Saint Guardians

Scene 10 Act 1-3 旅路-Journey- 漂い始める暗雲、迫り来る危機

written by Moonstone

 地平線の向こうに微かに異なる地形が見える、広大なランディブルド王国の草原を2匹のドルゴが北に向かって疾走している。南天に達しつつある夏の
日差しは強まる一方だが、我々の世界では自動車や大型バイクなど毎時数十kmで走行する乗り物に相当するドルゴに乗って走れば、空気を素早く切る
ことで生じる風が火照った肌を素早く冷却する。
 高い壁で囲まれた町や村という閉鎖空間での生息を基本とする種族に過ぎない人間。閉鎖空間を結ぶ空間は頻繁な陸上輸送が行われることで踏み固め
られて自然生成された道路以外、人間が魔物と称する多数の種族にも開かれた広大な自然を含むそのままの自然だ。先を走るドルゴはルイが操縦し、
クリスがその後ろに乗っている。ルイは時折手綱を握る両手の右側のある部分に視線を向ける。弾んでいる表情からは鼻歌が聞こえてきそうだ。

「ルイ〜。真っ直ぐ前見て運転しぃや5)〜。」

 背後からの茶化しで、丁度視線を右手のある部分に向けていたルイは我に返り、一瞬狼狽して辺りをきょろきょろ見回す。転落しないようにルイの腰に
両腕を回しているクリスは、図星だったと察してにやけながら小さい溜息を吐く。
 ルイが時折視線を向ける右手の薬指には、小さい銀色の輝きを生む指輪が填っている。アレンがラムザの町で資金を前借する形で購入した指輪の
片割れだ。ランディブルド王国において右手薬指に指輪を填めることは交際相手が居ることを示す。それだけでも大きな位置づけだが、指輪の裏側には
それを贈る相手と贈られる相手の名前が刻印されている。ルイの指輪には「アレンからルイへ」というように。カモフラージュや見栄ではなく、交際相手の
存在とその真剣な想いを裏付ける決定的な証だ。
 文字列の刻印のため予定より1日余分に滞在したラムザの町の宿の一室で、指輪の交換が行われた。
立会人と称するクリスの見物の下、まず照れくささで白い頬を真紅に染めたアレンがケースに入った出来たての指輪を見せてルイの右手を取って指輪を
填めた。次に感激を溢れさせるルイがアレンの右手を取って指輪を填めた。
 ランディブルド王国でも結婚式以外では指輪の交換に決まった段取りはない。アレンとルイの指輪の交換もその場の流れと2人の感情に任せたもので
時間はごく短く、双方かなりぎこちないものだった。しかし、交換終了後にルイがアレンに向けた幸福感と感激に満ちた笑顔と感謝の言葉、それを見て
安堵と幸福感を沸き立たせたアレンの微笑みは、見る者の心を温かくするものだった。交換後から隙を見ては2人を冷やかしているクリスは、純粋で強い
2人の想いが駆け引きなしに向き合い重なった1つの瞬間に立ち会えたことを誇りにすら思っている。

 ヘブル村に向かう一行の針路は順調そのもので、昼夜問わず襲撃の危機に晒されたルイとクリスの往路とは正反対だ。森林や山地よりずっと少ないとは
言え魔物との遭遇すら殆どないことはアレンに穿った見方をさせることもあるが、平穏無事に北上の旅路を進めることに異論はない。
 ルイとクリスが乗るドルゴの後ろを走るアレンは、右手薬指に填っている指輪に視線を向け、微笑を浮かべる。
異性に指輪を贈ったり異性に指輪を填めてもらうことなど、アレンは遠い将来にあるかどうかのことだと思っていた。何より自分を男と認めてもらうために剣を
揮(ふる)い、魔物と対峙してきたが、空振りに終わるばかりかより玩具扱いされることになることさえあった。指輪の交換の前提にある異性との交際が遠く
霞み、半ば見えなくなっていたところに、自分を男と認め、頼ってもくれるルイとめぐり合い、あれよあれよという間に指輪の交換に至った。
 自分が贈った指輪を填めた右手を愛しそうに見つめ、感謝の言葉を感激溢れる満面の笑顔で発したルイの想いに応えられる男であろうと、アレンは決意を
新たにする・・・。
 アレン達はピリスの町に入った。ピリスの町はやや東西方向に長い正方形といえるランディブルド王国の領土でほぼ中央部に位置する。
北から流れてくるナンディ川6)がこの町で進路を西に切り替えて海に通じる。アレンがパーティの面々とランディブルド王国に入った最初の町であるパンは、
丁度ナンディ川の出口に位置する。ナンディ川を町の中央に置く此処もまだシェンデラルド王国からの悪魔崇拝者集団の侵食からは遠い。町の風景は
シルバーカーニバルで賑やかに彩られている。
 プラカード・インフォメーションで選んだ宿に入ったアレン達は、今までと自分を取り巻く雰囲気が微妙に異なってきているように思う。視線を感じるのだ。
欲望が混じった好奇の視線を。
 人の噂が伝播する速度は風邪より速い。とりわけ今は感謝祭や聖誕祭と並んで人の出入りが激しくなるシルバーカーニバルの最中だ。観光客や町村を
行き来する商人などを通じて、フォンの一人娘にして事実上のリルバン家後継者であるルイが、護衛2名を伴っただけで首都フィルを出ているという情報が
拡散してきていても不思議ではない。アレン達は自衛策として宿帳に偽名を記載したが、どの程度誤魔化せるか怪しい。

