Saint Guardians

Scene 7 Act 4-3 接近U-ApproachU- 黒き翳に迫る大きな一手−後編−

written by Moonstone

「そう・・・か。」

 クリスの回答でアレンが取り組む課題、すなわちルイが何故執拗に命を狙われているのかについて、解明へと大きく踏み込むことが出来た。だが、アレンの
心は晴れない。むしろこれまでより垂れ込める雲の重みが増したようにさえ思える。
 予想や期待というものは実に気まぐれだ。当たってほしい時に当たらなかったり、逆に当たってほしくない時に当たってしまったりする。今回の場合は
後者だ。
クリスの回答でイアソンが提示した仮説はより現実味を帯び、あとは事実上ルイが所有する指輪に物的証拠を見出し、ルイ自身から真相を語ってもらう
ことを待つだけになった。しかし、もうこれ以上仮説が事実とならないでほしいとアレンは思う。
 イアソンが言っていたとおり、ルイが命を狙われる背景は戸籍上死んだことになっていたルイの母ローズの奇妙な経歴が絡んでいるらしい。そして、
このままだとルイは、付き纏う黒い翳を完全に取り除かない限り、オーディション本選が終わってからも命を狙われ続けることが確実だ。いかにルイが
強靭な精神力を持っているとは言え、四六時中刺客の凶刃に怯えながらの生活に耐えられるとは思えない。その点からすれば、謎の核心に大きく踏み
込めたのは良いことだ。しかし、自身が口にしてクリスから得た回答が事実なら、ルイの人生を弄ぶものだ。キャミール教が国教として人々の生活に根付き、
国家体制にも深く関与していること、そしてルイが若き有能な聖職者として名を挙げたことが仇になっている。知らない方が良いこともあると言うが、
アレンにとって今回の事例はまさにそれだと言わざるを得ない。

「・・・あたしの答えは、アレン君が知らへん方が良かったて思うような方向に結びついたみたいやな。」

 重苦しい表情で視線を落としていたアレンに、クリスが静かに語りかける。クリスの表情もやはり重い。

「多分ルイが填めとる指輪にも、何処かに謎を解明する手がかりがあるやろうな。特注品やったら筆頭職人が作るで、そう簡単には分からへんような細工が
施されてるかもしれへんし、ルイもそれを知っとるかどうかは分からん。知らへんならそのままルイは何も知らんと、問題だけ解決した方がええと思う。」
「・・・。」
「ルイは今まで、お母ちゃんの戸籍の問題と民族差別をもろに食ろてきた。両方共この国が抱える根深い問題や。あたしやったら到底耐えられへん逆境を
跳ね返して、ルイが14で司教補に昇格して国中の教会が獲得しようと絶えず狙うまで名を挙げたんが、今度は命狙われる理由になってもうとるっちゅうんは、
滅茶皮肉な話や。神様は何処までルイに試練与えれば気ぃ済むんや、て聞きたいわ。もう今まで与えた分だけで十分過ぎるやんか、て言いたいわ。」
「・・・俺もだよ。」
「やっぱしあたしは・・・、ルイはオーディション本選が終わっても村に帰らんと出てった方がええと思う。ルイがこれから先、生きたいように生きるには、この国に
居らん方がええ。何も知らへんのやったら知らへんままこの国を出て、アレン君と一緒にアレン君の父ちゃん探す旅に出た方がええ。」
「・・・。」
「ルイは・・・この国の国家体制が生み出した犠牲者や。ようやく昔自分散々苛めとった奴等まで完全にひれ伏させるだけの地位とか手に入れた矢先に、
あの娘が心の拠り所にしとった母ちゃんを亡くしてもうた・・・。ルイは、この国の束縛から解放されんと駄目や。この国に居る限り、あの娘が本当に幸せに
なることはあらへんよ・・・。あの娘はこの国から自由になって初めて、自分の生きたいように生きることが出来るてあたしは思う・・・。」

