Saint Guardians

Scene 12 Act1-2 叫喚-Screaming- 常夏の国で街に繰り出す(前編)

written by Moonstone

 ドルフィン、イアソン、シーナ、クリスが1階の食堂で歓談している頃、寝入っていたアレンが目を覚ます。まだ眠気というか身体と意識が融合しきっていない
ような違和感があるが、改めて寝れば解消する程度だと感じる。ドルフィンとイアソンが出ているため、部屋にはアレン1人。外出は出来ないし、何があるか
分からないから不要な外出はする気もないアレンは、窓から外を見る。
 当然ながら街灯はないが、燭台のように組まれた台座に乗った大きな松明が通りに沿って一定間隔で並び、紅い大きな炎を揺らめかせている。祭りか何か
だろうか、ドン、ドドン、ドン…、とリズムを刻むような太鼓が遠くに聞こえる。そんな雰囲気のせいか、夕暮れ時をとっくに過ぎても通りを行き交う人の流れは
続いている。
 アレンは改めて室内を見る。くすんだ茶色の木製家具は、どれもキャスターのような形状の湾曲した4つ足に支えられて床から浮いている。また、全体的に
樹液らしいものが塗られているようで、うっすら光沢がある。窓には水平にした細長い板の両端を縄で繋いだブラインドがある。赤道付近の高温多湿の環境で
風通しを良くし、湿気の蓄積による腐食を抑える生活の知恵だと感じる。晩夏に差し掛かる時期で気温は高めでも湿度は少なく爽やかだったランディブルド
王国とは異なる別世界、更に遠い異国に足を踏み入れた実感が強まる。
 異国情緒の一端に触れた後、アレンはふとルイのことを思う。
宿に向かう際のルイの横顔は疲労が明瞭だった。初めての船旅、しかも3交代で船内の役割を担ったことで、肉体的精神的な疲労が蓄積しやすい条件が
揃っていた。体力気力はむしろ高い方のルイでも、不慣れな環境に長時間晒されれば疲労が溜まって当然。宿に着いた安心感で緊張の糸が切れ、一気に
体調を崩してしまっていないか気がかりだ。
 アレンは隣の女性部屋を訪ねようと思うが、鍵は食堂に行ったドルフィンとイアソンが持って行ったため、迂闊に部屋を出ると部屋は無防備になる。タリア=
クスカ王国の治安意識がどの程度のものか分からないし、治安意識が高くても無施錠で部屋を離れるのは防犯意識がないと言われても仕方がない。休憩を
選択した組はある意味荷物番の役割を任されているようなものだから、迂闊に部屋を出るのは憚られる。アレンはドルフィンとイアソンが戻るのを待つことに
して、再度ベッドに横になってこれからのことに思いを馳せる。
 タリア=クスカ王国は物資の搬入や休養、そして情報収集のため最低でも2週間は滞在することになるだろう。その間、ザギはどう動くか?
ランディブルド王国で遭遇したザギが逃亡した方向は南、すなわち現在地であるタリア=クスカ王国も含む方向だ。あまりにも漠然としているし、南に逃亡した
からといってタリア=クスカ王国に居るとは限らないのだが、ランディブルド王国とシェンデラルド王国を巻き込む騒乱を引き起こしたザギが、事実上の敗走
から大人しくしたままで居るとは思えない。
 ザギと比較して「敵本陣」、すなわちクルーシァがあまりにも大人しいことが気になる。騒動や混乱に巻き込まれる形での間接的な遭遇が殆どだが、ザギの
戦略性や狡猾さは際立っている。ザギは権力者や支配層に都合の良いシステムを持ちかけ、人員を送り込んだりするなどして国家体制にも容易に食い込み
操作するなど国全体を巻き込む陰謀を次々と展開するが、クルーシァ、つまりはクルーシァを支配するガルシア一派は沈黙を続けている。此処へ来て
ハルガンの応答途絶に関与している疑いが浮上してきたが、世界を股にかけるザギの「活躍」に比較して、どうもスケールが小さい。「力の聖地」と称される
クルーシァを制圧し掌握したのだから、ハルガンを一気に攻め落として衛魔術を悪用する研究に従事させたり、少数精鋭の部隊を展開して南半球を
支配下に置くことも可能な筈だが、今のところタリア=クスカ王国にクルーシァの影は見当たらない。
 ハルガンに手を伸ばしてパーティーをおびき寄せ、一気に始末するつもりなのか?それとも、パーティーはクルーシァの戦力からすれば取るに足らない
存在なので、先兵のザギに任せて別の目的に注力しているに過ぎないのか?まさかクルーシァから情報を持ちこんでくるとは思えないから、敵の懐に
飛び込むようなこともしなければならないだろう。
 そんな先がまともに見えない状況が続く中でも、ルイを守らなければならない。ザギを捕獲し尋問することで、囚われの身である父ジルムの所在が分かる
筈。ルイをジルムに紹介するには、ルイを守ることが不可欠だ。アレンは静かな室内で1人考え続ける…。
 夜が明け、パーティーに取ってタリア=クスカ王国での実質的な初日が幕を開ける。
食堂でパーティー全員が初めて顔を合わせる。宿に入って休憩を選択したアレン、フィリア、リーナ、ルイはその日の晩は結局部屋から出なかった。フィリアと
リーナは混乱した生体リズムで食欲がわかず、アレンとルイは回復したものの部屋から出るタイミングが分からず、食事を選択したドルフィン、イアソン、
シーナ、クリスが戻った後に部屋で携帯食を摂ることで夕食を済ませた。大食らいではないし空腹でどうしようもないレベルではなかったから、携帯食で十分
だった。
 8人というパーティーの構成人数は、航海に使った船では極めて少人数だが、宿では大人数だ。テーブルも8人用などないため、4人ずつで分かれる。
窓側のテーブル席の出入り口に近い方にアレン、リーナ、イアソン、ルイ。その隣の席にフィリア、ドルフィン、シーナ、クリスが座り、昨夜休憩を選択した4人の
うちアレン、ルイ、フィリアが窓辺に座る。図式すると以下のような配置だ。
(窓)----------------------------------------
ルイ  □ アレン |クリス  □ フィリア
リーナ □ イアソン|ドルフィン□ シーナ 