「買い物はあたしがしてくるわー。ゆっくりしとりー7)。」

 何時もの口調で2人を冷やかして部屋を出たクリスは、ドアを閉めたところで表情を引き締める。自分たちを取り巻く雰囲気の変化は、クリスが最も敏感に
感じ取っている。衛魔術による防御手段を持つものの戦闘力は低いルイをヘブル村からフィルまで魔物以上に凶悪な兵士達から護ってきたクリスは、自らの
身体を武器防具として戦うという特質や幼い頃からルイを護り続けてきた経験と実績もあって、自分に向けられる邪な意思や攻撃の気配を敏感に察知
出来る。
 剣の腕は確かで戦闘力は総じて高い方のアレンが居れば、ルイに襲い掛かる危険はかなり防げる。最も狙われる可能性が高いルイは、アレンに護られて
いると実感出来る現状なら衛魔術の威力は大幅に高まる。何処から何が迫ってくるか分からない屋外より、窓と出入り口のドア以外に正当な進入場所がない
部屋の方が安全性は高い。危険が俄かに高まってきた現在、相乗効果を期待するのも兼ねてアレンとルイを極力外に出さないことが得策だ。

「しょうもない奴らや・・・。」

 宿を出て商店街に向かうクリスは険しい表情で一人ごちる。新たな望の目がルイに向けられ始めていることが、クリスには腹立たしくてならない。
物心つく前からバライ族の私生児ということで激しい迫害を受けたルイが聖職者として地位と実績を高めるにつれ、ルイを殊更敵視・蔑視していた者は態度を
180度変えていった。村では20数年ぶりの司教補輩出と最年少記録を大幅更新する中央教会祭祀部長就任で、ルイへの敵視・蔑視は完全に消滅した。
その代わりにルイに向けられるようになったのが、ルイを我が物にすることで箔付けを狙う欲望だ。
 村では最早知らないものは居ない存在となり、教会関係者でなくてもルイの聖職者としての実績や将来性は毎回押し寄せる異動要請の津波を見聞きして
周知の事実となっている。そのルイは15歳だから未婚、しかも交際相手が居ないどころか男の影も気配もないときている。ルイを自分若しくは息子の妻と
すれば、村での知名度や存在感は飛躍的に上昇するし、ルイの異動要請にかこつけてより豊かな生活や更なる富が期待出来る大きな町村への転居も
労せず可能となる。富に飢える二等三等貴族やその座を狙う豪農や大商人がルイを狙わない筈がない。
 かつてはルイを人間扱いすらしなかったのに、ルイが地位と名声を高めていくと拳を揉み手に変えて擦り寄ってくる様が、クリスには我慢ならない。
ルイへのアプローチの動きを感知する度、クリスは鎮圧に動いてきた。それが二等三等貴族など富裕層であればより確実に、より入念に、時に実力を行使して
叩き潰してきた。クリスの鎮圧活動は水面下で行われてきたため、ルイの知るところとはならなかった。
 ルイはシルバーローズ・オーディションへの出場を機に広大とは言え人口は少なく閉鎖性が強い村から出て、アレンと出逢って両思いとなり、交際相手が
居ることを明示する右手薬指の指輪の交換に至った。アレンは遠い異国から訪れた外国人だ。ルイに纏わりついてきた民族差別と無関係だし、当人にも
そんな意識はない。ルイに便乗して富の拡大を狙う意図とも無縁だ。それまで男性との交際に何らの興味も示さなかったルイがいともあっさりアレンに
惚れ込んだのは、恋愛やそれに伴う生臭い人間関係に疎いのもあるし、アレンにそういった意思がなかったこともあるだろう。「オーラ」と俗に言われる
本人の意思や意図は、本人が気づかなくても他人には感じ取れるものだ。
 ルイが民族差別や欲望といったしがらみから脱して、やはり純粋な想いを抱くアレンとカップルになれた。幾多の苦難や悲哀を乗り越えてようやくルイが得た
1つの大きなかけがえのない幸せを妨害するような動きを、クリスは絶対に許せない。

