雨上がりの午後

Chapter 55 酒宴の中の忠告、そして添い寝

written by Moonstone


 潤子さんから雑煮やおせち料理を勧められ、マスターからは日本酒を勧められ、食べたり飲んだり話をしているうちに、
宙に浮いているような良い気分になってきた。満腹に近付き、その上酒も入っているから、良い気分になって当たり前かもしれない。
 誰かが何か言う度に爆笑が起こる。
俺は何時の間にか晶子とビールを飲みながらマスターと熱燗を飲んでいたりする。
晶子も最初の方はコップの半分を少し超えるくらいに注いでくれていたんだが、今ではもう泡が出来るだけ出ないように注意しながら、
厚さ1cm位の泡を含めてコップいっぱいに注ぐ。
マスターは潤子さんに用意してもらった俺「専用」のお猪口になみなみと注いでくれたりする。
 このまま際限なく酒が進むのを警戒して、俺の年齢を盾にしようと思って「俺19なんですけど」と言ってはみたが、「今更何を言う」と
マスターに一蹴されてしまった。まあ、当然だな。
月峰神社で何食わぬ顔で御神酒を飲んだし、普段でもアレンジで煮詰まったり練習やデータ作成で疲れたときとかに、缶ビール1本飲んでるし。
今更年齢を盾にしても何の効力もないよなぁ。
 意外なのは晶子と潤子さんだ。潤子さんは俺と同じく、何時の間にかビールと熱燗を飲んでいたりするが、頬がほんのり紅くなって−これがまた色っぽい−
よく喋る以外は全く平気そうだ。晶子は日本酒こそ飲んでいないが、ビールを飲むテンポはかなり早い。女性陣は思ったより酒に強いようだ。
 雑然としてきた食卓を囲んで、飲んで食べて笑う。
実家や親戚周りでは考えられない風景だ。親戚周りで俺の新京大学進学の夢を耳が飽きるほど聞かされ続けた
−一応親戚の中では成績優秀で通っていた−俺には、本当に楽しい時間だ。
キッチンの前にある窓の外は既に暗いが、何時帰るかなんてことは頭を掠めて意識の深遠に消えていく。

「でも、私と主人は二人が仲良くなってくれて良かった、って真剣に思ってるのよ。」

 お猪口をくいっと傾けて潤子さんが言う。空になったそのお猪口に酒を注ぎながらマスターは、何度も深く頷く。

「最初の頃、祐司君は晶子ちゃんを相当毛嫌いしてたからなぁ。歌の指導を任せたのは良いが、折角潤子念願のキッチン担当が入ったのに
直ぐ辞められやしないかって、潤子と一緒にハラハラしてたんだぞ。分かるかい?祐司君。」
「ええ、よーく分かりますよ。俺だってあの頃は晶子とペアを組まされて、さらに歌の指導なんて、何でそこまでやらなきゃならないんだ、って
何度も思いましたから。」
「でも、一月くらいの間によくあれだけ歌えるようになったもんだ。」
「だってマスター、祐司さんは教え方こそ厳しかったですけど、私が納得できるまで何度も同じフレーズを演奏してくれたり、
楽譜の読み方も丁寧に教えてくれたんですよ。それで上手くならなかったら祐司さんに申し訳ないじゃないですか。」
「教え方が厳しいかったのについていけたのは、やっぱり教える人が祐司君だったから?」
「ええ、そうですよ。好きな人に毎日会えて、それに自分の面倒まで見てくれるんですから、頑張って上手くなって誉めてもらうんだ、って思ったんですよ。」

 素面なら慌てて言うのを止めさせるか、話題を無理矢理変えようとするところだが、今はむしろあの頃の話を聞くのが楽しいとさえ思う。
こう思うのも、酒で意識が宙に浮いているからだろうな、きっと。
 酒が入ったせいで、あの頃は辛かった、悔しかった、悲しかった、なんて本音が飛び出したら−酒は強力な自白剤だ−、
俺はマスターと潤子さんに徹底的に窘められても文句は言えない。だが、初ステージを終えた後の晶子の言葉と、酒が入った今の晶子から出る言葉が
同じってことは、晶子は本心から俺の指導で奮起していたんだろう。
改めて嬉しく思うと同時に、もっと優しく接すれば良かった、と後悔の念に晒される。