 沈痛な表情で語ったクリスは、深い溜息を吐く。クリスの言葉はアレンの心境を読み取って代弁したようなものだ。
頑強な戸籍制度があるために、実際本人が生きているにもかかわらず戸籍で死んでいることになっていれば、まともに生きることもままならない矛盾。
その存在を信じる者全てに無償の愛を与えている神を語る宗教が国教なのに、肌の色の違いが祝福を与えた者の違いと決めつけ、排除しようとする勢力が
幅を利かせ、肌の色が黒いというだけで不利な生活を強いられることも珍しくないという理不尽さ。
 確かにルイはそれらの不利な境遇を跳ね返し、地位と名声と信頼を勝ち得た。だが、それがルイの幸福と等価であるとは言えない。
ルイが正規の聖職者の道に踏み出したのは、聖職者として自立することで教会の下働きになることを条件に自分の戸籍を作ってくれた母を安心させるため。
その母を聖職者としてあるべき姿として脳裏に焼きつけ、辛く厳しい修行を乗り越えて大きな栄誉を手にして直ぐ、母を亡くしてしまった。
今でも到底癒えているとは思えないルイの心の傷。せめてそれを思い返すことが少なくなるようにするには、ルイとその母に不遇を齎したこの国を出ることが
最も適切な選択ではないか、とアレンは思う。

「・・・アレン君。ちょいと道場まで付き合うてくれへん?」

 暫しの想い沈黙の後、クリスがこれまでの話と全く違う方向へアレンを誘う。

「ちょいと身体動かして、スッキリしたいでな。」
「良いよ。クリスには此処まで色々話を聞かせてもらったし。でも、服は?」
「ええよ、このままで。服なんて着替えればそんで済むことや。」

 アレンとクリスは席を立ち、1階の道場に向かう・・・。
 道場に重厚な音が響き渡る。見るからに筋肉質の巨漢が床に倒れこんだのだ。
武術着を着た巨漢は師範の免状を持つというつわもの。だが、クリスの攻撃の前にはなす術もなく、数発の突きと蹴りであえなく倒されてしまった。
勿論クリスも巨漢も防具を着用している。しかもクリスは生死を分かつ戦闘ではなく道場での手合わせということで、技の威力を落としている。それでも、
1ミムもかからずにクリスが免状を所持する師範代より上位の、しかも体格を比べても明らかに不利なクリスが圧勝した。

「勝負あり!それまで!」

 サルバを着た審判がクリスの勝利を宣言する。だが、クリスは特に表情を変えない。
巨漢は白目を剥き、口元から泡を吹いている。クリスがとどめに放った側頭部への一撃が大きな要因だが、試合続行どころか起き上がる気配さえない。
他の武術家が試合枠内81)に入り、巨漢を運び出して隣接する医務室に向かう。この光景はこれで20回連続だ。

「話にならへんな。」

 クリスは眉を傾けて眉間に薄い皺を刻んで不満そうに呟く。対峙する相手がまったく歯応えがないため、意図とは逆に全然スッキリしないのだ。
クリスより下位の免状を持つ相手は数発。同等若しくは今回のように上位の免状を持つ相手でも、1ミムあれば余裕で倒せてしまう。しかも、相手はクリスに
一撃も与えられない。放つ突きや蹴りはあっさりかわされ、がら空きになったところをクリスの痛撃が襲うというパターンの繰り返しだ。

「審判。相手に鎧着けた兵士でもええよ。」

 額に滲む汗を右手の付け根でひと拭いしたクリスは、驚くべき提案をする。当然のごとく、待機している武術家は役不足と仄めかされたことでざわめく。
だが、場外で見守っているアレンには別に無謀とは思えない。
 クリスは故郷のヘブル村からこの町に来るまでに、ルイを狙って襲撃してきた兵士をたった1人で撃退している。このホテルに深夜殴りこんできた刺客も、
アレンの援護を受けたとは言え、攻撃を加えた相手の鎧の該当箇所は大きくへこみ、後の報告によると骨が粉砕されていたという。その時はルイを守るため
だから当然手加減などしていない。だから、今回の提案もクリスが放つ技の本当の威力を知るアレンには、無謀とは思えないのだ。

「おい、嬢ちゃん。1対1ならまだしも、数人がかりなら話が違ってくるだろうが。」

 プライドを傷つけられた不満と怒りで表情を険しくしていた武術家の1人が、クリスに言う。クリスは額から尚も染み出す汗を気に留めずに武術家の方を向く。

「師範代にしては随分上出来だ。だがな。相手が複数となりゃ痛い目に遭うことになっちまうぞ?」
「ふーん。あたし1人に複数で挑もうっちゅう魂胆か。そっちは何人出るつもりや?」
「ま、10人ってところか。ここらで嬢ちゃんには本当の厳しさってもんを知ってもらいたいんでね。」
「厳しさ教えたるとはねえ・・・。そりゃ、ありがたい配慮や。感謝するで。」