「クリス・キャリエール・・・だな?」

 日用品店で薪を買い込んだクリスに、中年の国軍兵士が声をかける。

「何やねん、あんた達。ナンパなら他当たりな。あたし興味あらへん。」
「おい、貴様!」
「祭り中やでー。捕り物したいんなら他所でしぃや。」

 中年の国軍兵士の後ろに控えていた若い国軍兵士が制止しようとするが、クリスは一瞥すらせずに無視を決め込む。

「おのれ、生意気な・・・!階級章くらい見えるだろうに・・・!」
「野良上がりの佐官の小娘ならでは、とも言えますな・・・。」
「焦るでない。」

 若い兵士は苦々しげにクリスの後姿を見つめる。クリスに武器を向けそうな血気盛んな若い兵士達を、中年の兵士が制する。

「情報どおりで本人確認が出来たというもの。追跡を続行するぞ。」
「了解しました。」

 兵士達は人ごみに隠れながらクリスを尾行する。薪をぶら下げているとは言え身軽なクリスに対し、鎧に身を包んで武器を持つ兵士は、祭りの混雑の中を
移動するにはハンディが大きい。つかず離れずのつもりが、クリスを捉え続けるのがやっとという有様になる。クリスはそれを知ってか知らずか気ままに
店に立ち寄り、商品を選んだり購入したりする。行動が予測し難い上に装備のハンディがあり、兵士達は完全にクリスに振り回される格好だ。
 強い日差しに晒されて悪戦苦闘する兵士達を他所に、クリスは買出しを済ませて宿に戻る。兵士達はクリスが入った宿の場所と名称を確認する。暑さと
人ごみとクリスの気ままな行動に翻弄されながらも尾行をまかれなかったのはたいしたものと言うべきところだろう。
 宿に入ったクリスは廊下を進んで階段を上り、真っ直ぐ部屋に向かう。宿には食堂があるしそこで酒も呑めるのだが、今のクリスを誘惑するには至らない。

「おかえり。」
「ただいまー。ようけ買うて来たでー。」

 ノックの後、応答に続いて少し慎重な様子で開いたドアからアレンが顔を見せると、クリスの表情は能天気とも言える明るいものに戻る−変化すると
言うべきか。
 クリスを迎え入れたドアは静かに閉じられる。部屋からは買出しを介した町の様子やアレンとルイの2人きりに対する冷やかしなどが微かに聞こえるが、
クリスに接触を図った兵士達の存在は欠片も出ない・・・。
 その日の夜。クリスは食堂のカウンター席でカーム酒が並々と注がれたグラスを傾ける。シルバーカーニバル真っ最中、しかもナンディ川を中央に据えた
特色ある街づくりから内外の観光客を集めやすい町の宿だからアレン達以外の客は居るが、様々な酒やカジノが楽しめる大きな酒場は別にあるため、
飲みたい客はそちらに流れている。
 クリスは様々な呑み方が出来るが、気心の知れた少人数での飲み会を好む。年齢としては飲酒出来るようになってまだ間もないこと−大酒飲みだが
クリスはランディブルド王国における成人年齢である18歳−、村で酒を酌み交わす同年代の友人が皆無に等しいことが要因となっている。同行のアレンと
ルイは未成年だし、2人はカップルとなってまだ間もない。指輪を交換したことでより親密になりたいだろうし、その場になる部屋に酒を飲んでいなくても
居座るのは野暮だということくらい、クリスには分かる。

