Saint Guardians

Scene 9 Act 1-4 結実-Flution- 長き断絶を経ての親子の対面

written by Moonstone

 アレンが完治したことを受けて、その日の夕食は快気祝いを兼ねたものになった。
傷の治療のためアレンは絶対安静だったから一歩も部屋を出なかったし、ヒールの継続使用と付き添いをしていたルイは殆どアレンの部屋を出なかった
から、リルバン家に纏わる一連の事件の関係者が今日初めて勢揃いしたことになる。
改めて1人1人自己紹介する。重傷を負ったアレンが搬送されたドタバタで、自己紹介の範囲は限られていた。フルネームと出身地と趣味を言って最後に
一言添えることで、互いの顔と名前が全員の共通事項となる。自己紹介する者が一礼する毎に温かい拍手が起こる。
 上客扱いのアレン達には、快気祝いということもあって実に豪華な夕食が振舞われる。テーブルは4人ずつが向かい合って座れるように、使用人が配置換え
している。出入り口に近い側にドルフィン、シーナ、イアソン、リーナが座り、その向かい側にアレン、ルイ、フィリア、クリスという席順だ。快気祝いの
主役であるアレンの隣にルイが座っているのは、ルイがフォンと同格というのが理由だ。
 アレンは嬉しさ半分、恐怖半分で食を進める。久しぶりに自分が手がけなくても出される美味な料理の数々を食べられるのは、移動中の他ホテル内でも
料理担当を任されていたアレンには至極豪華に感じられる。加えて隣にはルイが居る。懸命に護り護られて完治まで時を共にしたことで、アレンの心に占める
ルイの比重は最大級に達している。しかし、ルイの向こう側からはフィリアの猛烈な嫉妬と殺意の炎を感じる。リーナと正反対によく喋るフィリアが終始無言で
食べ、時折鋭い視線を向けてくる−恐らくルイにも向けているだろう−ことは、アレンの恐怖を呼び起こさない筈がない。
 フィリアの向かいに座るイアソンは、フィリアから立ち上る負のオーラを感じて居た堪れないのか、食べながら冷や汗を流す。クリスは次から次へと料理と酒を
平らげ、リーナは肉を丁寧に選り分けてマイペースで食事を続け、ドルフィンとシーナは談笑しながら食事をする。イアソンは眼前で展開される静かな激しい
戦いに冷や汗を流しつつ、他の面々がこの修羅場を前に横に安穏と食事が出来るのを不思議に思えてならない。
 食事が終わり、メイドがルイに着替えの案内を申し出る。アレンとの食事では終始微笑みを絶やさなかったルイの表情が俄かに硬くなる。17ジムから
フォンとの面会が組まれている。一等貴族の慣例15)とは言え、命を賭して自分を護ってくれたアレンも居る夕食の場に出なかったフォンとの面会は気乗り
しない。しかし、アレンに言われたとおり母の遺志を全うすると決めた上に、アレンが面会を依頼してくれたのだからキャンセルは出来ない。ルイはメイドの
案内を受けて席を立ち、専用食堂を出て行く。