 クリスは獲物を狙う猛獣のような視線で武術家を見据えたまま、着けていた防具を全て取り外す。
防具は試合における負傷を避けるために、金属の板を内包している。それを取れば当然機動力は増すが、防御の面では今着ている服だけとなる。
クリスが今着ている服は特別な手法で製作された武術着ではなく、普通の服だ。防御力など数値にするに値しない。

「審判。特別ルールで1対複数っちゅうんもええか?」
「・・・双方が良いなら認めよう。」
「なかなか柔軟やな。ありがたいこっちゃ。」

 クリスは一度首を横に振ってトレードマークのポニーテールを揺らし、手足の節々を軽く動かしてから、改めて武術家達を見やる。

「ええよ。お望みどおり相手したるわ。その代わりどうなっても知らんで。」
「それはこっちの台詞だ。」

 クリスに1対複数の対戦を持ちかけた武術家が勝利を確信したのか不敵な笑みを浮かべ、立ち上がって顎をしゃくる。それに呼応して数人の屈強な
武術家が立ち上がり、試合枠内に入って全員がクリスと向かい合う。武術家は全員防具を着用している。しかも見た目普通の女性と変わらないクリスと
比較して明らかに体格で勝る。一見無謀な試合としか考えられない。

「君。本当に良いのかね?」
「ええよ。」

 審判の確認にあっさり答えたクリスは即座に身構える。武術家達もそれぞれが攻撃しやすいように適度に距離を置いて攻撃態勢をとる。

「開始!」

 審判の宣言と同時に武術家達が一斉にクリスに襲い掛かる。だがクリスは全く怯むことなく、視線を最大限に厳しくする。
クリスの水平蹴りが1人の鳩尾を確実に捉える。続いてクリスは武術家の攻撃をかわして懐に飛び込み、上半身に拳の連打を叩き込む。あっという間に2人を
倒したクリスは攻撃の手を休めることなく、武術家の顎や側頭部に鋭い蹴りを加え、頬や鳩尾に蹴りに劣らぬ強烈な拳をめり込ませる。
バタバタと倒されていく同僚を見かねて、場外で待機していた他の武術家が一気に試合枠内に雪崩れ込む。ルールなど無視して兎に角クリスを負かすためだ。
しかし、クリスが放つ一撃は数が増えたのをものともせず、文字どおり一撃で相手を床か先に倒した相手の上に積み重ねていく。
 白目を剥くか泡を吹くかで動けずに累々と横たわる武術家達を一瞥して、クリスは残った1人、奇しくもクリスに複数での試合を申し入れた相手を見据える。
こんな小娘なら10人程度で一斉に襲い掛かれば倒せるし、混戦にかこつけて服を少々剥いてやろうか、と邪な意図もあった武術家は、クリスから感じる
猛烈な闘志に圧倒されて尻込みする。クリスは険しい表情のまま武術家を見据える。

「残るはあんた1人やで。さっさとかかって来な。」
「う・・・。」
「あたしが防具外したんは防御を犠牲にして機動力を増すことで複数を相手しやすくするためやと思とったんかもしれへんけど、そうやとしたら大間違いや。
あたしが防具外したんはな。邪魔で邪魔でしゃあなかったからや。錘(おもり)つけて動いとると、汗でくっついた袖とかが鬱陶しいしな。ま、防具外して
結果的に動きやすうなったんは事実やけど。」
「お、お前。一体・・・何者だ?」

 冷や汗交じりの武術家に対するクリスの回答は、一瞬で懐に飛び込んでからの側頭部への強烈な周り蹴りだった。
武術家は目を見開いたまま、支えを失ったかのようにその場に崩れ落ちる。クリスは呆気ない、とばかりにフン、と短くて勢いのある鼻息を吐く。

「しょ、勝負あり!それまで!」
「もう相手居らへんもんな。」

 クリスは額の汗を右手で拭い、審判に向き直る。試合が終わったためか、その表情から険しさは消えている。

「骨折れたりせんように手加減はしたつもりやけど、念のため医務室で手当てしといたって。」
「あ、うむ。」
「んじゃな。また気ぃ向いたら来るわ。」

 普段の口調に戻ったクリスは、医務室に急ぐ審判を他所に場外で棒立ちになっているアレンの方へ向かう。

「どうしたん?アレン君。珍しいもんでも見たような顔して。」
「・・・その珍しいものを見たからだよ。何なんだよ、一体・・・。相手は全員防具着けてたのに、見た限り全員一撃でノックアウトだったじゃないか・・・。」
「今まで思いっきり手加減しとったし、さっきは久々に結構本気になったんや。それまでは錘着けとったで、その分技の切れが落ちとったんもあるけどな。」
「クリスって確か・・・、師範代だよな?」
「そうや。」
「とてもそうには思えないんだけど・・・。昇格試験とかそういうのは受けたのか?」
「昇格試験?ああ、師範代まで受けたけどそれ以上は受けとらへん。」

