Saint Guardians

Scene 12 Act1-4 叫喚-Screaming- 常夏の国の錯綜と混迷

written by Moonstone

 その日の夕方。それぞれの結果を持ち寄ったパーティーの面々が宿に戻った。
情報の拠出と共有をやりやすくするため、イアソンの提案で宿の宴会室を借りて夕食を兼ねることにした。朝食を摂った食堂は他の客も居るし、その中には
ザギの手先が居るとも限らない。食堂は4人がけのテーブル席のみだから、総勢8人のパーティーではどうしても4人単位の会談になりやすいのもある。
宴会室もテーブル席だが、こちらはテーブルを自分達で移動すれば全員の顔を見渡しながら会合が出来る円卓を構成できる。
 配置は入口に近い方から見て時計回りにドルフィン、シーナ、フィリア、アレン、ルイ、クリス、イアソン、リーナだ。現在のパーティーの人間関係をつぶさに
反映したと言えるが、激しい対立を続けるフィリアとルイに挟まれたアレンは、正直息が詰まる思いだ。
 断続的に料理が運ばれて来る中、物資調達グループからはイアソンが代表して購入物品や目新しいものはそのレシピ−店員などから聞き出したもの−の
他、タリア=クスカ王国に関する情報を、情報収集グループからはルイが代表して訪問先のバシンゲン町港地域教会で遭遇した病人とその症状や病気の
情報、それへの対策について説明する。イアソンもルイも論理だてた思考や説明を得意とするタイプだ。感情を排した淡々とした説明は、グループ外の者の
頭にもスムーズに溶け込んでいく。

「−以上です。」

 ルイが説明を終えて腰を下ろす。他人に説明することはヘブル村評議委員の経験で随分培われてはいるが、今回のように全く先が読めない事態に
含まれる状況の説明は初めてだ。長年の生活でどうしても聖職者としての立場や見方からの考察をしがちなのも自覚しているから、それらを排しながら
事実や経緯だけ説明するのは神経を使う。ようやく緊張から解かれて思わず溜息が出る。

「お疲れ様。分かりやすかったよ。」
「ありがとうございます。」

 隣のアレンから労われて、ルイは疲れが一瞬で吹き飛んだ気がする。ルイの表情が明るくなったのをアレン越しに見たフィリアは、強い嫉妬が沸き立つのを
抑えられない。クリスからはニコニコしているようにと言われているが、元来我慢の必要性が低くて済む直情的な性格がそう簡単に矯正できる筈がない。

「原因不明の流行病か…。厄介だな。」

 ドルフィンが言う。

「風土病でもないとなると、対策が尚更後手後手に回りやすい。伝染性がないのがせめてもの救いだな。しかし、病気発生の時期とハルガン航路の途絶の
時期がほぼ重なるというのが引っかかる…。」
「やっぱり…、ザギの仕業でしょうか?」
「ザギの仕業自体は考えられるけど、病気を自由に発生させたりすることは医師免許を持ってても不可能よ。勿論、魔法でもね。」