「イアソン、どないしとるんやろなー。」

 氷が浮かぶグラスを揺らして、クリスはフィルで出来た友人であるイアソンを思う。
アレンも構成要因の1人である異国から来たパーティーはどういうわけか女性が多い。ドルフィンと並んでパーティーを牽引する位置づけにあるシーナは酒を
苦手とするし、ドルフィンと婚約している幸せにどっぷり浸っているから酒の席に呼び難い。更にドルフィンを父とすればシーナは母という位置づけなのを
感じる。パーティーの面々を見ていてもそれは感じるし、シーナ自身呑んで騒ぐタイプとはとても言えない。
 同年代の同性ではフィリアとリーナが居るが、フィリアはアレン争奪戦で敗色濃厚になってきたのを感じてか、リルバン家に拠点を移してからは呑むと
アレンに対する愚痴やルイに対する恨み節を垂れ流す傾向が強まり、宥めるのに手を焼く。リーナは酒にまったく関心を示さないし、そもそも必要以上に
他人と接するのを避ける。
 そんな中、同年代のイアソンとはすんなり打ち解けられた。イアソンもやはりランディブルド王国の民族差別をはじめとするしがらみとは無縁で、そういった
ものに染まろうとしない賢明さを持つ。陽気で気さくな上、幅広い知識を背景にした話は聞いているだけでも楽しい。イアソンの恋愛相談も肴にして
リルバン家の酒蔵を危機に陥れるほど連日酒の席を共にしたことで、クリスは久しぶりに友人というものを増やしたと感じていた。
 その友人は今、内情がまったく分からない隣国シェンデラルド王国に潜入を試みている。イアソンへの恋愛の情はないが、生還して再び呑めることを願って
止まない。

「『イアソン』とはお客さんのコレですか?」
「あー、そんな大層なもんやあらへんよ。友達や。」

 グラスを磨いていた料理長8)が左手親指を立てて−男性の交際相手を暗喩するジェスチャー−軽く突っ込むが、クリスはさらりとかわしてグラスを傾ける。
料理長はグラスをカーム酒のボトルに持ち替え、空になったクリスのグラスに注ぐ。

「ありがと。しっかと9)聞いとんなぁ。」
「客は僕の目の前に居る貴女だけですからね。」
「ナンパしても無駄やで?」
「ご安心を。」

 ランプが照らす落ち着いた空間で、クリスは1人グラスを傾ける。自分達を取り巻く雰囲気の嫌な方向への変化を感じ始め、買出しの際には国軍兵士から
接触が図られた。幸福に浸りたいルイを利己的な欲望の手から護るため神経を尖らせているクリスは、寛ぎのひと時に心を預ける。
 食堂に1つの人影が入ってくる。料理長は歓迎の挨拶をして新たな客の様子を窺う。客は全て空席のテーブル席には見向きもせず、カウンターに一直線に
向かってくる。そしてクリスの左側に1人分の席を空けて座る。クリスは新たな客に視線を一度だけ向け、無関心を装う。
新たな客はハーフプレートに換装しているが、紛れもなく買出し途中のクリスを呼び止めた中年の国軍兵士だ。料理長は左胸の位置に刻印された階級章を
見て、やや緊張した面持ちで注文を取る。国軍兵士はボルデー酒を頼み、少しして出されたグラスを手に取ってクリスに視線を向ける。

「若い娘が1人酒とはいささか奇妙だな。」
「人の呑み方にケチつけるんは無粋っちゅうもんやで。・・・中佐殿。」
「見えていたか。」
「外では無理と踏んで、後つけて酒の席でのナンパに切り替えたんか。」
「そんなところだ。若い衆を引き連れてでは気に召さない様子だったのでな。」