「これから、ルイはフォンさんと面会するんやったな。」

 フルボトルのカーム酒を5本空け、6本目を既に半分以上飲み干したクリスが、神妙な面持ちで言う。あれだけ飲んでもまったく顔色に変化がなく、意識も
呂律(ろれつ)もしっかりしているのは流石と言う他なかろう。
 昔からルイとローズを良く知るクリスは、ローズの信心深さの他に衣装や化粧や装飾品では取り繕えない気品の高さから、決して各地を転々としながら
犯罪を繰り返す人物ではないと確信していた。ルイの母ローズに纏わる奇妙な戸籍の謎が氷解した今、ローズをキャミール教徒のあるべき姿として正規の
聖職者の修行に勤しんできたルイが事実上次期リルバン家後継候補であることに何らの違和感も覚えない。
 問題は、ルイがフォンを許すかどうかだ。
ルイの出生の秘密は今まで聞いたことがなかった。ローズの葬式を村の中央教会の祭司部長として執行し、片付けが終わって自室に戻った直後から
教会中に響き渡るほどの大声で号泣したルイに、ローズの死の間際に何を聞いたのか尋ねる気にはなれなかった。
 二等三等貴族でも「お家騒動」の話はよく耳にする。ましてや国政に多大な影響力を持ち、二等三等貴族が遠く及ばない莫大な財産を一手に掌握出来る
一等貴族となれば、血で血を洗う後継争いが展開されるのは何ら不思議なことではない。フォンから聞いた先代在位中の話には、「お家騒動」に加えてこの
国に付きまとう民族差別も混じっていた。この国で生まれ育ったクリスには、民族差別もやはり珍しい話ではない。しかし、それらが原因で過酷な境遇に
置かれ、蔑視や苛めを完全に平伏させた矢先に心の拠り所としてきた母を亡くしたルイがフォンを許すのは決して容易ではない筈だ。
 あの時代と状況ではフォンとローズの恋愛は許されざるものであり、ローズを欲望と敵意に染まった魔の手から完全に逃すには死んだと見せかけて
リルバン家から脱出させる以外になかったと思う。しかし、ルイはそれらの事情をまだ聞いていない。アレンの看護に専念するためとしてフォンやフォンの
意向を受けたロムノとの接触を極力避けてきたためだ。今更弁解や釈明など聞きたくないが、アレンが勧めたことでようやくフォンとの面会を決心したと
推測するのは容易だ。フォンにとっては念願叶っての対面だが、ことが円満に進むとは思えない。逆にルイの怒りをより強め、断絶の溝を深めてしまうのでは
ないかという危惧さえある。

「由緒正しい一等貴族の後継が自分しか居ないんだから、フォン当主を親って認めるんじゃないの?表面上だけでも。」
「ルイはそない16)出来る性格やあらへん。フォンさんに側室娶って後継候補作れ、て言う可能性の方が高いわ。」

 皮肉交じりのフィリアの推測を、クリスが変わらぬ調子で否定する。

「法律上そんな無責任なこと出来るわけ?」
「・・・クリスが言ったとおり、フォン当主が今後正室或いは側室を迎えて子どもを作り、その子を後継候補に指名すれば可能だ。」

 フィリアの更なる皮肉交じりの疑問に、今度はイアソンが答える。イアソンは先んじて王立図書館でランディブルド王国に関する基本的な法律をひととおり
網羅しているから、憶測ではなく裏づけを伴った正確な話が出来る。

「ちなみに、一等貴族当主には女性も就任出来る。一応男子優先だが、最終的に次期後継者を決定する権限を有するのは当主だからな。」
「今のアルフ家とアルキャネク家の当主は女や。」
「ふーん・・・。」

 イアソンとクリスの補足説明に、フィリアは苛立ちを多分に交えて一応納得する。
フィリアとしては、ルイがフォンと和解するかどうかに興味はない。ルイが自分を差し置いてアレンの彼女になるくらいなら、ルイが次期リルバン家当主に就任
してアレンから「撤退」して夫探しに乗り出してもらいたいところだ。アレンと恋仲になっても、家柄や門地を懸案事項にする傾向が強いらしい一等貴族当主と
なれば、遠い異国からの旅人であるアレンを夫に迎えるなど不可能だろうし、現当主であるフォンも認めないだろうとフィリアは踏んでいる。
 ルイを結果的に説得したアレンは、フォンの意向が気になる。ルイがフォンとの親子関係修復を拒否して新たに後継候補を作れと切り捨てることは、肯定も
否定もしない。だが、フォンの立場に立ってみれば、ようやく会えた我が子を迎え入れたいと思うだろうし、フォンがその方向でルイを説得しようと躍起になる
可能性もある。
 その時、ルイはどうするか?
 自分と自分の母に苛烈な境遇を齎した男を父親と認めたくない気持ちと、この国に多大な影響力を持つ一等貴族の血統を維持する責任に挟まれ、
苛まれるのではないか?
 自分なら到底耐えられない時代を懸命に生き抜き、黒い翳からも解放されたのだから、ルイにはこれから先、しがらみに囚われない人生を歩んで欲しい。
その選択肢に自分との交際が含まれれば良い、含まれて欲しいとは勿論思うが、ルイが今後生きたいように生きるために自分との関係が不要な束縛となる
なら自分から潔く身を引くべきだろうか、とアレンは思う。
 専用食堂のドアが開く。誰かと思ったアレン達が見ると、メイドを伴ったルイが入って来る。オーディション本選の際に着用したものとは異なるが、
薄い青紫色を帯びた裾の長いドレスを身に纏ったルイは、元々の美貌に加えて一等貴族令嬢と称するに相応しい気品を存分に醸し出している。
フィリアを除く全員がルイを見て感嘆の声を上げる。ルイは着慣れない服装に違和感を覚えつつも、アレンの視線が自分の方を向いていることに密かな
喜びを感じて少しこそばゆい。

