雨上がりの午後

Chapter 47 大晦日へと流るる二人の時間

written by Moonstone


「・・・さん、・・・じさん。」

 何処からか声が聞こえる。深い霧に覆われた意識の中で、その声は輪郭を奪われて遠くの山彦のようにしか聞こえない。
再び意識が闇の中に遠のこうとしたとき、唇に何か柔らかいものが触れる。この感触は・・・!
 眠気が一瞬にして吹っ飛んだ俺は、がばっと起き上がって周囲を見回す。
俺の左半身に密着して寝ていた筈の大きな猫、即ち晶子が悪戯っぽい笑みを浮かべて立っている。
明るいグレーのセーターと淡い若草色のフレアスカートという姿に持参したらしいエプロンを着けている。

「お目覚めですか?お寝坊さん。」
「・・・晶子。お前、さっき俺に何した?」
「こういうことですよ。」

 晶子がそう言った次の瞬間、俺の唇が晶子の唇で塞がれる。
今度はさっきのように唇と唇が触れ合う程度のキスじゃない。唇同士がほぼ完全に密着している濃厚なキスだ。
 暫くして−実際は数秒くらいだと思うが−晶子から唇を離す。
悪戯が成功して満足げな表情を浮かべる子どものように微笑んで、舌を少し出して自分の唇を小さい範囲で舐める。
・・・その動作がかなり艶っぽく見える。それを見た俺の心拍数が急上昇する。

「分かってくれました?」
「・・・充分過ぎるくらい、良く分かった。」
「じゃあ起きて下さいね。それから朝御飯食べましょう。もう直ぐ準備できますから。」
「朝飯の準備って・・・材料とかは?」
「勿論持って来てありますよ。昨日夕飯作らなかったからその分豪華ですよ。」
「何時もながら・・・準備が良いな。」
「昨日は予想外でしたけどね。あんなに疲れるとは思わなかったので・・・。」

 俺は布団の上に広げておいてある−晶子がそうしたんだろう−厚手の上着を着てベッドから出る。
既に暖房が充分効いているから今の格好でも寒くは感じない。
俺は自分の席、というか普段自分が座る座布団の上に腰を下ろして、キッチンで料理を用意しているらしい晶子を眺める。
 長い髪を後ろで束ねてキッチンに立っている晶子は、やっぱり様になっている。こんな風景が毎日見れたら良いな、と思ってしまう。
・・・そりゃ確かに同居すれば可能だが、何か晶子の思いどおりに考えるようになってしまっているような気がしてならない。
以前はそうならないようにと警戒していたつもりだが、結局今のような状況になっている。・・・やっぱり晶子は相当の策士だな。

「はい、出来ましたよ。」

 晶子は両手に少し大きめの丸い皿を持ってこっちに来る。
俺とその向かいの部分に−晶子の席だ−置かれたその皿には、焼いた鮭の切り身と目玉焼きが乗っている。
続いて味噌汁が入っているらしい−味噌汁の匂いがしたからだ−小さな鍋と炊飯器、そしてお茶が入っているらしい急須が運ばれてくる。
 普段じゃ想像も出来ない朝飯が目の前にこうして並べられると、こういう生活って良いよなぁ、などと思って、ほわんとした幸せ気分に包まれてしまう。
ああ、こうしてまた晶子の思いどおりになっていくのか・・・?
このままだと、気が付いたら俺と晶子の名前が表札に並んでいるってことになりそうでちょっと怖い。
でも、それも良いかな、とも思ってしまう。・・・うーん・・・。

「祐司さん?どうしたんですか?」

 晶子の声で俺は我に返る。俺の目の前には焼いた鮭の切り身と目玉焼きが乗った皿に加えて、湯気を立てる味噌汁と−具はワカメと刻み葱だ−
ご飯が入った茶碗が用意されている。
そして湯飲みには味噌汁と同じく湯気を立てるお茶が注がれている。
すっかり食べる準備は整っていたのに、考え事をしていて自分の目の前の様子すら目に入らなかったようだ。