 あっさり言ってのけたクリスに、アレンは驚きを隠せない。
以前少ないが給料は出ると言っていた。師範代より上位の師範や総師範なら、どの程度かは分からないがもっと高額の給料は出る筈だ。

「武術道場の昇格試験は、試合の勝ち負けや誰より強い弱いだけで決まらへんねん。試合に臨む際の立ち居振る舞いとか、そういうもんも要求されるんや。
師範代やと突きとか蹴りの基礎的な動きを覚える程度で済むけど、師範や総師範やと、試合に臨む際はこうせな駄目、ああすると駄目とか、面倒なこと
ようけ覚えやんと駄目やし、あたしはそういうの覚えられるほど頭良うないでな。せやから師範以上の昇格試験は受けとらんのよ。」
「要するに、礼儀作法って言うのかそういうのを教えるだけの知識とかも必要になるから、その勉強とかが嫌で昇格試験を受けてない、ってわけか。」
「そういうこと。」

 武術道場は各町村の中央教会の教育部の管轄下にある、教育施設でもある。武術を通して心身を強くする、という理念に基づくものだ。それ自身は勿論
悪いことではないのだが、教育となるとどうしても、試合という決められた枠やそれに臨む際の作法なども絡んで来る。クリスは師範代まで昇格したものの、
自身が解説したとおり師範以上では武術そのもの以外のことを教える必要があり、自分にその気がまったくないため、昇格試験を受けていない。あくまで
武術は剣や槍と同じく、町や村を取り囲む強固な壁の外での生きるか死ぬかを決める戦闘の手段と考えているわけだ。
教育理念に則った運営を行う武術道場の方針を全否定するつもりはないが、それだけでは戦闘で生き残れないという実感が、クリスの心に深く根付いている。
その原因となったものは勿論、差別意識に基づいてルイに襲い掛かった苛めを撃退してきたことだ。
 ルイへの苛めは執拗且つ陰湿だった。罵ったり小突いたりするのは当たり前で、殴る蹴るの「本格的」な暴行も珍しくなかった。そういった連中は大抵、
自分より明らかに弱くて抵抗しない相手に自分の力を誇示しようという姑息な魂胆を持っているものだ。クリスと同じく武術道場に通っていた人間も複数居た。
そんな連中も加わっての苛めからルイを守るには、作法などいちいち踏まえていられない。
 ルイが14歳で司教補昇格と中央教会の祭祀部長就任を同時に果たしたことで苛めは完全に音沙汰をなくしたが、それまでクリスは懸命にルイを守って
きた。魔物や盗賊などから人々の生命や財産を守るためにある筈の、強固な壁の内側で起こっていた苛めという名の一方的な攻撃。それを撃退するには、
作法を覚えるより攻撃の威力を増すことが何より優先されるのは当然だ。そのためにクリスは稽古に打ち込み、技を磨き上げた。
結果として自身が昇格試験で取得した師範代の免状以上の技と破壊力を身につけ、オーディション予選を勝ち抜いて本選出場を決めたルイの護衛として
道中たった1人でルイを守り続けることが出来たことに、クリスは十分満足している。クリスにとって武術道場で得る免状は形式的なものでしかないのだ。

「あたしの寄り道に付き合うてくれて、ありがとうな。」
「それは良いよ。気分はスッキリした?」
「うーん・・・。何かまだモヤモヤしたもんはあるけど、こんなもんに何時までもこだわっとったら人間やっとれへんよ。」
「さっぱりしてるな、クリスは。」
「何ぃアレン君。ルイとあたしを二股かける気?あたしが惚れられたらルイに合わせる顔あらへんで、勘弁してや。」
「違うって。」