「フォン様とのご面会に先立ちまして、皆様にご挨拶したいとお嬢様からのご要望がございましたので。」

 メイドの説明にある挨拶が、半分はアレンに上等の衣装を着用した自分を見せるための意図が含まれていると、アレン以外の面々は即座に察する。
全員に注視される中、ルイは静々と進み出てまず一礼する。

「皆様のご尽力を賜り、この度私ルイ・セルフェスはリルバン家当主フォン・ザクリュイレス・リルバン様とのご面会に赴くことになりました。」

 淀みなく口上が述べられる。ルイの視線が実はアレンにのみ向けられていることを、フィリアは敏感に察知する。
フォンとの面会を拒んでいたルイが一転してフォンとの面会を承諾したのは、アレンの説得があってのこと。つまりは挨拶も事実上アレンに向けられてのもの
だと読んだフィリアは、歯を軋ませ、ルイに鋭い視線を突き刺す。ルイはしかし、少しも動じない。

「・・・では、これより、行って参ります。失礼いたします。」

 ルイは改めて一礼する。ゆっくり頭を上げた後、メイドに案内されて専用食堂から出て行く。外には案内役のロムノが既に待機している。此処からはロムノの
案内を受けて、面会の場である応接室に向かう段取りだ。
 ルイが退室した後も、アレン達の他居合わせた使用人やメイドも正装したルイの余韻に浸る。服装もさることながら、上質の気品と佇まいは由緒ある一等
貴族の令嬢に相応しい。気品や佇まいといったものは幾ら着飾って化粧を施しても誤魔化せない。ちょっとした拍子に文字どおり「化けの皮が剥がれる」
ことで、実に悲惨で惨めな末路を歩む羽目になる。正規の聖職者として5歳から厳しい修行を積み、今や村のみならず全国の教会関係者に将来性豊かな
若手聖職者として名を馳せるに至っただけのことはある。

「立派なもんね。」
「リーナもやっぱ17)そう思うか?」
「改めてあれだけのもの見せられちゃあ、ね。」

 リーナが少し苦笑いして肩を竦める。他人を褒めるより罵倒する方が圧倒的に多いリーナも、認めざるを得ないようだ。

「ああいう服装が似合うって、良いよなぁ。」
「男からすると、やっぱそういうもんか?イアソン。」
「そりゃあ勿論。」

 クリスの問いかけににやけながら応じたイアソンは、チラリと隣のリーナに視線を向ける。

「あー、リーナやシーナさんにもああいう服着て欲しいなぁ。」
「何が楽しくて、あんたに見せなきゃならないのよ。」
「そ、そんな冷たい。」
「フン。」

 振った話をリーナに素っ気無くかわされ、更にそっぽを向かれたイアソンは肩を落とす。イアソンの恋心を知っているクリスは笑いを堪えるのに必死だ。

「私はドルフィンとの結婚式でウエディングドレスを着るから。」
「あ、それ良(え)えですねぇ。シーナさんやったら絶対似合いますで。」
「私も着るのが楽しみなのよ。」