「祐司君の気持ちが変わってきたのは、晶子ちゃんがステージデビューを果たした前後じゃない?」

 潤子さんが話を俺に振ってくる。此処まで話が深入りするとは思わなかったが、まあ、話しちゃっても良いだろう。

「そうですね。晶子がステージデビューに成功したとき、楽器が出来るバイト仲間だ、って思うようになりましたね。」
「なかなかガードが固いなぁ、祐司君は。やっぱり前の彼女にふられて間もなかったからか?」
「あなた。幾らお酒の席だからって、人の過去の傷に触れるのは良くないわよ。」
「・・・もう良いんですよ。終わったことには変わりないですから。」

 そうだ。今の俺は宮城から合鍵を取り返したし、よりを戻そうなんて欠片も思っちゃいない。もう思い出しても嫌悪感は感じない。
過去との清算が俺なりに出来たんだから、人に話しても良いだろう。

「マスターの言うとおり、まだ心に壁を作って外からも内からも出入りできないようにしてましたからね。晶子がステージデビューを成功させたときは、
その壁が少し低くなった、っていう感じですね。」
「それが今みたいなラブラブの関係になったのは、ズバリ、祐司君が寝込んだ時だろ?」
「今みたいな関係になったのはもっと後の話ですけど、あの時が俺にとって大きな転換点になったのは間違いないです。
俺の友人と晶子がデートすることになって、それで晶子を責めたてて・・・無茶苦茶だったんですよ、あの時の俺の心って。
それで熱出して寝込んでりゃ世話ないですよね。ははっ。」
「あの時は・・・止めて欲しかったんですよ。でも、祐司さんは止めるどころか、私を責めるばかりで・・・私のこと、何とも思われていないんだって思うと
凄く悲しくなって・・・その場から走って帰ったんです。ううん、悲しくてその場に居たくなかったんです・・・。」

 晶子がビールの入ったコップをテーブルに置いたまま、悲しげに視線を下に落す。
まさにあの時、玄関に出て倒れこんだ俺を支えてベッドに寝かせて、ベッドの横に座った時に見せた表情そのものだ。
ここで泣かれると大変だ。ハンカチは・・・持って来てないんだよな・・・。こういうときに限って。

「ほらほらぁ、祐司君、そういうときに晶子ちゃんの気持ちを察してあげてこそ、男ってもんだぞ。」
「あなた、無茶な話よ、それ。その時はまだ、祐司君は晶子ちゃんにバイト仲間くらいの感情しか、抱いてなかったんだから。」
「潤子さんの言うとおりです。それに・・・それまで祐司さんの後を追いかけていながら、そのときに限って祐司さんに自分の気持ちを察して欲しい、なんて
虫が良過ぎたんですよ。デートを途中でキャンセルして祐司さんの家に駆けつけて、祐司さんが寝ているベッドの横に座って、
初めて自分が勝手なことしてた、って気付いたんです。」

 晶子の言葉にうんうん、と頷く潤子さん。女同士だから口にしなくても分かる「何か」があるんだろうか?

「うーん・・・。女心は複雑だな、祐司君。」
「ええ。でも・・・晶子が心配して見舞いに来てくれたのは嬉しかったですよ。病気になると急に人恋しくなるって実感しましたね。」
「一人が急に寂しく思えるときってあるからね。丁度その寂しさを晶子ちゃんが癒してくれた。それが今の関係に繋がったのかしら。」
「そうですねぇ・・・。心情的なものですから、はっきりこの時、とは言えないにしても、あの頃から晶子を見る目がまた変わったんじゃないか、って思うんです。
ただのバイト仲間じゃなくって、もっと自分にとって大切な、そして必要な存在だ、って。」
「む、難しい言い方だな。流石は理数系。」
「別に言い方に理系や文系の違いなんてないですよ。」
「ボキャブラリーの量の違いですね。」
「ぐわっ、いきなりチーム組んで攻撃するとは・・・やられたなぁ。」
「ふふっ、良いじゃないの。二人が仲良くやってる証拠だと思えば。」
「ま、そりゃそうだ。で、お二人さん・・・。」

 それまで酒でふやけていたマスターの顔が、急に引き締まって真剣なものになる。
何だ、一体・・・?と思っていたら、マスターがテーブルに両手について俺と晶子に迫ってきた。
獅子舞じゃあるまいし、否、この場合は熊舞か、って考えてる場合じゃない。勘弁してくれ。
と思っていたら、急にニヤリと気味悪く笑う。い、一体何だっていうんだ?!