 クリスにつられてアレンは笑う。それまで抱え込んでいた重い気分がすうっと消えたような気がする。
ルイの安全と幸せを真摯に願うと共に、厳しい現状を憂えるだけでなく積極的な思考を保つことで打開の機会を窺うクリス。父ジルムを攫われた時、何も
出来ない自分を責めるばかりだったことを思い出し、ルイに纏わり吐く黒い翳を確実に取り払おうとアレンは決意を新たにする・・・。
 夕食も無事に終わり、リーナに命令されて作ったデザートも好評を受け、アレンはルイと共に後片付けに取り掛かる。
料理は出来ても後片付けは出来ないという人も居る。合成洗剤などないから油汚れは落とし難いし、今は5人分あるから食器も多い。主食とおかず、それと
スープ程度ならまだしも、リーナの要求はレストランのディナーレベルのものだ。その分食器も増えるし洗う手間もかかる。
 命令する一方、リーナは料理でも後片付けでも一切手を出さない。この部屋の最高権力者は自分、と言わんばかりの態度だ。勿論アレンは不服なのだが
リーナに逆らうと何をされるか分からないし、事を荒立ててルイを無防備にするようなことは絶対避けなければならないから、ルイと一緒に過ごすことに
楽しみを見出すことで不満を抑え込んでいる。日に日に好感を強めるルイと一緒だからこそ、不満を抑えられるとも言える。

「クリスが本気になったら、きちんと装備を着用した国軍の兵士でも幹部クラスでないと歯が立たないんですよ。」

 今日の武術道場での一部始終をアレンから聞いたルイが言う。

「クリスは幼い頃苛められていた私を助けてくれて以来ずっと、私を守ってくれました。私を苛めていた人の中にはクリスと同じく武術道場に通っていた人も
居ましたし、決まって複数でしたから、クリスは1人で立ち向かわざるを得なかったんです。・・・他に誰も手を貸してくれませんでしたから。」
「ルイさんを守ろうと力をつけた結果、クリスは国軍の兵士でも殆ど太刀打ち出来ないレベルにまで到達しちゃったってわけなんだね。」
「ええ。少なくとも今の村では男女問わず、クリスに喧嘩を挑む人は居ません。以前、幼い頃クリスに叩きのめされた仕返しをしようと不意打ちを仕掛けた
男性が居たんですが、全身打撲の上に肋骨5本と両腕両足の骨を折られて全治3ヶ月の返り討ちに遭ったんです。それ以来完全に・・・。」
「喧嘩を売る相手を間違えたね、その男性(ひと)。」

 今日の凄まじい戦いぶりを目の当たりにしたアレンは、そう言う他ない。むしろその男性はよく殺されなかったな、とさえ思う。
自分の手足を武器にするのはドルフィンも同じだ。しかしドルフィンのそれは、所有するムラサメ・ブレードや多種多様な召還魔術に隠れている感がある。
クリスは自分の手足しか武器がないから、嫌でも目立つ。目立つ分、繰り出す拳や蹴りに破壊力があれば存在感や威圧感などは格段に増す。
見た目細身で、美貌と長寿で名高いエルフの血を引く民族らしくかなりの美人でスタイルもなかなかのものだが、見た目で油断して攻撃を仕掛けると最悪
殺されるのは確実。ルイは心強い親友を護衛にしていると言える。

「武術道場も、教会管轄の施設なの?」
「はい。私が生まれ育った慈善施設は福利部で、武術道場は教育部が管轄しています。慈善施設はその名前からも推測出来ると思いますが、武術道場は
心身の鍛錬を教育とする、という理念の実践の場として設けられているんです。両方共、各町村の中央教会の各部の管轄下にあります82)。」
「今日クリスから、ルイさんも暮らしてる村の正規の聖職者は全体で100人居るかどうかだ、って聞いたんだけど、それぞれ忙しそうだね。」
「忙しいと言えば確かにそうです。でも、『教書』の教えを身を以って実践するのが、聖職者が職務に臨む際の基本精神です。それに、給与が支給される
ことは国の制度上のものであって、真の報酬は自らの職務で人々から感謝を得ることです。高額の給与を第一に求めるようでは、聖職者の資質が問われ
ます。」
「正規の聖職者は修行が厳しくて早い時期に辞職してしまう、って前に聞いたけど、自分の行いを金の多い少ないで測ろうとするからなのかもしれないね。」
「そうかもしれません。正規の聖職者として称号を上げる人は大抵貧しい家庭の出身で、非正規の聖職者は逆に裕福な家庭の出身者が多いのも、その表れ
なのかもしれません。『教書』に記された神の教えを人々がどれほど理解しているのか・・・。教会や聖職者を役所とその職員と混同してはいないか・・・。
聖職者の1人として日々を過ごしていると、時にそう考えることがあります。」