 会話は中年の国軍兵士−中佐の様子見をクリスがかわすものだが、食堂の空気は一挙に張り詰めたものになる。料理長は緊迫感を敏感に察して、2人の
会話を黙って見守る。

「・・・で、何の用や?」

 暫しの沈黙の後、クリスが何時もの口調で会話を切り出す。

「言わずともおおよそ分かっていると思うが?」
「まあな。それやったらお断りとだけ言うとく。」

 クリスは中佐の暗喩の裏側にある提案をあっさり却下する。
クリスに接触を図る中佐を筆頭とする国軍兵士はルイの護衛を命令されたピリスの町の駐留国軍だ。一等貴族アルテル家当主カティスからの指示を受けた
国軍幹部会は緊急に対策を協議し、予想されるアレン達の進路上にある町村の駐留国軍にアレン達の捕捉と身辺警備を命じる伝令を送った。命令には
目立つ形態を慎むことが含まれている。カティスを介して国軍幹部会が把握しているルイの家族関係は極めて鋭敏且つ微妙な状況だ。ルイの心情を害して
ルイのリルバン家からの離脱や絶縁を生じさせてはならないと判断し、身辺警備を行う際は目立つ形態を避けるよう併せて命令している。
 現場で遂行する駐留国軍には難しい命令だ。アレン達の進路上に位置する町村は何れもシルバーカーニバルで賑わっている。既にシルバーローズ・
オーディション本選にも出場したルイがフォンの1人娘であり、事実上のリルバン家後継者でもあるという噂の拡散を把握している。ルイはまさに溢れん
ばかりの大金を背負った巨大な金塊だ。噂の拡散に歯止めは効かない。ルイに何かあってからでは遅いから確実に護衛、例えば町村での滞在中は駐留
国軍の詰め所に移動させるなど外部の接触を完全に絶つといった対策が急務だが、ルイとフォンの危うく脆い関係を刺激しないように身辺警備や護衛を
するのはそれなりの装備で固めている国軍にはなかなか難しい。

「こちらの事情もある。」
「そんなもん、言われんでも分かっとる。」
「ならば速やかに再考されたい。」
「再考してもお断りとしか言いようがあらへん。」
「何故だ?」
「ルイの邪魔したぁないからや。」

 焦りと苛立ちが混じってきた中佐に対し、クリスは悠然とグラスを軽く揺らして、酒の海に浮かぶ氷を眺めながら言う。

「今、ルイは初めて自分のこと考えとるんや。ずっと辛い目や痛い目や悲しい目に遭うてきて、踏まれて蹴られて蔑まれて罵られて、それでも歯ぁ食い
しばって生きてきてようやく勝ち取った時間や。それを邪魔したぁない。」
「ルイ嬢は最早一村の聖職者ではない。」
「それを決めるんはルイや。あたしにもあんた達にも、フォンさんにも教会にも国王陛下にも、誰にもルイを邪魔する資格はあらへん。」
「ルイ嬢に万が一のことがあれば国家の一大事だということくらい、国民なら分かるだろう。しかも、何処の馬の骨とも知れぬ輩と」
「そこまでや。」

 あくまでルイの意志を尊重すると譲らないクリスに業を煮やして語気を強めた中佐の言葉を、クリスが強い調子で制する。中佐に向けた顔は怒りに満ち、
並々ならぬ殺気を漂わせている。それまで飄々としていたクリスの豹変振りに、中佐も成り行きを見守っていた料理長も驚きを隠せない。

「幹部会からどういう情報聞いとるんか知らんけどな・・・、アレン君はルイのたった1人の騎士や。アレン君以外の男にルイを護る、否、傍に居る資格は
あらへん。ルイが自分で見初めて選んだたった1人の騎士は、一本ぶっとい芯の通った強い男や。ルイが初めて心を許した男に間違いはあらへん。」
「・・・。」
「そのアレン君に難癖つけてルイから引き剥がそうっちゅうんは、ルイの心を踏みにじるんと同じや。そないなこと・・・あたしは絶対許さへんで。」

 クリスが発する怒気は猛獣をも容易く怯ませる勢いだ。中佐は今のクリスと戦っても良くて差し違え、最悪鎧ごと潰されると感じる。
ルイを今の宿から駐留国軍の詰め所に移動させたいなら、部下の兵士達ではなすすべなく返り討ちを食らうのが目に見えるクリスを倒し、更にルイ専属の
騎士であるアレンを倒さなければならない。駐留国軍を総動員してもどれだけの犠牲が出るか分からない危険極まりない賭けに踏み込むことに、中佐の
本能が強い警告を発する。これ以上踏み込めば待ち受けるのは「死」だと。
 中佐は高ぶった気持ちと、そして恐怖を鎮めるためにボルデー酒を呷る。