 フィリアの疑問をシーナが否定する。
 この世界では病気の発生原因が目に見えない病原菌によるものという認識が存在する。我々からすればごく当然であるが、高々500年ほど遡れば病気は
呪詛や神罰という認識が当然だった。排除した政敵の怨念や敵対勢力の呪詛に怯えて遷都を繰り返したり寺社仏閣の建立に邁進した日本に限らず、文化
文明の先進イメージが強い欧州でも金を創造する錬金術が隆盛したり、聖書の教えにそぐわない思想や学術をキリスト教が弾圧し−キリスト教の黎明期に
時の権力から弾圧されたことを思うと権力の業は宗教を凌駕することが見て取れる−、魔女狩りという社会的ヒステリーで甚大な犠牲者を産んだのは、1000年
単位で遡る先史時代の話ではない。それらを非科学的と一笑に伏すのは簡単だが、病原菌が目に見えない存在であったことを考えれば、病気の原因を
呪詛や神罰と考えるのはさほど不思議な思考の遷移の結果ではない。
 我々の世界で病原菌という存在が人間に作用して病気を生じさせることが明らかになったのは、ロベルト・コッホによる炭素菌の純粋培養を基礎とする
コッホの原則の提唱(1876年)と結核菌の発見(1882年)からだ。14世紀に欧州で大流行して2000万から3000万人が死亡したともいわれる膨大な死者を出した
ペストも、ペスト菌に感染したネズミに寄生するノミによって媒介される伝染病と判明したのは1894年(北里柴三郎とアレクサンドル・イェルサンがほぼ同時期に
発見)のことである。細菌の発見には顕微鏡の存在が不可欠であるが、光学レンズの加工をはじめとする一定水準のテクノロジーが必要であることが、病気と
細菌の関係を結びつけるために多くの時間を要した原因の1つである。
 ちなみに、細菌ではない病気、身近な例ではインフルエンザのような病気が細菌よりさらに小さいウイルスによるものと判明するのは、ウェンデル・スタンレー
によるタバコモザイクウイルスの結晶化(1935年)をはじめとする、現在からたった100年程度の近代になってからである。これは細菌より更に小さい存在があり、
生物を構成する最小単位として分子が存在するという概念と、分子レベルの微小物質を可視化する電子顕微鏡(マックス・クノールとエルンスト・ルスカによる
TEM(透過型電子顕微鏡:電子線を対称に照射して透過してきた電子の密度を画像化する電子顕微鏡)の開発が1931年)が必要であり、その背景には基礎
物理学と基礎化学、そして電子線を発生させる電子銃−原理はブラウン管TVと同一−を構成する高電圧技術や電子線を通すための真空技術が求め
られる。
 この世界では各種細菌の発見による病気の原因≒細菌の公式が人類の共通認識として定着した段階であり、病原菌を自在に操作するのは遺伝子解析・
改変技術など更に高度なテクノロジーが必要であることなど、想像にも至らない。いかに魔法と言えども生物そのものを改変することは不可能であるが、
力魔術の驚異的な能力を幼少時から目の当たりにしているアレン達には、魔法なら可能ではないかという考えが生じる。一方、力魔術と疎遠で衛魔術が
アレン達の力魔術の存在に相当するクリスとルイには、魔法とはすなわち治癒や防御など人間を癒し助けるものであり、病気という人間にとって害悪を引き
起こすものには容易に結びつかない。これもまた、文化の相違である。

「そうやとすると、原因は何でしょね?」
「原因は現時点で不明だけど、奥地の開発に伴う新しい風土病の可能性が考えられるわね。」
「封印を解いたみたいですねー。」

 クリスの疑問にシーナが推論を提示する。
 ジャングルは人間にとっては過酷な環境だが、人間にとって害獣や害虫とされるネズミや蚊、微生物には快適な環境でもある。そのため、人間にとって
未知の生物や病原菌・ウイルスのカプセルとなっていて、人間の進出によってそれが解放される恐れがある。
 一般にAIDSの略称で知られる後天性免疫不全症候群も、元々は中部アフリカの風土病だったが、交通・輸送機関の発達やジャングルの破壊が重なり、
アフリカ全域、ひいては全世界に拡散した。病原菌は細胞で構成されるれっきとした生物であるため、病原菌が生存不能な環境に持ち込まれても拡散する
恐れは極めて低い。しかし、ウイルスは他の生物の細胞に吸着・侵入することで増殖するため、宿主となった生物が生存できる環境であればどんな環境でも
拡散する恐れがある。後天性免疫不全症候群は勿論、一時期予防対策で空港などが騒然となったSARSの略称で知られる重症急性呼吸器症候群、
ひいては毎年のように全世界で流行が発生するインフルエンザも、原因はウイルスである。
 クリスの「封印を解いた」は言い得て妙だ。赤道付近で高温多湿な環境でも、着実に人間は生活圏を拡大している。人間の生活にはまず食料の確保が必要
だが、継続的な生活には食糧生産が必須となる。それを最も容易に実現できるのは農業であり、そのためにはジャングルを開墾する必要がある。それが
これまで「保管」されていた病原菌やウイルスを解放し、人間に襲いかかった可能性も十分考えられる。
 だとすると事態は深刻だ。何しろ病原菌が特定出来ないと根本的な治療が出来ない。病原菌を特定するには培養環境や顕微鏡などが必要だが、流石に
そんなものを運搬してはいない。原因がウイルスとなると、ウイルスの存在すら知られていないこの世界ではもはや特定はお手上げだ。ひたすら患者に
対しては対症療法に徹し、感染の確率が高い地域への立ち入りを禁止するようにするしかない。