「味噌汁とか冷めちゃいますよ。」
「あ、ああ。それじゃ、戴きます。」
「はい、どうぞ。」

 俺は最初に湯飲みを手に取って茶を啜る。
「熱い」より少し冷えた温度の茶はすんなり俺の喉を通って胃に入り、そこから温かみが全身にじんわりと染み渡る。
茶で胃を覚醒させた後は、まず焼いた鮭に箸を伸ばす。見違えるほど綺麗になった部屋で、俺と晶子の朝食の時間がゆったりと流れていく・・・。

 昨日の大掃除のことや一緒にアレンジを考えた「Stand up」のことを話しながらの朝食は、20分ほどで終る。
食器は俺のも晶子のも殆ど空になった。残っているものといえば、焼いた鮭の皮と骨くらいのものだ。

「「ご馳走様(でした)。」」

 俺と晶子が同時に朝食の終わりを宣言した後、俺は晶子に注いでもらった二杯目の茶を啜る。
飲む毎に小さな溜息が出るのは脳が休息しているということを聞いたことがあるが、あれは左脳だったか右脳だったか・・・。
思い出せないからどうでも良いか。くつろいでいるのは間違いないから。
 思えば昨日からこの時間まで、晶子の世話になりっぱなしだ。
洒落にならない程の雑誌を束ねたり彼方此方拭いたり磨いたり、さらには服の整理までやってもらった。
そしてさっき終ったばかりの今日の朝食。晶子が居なかったら以前のようなゴミの集積場を髣髴(ほうふつ)させるような雑然とした部屋で
年越しの瞬間を見ることになったに違いない。
 晶子はこの家の大掃除を手伝うという約束で−実際は晶子が主力だったが−この家に来た。
約束は昨日で終ったが、この綺麗さっぱりした部屋で一人で居るのは何となく寂しく感じる。
だが、約束が終った以上、晶子が帰るのを止める権利はない。
このまま年越ししないか、と気軽に言えれば良いんだが・・・どうしてもいざとなると口篭もってしまう。

「ねえ、祐司さん。」
「ん?何?」
「このまま年越しまでこの家に居て良いですか?」

 茶を口に含んでいたら、噴出すかむせるかのどちらかだっただろう。
貴方の心の中はお見通しですよ、と俺を見詰める晶子の表情がそう言っているように見える。

「き、着替えは?」
「ちゃんと持ってきましたよ。外出するときの服は大学に行くんじゃないから、今着ている服と昨日お昼を食べに行ったときの2種類で良いと思って。」
「・・・えっと、食事の材料は?昨日の夜とこの朝食の分しか持ってこなかったんじゃないか?」
「昨日夕飯作らなかったからその分がまだ余ってますし、必要なものは買いに行けば良いことですよ。」

 次の「問題」が即座に思いつかない。このまま沈黙したままじゃ「連泊オッケー」と認識されるのは必至だ。・・・そうだ、これはどうだ?

「そう言えば、晶子の家も大掃除しないといけないんじゃないか?」
「私の家の掃除は、一昨日祐司さんが帰ってからと昨日バイトに行くまでの時間で済ませちゃいました。」
「あ、そ、そうか・・・。」

 あっさり返り討ちを食らってしまった。
よく考えてみれば、晶子の家は常に綺麗に掃除されてるみたいだから、この家みたいに丸1日かかってくたくたになるようなことはない。
・・・他に何かないか・・・?

