。」
「潤子さんとマスターは?」
「私とこの人はもう暫くゆっくり休んでるわ。貴方達は若いんだし、折角海に来たんだから、思いっきり楽しんできなさいよ。」

 潤子さんがそこまで勧める以上、躊躇う理由はない。俺は今度は自分から晶子の手を取って立ち上がる。晶子もつられるように立ち上がる。

「行こうか、晶子。」
「はい。」

 俺は晶子の手を取ったままビーチパラソルの影から外に出る。影が作り出す柔らかい光に目が慣れていたから、直射日光が強烈に眩しく感じる。

「それじゃ行ってきます。」
「おう、仲良くな。」

 マスターの声援(?)と潤子さんの見送りを受けて、俺は晶子の手を引いて海へ向かう。
晶子は直ぐに俺の横に並んで俺に微笑みを向ける。俺は微笑みを返し、行き交う人波を抜けて歓声と共に波の音が次第に近付いてくるのを
耳にしながら歩き続ける。
海はもうすぐそこだ。

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