(出入り口)
※□はテーブル、|はテーブル席の境界。ずれは容赦願いたい。
 何も手を出さないと混乱は目に見えているため、ドルフィンが決定した席配置だ。昨夜宿に入ってから会話をしていなかったアレンとルイには嬉しい席配置
だし、リーナへのアプローチ攻勢を再開したいイアソンにも嬉しい。
 アレンとルイは初めて食べる宿での食事や窓から見える景色をはじめ、今居る異国を話題に早速和やかな会話を始める。リーナは素っ気ない素振りだが、
食事が運ばれてくるまでの間から物理的な面は勿論、心理的な面も合わせてイアソンとどう向き合うか決めかねている様子がチラチラ顔を覗かせる。それを
見ながらイアソンは緩やかなアプローチを始める。やはり食卓に出された魚料理を、イアソンが丁寧に解してやる。リーナは嫌そうな顔をすることなく、
かと言って嬉しそうにする筈もなく、イアソンが解した魚料理を淡々と食べる。まだリーナの心を掴めていないが故のイアソンの会話を含めたアプローチは、
やや一方的に尽くしている感は否めないがこの先の展開に期待や関心を抱かせる雰囲気だ。
 初々しく爽やかで微笑ましくもあるアレン達のテーブル席の雰囲気に対して、その隣のテーブル席の雰囲気は悪い。正確にはフィリアが猛烈な殺気を伴う
オーラを噴出させているのだが、隣の席と比較してとても和やかな朝食の風景とは言えない。食卓を共にした歴史が長いドルフィンとシーナは別として、
防波堤のようにアレンとルイの前に配置されたクリスは、フィリアを見ないように食事を進めるしかない。それでもフィリアが発する強烈なオーラは語らずとも
伝わってくるから、クリスとしては意外なほど食の進みが鈍い。
 隣には魔術師最高峰のWizardであるシーナが居るし、斜め向かいには実質的なパーティーのリーダーでありWizardに次ぐ称号であるIllusionistである
ドルフィンが居るから、フィリアは食事を中断して隣の席に乗り込むわけにはいかない。フィリアの考え方やプライドも考慮してドルフィンは席配置を決めたの
だが、それがフィリアの殺気を伴うオーラを更に増幅させる結果にもなっている。向かいに配置されたクリスはたまったものではないが、人間が2人以上に
なれば協調が対立かの人間関係が始まるのは常だし、そこに男女という要素が加われば複雑化することは当然だということはクリスはよく理解しているから、
食べることに専念することで意識を逸らす。このような立ち回りが出来るからこそ、ドルフィンはクリスをフィリアの向かいに配置したのだ。