「此処に居ちゃ・・・駄目なんですか?」

 晶子の声の調子が急に沈む。表情も曇っていて視線も下に落ち込む。
拙い。晶子をこのまま連泊したら俺の理性が何時吹き飛ぶか分からないから、遠回しに帰宅した方が安全だ、と思って
あれこれ「問題」を出したつもりだったんだが・・・。

「そ、そんなことはない。絶対にない。俺だって出来るなら晶子にこのまま居て欲しいし、此処で年越しをしていっても良い、って思ってる。」
「・・・。」
「だけど、昨日まだしたいとは思わない、なんて言っておきながら、良い匂いのする髪の毛とか胸の柔らかい感触とか、密着して感じる晶子の温もりとか、
そんな俺にとっての「刺激物」がいっぱいの晶子と一緒に寝てたら、俺の理性が何時吹っ飛ぶか分からないんだ。
だから晶子にはそうなる前に避難してもらった方が良いと思って色々言ったんだ。只それだけなんだ。」

 俺は心思うが侭に、早口で一気に言葉を畳み掛ける。
紆余曲折の末にようやく手に入れた晶子との絆を失いたくない、その気持ちが俺の口を突き動かす。

「じゃあ・・・このまま泊まっていっても良いんですか?」
「ああ、晶子がそうしたいならそれで良い。もし何か足りなくなってそれが晶子の家にあるものなら持ってきても良いし、その時は俺が一緒に行っても良い。
腕っ節にはあんまり自信はないけど居ないよりはましだろう。」
「・・・。」
「食事の材料が足りなくなったら一緒に買い物に行けば良いし、料理を作ってもらうんだから必要な金は俺が出す。
だから・・・用は済んだから帰ってくれと言いたいんじゃなくて、俺の理性が怪しいから避難した方が良いんじゃないかって思って、
あれこれ言っただけなんだ。」

 口に任せて自分の気持ちを一気に言うと、顔を上げた晶子の表情が悲しみに沈んだものから安堵の気持ちを湛えたものへと徐々に変わっていく。

「良かった・・・。嫌われたんじゃなくって・・・。」
「改めてさっきまでの流れを考えると・・・晶子に用が済んだから帰れ、って言ってるように聞こえても無理ないよな。・・・俺が悪かった。」
「もう良いですよ。私が居ることが疎ましく思われてるんじゃないって分かりましたから。」

 俺は思わず安堵の溜息を漏らす。互いの思いがすれ違ったまま晶子が帰宅したら、その後どうなっていたか見当もつかない。
意地の張り合い、すれ違い・・・。それらがどんな結果を齎すか、熱を出して寝込んだときに充分思い知らされた筈なのに・・・。
俺には学習能力がないんだろうか?

「早速と言うか・・・もう少ししてから年越しの分まで買出しに行きたいんですけど、一緒に行ってくれませんか?」
「ああ、良いよ、勿論。」

 晶子はこの家で年を越したいと言う。俺の冷蔵庫は半ば電気だけ食い続ける粗大ゴミになっている。
見違えるほど綺麗になったこの部屋で恐らく一つだけ足りないものは生活感だ。それを得るための買出しを断る理由は何もない。
 俺は湯飲みに残っていた、注がれたときの熱さを半分以上失った茶を一気に飲み干す。
晶子はとっくに着替えを済ませているが、俺は寝間着に上着を羽織っただけの格好だ。幾ら何でもこのまま外に出るわけにはいかない。
格好の笑いものになるか風邪をひくか、どちらが早いかの問題にしかならないだろう。

「それじゃ俺は風呂場で着替えるから・・・。」
「私は洗い物を片付けますね。」
「頼むよ。」
「はい。」

 晶子の返事を合図にして、俺と晶子は同時に立ち上がる。
俺は箪笥から着替えを取り出して、晶子は自分と俺の食器を手際良く重ねていく。
そして俺は取り出した着替えを持って、風呂場や台所へ行く途中まで−大した距離じゃないが−重ねた食器を両手に持った晶子と並んで歩く。
 風呂場に入った俺はドアを閉めて服を着替える。
暖房は風呂場までにはあまり届いていなくてかなり寒いが、服を着替え終わるまでの辛抱だ。
俺が服を着替えている間、食器同士が軽くぶつかる音と水の流れる音が聞こえてくる。
自分の家で二つの行動が同時進行することなんて普段は在り得ないことだ。そのことが晶子がこの家に居るという実感に明確な輪郭を与える。
 寒さが全身に染み渡らないうちにどうにか着替え終わった俺は、寝間着とその上に羽織っていた上着を持って風呂場を出る。
ドアが開く音を聞いたのか、晶子が俺の方を向く。その手には泡が溢れるスポンジと大きめの丸い皿がある。