「どこまで進んだ?お子様じゃあるまいし、手を繋ぐくらいはしてるだろう。キスはやったか?何処で決めた?ん?」

 俺は全身から力が蒸散していくのを感じる。や、やっぱり色恋沙汰の話になるとそこに行き着くのか・・・。
潤子さん、前みたいにこの変な熊を退治してください。お願いしますよ。

「そうね。ここは一つ、二人の雇用者として交際の進展状況を確認しておく必要があるわね。」

 だ、駄目だ。素面ならマスターの頭をひっぱたくようなからかいに、頼みの綱の潤子さんが同調してしまっている。
潤子さん、頬がほんのり紅くなったくらいで大して変わりはないかと楽観視してたんだが、甘かった・・・。
やっぱり酒は人を大なり小なり変えてしまうんだなぁ・・・。
 マスターは素面の時でもこういう質問をしてきても不思議じゃないが、潤子さん、雇用者に俺と晶子のプライベートを話す必要なんてない筈ですけど。
・・・駄目なんですか?もう逃がしちゃくれないんですか?二人共。

「えっと・・・手はよく繋ぎますよ。一緒に寝るとき、手を握って私が祐司さんの腕に抱きつく格好で寝るんですよ。」
「へえ〜。祐司君、よく我慢できるわね〜。普通の男の人だったら狼になっても不思議じゃないわよ。」
「ちょ、ちょっと待て、まさ・・・むぐっ!」

 何の悪気もなさそうに事実を話し始めた晶子に待ったをかけようとしたところで、身を乗り出していたマスターがその大きな手で−まさに熊の手だ−
俺の口を封じ込める。その手をどけようにも、指が俺の頬にしっかりと食い込んでいるから離しようがない。
潤子さんも目を輝かせて晶子の話を聞いているし・・・。こうなったら、晶子の良心(?)に賭けるしかない。

「じゃあ、キスは?」
「キスもしましたよ。クリスマスコンサートが終った後、プレゼントの一つとして私の方から・・・。」
「あら〜、晶子ちゃん、随分積極的ね。」
「ほう。クリスマスプレゼントというのはなかなか・・・ムードの面でもインパクトの面でも合格点だな。」

 あー、晶子の奴、とうとうキスのことまでばらしちまった。・・・ま、良いか。酒のせいか、もう何を話されても良いような気がしてきた。
・・・い、いかん、いかん!酒席で人間関係を壊すようなことはあってはならない・・・って、壊れてないから良いのか?
・・・何だか考えるのも億劫に感じる。調子に乗ってビールと日本酒を飲みすぎたかな・・・。
 マスターは椅子に座り直してうんうんと何度も頷く。潤子さんは目を見開いて興味津々といった表情で俺と晶子を見ている。
多分、否、きっとことある毎に話の出汁にされるだろう。
俺は少し恨めしげな目で晶子を見据える。だが、晶子は至って冷静に−頬はかなり紅いが−そして柔らかい微笑を浮かべて俺を見ている。
悪いことはしてないでしょ?と言いたげだ。

「二人がこの店で出会って約3ヶ月。その間に色々あったと思うが、そこまで親密になったのは俺達も嬉しい。なあ、潤子。」
「ええ。一時はどうなるかと心配してたけど、恋人同士にまでなったんだから、もう私達が心配することは殆どないわ。」
「殆どって・・・どういうことだ?潤子。」

 マスターが俺に代わって潤子さんに問うと、潤子さんの眼が真剣なものになる。緩みっぱなしだった表情が引き締まる。
その気迫に俺は思わず背筋を伸ばしてしまう。

「二人共大学生だから成人式や年齢は関係なく、もう大人と言っても良いわ。だからその場の成り行きやなし崩しで一線を超えるようなことは
しないで欲しいの。二人の気持ちが高ぶって、双方合意の上で一線を超えるのは私が口出しする範疇じゃない。
でも、もし一線を超えるなら最低でも婚約してからか、そうでなければきちんと避妊してね。子どもを出汁にして関係を続けるのは、
本当の恋人や夫婦がすることじゃないって私は思うの。」
「「・・・はい。」」