 流石に14歳にして司教補に上り詰め、村の中央教会の祭祀部長に就任しただけあって、ルイの信仰に対する考えは深い。

「・・・変なこと聞いちゃうことになるけど・・・。」

 給与と聞いて思いついた疑問を、アレンは口にする。

「ルイさんは給料をどう使ってるの?」
「全額慈善施設に寄付しています。」

 ルイは即座に、しかも迷わず答える。

「私は慈善施設で生まれ育って、正規の聖職者として修行を始めて以来ずっと教会に住み込みで働いています。ですから寝る場所や食事の心配は必要
ありません。ですが、前にもお話したかもしれませんが、慈善施設は親を早くに亡くしたり、親の職業の関係で世話が満足に出来なかったり、高い小作料を
少しでも目減りさせるためにやむなく預けられたりしている子どもが多いんです。その子ども達が少しでも温かい食事を多く食べられて、寝床を得られるように
したいんです。それが慈善施設で生まれ育ったことへの恩返しであると同時に、『神の子として生まれ、神の子として生きる』ことを第一義的に考えるべき
聖職者としてあるべき姿の1つだと思っています。」
「・・・迷いがないね。ルイさんは。聖職者としても、人間として生きることにも。」
「いいえ。私も人間です。日々生きていて迷うことは勿論、悩みや苦しみといったものとは常に隣り合わせです。」

 アレンの称賛をやんわり否定したルイは、静かに語る。

「先程触れたように、人々の心に神への信仰が本当に定着しているのか、と迷うこともあります。それは聖職者として歩む今の私自身に何か不備があるのでは
ないか、という悩みにも繋がります。幼い頃民族の違いや母が戸籍上死んだことになっていたために苛められたことは、苦しみの1つです。」
「・・・。」
「人間として生きている以上、迷いや悩み、苦しみといったものから避けることは出来ません。それは聖職者でも変わりません。聖職者は決して人間の苦しみと
無縁な存在ではありません。迷いや悩み、苦しみといったものとどう向き合うか・・・。その解決として信仰があるのだと思っています。そして、自分と同じように
迷い悩み苦しむ人々に信仰を説き、金銭の多さや生活の豊かさでは満たされない心の穴を埋めることを提示することが聖職者の職務であり、その精神を
『教書』に見出すのが聖職者の心構えである・・・。私はそう思っています。」

 ルイの言葉は、アレンの心に染みとおり、深い共鳴を生み出す。
聖職者という、この国で社会的地位が非常に高い職業に就いていることを誇示せず、同じく普通の人間としてその目線で日々を生き、『教書』に記された神の
教えに心の拠り所を求め、人々に根気強く信仰を説くことで人間として生きることに1つの指針を提示することに徹している。ルイの信仰の強さはやはり、
辛く厳しく悲しい過去と切り離して語ることは出来ない。過去を糧として信仰と融合させることで成長し、今の地位にある。
 ルイは生きることに伴う迷いなどを率直に認めている。生きなければ迷いなどはなくなるが成長はそこで止まる。母の急死という大きな悲しみをおくびにも
出さず、聖職者として、そして1人の人間として懸命に毎日と、そして自分自身と向き合っているルイ。自分と同年代にして自らの地位や名声に溺れず、
日々の研鑽を怠らない真摯な姿勢を貫くルイが未来を歩むために絶対不可欠な「生きる」ということが今、大きく揺さぶられている。その犯人の姿はほぼ把握
出来ている段階にある。
ならば、迷うことはない。ルイに纏わりつく黒い翳を確実に取り払い、未来を歩むために必要不可欠な「生きる」ということを保障しよう。
アレンはルイと見詰め合いながら、黒い翳を取り払う決意をより強く固める・・・。
 部屋の女性陣が眠りに就き、最後の風呂から出たアレンは、台所でイアソンからの通信を待つ。
今日クリスから聞いた話は、現在直面している謎の確信に大きく迫る可能性を持つ。少なくともアレンはかなり確信に近いレベルに達している。「敵地」で
情報収集と謎の解明に全力を挙げているイアソンからの情報次第では、謎の回答を推測から確信へとほぼ完全に変える可能性がある。
今か今かと待ち侘びるアレンの耳に、待望の声が流れ込んで来る。

『アレン、聞こえるか?』
「聞こえるぞ、イアソン。」
『よし。まず俺の方から今日得た情報を伝える。アレンは今日までに得た情報やそれらの突合せで得た推測と繋げながら聞いてくれ。』