「朝と夜はちょっと涼しいね。」
「はい。熱帯夜になるのかな、と思ったんですけど。」

 隣の席から噴き上がり続ける強烈なオーラに気付かないのか無視しているのか、アレンとルイはゆったりした朝食の時間を楽しむ。
料理は気候と地形を反映して食材は魚介類が中心で、みじん切りされた赤い野菜−ジキ2)が出す辛みと酢の酸味を利かせた調味がなされている。
高温多湿で落ちやすい食欲を高め、食材の細菌増殖を抑えて食中毒を防止するための、食と一体化した生活の知恵だ。冷蔵庫がなく食材はその日市場に
出たものを使うしかなく、流通も機能が大幅に限られているこの世界では、気候や地形の違いが食事に大きく影響する。その分地域色や独自色が強く、
世界の広さを体感できる。
 主食がパンではなく米なのも高温多湿環境下にあるタリア=クスカ王国の特徴の1つだ。パンの材料である小麦は乾燥地域で作りやすく、対して米の生産
には潤沢な水が必要だ。熱帯地域らしいスコールを含めた豊富な雨はジャングルによって地下に緩やかに蓄積されると同時に濾過され、豊富な流量を誇り、
パーティーが滞在する首都キリカを東西に縦断するハリパン3)川になる。その潤沢な水と高温多湿の環境が育む米は、ランディブルド王国の米とは違い
水分が多めだ。我々の世界における日本の米に近い食感だ。最初はやや水っぽさを感じたものの、何度か噛むことで口に広がる旨みは「この国の米は
こういうもの」と順応を促す。
 窓から見えるのは、宿の花壇を挟んだ大通り。通りは商店街や飲食店が立ち並び、朝から活気に包まれている。この風景を見ていると、同じ南半球にある
ハルガンからの応答が途絶し、ハルガンからそれほど遠くないクルーシァがガルシア一派に制圧され、不気味な沈黙を保っていることが別世界の話のように
思える。

「ザギ…でしたよね?アレンさんのお父様を攫っている悪者の名前。」
「うん。この国に潜伏してるかどうかは分からないけど、可能性はあるね。」
「ランディブルド王国での一件から考えるに、ザギは甘言で権力欲や金銭欲に溺れた者に接近して、巧みに操る感があります。」
「それは…言えてるね。」
「権力や金銭の欲は強い理性がないと際限なく強まる性質を持ちます。それは残念ながら国王や貴族といった社会階級に付き纏うものです。その社会
階級の動きに注目すれば、ザギの陰謀を未然に防ぎ、アレンさんのお父様を救出できる見通しが立つかもしれません。」

 今までの傾向からしてザギやその手先が潜伏していれば、主にその国の支配層に何らかの動きがある。決して国民にとって良い方向ではないその動きを
いち早く察知すれば、ザギの居場所を掴める可能性もある。
 ザギの逃げ足は非常に速いが、逃げる前に居場所を掴めば急襲することで身柄を拘束できる可能性はある。ザギの戦闘力がそれほど高くないことは、
ルイを護衛してフィルに戻る隊列で遭遇した際に感じた。最初の対峙となったナルビアの王城では成すすべもなく嬲られたが、あの時より戦闘力が向上し
多くの心強い仲間も居る以上、一対一にこだわらなければ十分勝機はある。
 むしろ、一対一にこだわる方が愚かだ。1対多数の先頭を卑怯と言うなら、自らは表に出ずに他人を操り徹底的に利用し、用がなくなれば平気で切り捨てる
ザギもその誹りは免れない。手段を選んで負ければ話にならないのは戦闘では当たり前である。

「まずすべきはこの国の状況把握ってことになるね。ザギの行方を探るだけじゃなくて、ハルガンやクルーシァの動向を掴むためにも、情報収集は必須だね。」
「私もそう思います。この町は聖地ハルガンとの航路における最初の寄港先でもありますから、有効な情報を得られる可能性があります。」
「この町の人は、どの程度ハルガンとの航路とかを知ってるのかな。」
「聖地ハルガンへ向かう聖職者も、聖地ハルガンから王国に来る聖職者も、必ず休養やこの国に在住する聖職者との交流で半月ほど滞在しますから、
聖職者であれば何からの話や情報が聞けると思います。」
「言葉が違うからちょっと苦労しそうだけど、単語帳を片手に話せば何とかなるかな。」
「大丈夫ですよ。私もマクル語は片言程度しか話せませんから。」