「物資は十分購入や手配が出来たようだから、あたし達に害が及ぶ前に早々に脱出するのが賢明ね。」
「それが良さそうですね。伝染性はなさそうとは言え、感染したら回復まで動けなくなります。」
「ハルガンの航路途絶と発生時期が重なるのが気にかかります。偶然にしてはタイミングが合い過ぎています。」
「ザギの仕業である可能性も考えられるから、調査することでザギの所在を炙り出せるかもしれない。」

 発言の傾向からして、リーナとイアソンは早期の脱出に、アレンとルイは調査の継続や事態への関与に傾いている。偶然ではあるがパーティーの人間
関係を反映する形だ。
 アレンとルイが図らずして同調したのはフィリアには面白くないが、反発してリーナとイアソンの主張に同調するのは主体性がないと感じるし、何より相性が
悪いリーナに従うような気がして余計に同調したくない。そのため沈黙という形で誤魔化す。ドルフィンとシーナは意見が出尽くすのを待っている状況。唯一
クリスは食べながら何か思案している。珍しく思案が優先しているようで、食べる速度は目に見えて鈍い。

「クリス。どうした?」
「んー…。なんか色々引っかかるんですよ。」

 ドルフィンの呼びかけに、クリスはフォークを置いて続ける。

「病気やとしたら、今まで生活しとったのにある時期からいきなり病気になるようになった、なんてタイミングが良過ぎますよね。」
「病気には潜伏期間ってものがあるのよ。」
「一応そんくらいは知っとるよ。やけど、そやったら今まで病気になった人が少しくらい居ってもおかしあらへん。ある時期から一斉に病気になるように
なった、ってそんな都合のええ病気ってあるんか?」

 リーナの異論にクリスは相変わらずの口調で反論する。
 確かに潜伏期間の有無や期間は様々だが、ハルガンの航路途絶に重なる形で一斉に発病するのは不自然だ。これまでにも原因不明として若干の発病
事例があって、ある地域に進出したのを契機に拡散したなら理解できるが、過去に発病の事例はないという。風土病でもないというから、作為的なものを
疑わざるを得ない。

「それに、病気っちゅうこと自体も引っかかるんよ。」
「?どういうこと?」
「それ、本当に病気なんかっちゅうこと。」

 アレンの疑問へのクリスの回答は、他の面々にとっても驚くべき視点だ。

「ザギが場所は分からんにしても、こっちの方に逃げてったのはあたしも見とる。現場に居ったでな。そやとしたら、此処にアジトとか作っとる可能性もある。
むしろ、ハルガンの航路で重要な寄港地になっとるこの町やったら、尚更や。あたしがザギやったら、此処で何かしとるって臭わせてアレン君を誘い込むわ。
ランディブルド王国でハルガンからの応答が途絶えとるっちゅう話を聞いて、クルーシァが関係しとるらしいことも分かれば、どうしてもハルガンへ行く途中で
この町に立ち寄ることになるんやからな。」
「確かに…。」
「病気じゃなかったら何なのよ?」
「そこまでは分からへんけど…、力魔術とか。」
「…力魔術の可能性は十分あり得るわね。」