 俄かに衣装談義で盛り上がり始める。クルーシァでの生活でドルフィンとの結婚式を目前に控えていたシーナは、内乱によりお預けになっている
ウエディングドレスを着られる日を心待ちにしている。それを知っているドルフィンは、ウエディングドレスの話をするシーナの嬉々とした表情に苦笑いを
浮かべる。
 フィリアはご丁寧にもルイが正装した自分をアレンに見せに来たことに腹を立て、テーブルに突いた右肘に顎を乗せて憤懣(ふんまん)やるかたない顔を
する。ルイに見惚れていたアレンは徐々に消えていく余韻を惜しみつつ、ルイとフォンの面会の行方を案ずる。
ルイのフォンに対する怒りは、今日の説得の場でもつぶさに感じ取れた。ルイの怒りは当然だと思うが、ルイはどういう選択肢を選ぶのかが気がかりだ。
ルイがこれから先どう生きるのかを模索するには、次期リルバン家当主後継候補がルイ1人しか居ない現状でのフォンとの面会は不適切ではないかと、今更
ながらアレンは思う・・・。
 応接室。窓を背にした側のソファに腰掛けたフォンは、1ジム以上前から応接室に居る。執務は普段どおりあったのだが、ルイとの面会に意気込んだために
予定より早く終わり、その足で応接室に向かって今に至る。
 オーディション本選の舞台に登場したルイは、実に見事な成長ぶりを見せてくれた。しかし、拉致された現場から救出された後の対面では、顔を合わせて
程なく目を逸らされ、脇を通り過ぎていった。邸宅に移動してからもロムノを介して対面を試みたが悉く拒否された。今回ようやく念願が叶ったが、円満に
進む可能性は極めて低いとフォン自身分かっている。
 強硬派の筆頭格であり、自身と深刻な確執があった先代の在位中にメイドと、しかも強硬派が排除の対象とするバライ族の女性と深い関係になることが
如何に危険と隣り合わせだったか、その危険を顧みずに愛し合った結果、相手を命の危険に晒すことになり、ついには戸籍上死んだことにしてリルバン家
から脱出させざるを得なくなった。戸籍制度が頑強なこの国で戸籍上死んだとされることがどれほどの苦難を生み出すかくらい、容易に想像出来る。
戸籍上死んだことになっている女性から生まれた子どもとなれば、降りかかる災厄は計り知れないものとなることも、やはり容易に想像出来る。
自らが蒔いた種を自ら刈り取ることが出来ないまま今日に至ってしまったこと、ひいてはローズとルイに苦難の日々を齎しながらも何も手助け出来なかった
という罪悪感は、ルイとの対面が迫るにつれて更に強く、重くなっている。

まずはルイ様のお話に耳を傾けてください。

 ルイが面会を承諾したことを伝えに来たロムノの助言が、フォンの頭に浮かぶ。
拉致された倉庫から救出された後に見せたルイの顔からは、怒りを堪えるのがやっとだということがひしひしと伝わってきた。それだけの感情を抱かせる
原因を作り出したのは他ならぬ自分だ。ルイは開口一番、母と自分を散々な目に遭わせたことを厳しく非難するかもしれない。人でなしとなじられるかも
しれない。だが、それらを正面から受け止めて初めて、一等貴族当主ではなく父親として娘と対面出来るし会話も出来る。ローズとの関係で貴重な理解者
だったロムノの助言に従い、ルイが吐き出す全ての感情を受け止めようと、フォンは決意を強める。
 ドアがノックされる。フォンが応答するとドアが静かに開き、ロムノが入室して来る。

「ルイ様をお連れしました。」
「中に・・・。」

 言葉に詰まったフォンの心境を察したロムノは、ルイを応接室に入れる。フォンは感慨が溢れるのを懸命に堪えるが、対するルイの表情は硬い。
ロムノは、ルイをフォンの向かい側に案内する。ルイはややぎこちないながらも変に動揺したりせずに移動し、ソファに静かに腰を下ろす。
続いて入室したメイドがフォンとルイに挟まれたガラスのテーブルにカップを置き、ティンルーを注ぐ。メイドとロムノが退室し、ドアが静かに閉じられる。
 此処から先はフォンとルイの2人きり。フォンはルイを見詰めて第一声を待つ。ルイはまだフォンと目を合わせていない。合わせようともしない。
感動の対面とはとても言えない重苦しい空気の中、粘度の高い泥流のように時間だけが流れていく。

「・・・私は・・・、貴方にとって・・・何なのですか?」

 視線を落としていたルイから発せられた問いに、フォンは答えを慎重に選ぶあまり言葉に出来ない。

「私を着替えさせて・・・、応接室に招き入れたのは・・・、私が客だから・・・ですか?」
「・・・客でもあり・・・娘でもある・・・。」
「客でも・・・あるんですね・・・。貴方にとっては・・・。」

 言葉の揚げ足を取るようなルイの言葉に炸裂寸前の激情が篭っていることくらい、フォンには分かる。
応接室は客を丁重にもてなす場だ。一等貴族の慣例に則った選択は、ルイにとってフォンの念頭にはまず一等貴族当主としての立ち居振る舞いが置かれて
いる、すなわち純粋に自分と親子として向き合うことを後回しにしていると受け止められてしまった。