 和やかな雰囲気での会話で、アレンとルイがすることは決まった。
ルイはまだ現役の聖職者だから、事前連絡なしで教会に出向いてもさほど相手に抵抗感を抱かせない。出航前のマクル語講習で配布された単語帳で
調べつつ基本的な文法に乗せれば、何とか話は通じる。加えてランディブルド王国とハルガンの共通言語であるフリシェ語が多少通じる可能性もある。
 まったく知らない言語でも、身振り手振りの所謂ボディランゲージで日常生活ならある程度対応出来るものだ。単語を並べるにしても全く当てずっぽうなら
兎も角、日本語で言うところの助詞を省いた単語を並べればそれなりに通じる。あとは積極性や相手と会話をしたいという姿勢の方がむしろ重要だ。何も
言わないのでは意志が伝わる筈がない。

「…いい気なもんね…!」

 アレンとルイの会話に聞き耳を研ぎ澄ませるフィリアは、自分が完全に眼中にないことが分かりフォークを噛み切りそうな勢いで噛み締める。目の前に
交際中の異性が居るのに、双方の関係に割って入ろうとする異性を出されて良い感情を持つ筈がないし、2人は寄港後初の会話が楽しみだったから
フィリアを話題に出す余地などないのだが、フィリアにしてみれば怒りを募らせるものでしかない。
 向かいに座るクリスは正直、こうも刺々しくてはアレンも関わりたくないだろうに、と思うが、今のフィリアに話が通じるとは思えないから黙って食事に専念する。
「食が人生」と公言するクリスが、これほど食事の時間が楽しくないと感じるのは初めてのこと。
 パーティーにとってはハルガンへの渡航やクルーシァとの対峙より、アレンとルイを取り巻く人間関係の方が大きく困難な課題であるのかもしれない…。
 パーティーに微妙な影を落とす朝食の後、早速パーティーは街に繰り出す。と言っても勿論観光ではないから役割を分担しての別行動になる。物資の
購入と交渉をドルフィン、フィリア、イアソン、クリス。主に聖職者からの情報収集をアレン、リーナ、シーナ、ルイが行う。交渉事に長けていたり口が達者な
タイプが前者で、長時間の地道な取り組みが得意なタイプが後者に配置されている。人選はやはりドルフィンが行ったもので、夕暮れまでに結果を持ち
寄って宿に戻ること以外は、途中の食事や休憩、散策などは自由とされた。これまた個人の性格や傾向を把握した人選だが、またしてもアレンとルイが同じと
なって自分は引き離されたフィリアは憤懣やる方ない。だが、まさかドルフィンに不満をぶつけるわけにもいかず、フィリアは際限なく怒りと不満を募らせる。
 イアソンとクリス同様、ドルフィンもアレンとルイの仲にフィリアが割って入る余地はほぼないと見ている。ルイと出逢うまでのアレンは明らかにフィリアを異性と
して認識していなかった。認識があったとしても幼馴染の範疇であり、特別な存在に至る様子はなかった。少女的な外見からのコンプレックスに苛まれ、
フィリアやリーナに異性としての関心を向ける様子もなく、このままコンプレックスの殻に閉じこもり続けるのかと思いきや、久しぶりに顔を合わせた時には
自分と初対面のルイが息も絶え絶えのアレンを何としても守るとばかりに自分でも破れる自信がないプロテクションで防御しつつ、しっかりアレンを抱きしめて
いた。「なるほど。これがアレンの彼女候補か」とドルフィンが認識するのは当然だろう。

