女性帝国

written by Moonstone

〜この作品はフィクションです〜
〜登場人物、団体などは実在のものとは無関係です〜

第2章

 このような「点検」が警察と同等以上の権限の下で行われるようになったのは、2年ほど前に溯る。
女性の社会進出を促進する各種法案の整備に伴い、ここ数年来で従来男性のみだった職場にも女性が目立つようになった。
また、同期の男性より早い昇進・昇格も、もはや珍しいことではなくなっていた。
同様に政治レベルではある市議会議員選挙で女性議員の比率がほぼ50%に達し、中央省庁でも女性の部長、局長も続々誕生して、事務次官誕生も
近い現状が生まれていた。
 そして昇格、昇給で「女性だから」男性より不利な条件を強いられる事例や、陰湿なセクハラが女性の社会進出の反動で続々と表沙汰になってきた。
泣き寝入りを強いられてきた女性達が声を上げることを厭わなくなり、これまで隠されていた問題が一気に噴き出した格好である。
当然、これらはマスコミや世論の厳しい批判を浴び、関係者の処分や是正措置も取られた。

ここまでは良かったのだ。

 「女性だから」という理由による不利な取り扱いや陰湿なセクハラが続々取り上げられるようになる中で、女性団体を中心にある主張が登場した。

「これらの問題は男性社会が蓄積してきた歪みであり、男性社会の構造ではもはや是正できない」
「これらの問題の解決には、男性の視点は温情主義を生むだけであり、排除されなければならない」
「正常な社会の構築は、女性によってのみ可能なことである」

 これらは当初こそ一部の過激な勢力の主張だったが、問題発生が収束の気配を見せないことに苛立ちを感じ始めた女性団体にじわじわと浸透し始めた。
また、これに所謂「母性保護」が撤廃されたことによる深夜業就業規制や残業規制がなくなったことに対する女性労働者の不満が重なり、一部に勃発した
小さな主張は、やがて巨大なうねりとなって女性団体に広がった。

「女性を大切にしない社会は、男性の主導で作られたものである」
「子を産み、育てる女性こそ社会を主導していくべきである」
「母性保護を復活、強化して、女性が暮らし易い社会を女性の手で築かなければならない」

 当初から女性の視点のみで語られることが多かった女性団体の主張は、「女性の、女性による、女性のための社会」構築に集約されることとなった。
政権与党の民衆党などは、国会勢力での多数を背景に黙殺を決め込んでいたが、民衆党代表であり時の首相だった野丸金次の女性問題が明るみに
出ると、女性団体が烈火の如く怒り、各地で激しい抗議活動が発生した。
 その問題とは、所謂「離婚問題」である。
野丸は妻の父親、つまり義父の地盤を引き継いだ議員だが、民衆党の長老議員として首相も務めた義父の威光を背景にした妻は事あるごとに
夫に口出しし、次期改造内閣の閣僚任命にまで干渉しようとしていた。
日々不満を募らせていた野丸の不満がここで爆発し、首相官邸を揺るがす夫婦喧嘩になり、妻が腹いせに勝手に記者会見を開き、堂々と離婚の
意思を表明したのである。

 「首相夫人」の赤裸々な告白にマスコミ、特に女性週刊誌が飛びつかない筈がない。
たちまち全国を揺るがす一大スキャンダルとして報じられ、国会でも野党議員がこれを「品位」の問題として取り上げたことで審議は中断に追い込まれた。
この一連の騒ぎに、女性団体は組織力を生かして国会を包囲し、連日シュプレヒコールを上げた。

「家庭を運営できない首相を許すな!」
「女性の発言を封じようとする旧態依然の首相は辞めろ!」

 当然、マスコミはこの動きを「女性の怒り」として連日報道し、識者も女性団体の主張を擁護するコメントを繰り返した。

だが、この時点で何かを忘れてはいなかっただろうか?

 日本において閣僚任命は、議会の指名を受けた首相の権限であり、その配偶者の権限ではない。
言うなれば、野丸の妻は首相の権限に踏み込むという憲法違反を犯したのである。
曲がりなりにも法治主義を掲げる一国の首相の配偶者として、これは許されざる行為ではなかったのか?
勝手に会見を開き、離婚の意思を表明したことは重大な誤りではなかったのか?
 「首相夫人」とは一般家庭の主婦とは訳が違う。その発言が及ぼす影響は大きい。
その影響力も考慮せずに家庭の問題−それは取りも直さず「個人的な問題」−を公表することを、「品位」の問題として取り上げるべきではなかったのか?
 だが、事に女性が絡んだ以上、もはや「女性の怒り」は留まることを知らず、民衆党本部に対する抗議行動も連日行われた。
さらに、民衆党に閣外協力していた明政党でもこの問題が知れるに連れて、各都道府県支部の女性部や女性議員が抗議の声を上げた。
女性議員の比率が比較的高い明政党上層部も、支持率と次期選挙への影響を恐れて、民衆党に協力関係の解消を通達した。
明政党と選挙協力を模索していた民衆党に与えた衝撃は計り知れない。