「・・・既に首都からの噂や情報はこの町にも入っている。ルイ嬢の安全を考慮するなら、今後の帰路では宿に泊まることもままならんぞ?」
「それを見越して薪やらランプの油やら買い込んだんや。野宿は行きの道でもしてきたし、不自由はあらへん。」
「・・・何かあってからでは遅いのだぞ?」
「しつこいんは嫌いや。酒が不味ぅなる。行きぃ。」

 これ以上の問答は無用と、クリスは低い声で宣告する。中佐は苦い表情で深い溜息を吐き、席を立つ。代金を投げ出すようにカウンターに置いて立ち去る
中佐を、クリスは一瞥すらしない。
 姿も足音も完全に消えたところで、クリスから怒りや殺気の類が消える。痕跡すら残さない変貌振りにそれまで息を呑んでいた料理長は脱力し、危うく
グラスを落としそうになる。

「客放置して潰れたら駄目やで?」
「呑んではいませんが・・・、いやはや、たいしたもんですなぁ。」
「何か美味いつまみあらへんか?地の物で。」
「地の物ですか・・・。ギンジがお勧めですね。鶏の腿肉を塩とハーブに漬け込んだものを網焼きするものです。」
「鶏肉の網焼きか・・・。美味そうやな。それ頂戴。」
「かしこまりました。」

 料理長はグラスを置いて使い慣れた包丁を握り、棚から密封された箱を取り出して蓋を開ける。味をつけることが目的だがハーブというだけあって匂いは
普通の食材より際立っている。料理長は網に油を塗り、そこに平たい鶏肉を2切れ並べて竈に入れる。クリスは頬杖をついいて料理長の捌きを眺める。
その視線や表情に国軍中佐の説得の手を引かせた威圧感は欠片もない。

 アレンとルイは、部屋で肩を寄せ合い窓から星空を眺めていた。
街灯がないこの世界。祭りで賑わう町は夜の訪れと共に静けさの支配を強め、星の輝きが空を覆い尽くす頃には酒場やカジノなど限られた場所へ賑わいを
封じ込める。酒場やカジノへ出入り出来るのは、何かあった場合の危険や責任を自分で背負える年齢や自律心を備えた者だけだ。街灯もなければネオンも
ない空は、地上の光に遮られることなく星の輝きを届ける。
 カップルとなり指輪を交換した2人だが、共に異性との交際は初めてだ。相手の心情を害しないようにと必要以上に慎重になる一方、相手ともっと親密に
なりたいという気持ちが逸る。双方の模索の末、2人は肩を寄せ合い手を繋ぐに達した。一時はキス寸前まで進んだことからすれば後退感は否めないが、
2人は想い人と2人きりで居られるこの時間に十分満足している。繋がれた手は互いの存在を離さないようにと強く結ばれている。

 初々しいともじれったいとも取れる2人が見詰める星空の下、2人が心も寄り添わせる宿の近くでは、まったく様相が異なる動きが生じていた。

隊長10)。」
「父譲りの図太さだ。女にしておくには惜しい。」

 酒の匂いを微かに漂わせながら宿から出て来た影−中佐が待機していた部下の兵士達に皮肉をこめた所感を言う。ピリスの町の駐留国軍第3大隊11)隊長
でもある中佐は、駐留国軍本部の緊急命令の困難さを直接噛み締めたことで、苦々しさを露にする。
 中佐という階級はクリスの父ヴィクトスと同じ。だが、一兵卒から佐官に昇格した叩き上げのヴィクトスと違い、こちらの中佐は士官学校を卒業して昇格した
士官の王道を行く1人。自分が部下として指示命令するだけの兵卒から自分と肩を並べる階級に昇格したことに対する妬みや偏見−野良上がりという表現は
その端的なもの−もあって、命令でなければクリスを宿から引きずり出して体罰を食らわせてやりたいと中佐は思う。

「北に馬車引きを出すよう大至急伝令を走らせろ。」
「了解しました。」

 中佐の命令を受けて部下の1人が踵を返す。他の兵士達は中佐と共に町を包む闇に消える。ルイとフォンの脆く微妙な関係は、一国の軍隊を翻弄させる
ものの1つとなっているのは間違いない・・・。
 アレン達がピリスの町に入った頃、ついにシェンデラルド王国に潜入したフィリアとイアソンはある意味「絶景」に遭遇していた。