「もう少しで片付きますから。」
「慌てなくて良いよ。終るまで待ってるから。」

 俺の言葉に晶子は柔らかい微笑みと小さく頷くという反応を返す。それが嬉しくてたまらない。
俺は自分が座っていた場所に戻って腰を下ろし、右腕で頬杖をついて晶子が食器を片付ける様子を眺める。
この構図が台所で毎日展開されたら・・・、と思うと、胸の奥からほわんとした心地良い気分が湧いてくる。
水で泡を流された皿が水切りの桶に入れられると、晶子は多少泡が残っている手を水に通して泡を洗い流して、傍に掛けてあるタオルで手を拭く。

「片付け、終りました。」
「それじゃ・・・。」

 俺は立ち上がって部屋の隅に置かれた鞄を覆う形で置いてある、晶子のコートを手に取る。
そして壁にあるフック状の突起に掛けられてある俺のコートとマフラー−晶子からのクリスマスプレゼントで貰ったやつだ−も手に取る。
手を拭き終えて俺のところに駆け寄ってきた晶子にコートを渡す。

「ありがとう、祐司さん。」
「どういたしまして。」

 晶子はコートを受け取ると、片手で俺の左肩を掴み、それを「足掛かり」にして俺の頬に柔らかい点状の感触を伝える。・・・またやられた・・・。
着替えで身体に残っていた寒気が身体の芯からの火照りで一気に吹っ飛んでしまう。

「あ、あのなぁ、晶子・・・。」
「まだまだ訓練が必要みたいですね。」
「・・・それなら。」

 今度は俺の番だ、という胸の中での言葉と共に、俺は晶子の左頬に軽く触れるように唇を押し付ける。
柔らかく弾む滑らかな晶子の頬の感触が唇に伝わる。
唇を離して晶子を見ると、俺がやられたときと同じように赤みを増した頬に手をやって俺を見る。

「さっきのお返し。」
「祐司さんから・・・されるなんて・・・。」
「もしかして・・・嫌だったか?」
「その逆ですよっ!」

 晶子の反応が予想外に少なかったことで不安に思って晶子に顔を近づけたところで、少し戸惑っていたような晶子の表情が
一転して満面の笑みに変わり、俺の唇を唇で塞ぐ。
二つの唇が重なり合うと同時に、俺の首が晶子の両腕でがっしり捕らえられる。俺は少し屈んだ格好で晶子からの濃厚な口付けを受ける。
 暫くしてようやく晶子が俺から唇を離し、両腕を俺の首から離す。名残惜しそうにゆっくりと。
晶子はあの悪戯が成功した子どものような笑みを浮かべている。

「・・・今はさっきのキスで引き分けということで。」
「・・・そうだな。買出しに行くんだから、どこかで収拾をつけないとな・・・。」
「ええ。それに訓練はこれから何時でも出来ますからね。」
「何時でも・・・ねぇ。」
「さ、行きましょうよ。」
「よし、行くか。」

 俺と晶子はコートを着て外に出る。抜けるような青空とは対照的に冷気を存分に帯びた風はかなり冷たい。今が冬だということを嫌でも実感させられる。
玄関のドアに鍵をかけた俺は鍵をコートの胸ポケットに入れて、壁際にある自転車の鍵を外す。
冷気で固まりかけた両手に手袋を嵌めてマフラーを巻いて俺は準備完了。後は自転車を通りの直前まで押していくだけだ。
 アパートの他の住人の車もあるから、やや狭い隙間を通って通りに面したところまで出る。
それと同時に自転車の後ろにいた晶子が、直ぐに後ろの荷台に飛び乗る。この辺りの動作は本当に俊敏としか言い様がない。