 シーナからは先んじて、アレンが滞在先のホテルで一目惚れした彼女を殺そうとした不届きな輩の背後関係を知りたくてうずうずしている、とは聞いて
いたが、半分はシーナの茶化しだろうと思っていた。しかし、リルバン家に手術と療養のために搬送されたアレンを、ヒールが使えることで内部からの治療を
行えるとシーナが判断したとはいえ付きっきりで看護し、予想を大幅に上回る速さで全快させるに至る過程を見聞きして、アレンの心は完全にルイが掌握し、
ルイの心もアレンが完全に掌握したと見た。
 事実、フォンとの和解交渉は実現すらおぼつかず、フォンに対する強硬な態度は全くと言って良いほど変わらなかったが、アレンの口添えを受けたことで
指輪は戻り、ハルガンからの帰還までリルバン家との関係をどうするかの結論は先送りするとした。フォンがルイと和解出来る可能性があるとすれば、それは
リルバン家に入家してもアレンと交際を続けられるという保障が得られた場合であり、アレンもリルバン家に迎えることを視野に入れずしてルイとの和解の
可能性はないと考えた方が良い、とフォンに見解を示している。それだけルイに対するアレンの影響力は唯一かつ絶大であり、異性と接するにはあまりにも
鈍感で無頓着な面もあったアレンがそこまで入れ込むルイの影響力は唯一無比である。

 そういった特別で強固な感情が噛み合っているのもあるが、相互に理解と尊重を重視する姿勢で一致しているのも、アレンとルイの仲に介入の余地がないと
感じさせる要因だ。
 長年の強固なコンプレックスを克服したとは言え、アレンは自らが先導していくタイプではない。女性の意見を取り入れないと男女差別や女性蔑視を叫ぶ
一方で、男性が共同歩調を取ることを優先すると、「頼りがいがない」とネガティブな見方をする女性は多い。意見の一致や話し合いを重視する男性を所謂
「草食系男子」と揶揄する一方で、先導するタイプを「肉食系男子」と持て囃すのが端的な例だ。
 フィリアは男性に先導を求めるタイプだが、ルイは共同歩調を求めるタイプだから、アレンの姿勢はフィリアを苛立たせるリスクを生じるが、ルイは自分を
理解し尊重してくれる、と好印象を抱く。ルイがクリスにも話さなかった自らの出生の秘密やオーディション本選に出場した本当の理由をアレンに明かした
のは、2人でほぼ終日台所に籠ることで思考や価値観の照合や認識を深め、アレンには話しても見る目が変わったりしない、と確信したからだ。
 それは事実だったし、以降も常にルイの心境を把握し重視する姿勢を堅持しているから、ルイはアレンへの好印象をより強める。相互に認識や方針が一致
して文字どおり二人三脚で進むことが加速さえしているから、フィリアが介入しようとしても弾き出されるのがオチだ。
 これを契機に文字どおりアレンの幼馴染に徹する方がフィリアに取っても望ましいと思うが、やはり言っても拒絶するだけだろうからドルフィンは言わない。

「イアソン。調達する物資はリストアップしてあるか?」
「勿論です。」

 アレンとルイとフィリアに関する考察を終えたドルフィンの問に、イアソンは即答する。イアソンが懐から取り出した羊皮紙には、向こう1カ月分の必要物資の
名称と量が一覧表として列挙されている。

「水はこの町を流れるハリパン川から汲めば無料です。食料品は地域性を反映して魚介類が中心ですね。保存が効きそうな硬い殻を持つ果物類や豆、
芋類もありますが、米が割安なようです。」
「給水は後でも良いだろう。値段が変動しやすい食糧、特に収穫時期がある農産物を優先して購入するか。」
「はい。この通り全体が市場らしいので、順次巡っていきましょう。」