 潤子さんの隣に座っている晶子は、神妙な面持ちで潤子さんを見ている。一語一句聞き逃すまい、という緊張感がその横顔に溢れている。

「もう一つ・・・これは特に晶子ちゃんにどうしても聞いて欲しいんだけど、聞いてくれる?」
「はい。」
「ありがと。えっとね・・・。祐司君は理数系だから、2年になると忙しくなってくると思うの。大学の講義も専門性が強まって、
ついていくのが精一杯なんてことも考えられるわ。それに祐司君は店のバイト代を生活費の補填に使っているっていうから、
講義のレポートがあるからといって簡単にバイトを休むって訳には行かないと思うの。だから相当体力と気力を使うことになると思うから、
無理言ったりして祐司君を困らせないであげて欲しいの。」
「・・・はい。」
「それに学年が進むと、理数系につきものの実験やレポートの嵐があるでしょうし、こういうご時世だから就職活動も入ってくると思うの。
そうなると、今みたいに貴方達二人が四六時中一緒に居られることは少なくなると思うわ。会いたくても会えない日が続くかもしれない。
・・・だから晶子ちゃんには、会えないことや寂しさを理由にして、他の男性に目を向けるようなことはしないで欲しいの。
祐司君と一緒に居られないことが嫌いになる条件になるくらいなら・・・はっきり言って、祐司君と付き合うのはこの場で辞めた方が良い。そう思うの。」
「分かってます。祐司さんだって、私と一緒に居られないからといって、何時も以上に気を使ったり、無理に二人の時間を作ろうとしたりしないで欲しいんです。
それじゃ、祐司さんが参っちゃうから・・・。」
「・・・晶子。」
「分かってくれてるみたいね。ちょっとお説教になっちゃったけど、折角貴方達二人は特別な関係になったんだから、それを大切にして欲しいの。
勿論、縁もあるとは思うけどね・・・。」

 潤子さんの表情が何時もの柔和なそれに戻る。だが、潤子さんの話に異論や反論の余地は見当たらないだけに、俺はまだ神妙な気持ちだ。
ちらっと晶子の様子を窺うが、その表情からして俺と同じ気持ちのようだ。マスターも潤子さんの話に賛同したのか、何度も頷いている。

「・・・会えないから嫌いになるわけじゃない。会えないのを理由にして嫌いになる。その違いってわけだな。」
「ええ。私達も結婚するまでは二人きりになれる時間がなかなか持てなかったでしょ?」
「ああ。お互い仕事も違えば活動時間も違うわで、会う日にちを調整するのが難しかったからな。」
「でも会えない寂しさや別の恋の誘惑を乗り越えたからこそ、今の私達とこのお店があるのよね。」
「そうそう。互いに我慢強かったもんだ。」

 マスターがくいっと飲み干したお猪口に日本酒を注ぐ潤子さん。二人の周囲に強力なバリアが張られているようだ。
「逆襲」しようにもそれが憚られる雰囲気を感じる。これが恋人同士と夫婦の違いなんだろうか?

「さて、ちょっと重い空気になっちゃったけど、祐司君と晶子ちゃん。沢山食べて飲んでいってね。まだビールも日本酒もあるし、
お餅も雑煮の他に焼餅も出来るから安心してね。」

 潤子さんの心温まる笑顔を見て、俺はようやく神妙さから解放される。
早速ビールを飲みつつ、豪華なおせち料理の中で特に気に入った黒豆と蓮根の煮込みと栗金団に手を出す。
晶子は雑煮を食べ終えて、ビールを飲んでさらにおせち料理をあれこれと摘む。かなりハイペースだが・・・体重のことは頭にないんだろうか?
お節介かもしれないがちょっと気になる。

「潤子。雑煮まだあるか?」
「えっと・・・大丈夫。餅は幾つ欲しい?」
「3つかな。」
「ちょっと待って。少し温めるから。」
「えっと、数の子はっと・・・。」
「晶子、ビール飲むか?」
「え?はい、いただきます。」
「それじゃ、どうぞ。」
「ありがとう。」