 シーナは思わぬ落とし穴に嵌っていたかもしれないと内心歯噛みする。
 聖職者の説明や自身の診断から新種の病気と見ていたが、多くの病気で伝染性と重なる発熱が症状として露呈するにもかかわらず伝染性がないと
見られること、先にリーナとクリスの問答で出されたとおり、これまで発病の事例がなかったところにハルガンの航路途絶と重なる時期にいきなり患者が続出
していることなど、病気にしては不自然な点が多い。
 病気でないとするとまず考えられるのは力魔術だ。魔術はかけた対象のみ効果を発揮し、効果が伝搬することはない。また、暗黒系の力魔術では毒や
腐敗を効果とする魔法が多い。毒を効果とする力魔術なら一度の発動で複数の対象に効果を与えるし、毒だから解毒するか新陳代謝で毒を排出しない限り
効果は延々と続く。伝染性がないこと、発熱と全身の鈍痛だけという致命的ではない症状に留まっていることも、原因が病原菌ではなく力魔術であるとすれば
説明できる。
 魔法が原因だとすると、その根源として考えられるのはやはりザギだ。タリア=クスカ王国はザギを配下に置くガルシアの牙城と化したクルーシァにより近い。
ザギはランディブルド王国での対峙で南に逃亡したし、ハルガンからの応答が途絶えているとパーティーがしるのは時間の問題と見て、此処タリア=クスカ
王国に拠点を移して新たな企てをしつつ待ちかまえていると十分考えられる。

「これまでのザギの傾向から、その国の支配層に取り入って基盤を確保しつつ謀略の網を張るというパターンが見える。単純だが効果的でもある方策だ。」

 暫しの沈黙の後、ドルフィンが総括に入る。その中に含まれたザギの行動パターンはルイが挙げたことと共通する。
 時の支配層に取り入って存在基盤を確保しつつ自身や自身が属する組織の活動範囲を広げたり、謀略を含めて支配層にとって代わることは、支配層と
敵対する多大な労力を省き、支配層の基盤を継承することも可能という点で非常に効率が良い。キリスト教が黎明期にローマ帝国に弾圧されて多数の
殉教者を出したが、やがてローマ帝国の国教となり、欧州全域に勢力を拡大してからはキリスト教こそ正義とばかりに学問や思想を弾圧する支配層に成り
代わったことや、日本において三菱財閥や三井財閥など旧財閥が軍備拡張や富国強兵政策の流れに乗って膨張し、戦後の財閥解体後も日経連から
経団連と名前を変えても巨大な財界団体を組織し、企業献金や御用組合を介して自民党やその亜流である民主党などに財政的・組織的に密接に関与し、
国民向けの政策より財界向けの政策を優先させることが常態化していることなどに見られる。
 ザギはある意味王道を進んでいるのだが、その道を自ら整え、結果的に踏み石に成り果てる事例が相次いでいるのは、ザギの甘言に踊らされる
支配層の業と言うべきか。

「患者の行動の追跡結果が出るまでには数日かかるという。その間、新たに発生する恐れがある患者には鎮痛剤や解熱剤を供与しつつ、このバシンゲンの
町やタリア=クスカ王国の現状を調べ、ザギ、ひいてはクルーシァの影響を探ろう。情報を集約し、集団感染−あえてこう表現するが、その謎の解明を含む
抜本的な対策を講じよう。」