 物資調達グループの方針が固まる。
市場はこの町−キリカの主要な物資調達場所らしく、出店数も客も多い。特に魚介類は水揚げされたばかりのものが並ぶため、新鮮さには事欠かない。
比較的早い時間帯に関わらず、多くの客が新鮮な食材を安く買おうと店を回り、交渉に臨むため、市場の賑わいはピークに達している。
 調達は最もマクル語が堪能なイアソンが主体になる。値段を聞くと−ものの名前と数や重さは札に書いてあるが値段は書かれていない−最初はやや高い
値段を言われる。そこでそのまま買うと店側がぼろ儲けとなる。だが、イアソンは価格交渉が前提となる購入は慣れたもの。こんな安い値段だと店側が赤字
間違いなしという額を提示する。双方のスタートラインが出たところで交渉開始。交渉の結果、店側が妥結するか客側が妥結するか、或いは交渉決裂となって
客が別の店にするかは交渉次第だが、イアソンだと店側の妥結でかなり安い価格で買える−勿論、その値段でも店はきちんと利益が出る−。
 言葉が使い慣れなくても、言葉は道具でありその場で相手の意思を感じ取り自分の意思を伝えるために最低限必要な単語と文法さえ分かればとりあえず
使えるという観点に立ち、実際にコミュニケーションを取ろうという姿勢で使えば日常生活ではほぼ問題ない。専門分野でも質疑応答や意見交換では、
単語がその分野で必須であるものを知らなければ会話にならないことと、分野独特の言い回しがあること−それも会話における致命傷にはならない−に注意
すれば、文法はむしろ平易なものだけ知っていれば十分であり、単語を知っていることと、当然ながら分野や自分の業務などを熟知していることの方が
重要だ。
 言語能力はTOEICの点数のみで測れると思いこんでいる昨今のグローバル指向の企業が、いざTOEICが好成績の学生を採用しても英語が使えないと嘆く
のは完全に誤りである。TOEICの成績=英語力と思いこんでいる企業のトップの英語力がいかほどかは不明だが、そのような企業は多くの場合企業トップの
視野や方針が極めて近視眼的であり、大量採用した社員を酷使してのし上がってくることを期待する、ある意味人海戦術的な人材養成を進めていることが
共通している。
 企業側の求める「英語が堪能で仕事もそつなくこなす」学生などごくわずかであり、「英語が堪能で仕事もそつなくこなす」社員を求めるなら、先鋭化し続ける
新卒至上主義を即刻誤りとして中途採用への門戸を大きく開放するのが筋だ。大学などもいい加減企業が求める人材を教育方針に据えることの愚かさに
気付かなければ、企業の方針に教育が振り回され、その被害はまず学生に及ぶことを認識すべきだ。

「フィリア。これ食べてみぃ。」

 不機嫌そのものの様子で押し黙っていたフィリアに、クリスが貝の身が複数串に刺さって焼かれたものを差し出す。

「…何よ、これ。」
ギジュ4)の串焼きやて。貝が平気ならいけるで。」

 香ばしい匂いに惹かれたフィリアは黙ってクリスからギジュの串焼きを取り、先端の1つを食べる。少し焦げた匂いと塩のシンプルな味付けと、表面が少し
硬いが中身はコリコリした貝ならではの食感と少し強めの磯の匂いが絡み合っている。

「こういう食べ物があると、酒が欲しくなるなぁ。流石に今は呑めへんけど。」
「…元気ね、あんた。」
「こういう機会でもないと赤道越えた先の国の食べ物なんて食べられへんでなー。交渉や調達はドルフィンさんとイアソンに任せとけば安泰なんやし、
楽しまんと損や。」

 事実、交渉はイアソンが主体となり、時にドルフィンが情報収集を兼ねて尋ねる形で進んでいく。その2人は「腹が減っては戦は出来ぬ」と交渉先の店先に
ある手軽な食品−我々の世界におけるファーストフードのようなものを買って食べている。クリスが差し出したギジュの串焼きもその1つで、魚介類を材料に
した店頭の食品ではグロテスクさが少ないため、フィリアにも買われたものだ。

「朗らかな方がええで。」

 フィリアが半分ほどギジュの串焼きを食べたところで、クリスが言う。

「眉間に皺が寄っとる女には、男は近づきたくあらへんもんや。ニコニコしとる方が印象がええ。」
「…今の状況でそんな呑気なこと…。」
「こういう状況やからこそ、やで。ルイが普段アレン君にどう接しとるか、考えてみぃ。」

 フィリアは一瞬強い拒絶反応を起こすが、これまでアレンと一緒に居る時に見かけたルイの様子を思い返す。アレンを見るルイは、常に瞳も表情も輝いて
いる。アレンを見ることもアレンの声を聞くことも兎に角嬉しくて楽しくて仕方がないといった様子だ。交際を始めてまだ日が浅いことを差し引いても、アレンとの
触れ合いを心底楽しんでいるし、そんな自分が幸せで仕方ない雰囲気を惜しみなく出している。
 フィリアには自慢としか映らないルイの様子を、アレンを自分に置き換えてみればどう映るだろう?その上で今の自分と比較すれば、アレンはどう思う
だろう?客観的に見れば、アレンはルイの方に行きたくなるだろう。認めたくないことだが、客観的な視点に徹すればそう考えざるを得ない。