 イアソンはひと呼吸置く。

『リルバン家の当主に名立たる強硬派だった先代の意向とは違って、穏健派のフォン氏が就任したことはやはり、使用人達にとって大きな安心材料に
なっている。先代はこの国では少数民族のバライ族を隣国シェンデラルド王国に強制移民させようと躍起になっていたというのは前に話したと思うが、今の
使用人の中にもバライ族が居て、先代の在位中とは扱いが大きく変わったそうだ。そしてこれもやはりと言うか、先代の流れを汲む思考と、曲がりなりにも
一等貴族当主としての執務遂行能力は有していた先代とは違って執務遂行能力が明らかに低く、そのくせ自らの権威で頭ごなしに自分より立場の弱い者を
抑え込もうということには殊更熱心なホーク氏が次期当主に就任することを非常に懸念している。リルバン家に仕える年数が長いほど、そしてこの国の
多数民族であるラファラ族よりバライ族がより強く懸念している。』
「今日こっちでシェンデラルド王国に関する話を聞いたんだけど、悪魔崇拝者は崇拝する悪魔の力を使って殺傷力の強い魔法を使ったりするだけじゃ
なくて、町や村を襲って人を殺したり家に放火したり、井戸や畑に毒を撒いてその地に住めなくなるようにしたりするそうだよ。」
『そのとおりだ。バライ族が多数派のシェンデラルド王国のそういった情勢が、強硬派を勢いづかせる大きな原因になっている。この動きは20年前あたりから
目立つようになってきたそうだ。最近はそれが特に顕著で、王国議会でも喫緊の課題になっている。ドルフィン殿とシーナさんに依頼して傍受してもらった
先の王国議会の解析を終えたんだが、そこでも大きな議論となった。強硬派はこの国にバライ族が居ることで悪魔を呼び寄せている、と主張してバライ族の
強制移民を推進しようとしているが、王国議会は民族の強制移民では解決にならないし、当面の迎撃策として魔術師を招聘するのが適切と主張する
穏健派が多数を占めていて、議会も全体としては穏健派の主張の方向に向かっている。ある強硬派議員−話の流れからして二等貴族らしいが、
リルバン家の方針が180度変わったことを相当悔しがっているようだ。先代の在位中なら自分達がもっと優位に立てた、とな。』
「先代って、リルバン家のか?」
『ああ。今日俺が調べたところ、リルバン家の先代当主はこの国の強硬派の先陣を切る人物だったそうだ。穏健派のフォン氏と深刻な確執が生じるのは
必然的だったと言えるだろう。強硬派は先代の意向どおり次期当主にホーク氏が就任することを期待していたが、何度も言っているように先代がホーク氏を
次期当主として指名する前に急逝したことで、法律の優先順位に従って穏健派のフォン氏がリルバン家当主に就任した。このことが強硬派には大きな痛手に
なっているようだ。一等貴族はこの国全体に絶大な影響力を持つ。その1家系の方針が180度変わったんだから、議会での権利が制限されている二等三等
貴族の王国議会議員にとっては旗頭を失ったに等しい。かと言って一等貴族の方針に異論を挟む余地はない。商売の隆盛で昇格や降格がある二等三等
貴族と違って、一等貴族は10で身分は固定。しかも国の法律で継承の優先順位などが明記されているし、その歴史は建国神話に遡る。成り上がり者には
到底及ばない。』

 イアソンの情報は、一等貴族が1家系だけでもこの国で絶大な影響力を及ぼす存在であることを改めて立証するものだ。
強硬派の二等三等貴族にしてみれば、先代の在位中なら可決に向けて優位に進められたであろう主張が、自分達の旗頭だった一等貴族の当主交代に
よって一転劣勢に回されたのだから、歯噛みするのも無理はない。

「・・・俺は今日、イアソンの情報とも関連すると思う情報を入手した。」

 アレンは心の片隅にあった迷いによって生じた躊躇いを振り払って、口火を切る。

『どんな情報だ?』

 イアソンの問いかけに、アレンは今日クリスから聞いた話をそのまま伝える。
2人の通信が暫し途絶える。アレンは推測が確信へと着実に迫る予感を感じずには居られない。

『そうか・・・。やっぱりな・・・。』
「・・・イアソンもそれに関連する情報を入手したのか?」
『ああ。さっきアレンが言ったことと重なる部分が多い。一等貴族当主の絶対的権限は国全体には勿論、その家系が所有する土地や邸宅内にも及ぶ、とな。
問題の彼女が執拗に狙われる謎の核心は、俺が提示して後に修正を加えた仮説どおりと断定して良いだろう。』