 4人で囲んだ食卓は再び食べ物と酒が飛び交い、突っ込みや笑いが渦巻く賑やかな場になる。
実家に帰っていたら多分、親戚回りで俺の新京大学進学が話のネタにされて誇られるだけで、こんな楽しい場にはならなかっただろう。
小さい頃に本を買ってくれたり、従兄弟との遊び場に田んぼや用水路を使わせてもらった親戚を疎ましく思うわけじゃないけれど・・・
やっぱり、この町に残って良かった。俺にはこの町での生活が合っているような気がする。

 −どれくらい時間が経ったか分からない。
今言えるのは、空になったビール瓶と日本酒の一升瓶がダイニングの脇にずらりと並んでいることと−1ケース分はありそうだ−、
色とりどりのおせち料理が大半なくなったこと、そして晶子がうつらうつらしていることだ。
今日起きたときも半ば無理矢理起こしたようなもんだから、残っていた眠気が酒で誘起されたのかもしれない。
俺は眠気こそないが、頭がふわふわして、椅子から宙に浮いているような感じがする。それに何となく周囲の景色が回っているように見える。
・・・単なる飲み過ぎだろうが。

「あら、晶子ちゃん、眠いの?」
「・・・ん?え、ああ、大丈夫です・・・。」

 潤子さんの呼びかけにも応答するまでにタイムラグがある。それに直ぐうつらうつらしてしまう。相当眠いのを我慢しているのが否でも分かる。

「今日は家に泊まっていったら?布団もあるし。」
「俺も潤子もかなり飲んだから、車で家まで送ってやることも出来んし、その方が良いぞ。遠慮はしなくて良いから。」
「俺は自転車で晶子と一緒に来たんですけど・・・かなり飲みましたからね・・・。」
「自転車でも飲酒運転は引っかかるぞ、確か。」
「・・・じゃあ、すみませんけど俺と晶子を泊めて貰えますか?」
「勿論良いわよ。布団敷いてあげるからちょっと待ってて。」

 潤子さんが席を立つ。潤子さんもかなり飲んでいた筈だが、随分足取りがしっかりしている。実は潤子さん、かなりの酒飲みなのかもしれない。
 マスターは未だに熱燗を飲んでいる。
潤子さんや俺が何度もお酌してるし、自分でも何度か注いでいたから、相当飲んでる筈だ。なのに、少しもへべれけになってない。
夫婦揃って相当の酒飲みらしい。

「マスター。潤子さんと飲んだりするんですか?」
「ああ。休み前の日曜の夜は二人でビールかワインを1本は空ける。俺と潤子は二人暮らしだから、外へ飲みに行くとなると飲酒運転になっちまうから
片方は飲めなくてつまらん。だから、家で飲むのが習慣になってる。」
「やっぱり一人より二人の方が飲むのは楽しいですよね。」
「食事もな。」
「そうですね・・・。人数が増えすぎてもグループが出来てしまって面白みがなくなりますけど、今日みたいに4人くらいなのが一番楽しいですね。」
「その場に居る人間にも依るが・・・祐司君の言うとおり、二人から四人が一番会食や飲み会が楽しくなる人数だな。・・・もっと飲むか?」
「いえ、これ以上飲むと潰れちまいそうなんで・・・。」
「そうか。それならそれで良い。俺も無理に勧める気はないし、無理に勧めるのは酒席のルール違反だからな。」

 俺は内心ほっとする。大学の科であったコンパでは周囲から無理強いされて、2、3日酷い思いをしたことがあるだけに、
酒に飲まれていないマスターの言動には安心させられる。
酒席でも何でもルールを守る人間が尊敬される世の中になって欲しい。否、そういう世の中にするのが、所謂「若者」の役割なのかもしれない。
 トタトタ・・・という階段を駆け下りる音が近づいてくる。潤子さんが降りてきた。
晶子は、と見ると、何時の間にかテーブルに突っ伏してゆっくりとした周期で背中を膨らませたり凹ませたりしている。どうやら眠ってしまったらしい。