 ドルフィンの提案に異議は出ない。やはりザギやクルーシァの影が感じられる以上、物資の搬入を待って即座に脱出とは進め難い。それまでにザギが
いかなる妨害を企てて来るか分からないし、ザギはガルシアの走狗に過ぎないだろうが、その走狗が世界規模で暗躍し、多くの被害や犠牲を産んでいる
ことは事実だ。ザギの謀略や存在基盤を潰していくことはザギをクルーシァに追い込むことにもつながる可能性を有する。その足でハルガンに赴き、応答
途絶の原因を解決することで、対クルーシァ包囲網の構築も開けて来る。
 会合を終えたパーティーは夕食に専念する。長い船旅に伴うシフト勤務による身体の違和感も消えた今、タリア=クスカ王国に漂うザギの影と、その先に
あるハルガンとクルーシァに心を向けながら、異国情緒豊かな食事を満喫する…。
 翌日からパーティーは早速行動を開始する。
あまり細かく分かれると迷ったり、思わぬアクシデントに巻き込まれる恐れがあるということで、前日と同じ構成、すなわちドルフィン、フィリア、イアソン、クリスの
グループとアレン、リーナ、シーナ、ルイのグループに分かれることがドルフィンから指示された。特に教会に情報を得に行くと共に鎮痛剤や解熱剤を製造・
提供したり、体力低下が著しい患者にヒールなど治癒魔法をかけて体力の回復を促したりする9)には、前日と同一メンバーの方が教会も心理負担が軽減
する。
 アレンは護衛兼人足として役割がある。前日もそうだったが、大量の薬草を搬送したり、多くの患者に配分するにはある程度の体力が必要だ。アレンは
見かけこそ相変わらず女性を思わせる華奢な体格だが、地道なトレーニングの成果が徐々に反映され始めたことで筋肉が増強されてきている。ドルフィンの
ように筋肉の塊とならないのは体質の違いだ。木の箱に入れられて相応な重さになる大量の薬草も問題なく運べたし、非常時には剣で素早く応戦できる。
護衛にはもってこいだ。当然フィリアは不愉快だが、ドルフィンに逆らうことは出来ないので店先で食品を買って自棄食いするしかない。
 アレン達は前日と同じくまずは港地域教会に赴き、状況を聞く。患者の容体は総じて回復傾向にあり、聖職者の負担も大幅に軽減されたが、患者の追跡
調査は始まったばかりだという。患者は元を含めて町の全域に居るそうだから、ランディブルド王国と同じく限られた人員で追跡調査をして1日2日で情報が
集約できるとはアレン達も思ってはいない。
 早速全員で薬草の調達に向かい、戻るとシーナとリーナが薬品の調合を行い、ルイは薬品と同時に服用すると効果がより高まることが分かった聖水の
生成に着手し、アレンは聖職者に混じって患者に在庫の薬品や飲食物を提供する。4人がてきぱき行動することで薬品の調合から提供までがスムーズに
行われ、体力が高い患者は早くも全快する者が出始める。

「ありがとうございます。皆さんのおかげで事態打開の道筋が立ちました。」

 バンハム総長がひとしきり仕事をして休憩に入ったアレン達に感謝の意を表する。毎日のように担ぎ込まれ、患者が自力で回復するまでひたすら効果の
薄い薬品や貴重な聖水を投与し続けなければならない無間地獄のような状況が一気に改善され、次に倒れるのはどの聖職者かという不毛な観測を脱する
ことが出来た。これはアレン達、特に症状の分析と薬品の調合を主導したシーナの大きな功績だ。

「光栄です。幾つか伺いたいことがありますが、お時間はよろしいでしょうか?」
「はい。知る限りのことは私が回答いたします。」
「ありがとうございます。」

 バンハム総長との対話は主にランディブルド王国教会全権大使の任にあるルイが行う。その方が教会関係者との対話はスムーズだ。

「国王陛下やその周辺で、特にハルガンの航路途絶の前後に不審な動きなどを聞き及んでいますか?」
「不審な動き、ですか…。」
「どんな些細なことでも構いません。それらがハルガンの航路途絶に関係している可能性もあります。」
「うーむ…。」

 バンハム総長は眉間に皺を寄せて考え込む。直ぐに挙がるレベルではないようだが、何かしら前兆らしいものがあるとそれが糸口になる。

「先住民との抗争が長く続いていますが、そちらは膠着状態です。不審な点と言えば、それこそハルガンの航路途絶と、それと同時期に発生した病だけ
です。それへの対処が精一杯で、他の事象に気が回らなかったのもありますが…。」
「そうですか。では、病への対処について国王陛下に報告されましたか?」
「はい。国王陛下は王家備蓄の薬草の更なる拠出と、薬剤師への薬品調合の指示をされるそうです。病は全国に蔓延しているため、早期の解決を国王
陛下は望んでおられます。」
「先住民の仕業という見方はなされていますか?」
「はい。ですが今回は先住民も罹患しているとの確かな情報が多数存在します。先ほど先住民との抗争が膠着状態にあるとお話しましたが、これは我が国の
国民のみならず先住民も病を罹患しているため、抗争どころではないという事情もあります。」