 民衆党は急遽幹事会を開き、野丸はその席上、「国民に混乱を与えたことは、一国の首相としてあるまじきこと」として辞任に追い込まれた。
マスコミも「女性パワー、首相を辞任に追い込む」と書き立て、一連の動きを詳解しながら女性の「検討」を称えた。
女性の弁護士や評論家が多数登場し、「これは男性優位の社会に起因する問題」と一様に野丸の責任問題を取り上げ、厳しく批判した。
勿論、ここに明政党議員の姿もあり、首相を辞任に追い込んだ女性議員の力を盛んにアピールしていた。

この時点でも、何かを忘れてはいなかっただろうか?

 「国民に混乱を与えた」事実は間違いない。だが、この問題において「混乱を与えた」人物は誰なのか?
妻の干渉が閣僚任命にまで及ぼうとしたのは、既に野丸が義父の地盤を引き継いで選挙に臨んだ時点で決まっていたといえる。
否、そもそも有権者の代表を選ぶための選挙において、世襲制度が有形無形で存在すること自体が問題である。
政治にとって最も重要な「政策」より、「親の七光り」が当落を左右するなど、民主主義に基づく選挙といえようか?
 首相を辞任に追い込んだことは、果たして「女性パワー」なのだろうか?
確かに抗議行動は激しかった。しかし、それが直接首相の辞任に繋がったとは言えない。
直接の原因は何より、民衆党が明政党の協力、特に選挙協力が得られなくなることを恐れた結果であろう。
ここで民衆党と明政党の間には、文字通り「選挙のための」利害関係が作用したのだ。
票の獲得のために代表者の首を挿げ替えた民衆党、選挙への影響を第一に考えて票を取引材料にした明政党の態度こそ批判されるべきではなかったか?
しかし、何ら省みられることなく、事はまっしぐらに進んでいった。

「職場における女性管理職5割登用を義務化すること」
「議会における女性議員の占有率5割を義務化すること」
「母性保護を復活し、さらに女性の健康を阻害することのないよう強化すること」
「グラビア、ヌードなど、女性をモノ扱いする表現を禁止すること」
「セクハラを重罪にすること」
「女性の権利侵害を防止し、名誉回復のために女性団体に必要な権利を与えること」

 この一件に便乗した女性団体は、各政党に「男女平等法案原案」としてこんな主張を実現するように突きつけた。
最初の2つは「5割制度」と称され、数の平等を義務化しろというものだ。
女性管理職や女性議員を増やすことで、社会が変えられると言いたいらしい。
その根拠として、欧米における女性管理職や議員の比率を上げ、「女性の比率が高いところほど民主的だ」と主張した。
次の3つは「女性の地位向上」のため、女性を侮辱するような行為は禁止しろというものだ。
それらを保護、監視するために最後の一つが挙げられたようだ。
 当初はそれなりに異論も出た。
単に女性の発言力の増大を恐れる故や、単純に自分の時代では当然のこととして叩き込まれてきた「男は仕事、女は家庭」に反する故に「女性優先」だと
するものもあったが、そうではないものも混じっていた。
しかし、異論が表立って出されることはなかった。
首相辞任の一連の動きを報道したマスコミは、一部「大人向け」週刊誌が「全てで上位を目指す女達」として揶揄したくらいで、

「数の上での平等に加え、女性の地位向上に大きく踏み込んだこれらの主張を突きつけられた各政党の判断に注目したい。
これは取りも直さず、女性に対する各政党の姿勢を知る機会であり、次期選挙における重要な何段基準となろう」(旭陽新聞)

などと、殆どのマスコミは「女性の時代到来」ともてはやした。
 次期選挙が近かったこともあってか、各政党はこぞってこの主張に関して賛成の意を表明した。
特に、女性議員の比率が高い明政党と社会連合が機関紙などでこれらを手放しで賞賛したことは、法案の提案に向けて大きな要因となった。

「数の上での平等は必要である。・・・また男性週刊誌を飾る女性のあられもない姿態に不快感を持つ女性は多い。・・・
女性が自らの手で社会を動かそうという一連の主張は、一人一人が大切にされる社会を提唱してきた我が党の主張と矛盾するところはない」(機関紙「明政」)