「此処って・・・この世の一部よね?」
「その筈だがな・・・。」

 空には厚い鉛色の雲が地面に接しそうに思うほど低く垂れ込め、地面には泥と地が混じったような色の、若干の粘り気がある液体の溜り場が散在している。
魔物の声が小鳥の囀りに聞こえるような叫び声にも似た騒々しい鳴き声を撒き散らしながら、巨大な鳥クロウバルチャー12)が時折2人の上空を掠めていく。
クロウバルチャーは地面の所々に群がり、これまた胸を掻き毟るような鳴き声で後から来たものを威嚇し、戦闘すら起こしている。
 クロウバルチャーが群がる先は動物の死体だ。人間魔物を問わず、弱ったものや死したものは生きるものの食料としてその身体を骨まで貪られる。人間の
情愛が介在しない自然における生存競争が繰り広げられる世界−それはこの世界の町や村の外では普通に見られるものだが、クロウバルチャーのみが
異常に生息するためそれらが主食とする死体の絶対数が不足し、生きている同種族まで無差別に食料候補として襲撃の対象にされる。
 突然クロウバルチャー同士の戦闘が空で勃発し、羽はおろか戦闘でもげた肉体の一部、果ては空中で無残に引き裂かれた出来立ての死体が地面に
降下し、それにクロウバルチャーが群がるという光景は凄惨だ。フィリアは嫌悪感を超えて嘔吐感を感じ、イアソンも凄まじい光景に顔を顰める。
これが同じ空の下にある「この世」と呼ばれる同じ世界とは信じ難い。国境を跨いだ途端に別世界に紛れ込んでしまったのではないかと思いたくなる。
 周囲を警戒しながら進行するフィリアとイアソンに、クロウバルチャーの鳴き声が幾重にも重なって浴びせられる。罵るような声はけたたましく耳障りで、
フィリアは思わず耳を塞ぐ。

「出て行け、って言ってるみたいね・・・。」
「死んだら俺達が食ってやるぞ、って言ってるのかもしれないな。」

 イアソンは自分達に鳴き声を浴びせるクロウバルチャーの群れに向けて魔法フレイム13)を使用する。イアソンの左手から生じた火炎がクロウバルチャーの
群れを襲う。クロウバルチャーは苦手とする火炎が津波となって押し寄せてきたことに驚き、一斉に逃げ出す。逃げ遅れたクロウバルチャー数羽が火炎に
包まれて生きながら火炙りにされる。
 イアソンは地面でのた打ち回りながら断末魔の悲鳴を上げるクロウバルチャーを一瞥すると、フンと鼻を鳴らして後にする。これまで迎撃一本だった
イアソンの容赦ない先制攻撃に、フィリアは一瞬呆気に取られる。

「イアソン、あんた・・・。」
「可愛そうだとでも言いたいか?」
「そうは思わないけど・・・、今までのイアソンからして、ちょっと意外かなって。」
「俺達と奴等は根本的に相容れない存在だ。死体漁りが専門の奴等は、自分達より強いものを襲撃することはない。」

 イアソンがクロウバルチャーと対峙するのはこれが初めてだ。しかし、豊富な知識と「赤い狼」での戦闘経験から、クロウバルチャーの行動様式を推測出来る。
悪魔崇拝者集団が実質的に牛耳るシェンデラルド王国で大規模な繁殖を展開しているクロウバルチャーは、悪魔崇拝者集団と同様暗黒や毒の属性に
強いが光や火、雷の属性には弱い。更にクロウバルチャーは攻撃力はそこそこ高く獰猛だが防御力は低い。飛行出来るという鳥ならではの能力と群れを
成すことで補っている。
 更に死体を餌とするのは種族で受け継がれてきた本能であるが、確実に獲物を獲られる−死体は普通動かない−手段を選んだという点で策略に富んで
いる。我々の世界で烏がそうであるように、鳥にも知能が高く、生きることに長けたものが居る。クロウバルチャーもその1つであり、死体でないものや明らかに
自分より強い、すなわち自分の餌である死体になりえないものを襲うことは避ける。餌を得る筈なのに自分が殺されては無意味であることくらい、この手の
生物は分かる。