 我々の世界であれば細菌兵器や化学兵器の存在があり、それを政権側か反政権側のどちらが使っても不思議ではない状況がある。細菌兵器ならクリーン
ルームなど生物関係の、化学兵器ならドラフト(註:化学実験における大型の排気装置)が必要だと思われるかもしれないが、兵器として製造する分には
それらを導入する必要はない。細菌兵器なら目的の細菌を抽出・培養出来れば良いし、化学兵器なら合成装置と薬品があれば良い。クリーンルームや隔離
した部屋配置、ドラフトなどはあくまでも製造する人間を守る安全装置である。戦争において製造する人間もまた消耗品であり、消耗品が使用不能になっても
幾らでも交換できるという認識になる。
 貧弱な設備でも最低限の製造装置と製造プロセスさえ知っていれば強力な兵器が製造可能であることは、オウム真理教(現アーレフ)によるサリンやVXガス
製造・使用が如実に示している。それは同時に、製造の過程で携わった信者の少なくない数が犠牲となり、秘密裏に「処理」された可能性があるということでも
ある。一方で、サリンが通常の農薬を庭先で調合して合成できるものではないこと、万が一合成出来ていたとしたら、庭先で農薬を調合していた本人が
真っ先に犠牲になることすら知らず、知らなければ化学者や化学企業に問い合わせるなどすれば分かる程度の知識を持たないことが、深刻な冤罪を齎し、
更にはオウム真理教が引き起こした一連の事件の解決を遅らせる致命的失態を産んだことも、マスコミや警察の重大な失態の一例として後世に伝えていく
べきことである。

「無差別に発病しているのですから、先住民による毒物の散布などでもないと見られますね。」
「はい。シーナ殿の仰るとおり当初は先住民による無差別テロとの見方が出ていました。しかし、先ほども申しましたように先住民も罹患したとの確かな情報が
多数あり、副次的な効果として抗争が事実上停戦状態となったことで此処数年中止されていた鎮魂祭10)も開催出来ています。今も先住民の仕業だとする
向きはあるにはありますが、先住民を殲滅したい強硬派のごく一部の妄言として片付けられています。」

 先住民と新住民という図式だが、此処にも人間同士の激しい対立がある。物心ついた頃からその対立の渦中に居たルイは、キャミール教の精神を活かし
きれない人間の現状を遠い異国でも感じる。
 「教書」や外典で表現や内容を変えて語られる、遥か昔の凄絶な戦争と神による制裁。生き残った僅かな人間は他種族との熾烈な生存競争を生き抜き、
ようやく生活圏を確立した筈だ。なのにまだ人間同士で対立し、此処では戦争に至っている。またしても神の制裁が下される時期が来るのか、とルイは気分が
重くなる。

「他の地域教会から薬品の提供依頼は来ていますか?」
「はい。幸いこちらでは患者の多くが順調な回復傾向に入りましたから、次の患者発生に備える分を除いた余剰分を順次他の地域教会に配分する予定です。」
「薬草があれば、調合自体は薬剤師が可能です。調合手順を記載しますから、薬品の提供は重篤な症状の患者さんを優先して、現地での薬品提供はその地域の薬剤師で行うのが良いでしょう。」
「シーナ殿の仰るとおりですね。地域教会と薬剤師で分担すれば、この病への対抗措置がより早く整うことになります。」
「根本的な対策はやはり、病の発生源の特定と根絶です。患者さんの行動範囲の追跡調査を引き続きお願いします。」
「承知しました。」