「私は準備OKですよ。」
「・・・じゃあ、行きますか。」

 俺は自転車に跨り、左右の安全を確かめてから自転車のペダルを漕ぎ始める。
今年の終わり、そして来年の始まりを間近に控えた街に、俺と晶子は共に暮らすための買出しに出る・・・。

 俺は玄関の鍵を外してドアを開ける。先に晶子を中に入れてそれに続いて俺が入る。
家の中は出掛けるまで暖房を使っていた余熱も殆ど消えている。それでも外と比べれば肌に突き刺さるような冷たい風がないだけずっとましだ。
玄関の鍵をかけて暖房のスイッチを入れてから、俺は持っていたビニール袋を晶子に渡す。中身は海老と薩摩芋に加えて蕎麦が入っている。
晶子が言うには、夕飯で天ぷらをして、そこで余分に作っておいた天ぷらを年越し蕎麦に使うということだ。流石に料理慣れしているだけに要領が良い。
 晶子がこの家の大掃除を手伝いに来てくれたのが29日。それ以来晶子はずっとこの家に居て俺と寝食を共にしている。
半ば、否、殆ど同居状態だ。食事の度にバイト先で潤子さんが準備してくれるのと同じように美味い料理を並べて、寝る度にもそもそと俺に擦り寄ってくる。
前者は料理が全く出来ない俺には本当に有り難いことだが、後者は何時理性の蓋を突き破って欲情が溢れてくるか分からないだけに困ったものだ。
・・・止めて欲しいと言う気にはなれないのは事実だが。
 そして今日は大晦日。俺がこの町に住み始めてから初めての年越しの日であると同時に、新しい年の始まりが直ぐ後に控えている日でもある。
それを晶子と一緒に迎えるなんて、つい2ヶ月ほど前までは想像もしなかったのにな・・・。
俺はコートを脱いで壁のフック状の突起に掛けて、茶の用意をする。
食品の整理や調理は出来ないにしても、これくらいのことは出来る。
何もかも晶子に任せっきりというのは横着が過ぎる。晶子はメイドでもないし母親代わりでもないんだから。

「祐司さん。材料は全部仕舞いましたよ。」
「ああ、ありがとう。茶を用意するから席に座っててくれ。」
「はい。」

 晶子はコートを脱いで俺の後ろを通って自分の席、即ち俺の向かい側に座る。少ししてポットの湯が沸いたことを知らせる電子音が鳴る。
予め用意しておいた茶葉入りの急須に二人分の湯を注ぐ。
そして二人分の少しばかり小さめの湯のみを−一人のときはステンレスで出来たマグカップを使うが−テーブルまで持っていく。
そして急須から交互に茶を注いで片方の湯飲みを晶子に渡して、俺は自分の席に座る。

「今年最後の買出しも済んだし・・・あとは夕飯食べて年越し蕎麦を食べて・・・って、食べることばかりだな。」
「そうですね。年末年始って食べることが何時もより多いですよね。」
「そして何時の間にやら正月太り、か・・・。」

 俺は湯飲みの茶を少し啜ってまじまじと晶子を見る。
冬服を着てるから外見からではよく分からないが、今まで何度か抱き締めた時に胸に感じる弾力や寝間着の隙間から見たり、
その感触・・・熱出したときに俺の家に来た晶子の胸に倒れこんだときの感触から考えると、結構胸はあるみたいだ。
今晶子が着ているフレアスカートの位置と様子からして、ウエストは細めらしい。正月太りで崩れなきゃ良いけどな・・・。

「祐司さん。」
「あ、ああ。何だ?」
「何処見てたんですか?」

 そう言う晶子の目と表情には、疑惑の念がたっぷり篭っているように思えてならない。
その目と表情を正視できない俺は、急に渇きを感じた喉を半分ほど残っていた茶で潤して、晶子から視線を逸らす。
何て言い訳したら良いのやら・・・。「胸がどのくらいあるかとウエストを見てた」なんて馬鹿正直に答えるわけにはいかないし・・・。