 アレンは謎の解明に大きく踏み込んだという実感を抱く。しかしそれは同時に、ルイの人生が悉く弄ばれていることを意味するものでもある。

「どうして・・・肌の色や民族の違いだけでこんな扱いを受けるんだよ。」

 アレンの口から、苦渋に満ちた言葉が心のままに溢れ出す。

「系統が違っても・・・、多少方言はあったりするけど同じ場所で生きて、同じように考えたり悩んだりする人間の民族に変わりないじゃないか。なのに・・・。
なのにどうして・・・こんな違いが生じるんだよ・・・。『キャミール教第二の聖地』は人間の醜い部分が、俺達が住んでたレクス王国以上に浮き出てる場所じゃ
ないか・・・!強硬派か何だか知らないけど・・・、自分達の気に入らない存在を追い出せば天国になるとでも思ってるのか?!」
『・・・「宗教はそれを信じる者によって心の糧にも心の凶器にもなる。」・・・俺がレクス王国で所属していた「赤い狼」の合言葉の1つだ。』

 心を吐露するうちに最後の方が苦悩の叫びとなったアレンの耳に、イアソンの静かな言葉が流れ込んで来る。

『この国は確かに「キャミール教第二の聖地」と称されるほどキャミール教の影響が人民の生活に浸透している。聖職者の社会的地位とかそういうものは
下手な役人をはるかに凌駕するものだ。しかし、その宗教も捉えようによっては他人、特に立場が弱い者や少数派を排撃する強力な口実になっちまう。
宗教ってものの恐ろしさは、神の名や信仰を振りかざせばその宗教が本来戒めている筈のことでさえも正当化、美化されてしまうところにある。今、俺と
アレンが問題の彼女の安全を保障するために取り組んでいる問題の背景にある、民族浄化という名の異民族排撃はその一例だ。』
「・・・。」
『問題の彼女は、キャミール教の影響が強いこの国の国家体制の犠牲者とも言える。しかし彼女は犠牲者であることを嘆くばかりで終わらずに、それを糧と
して自らも属する少数派を敵視する勢力を完全に黙らせるだけの地位や名声や信頼を勝ち得た。それは彼女の信仰の根強さを示すものだ。彼女は宗教の
良い面を身を以って実践して見せていると言える。その彼女を守りたいならアレン。お前は更に情報を集めて決定的な物的証拠を見つけるんだ。そうする
ことで、彼女に纏わりつく黒い翳を取り払い、彼女に生きることを保障することが出来る。それが今の俺とアレンに出来ることだと俺は思う。』
「・・・悪い、イアソン。取り乱してしまって・・・。」
『否、謝る必要はない。アレンが強硬派の思考に傾いてないから、彼女と護衛もアレンに色々話してくれるんだ。今の自分に自信を持てば良い。』

 イアソンの柔らかい忠告を受けて、アレンは一度深く深呼吸をしてから送信機に言葉を放つ。

「ルイさんの指輪に関してはまだ情報を得られてない。クリスに頼るばかりじゃなくて、俺も何とかルイさんに見せてもらえるようにしてみる。」
『そうか。くれぐれも、彼女が無意識のうちに作っている心の壁をいきなり踏み破るようなことはするなよ。信用を積み重ねることが第一だ。』
「分かった。イアソンも引き続き頼む。出来ればホーク氏の背後に居る顧問とやらについても。」
『了解。』

 アレンとイアソンの今日の情報交換は終了する。アレンは送信機を耳に戻す。
クリスから聞いた直後に思ったとおり、ルイに関係する謎は推測から確信の段階へと踏み込んだ。しかし、まだ十分ではない。状況証拠は確かに十分過ぎる
ほど出揃ったが、「身に覚えがない」「記憶にない」「記録が残っていない」と白を切られればそれまでだ。
物的証拠を突きつければ言い逃れの余地はない。確実にルイに纏わりつく黒い翳を取り払うことが出来、未来に絶対不可欠な「生きる」ことを保障出来る。
オーディション本選まで残り僅か。何としてもルイからの信頼を高め、目星をつけた物的証拠を得ようとアレンは決意を更に固める・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

81)試合枠内:ランディブルド王国の武術道場で試合が有効となる範囲。この枠を超えて相手を倒しても勝利とはならない。また、これを利用して一旦枠外に
出て、規定時間ギリギリ(50セム)まで粘って体力を回復させるという手段もある。


82)両方共、各町村の中央教会の・・・:地区教会の福利部と教育部はそれぞれ寄付金の受付や管轄する地域の貧困家庭の救済など、教育部は管轄地域の
正規非正規の聖職者の教育と「教書」を読むための識字教育を担当している。


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