「あら、晶子ちゃん、寝ちゃったの?」
「そう・・・みたいですね。」
「この際だ。祐司君。彼女を布団まで運んでやったらどうだ?」
「・・・そうします。」

 俺は席を立つ。宙に浮いている感覚はまだ消えないが、普通に歩く分には支障はない。
俺はテーブルに突っ伏している晶子の上半身を一度起こして、晶子の肩と膝の裏側をそれぞれ抱えて一気に抱え上げる。所謂「お嫁さん抱っこ」だ。
晶子は俺に抱え挙げられたことにも気づかず、スースーと寝息を立てて気持ち良さそうに眠っている。
一方、頬は真っ赤で、酒の匂いも強い−恐らく俺も他人に言わせりゃ酒臭いだろうが−。完全に酒が睡眠薬になった格好だ。

「おおっ、お嫁さん抱っこか。祐司君、なかなかやるじゃないか。」
「今度、晶子ちゃんが起きてるときにやって見せて貰いたいわね。」
「あの・・・それより布団まで案内してくれませんか?」
「ああ、そうだったわね。さ、こっちよ。」

 眠っている晶子を俺が「お嫁さん抱っこ」をしているのをいいことに、俺に対する突っ込みが始まったところで、俺はそれを制して潤子さんに案内を要請する。
流石に場合が場合だけに突っ込みは即時終了して、潤子さんは俺を先導して階段を上っていく。
 案内されたのは、クリスマスコンサートで晶子に割り当てられた部屋だった。
潤子さんにドアを開けてもらって、俺は晶子を抱えたまま部屋に入る。
電灯が灯ると、既に布団が1組敷かれているのが見える。
冬布団だから結構重いだろうし、さらに酔っているのに整然と布団を敷けるのは流石だ。
 ・・・ん?ちょっと待てよ・・・。布団は1組敷かれている。晶子一人が横になるからこれは問題ない。だが・・・枕が2つあるのはどういうことだ?!
潤子さん、一体何考えてるんだ?!もしかして自分で言ったこと、酒に流して忘れちゃった、なんて言わないだろうな?!
俺は平静を装いながら潤子さんに尋ねる。

「潤子さん・・・。どうして枕が2つあるんですか?」
「あらぁ、祐司君が添い寝できるようにするために決まってるじゃない。」

 潤子さんはあっけらかんと言ってのける。駄目だ。潤子さん、やっぱり酔っ払ってる。

「下で飲み食いしてたとき、俺と晶子に言ったじゃないですか。その場の成り行きやなし崩しで一線を超えないようにって。忘れちゃったんですか?」
「勿論、覚えてるわよ。でも、祐司君、今まで何度か晶子ちゃんと一緒に寝たんでしょ?それは祐司君にちゃんと理性のブレーキがかかるってことの
証明って言えない?」
「そ、それはそうかもしれませんけど・・・。」
「酔った勢いで、ってことが心配?」
「・・・分からないです。」
「大丈夫。今まで出来たことなんだから。」

 潤子さんに軽く背中を押すように叩かれた俺は、潤子さんが掛け布団と毛布を捲ってくれた敷布団の上に晶子をそっと寝かせる。
さっきあれほど潤子さんと俺との会話が有声音で展開されたにもかかわらず、晶子が起きる気配は全くない。
ゆっくりした一定の周期で胸が上下して、それに併せてスースーと寝息が立つだけだ。

「厚手の掛け布団と毛布に、その格好じゃ熱いわね。」

 潤子さんは晶子のセーターを脱がして丁寧に素早く畳んで枕元に置いて、ブラウスの襟元のボタンを1つ2つ外す。
頬を紅くしてブラウスとスカートという服装で首を少し左に傾けて眠る姿は、妙に色っぽい。あまりにも無防備なその姿に、俺は思わず息を飲む。

「あら、祐司君。目の前のご馳走が食べたくなった?」
「!そ、そんなことは・・・。じゅ、潤子さんも扇動するようなこと言わないでくださいよ。」
「ふふっ。隠しても駄目よ。祐司君の目の色が変わってたもの。」
「そんなことありませんったら!」
「あんまり大きな声出すと、晶子ちゃんが起きちゃうわよ。」

 潤子さんに言われて、俺はぐっと反論するのを堪える。
晶子は変わらず布団の上で眠り続けている。部屋が寒いのか−俺は酔っているから涼しいくらいだが−晶子がぶるっと身を振るわせる。
俺は毛布、掛け布団の順番で晶子に被せる。晶子は再び穏やかな寝息を立てる。俺は小さな安堵のため息を吐く。