「町は・・・向こうに1つ見えるな。人間が居ると期待しない方が無難だろうが。」

 イアソンが北西を指差す。雲に半ば覆われるように町の存在を示す高い壁が見える。壁に損傷は見られないことから大規模な交戦はなかったようだ。
或いは交戦より前に町に住む側、すなわち人間が全滅に追い込まれたか。

「あの町から調べてみるか。」
「誰か居れば良いんだけどね・・・。」
「結界だけはしっかり張ってろよ。」
「分かってるわよ。ハゲ鷹に襲われたくないし。」

 フィリアは結界の強度を確認し、斜め前に居るイアソンが何時になく頼もしく思う。
シェンデラルド王国に近づくにつれて風景が重く暗くなり、人々の表情から活気や生気が消える代わりに恐怖や警戒が強まってきた。やがて人間の姿
そのものが消え、血と死の臭いが強まってきた。シェンデラルド王国領内に潜入すると、別世界ではないかと思う陰鬱さが支配するようになった。
 これまでフィリアも何度か戦闘に遭遇し、攻撃食の強い力魔術を使える魔術師として戦闘に深く関与したことで血や死に直面する機会も村に居た頃より
格段に増えた。それで慣れたと思っていたが、シェンデラルド王国潜入の旅でフィリアを待ち受けていたものは、慣れを凌駕する死への誘いや攻撃の
気配だ。それらの強烈な揺さぶりに心が許容以上に曲げられ続けていたが、イアソンは冷静に状況を見極め、間近に居る死の危険を一定距離遠ざけた。
反政府組織「赤い狼」での生活や経験は、イアソンを極地でも冷静な状況判断を出来るように仕立てた。今までパーティーのムードメーカーやドルフィンの
参謀という観点でイアソンを見ていたフィリアには、イアソンが強烈な存在感を醸し出しているように思う。

「これで、フィリアの隣に居るのがアレンだったら、もうフィリアの頭の中はアレンだけになるだろうな。」
「そんなの・・・、あたしの頭の中はとっくの前からアレンだけでいっぱいよ。」

 フィリアは一瞬の動揺の後、ルイへの対抗−若しくは敵対−意識が大量の燃料となり、アレンへの恋心に引火したことでフィリアは顔を真っ赤にする。
イアソンはフィリアの活力が再燃したのを確認して、見えないように小さく安堵の溜息を吐いてドルゴを召還する。行き先が決まった以上、これ以上地面や
周囲の様子を観察する必要はない。素早い状況判断力と迅速な行動が、諜報活動で強みを発揮する。
 フレイムの魔法に怯んだクロウバルチャーが再び活気付く前にドルゴを走らせて道を急ぐのが賢明だ。イアソンの後ろにフィリアが跨り、イアソンは
ドルゴを走らせる。シェンデラルド王国領内に足を踏み入れて初めてフィリアとイアソンを迎える町は、厚い雲を引き寄せるように重く見える・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

5)しぃや:「しなさい」と同じ。方言の1つ。

6)ナンディ川:ランディブルド王国の大河川の1つ。名前はフリシェ語で「穏やか」という意味。

7)しとり:「してなさい」と同じ。方言の1つ。

8)料理長:国や店の規模によって異なるが、客に振舞う料理を直接行う立場である料理士数人を束ねる立場。宿や酒場にある食堂では、カウンターに出て
直接客とやり取りする権限を持つ場合が多い。


9)しっかと:「しっかり」と同じ。方言の1つ。

10)隊長:後述する駐留国軍の中隊を指揮統括する職階。大尉・少佐以上が着任対象である。

11)大隊:ランディブルド王国の駐留国軍は小さい方から班、小隊、中隊、大隊、師団と組織化され、大隊2〜3が1師団を形成する。大隊の長は師団長・
師団副長と共に駐留国軍本部を形成し、実働部隊の最大組織として行動する。


12)クロウバルチャー:ハゲ鷹が翼長3メールほどに巨大化した形の、鳥型の魔物。通常は山岳地帯や砂漠地帯などに生息する。風と暗黒属性を持ち、
火と光の属性に弱い。数十羽ほどの群れを成して行動する。


13)魔法フレイム:その名から推察できるとおり、力魔術の火炎系魔術の1つ。数百℃の火炎を帯状に放射する。Evoker(魔術師の5番目の称号)から使用可能。

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