「祐司さん?」
「い、いや、その・・・晶子は結構スタイル良さそうだな、って思って、それが正月太りで崩れなきゃ良いのにな、って思って・・・。」
「・・・本当にそう思います?」
「思うよ、そりゃあ・・・。上手く表現できないけど何て言うか・・・正月太りとは無縁でいて欲しいな、って・・・。」
「それなら良いです。」

 晶子の表情が一転して穏やかなものに代わる。
俺は内心このまま口喧嘩に発展するかもしれないとかなり危惧していたが、どうやら年を跨いでの騒動になることはなさそうだ。

「祐司さんの視線はちょっとエッチっぽく感じましたけどね。」
「う・・・。わ、悪かった。」
「謝らなくて良いですよ。でもね、祐司さん。女の人は大抵、好きな人が出来ると、相手の人の視線と自分のスタイルをかなり意識するようになるんですよ。」
「そんなもんなのか?」
「ええ。祐司さんってスラッとしてるでしょ?だから結構プレッシャーになるんです。『太ったら嫌われる』って。
だから自然に食べる量が減ったり、間食を控えたりするんですよ。」
「ふーん・・・。」
「さっきの祐司さんの視線も、あ、胸からウエストに掛けて見られてるな、って感じて・・・。念のため聞いてみたんです。
本音を聞きたかったら、ちょっと怒ってる振りをして。」
「な、何だ?てことは、俺の視線が何処に向いてるか全部お見通しだったのか?」
「そうですよ。」

 晶子はいともあっさり俺の疑問を肯定する。俺は苦笑いしてテーブルに片肘を突いて、手で額の一部を覆って頭を掻く。
観察力は晶子の方がずっと上だな・・・。これだと浮気をしようものなら簡単にばれてしまうだろう。
もっとも相手一筋が信条で、その上、金もなければ女受けしないルックスとなれば、彼方此方に浮名を流せる筈もないが。

 冬至を過ぎたとはいえ、日の落ちる時間は早い。
午後5時を過ぎれば夕闇が東から押し寄せ、夕焼けの余韻を味わわせることなく空も町も闇に沈む。
それに合わせるように点々と小さな明かりが灯る。無論、俺の家も例外ではない。
西に面する窓から染み透る紅の光が作り出した、室内の赤と黒のシルエットが消え始めた頃、晶子は今年最後の夕食の準備を始める。
時間的にはやや早過ぎる気もするが、その後に控えている年越し蕎麦を食べることを考えると、丁度良いくらいなのかもしれない。
 部屋にはBGMとして倉木麻衣のCDアルバム「delicious way」の5曲目、「Baby Tonight-You & Me-」が流れている。
ゆったりした3拍子の心地良いリズムは、ぼうっと聞いていると眠ってしまいそうだ。
そんな中でも晶子は手を休めることなく夕食の準備をしている。
晶子だけに夕食の準備を任せておいて、自分だけ暢気に音楽を聞いているのはちょっと気が引ける。
俺は立ち上がって晶子が居る台所へ向かう。

「あ、祐司さん。まだ準備中ですよ。」
「いや、一人でくつろいでるのも何だし、晶子が何をしてるのか、ちょっと見てみたくなって。」
「準備って言っても、大したことじゃありませんよ。」
「俺はその『大したことじゃない』ことさえ知らないからさ・・・。」
「それじゃいっそのこと、一緒に準備しませんか?」

 晶子が誘ってくる。俺としては天ぷらがどうやって出来るのか、そのプロセスを知りたいし、やっぱり晶子一人に全部任せて
自分だけくつろいでいるのは気が引ける。ここでの返事に迷う必要はない。

「ああ。一緒にやらせてくれ。」
「ありがとう、祐司さん。」

 そう言って晶子は嬉しそうに微笑む。
この微笑を見ると嬉しいのは勿論、身が引き締まるような思いがする。
この微笑をもっと見たい。この微笑に応えたい。
心からそう思う。

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