「アレン君と接しとる時のルイは、『アレン君好き好き大好きオーラ』が出とる。アレン君かて、そんなオーラ出されてニコニコ迎えられたら、またルイを見たい、
ルイと話したいて思うわ。そんなルイと今のフィリアを見比べたら、アレン君はどっちに行きたいと思うか、そんくらいフィリアなら分かるやろ?」
「…。」
「ランディブルド王国には『笑顔は天使を呼び寄せる』5)っちゅう諺もあるんよ。アレン君にしがみつかんで6)、何か楽しいこと探すんも1つやな。フィリアが
楽しそうにしとったら、アレン君も遠ざかる一方にはならんやろし、アレン君以外にええ男がフィリアに言い寄ってくるかもしれへん。」
「…あんた、どっちの味方なの?」
「敵味方っちゅうより、ルイを応援する方やな。ルイとは長い付き合いやし、長い間辛い時代を懸命に生きて来たルイに幸せになって欲しいし、ルイの相手に
相応しいんはアレン君やと思とる。」
「…。」
「せやけど、ルイとアレン君の付き合いに手ぇ出すつもりはあらへん。2人がどうやって仲を深めてくか、これから先どうしてくか、それは2人で決めることやし、
その結果もしかしたら別れることになるかもしれへん。あたしはルイやアレン君の相談には乗るし、必要なら話し合いの仲裁とかはするけど、無理にくっつけ
ようとか正当な形での第三者の参入を排除したりとかはせんつもりや。前にフィリアにきついこと言うたんは、そういう立場からのつもりで言うたんであって、
フィリアがアレン君とくっつくんを阻止しようっちゅう意図があってのことやないよ。」

 相変わらず飄々とした物言いだが、確かにクリスの立場は一貫している。
クリスは出航前のイアソンを含めた飲み会でフィリアの問題点を厳しく指摘したが、その対象はルイが身体を餌にしてアレンを誑(たぶら)かしたと思いこんで
いるフィリアの認識の誤りであり、フィリアがアレンに近づくのは許さないという観点ではなかった。
 クリスがヘブル村に居た頃ルイに言い寄ろうとする男性を徹底的に排除したのは、かつてルイを迫害・差別しておきながらルイの出世と成長で態度を180度
転換し、ルイに便乗して富や名誉を得ようとする汚い性根が許せなかったためである。フィリアが堂々とルイに宣戦布告し、争奪戦の結果アレンがフィリアを
選んだなら、それはそれで止むを得ないと考えている。

「それに、一緒に旅しとんのにギスギスした雰囲気なんは敵わんでな。折角の食事が楽しぃないんは、あたしには堪らんよ。」
「誰もがあんたみたいな考え方が出来れば、世の中平和でしょうね…。」
「それが出来んから色々起こるんやし、時には戦争になる。せやけど、戦争になりそうなら早い目に手ぇ打てば止めることも出来る。今あたし達はそういうことを
しようとしとるんやで。フィリアも栄えあるパーティーの一員なんやから、元気出しぃ。」

 クリスはそう言うと、もう1本持っていたギジュの串焼きをフィリアに手渡して再び前を向く。トレードマークのポニーテールが頭の動きに追従して軽快に
揺れる。
 一見何も考えていないようで、何も知らないようで、実は人間関係を深い部分や裏の部分まで見通し、人生経験なくして知らないようなことまで知っている。
 思えばクリスも幼い頃からルイの味方に徹したことで、ルイに準じる辛酸を舐めて来た筈。だが、底抜けに明るくて元気で前向きだ。ただ能天気なわけでは
ない、腕力だけでは測れない強さを秘めている。その根底にあるのはクリス自身が言った「笑顔は天使を呼び寄せる」だろうか。
 アレンを吹っ切る気はない。悉く正論のクリスの言葉を血肉に変えて行けば、アレンを奪還出来るかもしれない。フィリアは残りを食べながらそう思う…。

用語解説 −Explanation of terms−

2)ジキ:我々の世界における唐辛子に似た1年草。大きさは大人の親指くらい。中身の種は非常に硬くて食用は不可能で、ピーマンのような外郭を刻んで食用にする。

3)ハリパン:マクル語で「豊潤な」を意味する。トナル大陸南部有数の巨大河川。

4)ギジュ:直径8セムくらいの汽水域生息のの2枚貝。串焼きは5個くらいのギジュを串に通して塩をまぶして焼いたもの。

5)『笑顔は天使を呼び寄せる』:我々の世界における「笑う門には福来る」と同意。

6)しがみつかんで:「しがみつかないで」と同じ。方言の1つ。

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