「近年の目覚しい女性の社会進出も欧米の水準には遠く及ばない。女性の発言力を確保するためにも『5割制度』の制定は必要だろう。・・・
女性をモノ扱いするグラビアやヌードが堂々と売られていることは、青少年の健全な育成にも悪影響を及ぼす。・・・
様々な観点から、これらの主張は女性の地位向上に不可欠なものであり、我が党も全面的に支援するものである」(機関紙『社会の目』)

 女性票の動向に敏感な2政党が賛成したことで、野党が足並みを揃えて法案を国会に提出。
特に選挙協力を模索していた明政党がこれに加わっていたことで、与党民衆党も数の力で封殺するわけにも行かず、しかし保守層の反発を受け、
民衆党首脳部は板挟みに苦しむことになった。
しかし、何といっても次期選挙に向けた体制作りの為には、保守層の反発を覚悟でこの主張を受け入れないと、明政党との選挙協力が水泡に帰す。
このところ支持率が低迷しているだけに、固い組織票を持つ明政党の協力は欠かせない。
そう判断した民衆党首脳部は、保守層を考慮して、国会での採決において党議拘束を外すという措置でお茶を濁すことにした。
 「党議拘束を外す」。このことは聞こえは良いが、政党としては失格である。
政党とは、ある政策の実現に向けて共通の意志を持つ個人を集めて結成される結社である。
ある法案に対して党内の議論の末で統一見解を示すことが、政党政治には不可欠である。
にもかかわらず党議拘束を外すことは、政党として統一性がないことを示し、それは政策の元に結成されたものではないことを宣言するようなものだ。
しかし、「自由意志」を第一義的に扱うマスコミは、政党政治の根幹を揺るがすこの措置をむしろ評価する。
与党民衆党と、選挙協力を水面下で画策する明政党−組織票だけではそれが脆弱な地方で闘えないことが分かっていたため−の利害が一致したことで、
女性団体の主張が法案として実現することは、もはや確約されたようなものだ。

 労せずして、一連の主張は「男女平等促進法案」として超党派で国会に提出され、あっけなく全会一致で採択された。
法案成立後、早速女性団体は非政府組織として「女性の権利擁護委員会」を設立し、NGOとして届け出ることで法人資格を獲得。
早速行動を開始し、「女性の権利擁護」「男女差別反対」を盾に徐々にその権限を拡大。
女性票を取引材料に使うことで各政党に働きかけ、警察と同等以上の権利まで獲得した。
以上が、現在にいたるまでの経緯である。

果たして、これが男女平等なのか?

 数を平等にすれば男女平等なのか?それが何故、即社会変革に繋がるのか?
 女性団体はかつて、「女性は男性と同等以上に働ける」「『男性と同様』に働かせろ」と主張してきたのではなかったか?
 グラビアやヌードが女性をモノ扱いしていると責めるなら、それで知名度を挙げる女性も責めて然るべきではないか?
 いや、そもそもそれらを責めるのは、「自分達が不快に感じるから」ではないのか?
 セクハラにも色々ある。いじめの延長線上にあるものは別として、女性が男性に応じてオフィスラブと使い分けてはいないか?
 女性の権利向上は大いに結構だ。だが、男性の権利は完璧だと思っているのか?

 女性団体はこれまで自分達が押え込まれていたことに対する不満を一気に爆発させ、男性に関わるものを全て否定すると同時に、自分達がそれに
取って代わろうとしている。いや、取って代わったのだ。
女性が主導権を握る社会に。女性が男性を支配する社会に。
「女性だから」「女性のくせに」は許されなくとも、「男性だから」「男性のくせに」は許される社会に。
そして、自分達の言動を諌めようとする者は「男女差別」として自分達で排除できる社会に。

これが、女性団体が目指してきた「男女平等」の社会だったのか?

 だが、もはや今ではこれを口にすることも命懸けだ。
女性達は自分達の「気に入らないもの」に対しては容赦しない。
それが「男女平等」であり、「女性の権利擁護」と信じて疑わないから。
陣和興産本社ビルの「点検」は、「女性が気に入らないもの」を徹底的に消し去るためのものだ。
事実上非合法となったグラビア雑誌やポスター、自分達に批判的な言動、お気に召さない男性。
これらは女性達にとって「気に入らないもの」であり、「排除されて当然」なのだ。

これが、女性団体が目指してきた「男女平等」の社会だったのか?

第1章へ戻る
-Return Chapter 1-
第3章へ進む
-Go to Chapter 3-
第2創作グループへ戻る
-Return Novels Group 2-
PAC Entrance Hallへ戻る
-Return PAC Entrance Hall-