「私は・・・、貴方にとって・・・娘であるより前に・・・、一等貴族後継候補なのですね・・・。」

 苦渋の表情で俯くフォンに、ルイが静かな口調で厳しい批判をぶつける。ルイの瞳には今にも溢れんばかりに涙が溜まっている。

「貴方にとって・・・、愛し合うことは・・・、親子とは・・・、何なのですか?」
「・・・。」
「一等貴族の血統を後世に伝えるための・・・手段でしか・・・ないのですか?」
「・・・。」
「母と愛し合ったのは・・・、何のためなのですか・・・?」

 ルイから投げつけられる言葉は、フォンの姿勢を鋭く厳しく問うものだ。

「母は・・・貴方を心から愛していました・・・。死の間際まで・・・一言も・・・恨みつらみを・・・口にしませんでした・・・。」
「・・・。」
「でも・・・、私は貴方を許さない。」
「!!!」

 ルイが発した拒絶の言葉は、フォンの心を勢い良く貫き、深く抉る。
「許せない」と「許さない」は日本語では1文字違うだけだ。しかし、前者は許そうという気持ちがあるか、許そうという選択肢があって「出来ない」と判断しての
ものであるのに対し、後者は許す気持ちは心に存在せず、許すという選択肢が加わる余地がないことを示すものである。フォンに与える衝撃は両者で雲泥の
差があるのは言うまでもなかろう。
 死刑執行命令より強烈な仕打ちを受けたことで、沈痛な表情で肩を落とすフォンを見るルイの瞳から、堪えきれなくなった怒りと悲しみが混じった涙が
溢れ出す。高ぶる心を鎮めるために、ルイは何度か深呼吸を繰り返す。

「母は・・・死の間際に・・・貴方から贈られたという指輪を・・・私に託しました。もし私がフォン当主と会う時があったら、この指輪を届けて欲しい。せめてこの指輪
だけでも貴方の傍に戻りたい。・・・これが・・・母の最期の言葉です・・・。」
「・・・。」
「母の遺志を受けて・・・、この指輪をお返しします・・・。」

 ルイは右手人差し指に填めていた母の形見の指輪を外し、フォンの前に静かに置く。フォンに改めて突きつけられたローズの死という事実が、フォンに重く
圧し掛かる。ルイの拒絶と相俟って、その圧力は他人に計り知れないものだ。

「母は・・・貴方と結ばれることを・・・願っていたんです・・・。一等貴族当主の正室になることを・・・願っていたのではありません・・・。決して・・・。」
「・・・。」
「・・・失礼します。」

 これ以上話すことはないと見切りをつけたルイは、座った時とは逆に勢いよく立ち上がり、小走りで部屋を出て行く。開け放たれたドアが空しく小さく揺れる。
フォンはローズに贈った、ローズがルイに託した指輪を両手で強く握り締め、嗚咽を漏らす。溢れる涙を受けるダイヤの輝きは、今は深い悲哀が生じる慟哭で
しかない。
 応接室へ通じるドア18)の前で待っていたアレン達は、ドアがいきなり開け放たれたことに驚愕し、そこからルイが大粒の涙を流して口を押さえながら
飛び出してきたことに再び驚愕する。ルイはアレン達の間を走り抜けていく。
 何か重大なことがあったと察するには余りあるルイを見たアレンは後を追おうとするが、ドルフィンがその右肩を掴んで止める。振り向いたアレンに、
ドルフィンは無言で首を横に振る。今は追うな、という合図にアレンはもどかしさを感じつつも従う。
 廊下をひた走り、階段を駆け上ったルイは、自分の部屋に飛び込んで嗚咽を漏らす。すれ違った使用人やメイドはあえてそのままにしておく。せめて泣いて
いるところを見られたり聞かれたりしないように、と使用人の1人がやはり開け放たれたドアを静かに閉める。

貴族社会と15年の断絶が産んだ1組の親子の間に生じた深い断絶の溝は、今は到底埋まりそうにない・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

15)一等貴族の慣例:一等貴族の当主は執務室で食事を摂り、後継候補を含む親族は専用食堂で摂る。配偶者や実子でも、当主との会食は事前に
申し出ないと出来ない。


16)そない:「そんなこと」「そうやって」と同じ。方言の1つ。

17)やっぱ:「やっぱり」と同じ。方言の1つ。

18)応接室に繋がるドア:一等貴族当主が多くの時間を過ごす執務室と応接室に通じる廊下の前にはドアがあり、筆頭執事が許可した者しか出入り出来ない。

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