 当面の対策は固まった。病としているがやはり実態は病ではなく特定地域での毒物発生と拡散が原因であり、その源泉は力魔術と見るべきだろう。そして
その首謀者は…やはりザギをはじめとするクルーシァを支配するガルシア一派と見るべきだろう。
 「大戦」後の滅亡の危機から人類を救った英知を連綿と受け継いできた筈の「力の聖地」の凋落ぶりは、クルーシァでドルフィンと共に研鑽を積み、婚約する
など青春時代の多くを過ごしたシーナには目を背けたくなる事実だ。しかし、誤りは矯正すれば良い。そしてそれは早いに越したことはない。早くしなければ
取り返しのつかない事態に陥ることもある。クルーシァが不気味な沈黙を続けているガルシア一派が動き始める前に叩くこと、その手始めとして世界各地で
暗躍するザギを叩くことが肝要だ。それがクルーシァに居た者として、クルーシァの暴走に成すすべなく逃走するしかなかった償いでもある。シーナはそう
思う…。
 夕暮れが訪れる。パーティー全員が宿に集結し、前日と同じく宴会室を借りて夕食と情報の共有を兼ねる態勢を作る。席の配置も前日と同じでそれぞれの
グループの行動や得られた情報などの報告をイアソンとルイが行うのも同じ。目新しい情報はなかったことや当面様子見の必要があることも同じ。1日2日で
大きな変化が起こると考える方がおかしいのだが、ザギの影が感じられるのにこちらから動くのが危険を伴う状況が暫く続くことは、大目標であるハルガンの
状況がまったく掴めないことも相俟って焦燥感を募らせるものだ。

「時間の経過を待つのも時には重要だ。当面、薬品の供与など病の対症療法に協力して教会との連携体制を確立しておこう。」

 ドルフィンの総括に異論は出ない。
迂闊に奥地に踏み込めば−町の外が草原や山脈ではなくジャングルというのが常夏の国タリア=クスカ王国らしい−先住民の攻撃を受けたり、病を罹患して
被害を拡散させる恐れがある。無駄に危険を冒すより病の対処に協力することで、見知らぬ土地で協力や連携を容易にする体制作りをした方が今後の
ためにも良い。教会が人手不足なのはタリア=クスカ王国でも変わらない。薬品の調合方法はシーナが詳細に記載したが、それを他の地域教会
−バシンゲンの町には港の他に南、北、王城の3つがある−に伝達して、薬剤師の調合開始と薬品の供与開始を待つだけより、薬品の調合を継続して
重篤な症状の患者向けに提供したり、薬品や材料となる薬草を各地域教会に運搬したりするだけで教会の負担は大きく削減できる。
 元々パーティーはランディブルド王国教会の全権大使として様々な行動が可能なルイを擁するが、権威を盾に従属させるより協力・協調の方が見知らぬ
土地で今後の行動を円滑にしやすい。同時に、他の地域に出向くことで現状では知りえない情報を得られる可能性がある。人口は王城地域が最多で、
王城を含むことで先住民との抗争が最も激しい地域でもあるという。先住民の動向も知ることが出来れば、病の源泉についてより詳細若しくは新規の情報が
得られる可能性もある。情報を多く得るには広範な行動が必要だ。移動はドルゴを使えばそれほど時間はかからない。

 タリア=クスカ王国の多くはジャングルが占めている。町を囲む塀と堀から出れば、各地を繋ぐ道路こそあるもののその両脇はジャングルだ。ジャングルは
昼間でも地面に近いほど薄暗く、夜になれば漆黒の闇と化す。
 闇一色のジャングルのある場所に、不気味な胎動がある。容易に踏み込めない場所の、容易に所在が分からない位置にあるその胎動は、夜こそ活発に
なる。多数のランプが煌々と照らす空間には、かなりの数の人間が居る。ある者は机に向かい、ある者は水晶で作られた閉鎖空間に入って呪文を唱え、捕縛
した野生動物や魔物に発現する効果を検証している。
 この者達が「病」の源泉であるのは間違いない。と同時に、その顔触れの中には名前を知る者が驚愕し、我が目を疑うであろう者も居る。ジャングルを覆う闇と
同じく、人間に救う闇もまた深い…。

用語解説 −Explanation of terms−

9)体力低下が著しい…:ヒールなど治癒系魔法には体力回復効果もある。病気で低下した体力を静養や栄養補給で回復する過程が、ヒールなどの治癒系
魔法に置き換わると見れば良い。このため、衛魔術が盛んなランディブルド王国などではある程度の医療を聖職者が行うことで、医師・薬剤師の不足を補完
している。


10)鎮魂祭:タリア=クスカ王国を含むトナル大陸南部における大規模な行事の1つ。これはトナル大陸南部の歴史と密接な関連がある。詳細については今後の本編をご覧いただきたい。

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