「・・・優しいのね、祐司君。」
「いや、だって寒そうでしたから・・・。」
「そうやって相手のことを思いやる気持ちがある限り、貴方達二人はずっと絆を保っていける。ううん、もっと強くなるわ。」
「・・・そうなると良いですね。」

 あれほど強かった、と自分では思っていた宮城との絆が切れちまったのは、宮城が俺の自分に対する気持ちを確かめようとして、
別れ話を持ち出したことが原因なのは勿論だ。そんな裏事情があったなんて俺が知る筈がないし、あるならもっと早くネタ晴らしをするか、
否、人を試すなんてするべきじゃない。
今更宮城の謝罪を受け入れる気もない。俺の中では、宮城とのことはもう過去の思い出でしかない。
 だが、それよりも前に、俺の中に宮城に対する思いやりはあっただろうか?
ただこの町に引っ越すときに交わした約束を守って毎日電話して、会いに来た宮城と遊び、そして時に寝て翌朝朝食を食べに行く、ということを
ルーチンワークのように捉えてはいなかっただろうか?
宮城が俺を好きなままでいて当然と思い込んではいなかっただろうか?
 ・・・今となっては、どれも過ぎ去った過去の悔恨と教訓にしかならない。
今、俺に出来ることは・・・晶子との絆をもっと強めること。そのためにも・・・一時の感情に身を委ねるわけにはいかない。
そう思うと、火照った頭の中がすうっと元に戻っていくように感じる。

「祐司君はどうする?」
「俺も・・・寝て良いですか?酒がかなり頭に回ったみたいなんで・・・。片付けとかしてないですけど。」
「片付けなんかは私がするから良いわよ。何時もよりちょっと増えるくらいだから。それに、今まで二人でちょっとしんみり正月を迎えていたのが、
祐司君と晶子ちゃんが来てくれたお陰で、凄く楽しい場になったんだから、むしろ私や主人がお礼を言いたいくらいよ。」
「あれほど散々飲み食いしてもですか?」
「こういう場合、飲み食いの量は問題にならないのよ、祐司君。どれだけ楽しい場が出来たかが大事なのよ。」
「俺は凄く楽しかったです。」
「私もよ。きっと主人もそうだわ。さて、冷えて風邪ひくといけないから、早く晶子ちゃんに添い寝してあげて。」
「普通に寝て、って言えないんですか?」
「添い寝用に用意した枕だからねぇ。」

 潤子さんは悪戯っぽい、晶子とよく似た感のある笑みを浮かべる。まあ、1組の布団に枕が2つだから添い寝と言えなくもないが・・・。

「それじゃ、お休みなさい。明日は起きれたら下に下りてきて。おせち料理とは違う朝食を用意するから。」
「はい。お休みなさい。」

 潤子さんは手をひらひらと振って部屋を出て行く。
ドアが閉まったところで電灯を消す。
少しの間、周囲が暗闇一色に塗りつぶされたが、徐々に家具や、晶子が寝ている足元の布団が淡い輪郭を現し始める。
 俺は着ていたセーターを脱いで丸めるような感じで簡単に畳んで枕元に置いてベルトを緩めた後、晶子の左横に潜り込む。
と同時に強い睡魔が頭の中を覆い始める。やっぱりあの酒の量じゃ眠くなって当然か・・・。
 晶子が俺の方を向いてぐっすりと寝入っている。その呼吸音が間近に聞こえる。
何度か一つの布団で一緒に寝て慣れた筈なのに、その無謀且つあどけない寝顔と呼吸音が、理性の鎧を着せた俺の欲望をちくちくと刺激する。
 だが、それよりも眠気の方が強くなってくる。こんなときに限って・・・じゃなくて、もっと晶子の寝顔を見ていたいのに・・・。
俺はなかなか言うことを聞かない上半身を晶子に近づけて、印鑑を押すような感じでほんの少し開いた晶子の唇に自分の唇を軽く重ねる。
「目的」を達成できて安心したのか、俺の身体はその場にどさっと倒れこみ、意識はさらに加速を増して薄らいでいく。
頭を枕に置きたいところだが、もう全然身体が動かない。仕方ない。このまま大人しく寝るか・・・。

Fade Out...







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